某講座でのこと。
某先生が、『○○○縁起白拍子』の説明の中で次のようにのべられていた。
「白拍子とは、舞踊の事です。」
あららら らー
と思いながら講義を聴いてはいたが、その他に関しては非常に興味深く、また種になるお話であり、有意義な時間を過ごさせて頂いた。
今までにも何度か白拍子は出てきたし、芝居もなじみの有る白拍子。
念のため、白拍子を辞書やネットで調べてみた。
白拍子(しらびょうし)とは
日本大百科全書(小学館) より
平安時代末期におこり鎌倉時代にかけて盛行した歌舞、およびその歌舞を業とする舞女をいう。名称の起源は、声明道(しょうみょうどう)や延年唱歌(えんねんしょうが)、神楽歌(かぐらうた)の白拍子という曲節にあるとか、舞楽(ぶがく)を母胎にする舞にあるとかの諸説がある。『平家物語』には鳥羽(とば)天皇の御代に島の千歳(せんざい)と和歌の前という舞女が舞い始めたとあり、『徒然草(つれづれぐさ)』には信西(しんぜい)が磯(いそ)の禅師(ぜんじ)という女に教えて舞わせたとある。源義経(よしつね)との物語で有名な白拍子静御前(しずかごぜん)は磯の禅師の娘とされているが、平清盛(きよもり)の寵愛(ちょうあい)を得た祇王(ぎおう)・祇女(ぎじょ)・仏御前(ほとけごぜん)や、千手(せんじゅ)、後鳥羽(ごとば)天皇の寵姫亀菊(かめぎく)などの名はいずれも白拍子の名手として知られている。白拍子を歌うことを「かぞえる」といい、今様(いまよう)、和歌、朗詠などのほか、「法隆寺縁起白拍子」のような寺社縁起も歌った。伴奏は扇拍子・鼓拍子を用い、水干(すいかん)・烏帽子(えぼし)・鞘巻(さやまき)姿で舞ったので男舞(おとこまい)といわれた。白拍子の舞は後の曲舞(くせまい)などの芸能に影響を与えたほか、能の『道成寺』ほかにも取り入れられ、その命脈は歌舞伎(かぶき)舞踊(『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』など)にも受け継がれていった。
要するに、平安時代末期におこり鎌倉時代の、歌舞、およびその歌舞を業とする舞
『日本大百科全書(小学館)』によれば、先日わたくしが書いていた「近藤好和(國學院大學)「義経・静の史実と伝承」第8回義経・与一・弁慶・静合同サミット」のような「とある部分」は、「歩き巫女」のように明確には記されていない。
そういった行為はあった場合もあるし、絶対あったとは限らないらしい。
何かの本でわたくしが先日書いたような意味合いもあるように出てきた「白拍子」ではあったが、出典をど忘れしている今となっては、公表し断定するのもおかしな話だ。なので先日書いた「近藤好和(國學院大學)「義経・静の史実と伝承」第8回義経・与一・弁慶・静合同サミット」は訂正後に元(わたくしのブログ)に戻したい。
某講座から疑問を覚え調べなおした「白拍子」ではあったが、わたくしもこの度たいへん参考になった。
尚 わたくしは展示物『『浮流時縁起白拍子』(1962) 寺僧重懐 』を拝見させて頂いた事がある。