コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」 2006年 東京 シアターコクーン 中村勘三郎他、錚々たる顔ぶれの役者さんたち
コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」をみる。
いや、みることができてよかった。
『東海道四谷怪談 南番』は歌舞伎チャンネルや衛星劇場で繰り返し見て居たが、「東海道四谷怪談 北番」は未だみる機会に恵まれてなかった。
北番では、岩や岩の怨念の怖さの強調というよりは、江戸時代の実在人物の名を変えパロディ化した内容。
江戸時代は絵師にしても芝居にしても、御上批判や実際を表現することは禁止されて居たので、絵師は猫などの擬人化を試みたり、芝居では「東海道四谷怪談 北番」のように名を変えパロディ化したりされて居た。
しかし当時の人は元を念頭に、浮世絵や草子などの読み物、芝居を楽しんで居たことになる。
故に「四谷怪談 」は「別名(?)忠臣蔵」とも言われていたそうだ。
『東海道四谷怪談 南番』で気になって居た、蚊帳。
伊右衛門は子供の蚊帳まで取り上げて持って行く。
もっとも金持ちの孫娘との婚礼を控え、大枚をもらっているので、金欲しさではない。
伊右衛門は磐音の愛情がないことを悟らせ、釘をさすためにも着物をはぎ、吊るした蚊帳まで剥ぎ取って行くのである。
とはいえ、なぜ蚊帳なのか。
愛情がないという表現の一つとして子供が蚊に刺されて模様ので蚊帳を剥ぎ取って行く、実はそれだけではなさそうである。
この蚊帳、ベースは青深緑で、策は真っ赤である。
この夏に滋賀県の近江八幡を訪れた時に、旧家の資料館で見た。
今現在の西川布団の下になる お店(おたな)跡で、当時の西川(布団)ブランドの蚊帳が展示されて居た。
それによく似た蚊帳を舞台では使われているのである。
落ちぶれたとはいえ、武士である伊右衛門の家では、元はブランド品である西川の蚊帳を購入し使うことができたのであると考えられる。
ブランド品である蚊帳は、衣服と同様、質草に入れることができたのであろうと推定する。
お乞食になった武士でも、武士のプライドもあり、剣菱模様の入った菰を好んで使用したと何かに書かれて居た。
菰を見れば武士下がりか、一般民家がわかるという。
そしてこんなにも落ちぶれた家にも、当時の流行りの蚊帳がかかって居たのだとすれば、芝居も事細かに観察に値する面白みがあると考えられる。
コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」にご出演されていらっしゃる全ての役者さんたちが熱演であった。
中村勘三郎様がご健在の頃の舞台で、懐かしく目頭が熱くなった。
「東海道四谷怪談 北番」を見て、改めて素晴らしい役者さんだったんだと感じた。
中村勘三郎様の出演者の士気を高め、まとめる力、及び、舞台を作り上げるという情熱は半端がない。
会場中の観客の熱気が伝わる舞台であった。
東京都関西との舞台を始め芸術に対する温度差を感じる。
学生時代、関西を離れることは考えもしなかった私であるが、東京の代打国行くことになって居たら、今はどのような趣味を持ちどのように楽しんでいるのであろうかと、時々ふと考えることがある。
「東海道四谷怪談 北番」もそんなたわいないことをふと思わせる舞台であった。
以下のデーターはwowow公式HP ▼
絶大なる人気作「四谷怪談」を台本、配役、演出などの異なる新作「北番」として上演し、読売演劇大賞を受賞するなど旋風を巻き起こした伝説のコクーン歌舞伎第7弾。
コクーン歌舞伎の第7弾「東海道四谷怪談」は、1994年に上演された「四谷怪談」をベースに串田和義が新たな演出を施した南番と、シャープな切り口で欲望の中でうごめく人間の奥深さを描いた北番の2バージョンからなり、その北番を放送する。中村勘三郎が襲名後初公演の舞台。
【あらすじ】
塩冶浪士の民谷伊右衛門(中村橋之助 現:芝翫)は、同じ浪士の四谷左門に娘・お岩(中村勘三郎)との復縁を迫るが、伊右衛門の公金横領という過去を知っている左門は復縁を許さない。
一方、お岩の妹・お袖は生活のために按摩宅悦の地獄宿に勤めているが、そこで夫・佐藤与茂七と再会する。しかし、お袖に横恋慕する直助権兵衛は与茂七を、伊右衛門は左門をそれぞれ殺してしまう。
お岩は伊右衛門と復縁、お袖は直助と仮の夫婦となる。子をなしたお岩は、産後の肥立ちが悪く床に伏せってしまい、そんなお岩を次第に疎んじた伊右衛門は、離縁するためにある策略に出る。
2006年4月18日、20日/東京 Bunkamuraシアターコクーン
出演
役名 役者名
お岩・直助権兵衛 中村勘三郎
佐藤与茂七・小仏小平 中村扇雀
民谷伊右衛門・小汐田又之丞 中村芝翫
四谷左門・仏孫兵衛 坂東弥十郎
お袖 中村七之助
秋山長兵衛 片岡亀蔵
お梅 坂東新悟
伊藤喜兵衛・按摩宅悦・お熊 笹野高史
スタッフ
演出・美術
串田和美