『ソクラテスの弁明 クリトン』10 パルメニデス「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」
ギリシア哲学の起源
アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)
ソクラテス(ソクラテス学派)
プラトン(古アカデメイア学派)
ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)
パルメニデス(エレア派)
ゼノン(エレア派)
エピクロス(エピクロス学派)
パルメニデス
パルメニデス(古希: Παρμενίδης, Parmenidēs, パルメニデース、紀元前520年頃-紀元前450年頃)
古代ギリシアの哲学者。
南イタリアの都市エレア出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖。
アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。
名門の家柄。
祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。
クセノパネス等にならって、詩の形で哲学を説いている。
その中でも教訓詩『自然について』(希: Περὶ Φύσεως, ペリ・ピュセオース)が断片として現存する。
パルメニデス
知覚可能な物理現象を抽象化した「アルケー」や「幾何学的対象」を考察してきたそれまでの哲学者たちとは異なる。
「ある(有/在)」という概念を、 「あるもの(有/在、ト・エオン)はあり、あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)はあらぬ」
「あるもの(有/在、ト・エオン)は、唯一・不動・不変であり、理性による「真理の道」でのみ認識・探究可能」
「あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)は、認識され得ず、探究不可能」
「多様と変化を許容する、あり(有/在)かつあらぬ(非有/不在)もの(すなわち物理現象)は、感覚による「臆見の道」で認識される誤謬」
といった排中律的な原則・前提と、二元論的な世界観に基づいて、理性的・論理的に規定。
知覚可能で変動的な「物理現象」とは区別・隔絶された、超越的な(唯一にして不動不変の)「本質存在」を提唱した最初期の哲学者として知られる。
(もちろん唯一不動不変の「本質存在」のみを真の存在として認めるという立場を強調するならば、一元論と表現することもできる。)
彼を祖とするエレア派の存在論は、このように感覚よりも理性(ロゴス)を優先するという意味において理性主義。
その主張は「運動や変化の否定」など、著しく経験・直感に反する内容を持つ。
「アキレスと亀」で知られるパラドクスは、運動が存在しない(仮象・幻覚である)ことを示すためにパルメニデスの弟子であるゼノンによって提起されたものである。
パルメニデスが主張する超越的な「本質存在」としての「在るもの」(ト・エオン, τὸ ἐόν, to eon)は、下述するパルメニデス自身の著書『自然について』においては、一種の「球体」として、素朴な形で構想・表現されている。
彼の思想に影響を受けたプラトンの対話篇『パルメニデス』や『ティマイオス』(のデミウルゴス)を通じて、その「本質存在」思想がより抽象化・神秘化、あるいは体系化・神話化された形で喧伝されたことで、エレア派の枠を超えて、アリストテレスの「不動の動者」や、新プラトン主義であるプロティノス等の「一者」(ト・ヘン, τὸ ἕν, to hen)、グノーシス主義、キリスト教の神学(否定神学を含む)など広範囲に影響を与えたため、パルメニデスはそうした西洋の超越思想・神秘思想の系譜の元祖に位置付けることができる。
(ちなみに、世界を「変化・生成消滅する物理現象」と「超越的で永遠不変な存在」に分ける二元論や、その超越的存在を「球体(としての神)」として表現する発想は、パルメニデスより前に、彼の師とされるクセノパネスによって、既に提示されていたことが知られている。)
『自然について』
パルメニデス自身の思想は、直接的には断片として残る教訓詩『自然について』から推測するしかない。
『自然について』
『自然について』の導入部に続いて「ある」と「あらぬ」についての言及がある。
「「ある」そして「あらぬことは不可能」という道」を真理の道と位置づけ、以降、「ある」や「あらぬ」についての議論が続く。 その中で「あらぬ」は規定すらもできぬものとして否定され、「ある」は不生不滅で時間的にも不変であるとされ以上の「信頼できる言説」の後、Fr.VIII 50 から「死すべき人の子らのまことの証なき思惑(ドクサ)」
として、「火」と「土」の二元素論による自然現象の説明を展開している。これを述べた意図は、「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」とされる。
参考
『ソクラテスの弁明 クリトン』
プラトン 著
久保 勉 翻訳
岩波文庫 青601-1
ウィキペディア