『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-19 【巻二 関白賀茂詣 (社頭の儀)】一紙〜五紙 中央公論社 小松茂実編
日本絵巻大成 8 巻二 一紙〜五紙
巻二 関白賀茂詣 (社頭の儀)
天禄二年(971) 摂政 藤原これただ
斎戒沐浴(さいかいもくよく)の上、奉献の神宝調度、神馬を見る。
関白
関白(かんぱく)は、成人の天皇を補佐する官職である。
令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。
敬称は殿下。
社頭の儀 (京都の用語集(https://ja.kyoto.travel/glossary/single.php?glossary_id=938))
「葵祭」は以前「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」という3部構成でした。
現在は「宮中の儀」が行われず、「路頭の儀」が注目を集めるため、「社頭の儀」は関係者以外ほとんど世に知られていません。
しかし、葵祭はもともと勅使が賀茂の神に進物を奉ることが、ルーツですから「社頭の儀」は祭りの重要な部分であるわけです。
「路頭の儀」で注目を集めるのが「斎王代」なら、「路頭の儀」の主役は「勅使」です。
「祝詞」(神様へのあいさつ状)奉上や、「奉幣(ほうべい)」(神様へプレゼントを進呈すること)では、大勢の参列者の視線が注がれる中、神事が粛々と進んでいきます。
またほかには、舞楽などもあり、中でも「牽馬(ひきうま)の儀」という儀式が面白いです。
社殿の周りを引きまわすのですが、馬を引く「馬寮使(めりょうし)」が神様のいらっしゃる本殿の方を向いてお辞儀をすると、馬もそれに倣ってペコッとお辞儀をするから不思議です。
参列者から、ほのぼのとした笑いが漏れるひと時です。
雨で「路頭の儀」が中止となった場合でも、「社頭の儀」は上賀茂・下鴨両神社で執り行われます。
ただし、その時は儀式も簡略化した内容になるようです。
藤原 伊尹 (ブリタニカ大百科辞典)
生 延長2(924) [没]天禄3(972).11.1. 平安時代中期の廷臣。
「これまさ」とも読む。右大臣師輔の長男。
別称,一条摂政。諡は謙徳公。
天慶4 (941) 年昇殿を許され,天暦9 (955) 年従四位下,頭中将,天徳4 (960) 年従四位上,参議,康保2 (965) 年正四位下,同4年従三位,権大納言に進む。
冷泉天皇の安和1 (968) 年正三位,同2年には大納言で近衛大将を兼ね,天禄1 (970) 年右大臣に進み,次いで藤原実頼の没後,摂政,氏長者となり,同2年正二位,太政大臣に任じられた。
和歌にすぐれ『後撰和歌集』の編纂に参画した。
藤原 伊尹
いかなる折にかありけむ、女に
から衣袖に人めはつつめどもこぼるる物は涙なりけり(新古1003)
藤原 伊尹
しのびたる女を、かりそめなるところにゐてまかりて、かへりてあしたにつかはしける
かぎりなく結びおきつる草枕いつこのたびを思ひ忘れむ(新古1150)
斎戒沐浴(さいかいもくよく) (三省堂 四字熟語辞典)
神仏に祈ったり神聖な仕事に従事したりする前に、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。
「斎戒」は物忌みをすること。
神をまつるときなどに、心身を清め汚れを去ること。
「沐浴」は髪やからだを洗い清めること。
「沐浴斎戒もくよくさいかい」ともいう。
神宝調度
神宝とは
神宝(じんぽう、かむだから)とは、神社の本殿内陣に納められる、祭神に由緒の深い宝物や調度品、装束類のことである。
広義には神社に代々伝わる宝物のことも含むが、通常はこれらは社宝(しゃほう)と呼び、神宝とは区別する。
元々の神宝は、剣、玉、鏡などの呪具で、古代には氏族の権威の象徴、あるいは氏族の祭祀に使用されたものであった。
『先代旧事本紀』の十種神宝などがそれに当たる。
後に、神像が作られるなど神の擬人化が進むと、神宝の中に、人間が使用するものと同じような日用品が多く含まれるようになる。
例えば手箱、碗、化粧用具、衣服などである。
これらの神宝は、式年遷宮などの社殿更新にあわせて新調された。
その際、それまでの神宝は古神宝と呼ばれ、その中には社宝として神社に残されるものもある。
伊勢神宮で20年毎に行われる式年遷宮では、社殿と共に714種1576点の御装束神宝(装束や須賀利御太刀等の神宝)も造り替えられる。
現在では20年間正殿に捧げられた神宝は、宝殿でさらに20年間保管された後に撤下され、神宮徴古館で展示されたり、他の神社に下げ渡されることになっている。