(写真は、法隆寺)
松竹株式会医者「歌舞伎美人」から「四代目中村鴈治郎 襲名披露を発表」が届きました。
翫雀さん、四代目中村鴈治郎 襲名されるそうです☆
わお!
来年はきっと、関西でも久々に藤十郎さんや扇雀さんや翫雀さんお顔合わせのお舞台が見られるかもと、ほくそ笑む☆
甘いかな?
ひょっとしたら今年後半の関西も^^?配役においての観劇チャンスが広がるかも^^v
とにもかくにも
翫雀さん、おめでとうございます。
翫雀さん、心よりお慶び申し上げます。
わたくしにとって、この襲名は大変うれしい☆
松竹株式会社「歌舞伎美人」 ▼
4月14日(月)、中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露が、平成27(2015)年1月大阪松竹座より始まることが発表され、翫雀が発表記者会見を行いました。
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「中村翫雀さんが明年1月より、四代目中村鴈治郎の名跡を襲名いたしますことを、皆様に発表させていただきます」と、松竹株式会社社長 迫本淳一からのご挨拶で始まった襲名披露会見。専務取締役演劇本部長 安孫子正より「来年、一年かけて大劇場での襲名披露興行を行います。1月大阪からのスタートは、当人の強いご意志もあってのことです」とご紹介があり、晴れやかな笑顔で翫雀がマイクを握り、喜びのご挨拶を行いました。
代々の鴈治郎から受継ぐもの
「大きな大きな名前を襲名させていただくことになりました」。翫雀は、鴈治郎の名前を「憧れであり、好きな名前」と言い、「昨日が二代目の祥月命日で、菩提寺に報告させていただきました。来年は二代目の三十三回忌、また、私の初舞台(昭和42年11月歌舞伎座)が初代の三十三回忌で、"運命かな"と感じております」と、襲名のうれしさを表しました。
初代鴈治郎は「玩辞楼十二曲」を選定した人。「『十二曲』を継いでいきたいので、襲名披露でもぜひ手がけたい。『吉田屋』の伊左衛門は和事芸として大変難しいという認識でまだ演じておりませんが、襲名ではぜひ」と、初役への挑戦も含めて意欲的に語りました。
「私にとっての"鴈治郎"は祖父、二代目。父は扇雀、藤十郎のイメージが強いですし」と言う翫雀にとってのその二代目は、「芝居をしているのかしていないのか...、何があっても役になりきってせりふが出てくる人」。自分の芸風は父よりも二代目に近いのではないかと考えており、「役になりきり、役に染まっていく、それでいてリアルな芸。そういう役者であれば素敵だなと思います」と、新しい四代目鴈治郎像への抱負を語りました。
成駒屋の大切な名前
平成17年の坂田藤十郎襲名の折、同時に鴈治郎襲名の話があったことについては、「鴈治郎は成駒屋にとって大事な名前、藤十郎はまた別のものです。父が鴈治郎から藤十郎になり、私が鴈治郎になることを、一連のつながりでとらえられることに抵抗がありました」とあらためて明かしました。
「鴈治郎を私がしっかり継ぐことで、成駒屋と山城屋が別個に存在できる。山城屋である父、藤十郎がやることは、成駒屋とは違うもので、私も父とは違うものをやるぞ!という意気込みがあります」と語り、その心境を、鴈治郎となる「機が熟した」と表現しました。
大阪の"がんじろはん"に
さかのぼると、翫雀襲名も大阪から始まりました(平成7年1月中座)。「後からじわじわと大阪で(襲名披露を)始めてよかったなと思いました。大阪にも住まいを構えることになりましたし。今回も襲名するならぜひ大阪からと、お話させていただきました。大阪に根付く役者でいたい、"がんじろはん"と呼ばれる役者になりたい」と、鴈治郎の名前とともにある大阪への深い思い入れを語りました。
襲名披露の写真撮影で「イ菱の紋の裃(かみしも)に袖を通したとき、自分が本当に鴈治郎の名を好きだったんだなと再確認した」と言う翫雀。待望の襲名披露興行は、来年1月、2月の大阪松竹座に続き、4月歌舞伎座、6月博多座、そして12月南座顔見世、さらに、公文協の公演で全国各地でも行われる予定となっています。「鴈治郎として何ができるのか、自覚、確認しながらやっていくことになるので、皆様よろしくお願い申し上げます」との言葉でご挨拶を締めくくりました。
松竹株式会医者「歌舞伎美人」から「四代目中村鴈治郎 襲名披露を発表」が届きました。
翫雀さん、四代目中村鴈治郎 襲名されるそうです☆
わお!
来年はきっと、関西でも久々に藤十郎さんや扇雀さんや翫雀さんお顔合わせのお舞台が見られるかもと、ほくそ笑む☆
甘いかな?
ひょっとしたら今年後半の関西も^^?配役においての観劇チャンスが広がるかも^^v
とにもかくにも
翫雀さん、おめでとうございます。
翫雀さん、心よりお慶び申し上げます。
わたくしにとって、この襲名は大変うれしい☆
松竹株式会社「歌舞伎美人」 ▼
4月14日(月)、中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露が、平成27(2015)年1月大阪松竹座より始まることが発表され、翫雀が発表記者会見を行いました。
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「中村翫雀さんが明年1月より、四代目中村鴈治郎の名跡を襲名いたしますことを、皆様に発表させていただきます」と、松竹株式会社社長 迫本淳一からのご挨拶で始まった襲名披露会見。専務取締役演劇本部長 安孫子正より「来年、一年かけて大劇場での襲名披露興行を行います。1月大阪からのスタートは、当人の強いご意志もあってのことです」とご紹介があり、晴れやかな笑顔で翫雀がマイクを握り、喜びのご挨拶を行いました。
代々の鴈治郎から受継ぐもの
「大きな大きな名前を襲名させていただくことになりました」。翫雀は、鴈治郎の名前を「憧れであり、好きな名前」と言い、「昨日が二代目の祥月命日で、菩提寺に報告させていただきました。来年は二代目の三十三回忌、また、私の初舞台(昭和42年11月歌舞伎座)が初代の三十三回忌で、"運命かな"と感じております」と、襲名のうれしさを表しました。
初代鴈治郎は「玩辞楼十二曲」を選定した人。「『十二曲』を継いでいきたいので、襲名披露でもぜひ手がけたい。『吉田屋』の伊左衛門は和事芸として大変難しいという認識でまだ演じておりませんが、襲名ではぜひ」と、初役への挑戦も含めて意欲的に語りました。
「私にとっての"鴈治郎"は祖父、二代目。父は扇雀、藤十郎のイメージが強いですし」と言う翫雀にとってのその二代目は、「芝居をしているのかしていないのか...、何があっても役になりきってせりふが出てくる人」。自分の芸風は父よりも二代目に近いのではないかと考えており、「役になりきり、役に染まっていく、それでいてリアルな芸。そういう役者であれば素敵だなと思います」と、新しい四代目鴈治郎像への抱負を語りました。
成駒屋の大切な名前
平成17年の坂田藤十郎襲名の折、同時に鴈治郎襲名の話があったことについては、「鴈治郎は成駒屋にとって大事な名前、藤十郎はまた別のものです。父が鴈治郎から藤十郎になり、私が鴈治郎になることを、一連のつながりでとらえられることに抵抗がありました」とあらためて明かしました。
「鴈治郎を私がしっかり継ぐことで、成駒屋と山城屋が別個に存在できる。山城屋である父、藤十郎がやることは、成駒屋とは違うもので、私も父とは違うものをやるぞ!という意気込みがあります」と語り、その心境を、鴈治郎となる「機が熟した」と表現しました。
大阪の"がんじろはん"に
さかのぼると、翫雀襲名も大阪から始まりました(平成7年1月中座)。「後からじわじわと大阪で(襲名披露を)始めてよかったなと思いました。大阪にも住まいを構えることになりましたし。今回も襲名するならぜひ大阪からと、お話させていただきました。大阪に根付く役者でいたい、"がんじろはん"と呼ばれる役者になりたい」と、鴈治郎の名前とともにある大阪への深い思い入れを語りました。
襲名披露の写真撮影で「イ菱の紋の裃(かみしも)に袖を通したとき、自分が本当に鴈治郎の名を好きだったんだなと再確認した」と言う翫雀。待望の襲名披露興行は、来年1月、2月の大阪松竹座に続き、4月歌舞伎座、6月博多座、そして12月南座顔見世、さらに、公文協の公演で全国各地でも行われる予定となっています。「鴈治郎として何ができるのか、自覚、確認しながらやっていくことになるので、皆様よろしくお願い申し上げます」との言葉でご挨拶を締めくくりました。