『高砂』 5 『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』
『世阿弥』「能を読む2」『高砂』はまず次の様に書かれている。
本曲のテーマは、和歌の隆盛が天下泰平のバロメーターだとする『古今和歌集』序以来の和歌性教観に立脚した当代賛美と見るのが正しいと思われる。
(『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」『高砂』から引用)
これは前回にも書き、『古今和歌集』を調べてみた。
今回は、「能を読む2」『高砂』の興味深い箇所だけを記録したい。
ストーリーの展開としては、『高砂』「ネットで調べる」でも書いたが、「能を読む2」『高砂』ではどの様になっているのか。
九州肥後国の阿蘇大神宮の神主 友成(ワキ)と従者(ワキヅレ)
舟で状況の途中、高砂の裏に立ち寄る。
尉(じょう シテ)と姥(ツレ)
現れる。
友成(ワキ)と住吉の松
「何故、相生の松と呼ばれるのか?」
尉(じょう シテ)
「高砂とは、『万葉集』の時代、住吉とは、延喜帝(醍醐天皇)の時代、松は永遠に終わることの無い御代(みだい)の例え。それゆえ松が多く詠まれている」
友成(ワキ)
翁嫗(尉(じょう シテ)と姥(ツレ))の二人の素性を正す。
尉(じょう シテ)と姥(ツレ)
「高砂と住吉の精」
尉(じょう シテ)
上洛する友成一行に
「住吉の裏で待つ様」
言い、退場。
友成一行
あらためて、「相生の松」の謂れをたづね、住吉の浦に向かう。
住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)
大君守護
万民寿福
上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。
友成一行は、上洛の途に着く。
謡曲『高砂』は、友成一行が住吉で住吉明神と会う。住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)し、大君守護と万民寿福を祝い、舞い踊り太平の御代を寿ぐと云っためでたい謡曲なのである。
能楽研究者のAF氏がおっしゃっていた様に、結婚式でうたわれる様になったのは近年で、一般の人々が思われている様に、「結婚して二人仲良く年老いるまで」と云った内容では無いとおっしゃっていたし、また、能楽を京都観世会館で十代前半(中学生)から楽しんでいる人間ならば、謡曲『高砂』位は周知の次第である。
ところが、生半可に能楽師から短時間で「結婚して二人仲良く年老いるまでと云った内容では無い」「ただただ舟を漕ぎ様に」などと習うと、これがいけない。
受け手が、能楽師の教えである謡の節「ただただ漕ぐ」を誤解し誤認してしまう半可通が、謡曲『高砂』を誤認したまま、知ったかぶりをする。
住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)
大君守護
万民寿福
上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。
と云った『高砂』の根本的内容までをも否定してしまい、「結婚して二人仲良く年老いるまでと云った内容では無い」と云った部分だけがクローズアップされ、寿ぐ祝い曲たることを否定し、他人を貶めようとする。
能楽や謡や囃子などを習うならば、もう少し謙虚に、曲の本質を学びなさいと言いたい。
そう言うのを、「論語読みの論語知らず」と云う。
私自身も世の中で知らない事は数多いが、半可通の考えで人を小馬鹿にはしない。
人の言葉を鵜呑みにせず、自分で確かめて自分で考えていきたいと考える。
以上 乱鳥、良い能楽研究者と出会っていて、良かった!!!!
謡曲『高砂』 1 観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より 謡曲『高砂』 2 『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。 謡曲『高砂』 3 『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり 『高砂』 4 『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり 『高砂』 5 『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』 住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう) 大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。