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恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

富田高至 編者

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年

 

 

下 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表

 

三十五丁裏

◯をかし、維盛卿と申、公卿おハしましけり、八嶋のあた

りに、牟礼(ムレ)、高松と云所に、舟有けり、年頃の侍、

与三兵衛石童丸をつれて、叔父(ヲチ)宗盛也ける人を、

常にうらみておハしましけり、時世へて、久く

なりにけれハ、その時の事ハわすれにけり、金ハたん

ともたて、脛(スね)をひき/\つゝ、大和のたにかられり

けり、今おハする高野の滝口か寺のその滝の上人

 

三十六丁表

殊にたつとし、その寺のもとにおりゐて、髪を剃て、

名を替て、上中下皆歌よみけり、興三兵衛成ける人の読ル(ママ)

   世の中に 耐えて妻子のなかりをは

   今の心は のとけからまし

又、人の歌、

   死ねハこそ いとゞ妻子ハめてたけれ

   うき世に誰か ひさにいくへき

とて、よき寺をハたてゆくに、ひたるくなりぬ、御伴

なる人、もちをもちて、外より出きたり、此餅をくらひてん

とて、よき所をもとめ行に、岩田川と云所に

至りぬ、君もむまがりて、おほくまいる、君のたまひ

ける、「高野を出て、岩田川のほとりに至ると

 

三十六丁裏

いふを題にて、歌によみて、餅ハくへ」との給ふけれバ、

かの興三兵衛よみて、奉ける、

   買くひし 棚さらし餅かたからん

   岩田川原て われハくひけり

君餅をかす/\くひ給て返しえし給ハす、

かの石童丸御元にまつまれり、それか返し、

   一とせに 殿のお共に君まさハ

   宿かす人ハ あらんとそおもふ

かりて、風呂やにいらせ給いぬ、夜ふくるまて、茶

のみ話して、あるしの亭よひて、風呂へ入す、

興三兵衛よめる、

 

三十七丁表

   垢(アカ)なきに また機に風呂へ入濡れハ

   山水さして いれすもあらなん

君にかハり奉て、石童、

   をしなへて 是は平のこれもりと

   髪のなかれハ 誰もしらしを

   

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊       

   世の中に 耐えて妻子のなかりをは

   今の心は のとけからまし

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   世(の)中に たへて櫻のなかりせは

   春の心は のどけからまし

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   死ねハこそ いとゞ妻子ハめてたけれ

   うき世に誰か ひさにいくへき

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   散ればこそ いとゞ櫻はめでたけれ

   うき世になにか ひさしかるべき

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   買くひし 棚さらし餅かたからん

   岩田川原て われハくひけり

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   狩り暮らし たなばたつめに宿からむ

   天の河原に我に来にけり

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   一とせに 殿のお共に君まさハ

   宿かす人ハ あらんとそおもふ

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   一年(ひとゝせ)に ひとたび来ます君待てば

   宿かす人も あらじとぞ思(ふ)

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   垢(アカ)なきに また機に風呂へ入濡れハ

   山水さして いれすもあらなん

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   あかなくに まだきも月もかくゝるか

   山の端(は)にげて 入れずもあらなん

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   をしなへて 是は平のこれもりと

   髪のなかれハ 誰もしらしを

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   をしなべて 峯もたひらになりななむ

   山の端(は)なくは 月もいらじを

 

 

維盛卿  (ウィキペディア)

 平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。

 平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。

 平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。

 治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。

 父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水したとされている。

 

維盛  (ブリタニカ百科事典)

 平安時代末期の武将。

 重盛の嫡子。

 小松中将と称される。

 平家一門の嫡流として出世。

 治承4 (1180) 年源頼朝挙兵の際,追討大将軍として東国に発向。

 富士川の戦いでは,夜,水鳥の羽音に驚いて戦わずに逃げ帰った。

 翌年3月尾張墨俣の戦いで源氏を撃破,その功により右近衛権中将,従三位となった。

 寿永1 (82) 年木曾義仲追討のため北国へ発向。

 倶利伽羅 (くりから) 峠の戦いで大敗 (→礪波山〈となみやま〉の戦い ) 。

 義仲が上京し平家一門が西国に没落したとき,一時は都落ちしたらしいが,その後の消息は不明。

 物語類では,屋島で平家の陣を抜け出し (→屋島の戦い ) ,高野山で出家,熊野灘へ舟を出して入水して果てたという。

 

時世(ときよ)

 その時から今日まで、永い拈華血が過ぎ去った。

 作者の言葉。

 

八嶋 (屋島)  (ウィキペディア)

 平安時代の屋島

 平安時代末における屋島は、治承・寿永の乱(源平合戦)の局地戦の一つである一ノ谷の戦いに敗れた伊勢平氏が安徳天皇を奉じたまま撤退してきた四国東端の軍事要衝であった。

 翌年の元暦2年2月(ユリウス暦換算:1185年3月頃)に源氏の追撃を受け、屋島の戦いの戦場となった。

『平家物語』のほか、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした逸話などが、今日まで語り継がれている。

 

牟礼(ムレ)

 古代朝鮮語で山や丘を意味する「もろ」が日本語に転じて「むれ」となったとされる。

 

宗盛

 平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将・公卿。平清盛の三男。

 母は清盛の継室・平時子。

 時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院は同母妹である。

 官位は従一位行内大臣。

 通称は屋島大臣など。

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/2e033d144903fbd13f8f307ca7fea496 (乱鳥 宗盛)

 

 

高野の滝口か寺のその滝の上人

 高野の滝口が寺のその滝の上人

 

岩田川

 和歌山県

 

むまがり  (うまがり 美味がり)

 むまがりて

 美味しがって

 

かす/\

 数々

 

石童丸   (苅萱(かるかや))

 苅萱(かるかや)とは、出家した武士、苅萱道心とその息子石道丸にまつわる物語。

 説経節、浄瑠璃、歌舞伎、読本などで作品化されている。

 説教節では「五説教」のひとつであり、代表的な演目のひとつとして扱われてきた。

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c75fd4cac9c69a9ed343a9d272fc9145(乱鳥 石童丸)

 

平のこれもり

 平維盛(上に説明あり)

 

あかなくに (伊勢、業平)

 まだ月が出ていて、夜が明けない状態。

 

 


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