『高砂』 4 『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり
『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」の『高砂』には、『古今和歌集』仮名序にも『高砂』が触れられていたので、簡単に記録しておきたい。
『高砂』
本曲のテーマは、和歌の隆盛が天下泰平のバロメーターだとする『古今和歌集』序以来の和歌性教観に立脚した当代賛美と見るのが正しいと思われる。
(『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」『高砂』から引用)
実際に以前にも読んだ『古今和歌集』仮名序を確かめることにしよう。
『古今和歌集』仮名序
「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」
から始まる『古今和歌集』仮名序が中盤に差し掛かった頃、次のように記されている。
「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」
(『古今和歌集』仮名序 岩波 新古典文学大系5から引用)
「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」の「高砂」「住の江」に注釈として和歌が載せられているので記録しておきたい。
高砂
『古今和歌集』908
かくしつゝ 世をや尽さむ高砂の
おのへに立てる 松ならなくに
(「高砂の松」で比喩される人生の無常感。)
(『古今和歌集』 岩波 新古典文学大系5から引用)
住の江
『古今和歌集』905
我見ても 久しくなりぬ住の江の
岸の姫松 いく世へぬらん
(私が見ているだけでも久しくなった。住の江の一体いつの世を経てきているのでしょうか。)
(『古今和歌集』 岩波 新古典文学大系5から引用)