『仁勢物語』82段では、石童丸を例えに上げている。
『苅萱』
石童丸 (苅萱(かるかや))
苅萱(かるかや)とは、出家した武士、苅萱道心とその息子石道丸にまつわる物語。
説経節、浄瑠璃、歌舞伎、読本などで作品化されている。
説教節では「五説教」のひとつであり、代表的な演目のひとつとして扱われてきた。
筑前国の武将、加藤左衛門尉繁氏は、妻と妾の醜い嫉妬心(上辺は親し気に振る舞いながら髪の毛が蛇と化して絡み合う様子)を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、寂昭坊等阿法師、苅萱道心(かるかやどうしん)と号して、源空上人(法然)のもとで修行し、高野山に登った。
その息子である石童丸は、母とともに父親探しの旅にでる。
旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。
高野山は女人禁制 母を麓の宿において一人で山に登り、偶然父親である等阿法師に出会うが、父親である等阿法師ははるばる尋ねてきた息子に、棄恩入無為の誓のために、自分があなたの父親ですと名乗ることはせずに、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りを言い、実の父親に会いながらそれと知らずに戻った。
石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。
頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀話。
中世に起源をもつ「苅萱」の物語は当時を生きる人の胸をうち、以来、多くの芸能や文学で扱われる重要なテーマとなってきた。
以下にその代表例を掲げる。
『苅萱』(説教節、謡曲)
『苅萱道心行状記』(勧化本)
『苅萱道心物語』(浄瑠璃)
『石童丸苅萱物語』(読本:滝沢馬琴、1806年)
『苅萱道心』(歌舞伎)
『苅萱絵詞伝』(絵解き)
『苅萱親子一代記』(勧化本)
『石童丸』(浄瑠璃)
『石童丸のお話』(絵解き) (ウィキペディア)