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映画『キングダム』 2019  佐藤信介監督 山崎賢人 吉沢亮 長澤まさみ 大沢たかお 石橋蓮司 高島 他 

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 映画『キングダム』

 

制作年/2019 制作国/日本 内容時間/134分 監督 佐藤信介 脚本 黒岩勉 脚本 佐藤信介 脚本 原泰久 撮影 島秀樹 音楽 やまだ豊他

 

 映画『キングダム』を見た。

 筋書きも良いし、役者も揃い、舞台作りも丁寧で、スケールも大きい。

 

 概ね満足したが、あれだけ練りこんだ映画作りであるのに、橋本環奈のメークとヘアースタイルが現代的で、目元のメイクもやりすぎである。

 決して山の民には見えないし、むしろ、顔は都会の若者風。

 フクロウの様な衣装は絵本画家、木村泰子の世界である。

 衣装はおとぎ話の様で、台詞も橋本環奈にしては一本調子である。

 周りに役者のメークや衣装やセリフの言い回しからして、橋本環奈の立ち位置は、あまりにも異次元である。

 そういえば背景も明らかに書き上げた布を意図的に使用する場面があった。

 

 once upon a time^^から、観客への誘い^^なのか?

 

 おそらく、これは意図的に二次元の世界の様に作り上げ、過去と現代を結んだのではないかと感じたが、本当の処はわからない。

 橋本環奈への演出は故意である事は理解できるが、もったいない。

 全体として、あの役所が浮いてしまい、映画全体として重厚さを薄めた様に、映画のわからない私には思える。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

信 山崎賢人 エイ政(えいせい)/漂 吉沢亮 楊端和 長澤まさみ 河了貂 橋本環奈 成キョウ(せいきょう) 本郷奏多 壁 満島真之介 王騎 大沢たかお 魏興 宇梶剛士 肆氏 加藤雅也 竭氏 石橋蓮司

 

原泰久の大ヒットコミックを実写映画化した大作歴史劇。紀元前3世紀、春秋戦国時代の中国を舞台に、戦災孤児の少年と後に始皇帝となる若き王との壮大なドラマを描く。

身寄りもなく、身分も低い戦災孤児の少年が、大将軍に成り上がることを夢見て戦乱の世を突き進んでいく。群雄割拠する春秋戦国時代の中国を初めて統一した秦の始皇帝の史実を下敷きにした原泰久の大ヒットコミックを映画化。あまりのスケールに実写化は困難と思われた原作を、「BLEACH」などの佐藤信介監督が日本映画離れしたスペクタクル大作に仕上げた。主人公の少年役は「羊と鋼の森」の山崎賢人、後に秦の始皇帝となる若き王役に吉沢亮、さらに長澤まさみ、橋本環奈、大沢たかおら豪華キャストがそろう。


歌舞伎『茨木』中村芝翫(七代目)、片岡仁左衛門 歌舞伎座  5★/5 (松羽目物 新古劇)

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法隆寺

 

 

  歌舞伎『茨木』中村芝翫(七代目)、片岡仁左衛門  歌舞伎座 5★/5 (松羽目物 新古劇)

 

 茨木童子  中村芝翫(七代目)

 渡辺源次綱 片岡仁左衛門

 中村錦之助(七代目)

 

 間狂言

 市川左団次

 中村亀鶴

 大谷友右衛門 (八代目) 

 

 

 歌舞伎『茨木』(黙阿弥作) 中村芝翫(七代目)、片岡仁左衛門を見た。

 これは面白い。

 茨城は京都の羅生門で鬼の腕を切り云々という設定から始まるが、渡辺綱の話や絵巻物の変形だと連想をしながら楽しむことができる。

 

 とにかく、中村芝翫(七代目)の芝居や舞に堪能する。

 舞も台詞も、

  ああ!!!なつかしい芝翫丈だ^^

 

 腕を見た時の、あの表情は忘れない。

 最後の花道をさって行く時の複雑な表情は、脳裏に残る。

 

 そして、片岡仁左衛門丈のかっこよさに目が離せない。

 山場、そして最後の大きく作った形は、浮世絵から飛び出てきた美しさ。

 

 中村芝翫(七代目)、片岡仁左衛門のお舞台、『茨木』は素晴らしかった^^

 大変、素晴らしかった。

 

 中村芝翫(七代目)と片岡仁左衛門の『茨木』

 あっぱれじゃ!!!!!

 

 

 

 附

 名作歌舞伎全集の18巻に『茨城』が載っているので、読んでみましょうっと^^v

乱鳥の書きなぐり→『茨城』河竹黙阿弥作  名作歌舞伎全集 18巻 家芸 歌舞伎十八番の内

 

 

 

『茨城』河竹黙阿弥作  名作歌舞伎全集 18巻 家芸 歌舞伎十八番の内 東京創元新社

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永慶寺(大和郡山)

 

 

 

『茨城』名作歌舞伎全集 18巻 家芸 歌舞伎十八番の内  東京創元新社

 

 

 河竹黙阿弥作

 明治十六年 新富座で初演

   五代目 菊五郎

   初代  左団次

 松羽目物

 舞踊劇

 内容的には『戻橋』の続編

  『戻橋』は茨木童子が渡辺綱に腕を切られる。

  『茨木』は腕を取り戻す。

 

実は切り取られたのは右手だが、舞踊など演じにくいので、左手に変えた。

  菊五郎型 六代目菊五郎 親指をだし四本の指を隠す。

  梅幸型  六代目梅幸  手を出して動かさず演じた。

  芝翫型  七代目芝翫  左手を裾の中に隠して演じる。

     乱鳥の書きなぐり→歌舞伎『茨木』中村芝翫(七代目)、片岡仁左衛門 歌舞伎座  5★/5 (松羽目物 新古劇)

 

 

「傍(かたえ)へ擦り寄り、差し覗き

「次々次々面色代わり

中なる腕を見て、思い入れよろしく

鬼の半面になり、きっ!と見る。

 

 上の場面、七代目芝翫、うまかったなぁ^^v

 仁左衛門も声が出るくらいにかっこよくって^^v

 あまりにも面白く、興奮していたせいか、明け方近くまで寝付かれない乱鳥でした^^

 

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-16 【巻一 透渡殿(すきわたどの)】 五十五紙〜五十九紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-16 【巻一 透渡殿(すきわたどの)】五十五紙〜五十九紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十五紙〜五十九紙 

中は、裾だけ見え、顔は見えない。

料理が並べられている。

 

簀子の西側から透渡殿にかけて、摂政以下公卿たちが立ち並ぶ。

中には檜扇を開ける人が一人いる。

 

透渡殿(すきわたどの)     屋根材,建具などは対屋も寝殿と同じである。  寝殿と東西対の間は南北2本の廊で結ばれるが,南側の廊は透渡殿(すきわたどの)と呼ばれ,建具のない吹き放しの建物である。  東西対の南から南池に向かって延びる中門廊は外側に壁をはり,内側は吹き放しである。…   透渡殿(すきわたどの)    寝殿造りで、寝殿と対屋 (たいのや) とをつなぐ、両側に壁のない渡り廊下。透廊 (すいろう・すきろう) 。すいわたどの。     公卿(くぎょう、くげ、こうけい)    1 公(こう)(=大臣)と卿(けい)(=大納言・中納言・参議・三位以上の官人)との称。    2 広く、殿上人(てんじょうびと)。     檜扇    檜扇(ひおうぎ)とは、宮中で用いられた木製の扇のこと。  桧扇とも表記する。  女性の用いるものは特に袙扇(あこめおうぎ)とも呼ぶ。          

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-17 【巻一 「抜頭(ばとう)」の舞】五十八紙〜六十一紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-17 【巻一 「抜頭(ばとう)」の舞】五十八紙〜六十一紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十八紙〜六十一紙 

「抜頭(ばとう)」の舞

赤地の砲を着け、糸毛の飾りを巡らしたりょうとうを着け、鳥皮靴をはき、右手を腰に当て、左手に黒漆の撥(ばち)をかざすのはまさし「抜頭(ばとう)」の舞である。

 

砲(ほう)  綿入れ、ぬのこ  普段着  うわ着       「抜頭(ばとう)」の舞   抜頭(ばとう)    雅楽のなかの唐楽の曲名。  林邑 (チャンパ) から伝来したとの説もある。  舞があり,1人舞。舞人は朱色の装束を着,鼻が高く髪の長い赤い面をつけ,太い桴 (ばち) を持つ。笛による「古楽乱声 (らんじょう) 」を伴奏に登場の舞を舞い,「音取 (ねとり) 」のあと当曲の舞となり,当曲を続けるうちに退場する。  唐の后妃で鬼になった姿を模した舞ともいわれる。  早只拍子のリズムによる舞と夜多羅 (やたら) 拍子のリズムによる舞の2種があり,前者は左方,後者は右方の舞に配されている。     抜頭(ばとう)    9世紀頃には、伎楽は衰亡し、舞楽がこれにかわることになり、平安時代に宮廷儀式として定着し、神社.寺院もこれをとり人れた。  その舞いに用いる仮面。伎楽面より小さく能面より大きい。
   抜頭の舞が作られた背景には、女性が嫉妬に喘ぎ舞ったという説と、親を殺された息子が怒り狂う様を舞ったという説の二通りあり、面も、髪をつけたもの、つけないものがあります。
 舞の中に髪を掻き上げる所作があり、現在、宮内庁にて所蔵されているものには髪の毛があると言われています。 https://nohmask21.com/bato.html
           

九月の朝

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 九月の朝

 

 

朝六時。

久しぶりに、外に出て、

てくてくてくてく

知らない道を進み、

つくつくとくとく

名の知らぬ山を見る。

 

もうすっかり、秋なんだ。

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』4 近松門左衛門作 

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『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』4 近松門左衛門作

 市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』猿之助、右近、玉三郎(2012)を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

  

 

 

 

 P. 388

 2オ

打あがめ、二柱の御神始(はじめ)給ひし夫婦の道をこのむハ   ひがごとながら、去年(こぞ)の冬豊(ふゆとよ)の明(あかり)の燎(にわび)の影。かいまみし   面影の身に立ちそひて忘れられず、露のかことに名を   きけバ、大山祇(やまづみ)の臣(しん)娘とや、深山の立木野べの   草なびかぬ方ハなけれ共、引にひかれぬ恋草(ふし)の、種   を誰かハ植(うへ)そめしと、高きいやしき恋の曲(くせ)、うき世、   恨(うらみ)の御詞、児屋の臣を始、伺候の群臣(ぐんしん)一同に、こハ勿(体なき)         ひがごと (僻事)    道理にあわないこと。事実にあわないこと。不都合なこと。     冬豊(ふゆとよ)     燎(にわび) (庭燎 にわび)    祭場で焚く篝火。 「ていりょう」ともいう。  特に宮中で神楽のときに焚く篝火をいう。  神を招くとともに,照明の役をももつ。     かこと(託言 たくげん)     ① ほかのことにかこつけて言う言葉。 口実。   かこと(託言 たくげん)    1 他のものにかこつけた言葉。口実。

 2 ことづて。伝言。

 

大山祇(ウやまづみ)

 大山津見神(おおやまつみのかみ)は、日本神話に登場する神。

   『古事記』では大山津見神

   『日本書紀』では大山祇神

    他に大山積神、大山罪神とも表記される。

 別名 和多志大神、酒解神。

 1972年8月調査では、神社本庁傘下の神社1万318社のうち、85%が「大山祇神」、9%が「大山津見神」、5%が「大山積神」と表記する。 (ウィキペディア)

 

曲(くせ)   (癖)

1 (ふつう「クセ」と書く)

  謡曲で、曲舞 (くせまい) から取り入れたといわれる部分で、1曲の謡所 (うたいどころ) ・舞所のこと。

  能ではシテの動きから居曲 (いぐせ) と舞曲 (まいぐせ) に分ける。

 2 他の名詞の上に付いて複合語をつくり、偏った、正しくない、などの意を表す。

 「曲者 (くせもの) 」「曲事 (くせごと) 」

 

 

   

  日本振袖始 近松門左衛門

 序詞

 天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

 和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

 一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

 緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

 秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

 天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

 杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

 

 三種(じゆ)の宝の神(しん)徳に、家にたのしみ、野に耕し、

 手うつてうたふ土民(どみん)迄、式(のり)を超(こへ)さる玉垣(うがき)の内

 つ、御国そ道廣き、 卅二臣の棟梁(とうりやう)、藤原の大祖天津(あまつ)

 児屋(こやね)の臣(しん)、御前に正笏(しょうしゃく)し、王(きみ)既(すで)に宝祚の御位、天下

 万民の父母たる御身、夫婦いもせの道かけてハ、王道い

 かゞ行(おこなハ)れん、御心に入、御目につきたる女あらバ、夜るの御座(おまし)

 に召入られ、然るべしと奏(そう)問あれバ、恥かしげに御顔を

 

 打あがめ、二柱の御神始(はじめ)給ひし夫婦の道をこのむハ    ひがごとながら、去年(こぞ)の冬豊(ふゆとよ)の明(あかり)の燎(にわび)の影。かいまみし    面影の身に立ちそひて忘れられず、露のかことに名を    きけバ、大山祇(やまづみ)の臣(しん)娘とや、深山の立木野べの    草なびかぬ方ハなけれ共、引にひかれぬ恋草(ふし)の、種    を誰かハ植(うへ)そめしと、高きいやしき恋の曲(くせ)、うき世、    恨(うらみ)の御詞、児屋の臣を始、伺候の群臣(ぐんしん)一同に、こハ勿(体なき)    

 

 

 

   

 

『巷談宵宮雨(こうだんよいのみやのあめ)』 5★/5 昭和56年・十七世中村勘三郎、中村吉右衛門、七世中村芝翫

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『巷談宵宮雨(こうだんよいのみやのあめ)』昭和56年・十七世中村勘三郎、中村吉右衛門、七世中村芝翫

 

 十七世中村勘三郎、中村吉右衛門、七世中村芝翫の『巷談宵宮雨(こうだんよいのみやのあめ)』を見た。

 十七世中村勘三郎の大胆でエネルギッシュな演技と七世中村芝翫の表情の移り変わりの見事さに見とれる。

 また、『巷談宵宮雨(こうだんよいのみやのあめ)』の話の面白さに、大笑いの連続で楽しい時間を過ごすことができた。

 演目自体の結末は取り上げるに足らないが、十七世中村勘三郎の目力を含めた表情で締めとなる。

 

 七世中村芝翫の演技が好きな私にはたまらない一作品。 

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

 

『巷談宵宮雨(こうだんよいのみやのあめ)』(日本大百科辞典)

 宇野信夫(のぶお)の戯曲。

 2幕8場。

 1935年(昭和10)9月歌舞伎(かぶき)座で、6世尾上(おのえ)菊五郎、6世大谷友右衛門(おおたにともえもん)、3世尾上多賀之丞(たがのじょう)らで初演された。

 作者得意の江戸の市井に材をとった世話物の新作歌舞伎。

 生臭(なまぐさ)坊主の竜達は、牢(ろう)を出たあと甥(おい)の太十夫婦の家にやっかいになる。

 太十は悪党の遊び人で、竜達の娘おとらを妾(めかけ)奉公に出すような男だが、竜達がどこかに隠している100両の金が目当て。

 しかし、竜達も一筋縄ではいかない。この強欲同士のやりとりから、ついに太十夫婦が竜達を殺し、自ら滅びるまでが、八幡宮(はちまんぐう)の宵宮を背景に、怪談咄(ばなし)の構成でつづられている。菊五郎の死後は竜達を17世中村勘三郎が当り役としてしばしば上演している。[水落 潔]
『『巷談宵宮雨』(1968・青蛙房)』

 

 

宇野信夫

 埼玉県本庄市生まれ、熊谷市育ち、その後浅草で暮らす。

 本名信男。埼玉県立熊谷中学校(現:埼玉県立熊谷高等学校)、慶應義塾大学文学部国語国文学科卒業。

 父は埼玉県熊谷市で紺屋・染物屋を営んでいて、浅草に東京出張所と貸家(蕎麦屋と道具屋)を持っていた。

 中学を出た後は、その出張所から大学に通い、卒業後もそこで劇作にいそしみ、1944年まで住み続けた。

 その時代に、まだ売れていなかった、のちの古今亭志ん生ら貧乏な落語家たちが出入りして、彼らと交際した。

 

 6代目三遊亭圓生とも交友が深かった。新作落語をいくつか創作したが、サゲは噺家に一任した。

 1933年、『ひと夜』でデビュー。

 

 1935年、6代目尾上菊五郎のために書いた『巷談宵宮雨』が大当たりし、歌舞伎作者としての地位を確立する。

 以後も菊五郎のために歌舞伎世話狂言を書き、戦後は、1953年、2代目中村鴈治郎、中村扇雀(現:4代目坂田藤十郎)のために、長らく再演されていなかった近松門左衛門の『曽根崎心中』を脚色・演出し、現在も宇野版が上演され続けている。

 1965年、個人雑誌『宇野信夫戯曲』を創刊、1977年まで続いた。 1972年、日本芸術院会員。1985年、文化功労者。

『宇野信夫戯曲選集』全4巻があるほか、ラジオドラマ、テレビドラマ、時代小説、随筆、落語、言葉に関する著作が多数ある。 国立劇場理事を務め、歌舞伎の演出、補綴、監修を多く行い、「昭和の黙阿弥」と称された。

 

 


歌舞伎『於染久松色読販』 5★/5 坂東玉三郎 河原崎権十郎 市川團十郎 他 平成15(2003) 歌舞伎座

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綾傘鉾所有 面

 

 

 

 歌舞伎『於染久松色読販』

 

 

  坂東玉三郎 

  河原崎権十郎

  市川團十郎 他 

  歌舞伎座 

  平成15(2003) 

  2時間45分

 

 2時間45分通し狂言の『於染久松色読販』に大変満足した。

 やはり芝居は面白い^^

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます^^

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  六十二紙〜六十四紙 

       所ゞ言葉は雅経卿

           絵者光長

年中行事十六巻は、

仙洞様為二 勅定 家重寶二可加者也

又は 朝廷の 御用可立 思召

由 尻池宮卿殿、為奉拝借写所也、

誠至子々孫々堅有、此筆風                      

以可為一流鑑、必少時不可、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                            二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

 

 

      所々の言葉は、雅経卿

          絵者は、光長

『年中行事』十六巻は、

仙洞様の為に 勅定 家重寶二は加えるべき者也

又は 朝廷の 御用立てるべく 思ぼし召す

由、尻池宮卿殿、拝借奉る為の写所也、

誠に子々孫々に至るまで堅く義 有り、此の筆風を

以って一流と為す可き鑑、必ず少時可からず、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                                          二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

雅経(まさつね) →飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)    飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。    刑部卿・難波頼経の次男。    二条または明日香井を号す。    官位は従三位・参議。    飛鳥井家の祖。    小倉百人一首では参議雅経。       飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)    時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期 生誕 嘉応2年(1170年) 死没 承久3年3月11日(1221年4月5日) 官位 従三位    参議 主君 安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇 氏族 難波家→飛鳥井家    父母 父:難波頼経、母:源顕雅の娘 猶父:源頼朝 兄弟 難波宗長、雅経、難波頼教、難波経長、難波良平、難波輔長、経豪、厳海 妻 正室:大江広元の娘 子 教雅、教定、教経、藤原忠継室、安達義景継室     飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)    小倉百人一首 94番  み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり              (『新古今和歌集』秋・483)       卿(きょう)    1 政治をつかさどる大臣。宰相。三位(さんみ)以上の人。      「卿相(けいしょう)・上卿(しょうけい)・月卿(げっけい)・公卿(くぎょう)(こうけい)・大蔵卿(おおくらきょう)」    2. 天子が臣下をよぶよび名。また一般に相手を尊んでよぶよび名。おんみ。      「卿等(けいら)・諸卿」       絵者 光長    土佐光長    平安末期の画家。  通称は源二。  後白河院に仕えた宮廷絵師。  承安3年、最勝光院の障子絵を描いた。 「年中行事絵巻」や「伴大納言絵詞」などの作者と伝えられる。  また、常盤光長・藤原光長とも呼ばれた。       仙洞様    仙洞御所    以前にも『年中有行事』で調べたが、仙洞御所(せんとうごしょ)とは太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇の御所。  仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。       家重寶二    徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、江戸時代中期の江戸幕府第9代将軍(在任:延享2年(1745年) - 宝暦10年(1760年))である。       朝廷    天子が政治をとる所。       朝観行幸    正月の二日、あるいは三日、四日、または吉日に、天皇が上皇や母后の御所に行幸されて、年始を祝賀される行事    朝観行幸が七段、有利。     所持法橋    法橋  貞観六年(八六四)二月一六日、法印大和尚位(僧正相当)・法眼和上(和尚)位(僧都相当)と共に設けられた、律師相当の僧位。 「ほうきょう」ともいう。正式には「法橋上人位」。 「法橋」の語は『八十華厳』一三「衆生は無知にして本を見ず、痴狂・険難中に迷惑す。仏は彼を哀愍して法橋を建て、正念して是れ其の行に昇らしむ」(正蔵一〇・六五下)等、生死輪廻の河海に架けられ、衆生を真理へと導く橋に仏法を譬えた表現。  これらの位階は、在来の満位・法師位・大法師位が僧綱・凡僧の別を問わず適用された結果、位階としての機能が形骸化したことを受けて新設された官位相当の位階であった。  しかし結局は有名無実化の道を辿り、鎌倉時代には位記自体が行われなくなる。  中世以降は、医師や絵師、連歌師などに与える称号としても用いられた。(浄土真宗辞典)     住吉如慶   (すみよし じょけい、慶長4年(1599年) - 寛文10年6月2日(1670年7月18日))は、江戸時代前期の大和絵の絵師。       具慶    住吉 具慶(すみよし ぐけい、寛永8年(1631年) - 宝永2年4月3日(1705年4月23日))は、江戸時代前期の絵師。 住吉如慶の長男で住吉派の2代目。 名は広純、のち広澄。 通称は内記、別号に松岩。       内記    内記(ないき)は律令制において中務省に属した品官。  唐名は起居郎・柱下。  和訓は「うちのしるすつかさ」。   内記    令制における中務省の官人。 『和名抄』に「うちのしるすつかさ」とある。詔勅,宣命,位記 (叙位の旨を記した辞令書) ,上奏などの作成,宮中の記録を司ったため,能文,能筆の人が選ばれた。  大・中・少内記各2人がおかれたが,のち中内記は廃止された。  詰所を内記所,内記局といった。          

歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』 5★/5 2009年/平成21年8月・歌舞伎座 中村芝翫(七代目)、中村勘三郎(十八代目)

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 歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』 5★/5 2009年/平成21年8月・歌舞伎座

 出演:中村芝翫(七代目) 中村福助 中村勘太郎(現・勘九郎) 中村梅枝 坂東彌十郎 中村勘三郎(十八代目)

 

 

 “夏は怪談”2009年納涼歌舞伎より複雑な男女の心理を描く怪談噺を。

 富本節の師匠・豊志賀(とよしが)は、父親の敵の子と知らずに二十歳近くも年下の若い弟子・新吉と恋仲になっていた。しかし因縁からか、ある日豊志賀の顔が醜く腫れてしまう。親身になって世話をする新吉だが、豊志賀は新吉と若い娘お久との仲を勘ぐって嫉妬に狂い悶死する。死してなお新吉とお久の前に現れる豊志賀。青ざめる新吉…。福助の豊志賀に、勘太郎(現・勘九郎)の新吉、梅枝のお久、勘三郎のさん蝶で。

 

 以前衛星劇場で見た中村芝翫(七代目)と中村勘三郎(十八代目)の歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』を見る。

 この芝居も、大変面白かった。

 中村芝翫丈(七代目)好きだったなぁ^^

 今見ても、大満足だわ^^v

 

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』5 近松門左衛門作

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『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』5 近松門左衛門作

 歌舞伎(市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』猿之助、右近、玉三郎(2012))を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

  

 

 

 

 

 P. 389

 3オ

体なき御かこち、何ことか御心に叶ハぬ事や候べき、折し

も大山祇(づみ)御前に有こそ幸(さいわひ)、御ぶんの息女(そくぢよ)御みやづかへ

に参らせ、叡慮(えいりょ)をなぐさめ申されよ、はや/\お受けと有

れバ、大山祇(づみ)つゝしんで、臣娘二人待候へ共、姉岩永姫ハ

かたち醜くふつゝかにて、心迄すね/\敷、親のめのさへ

うとましき生(むま)れ付、みやづかへハ思ひもよらず、妹木花咲

耶姫(このはなさくやひめ)容(かたち)心さま、姉とハかはり、女の数にも入へきは、せんじ

 

 

御かこち(御託ち)

 他にかこつけて恨み嘆くこと。

「実体 (じってい) の女房の―も恋なれば」〈露伴 露団々〉

 

叡慮(えいりょ)

 天子の考え。 天子の気持ち。

叡慮(えいりょ)

 〘名〙 天子のお考えやお気持、また、御感動。

    聖慮。

    宸慮(しんりょ)。

    叡感。

  ※経国集(827)一四・秋雲篇示同舎郎〈滋野貞主〉「叡慮優遊毎経過。花笑兮如二喜見一」   せんじ    宣旨

 

 

   

  日本振袖始 近松門左衛門

 序詞

 天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

 和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

 一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

 緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

 秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

 天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

 杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

 

 三種(じゆ)の宝の神(しん)徳に、家にたのしみ、野に耕し、

 手うつてうたふ土民(どみん)迄、式(のり)を超(こへ)さる玉垣(うがき)の内

 つ、御国そ道廣き、 卅二臣の棟梁(とうりやう)、藤原の大祖天津(あまつ)

 児屋(こやね)の臣(しん)、御前に正笏(しょうしゃく)し、王(きみ)既(すで)に宝祚の御位、天下

 万民の父母たる御身、夫婦いもせの道かけてハ、王道い

 かゞ行(おこなハ)れん、御心に入、御目につきたる女あらバ、夜るの御座(おまし)

 に召入られ、然るべしと奏(そう)問あれバ、恥かしげに御顔を

 

 打あがめ、二柱の御神始(はじめ)給ひし夫婦の道をこのむハ    ひがごとながら、去年(こぞ)の冬豊(ふゆとよ)の明(あかり)の燎(にわび)の影。かいまみし    面影の身に立ちそひて忘れられず、露のかことに名を    きけバ、大山祇(やまづみ)の臣(しん)娘とや、深山の立木野べの    草なびかぬ方ハなけれ共、引にひかれぬ恋草(ふし)の、種    を誰かハ植(うへ)そめしと、高きいやしき恋の曲(くせ)、うき世、    恨(うらみ)の御詞、児屋の臣を始、伺候の群臣(ぐんしん)一同に、こハ勿(体なき)    

 体なき御かこち、何ことか御心に叶ハぬ事や候べき、折し

 も大山祇(づみ)御前に有こそ幸(さいわひ)、御ぶんの息女(そくぢよ)御みやづかへ

 に参らせ、叡慮(えいりょ)をなぐさめ申されよ、はや/\お受けと有

 れバ、大山祇(づみ)つゝしんで、臣娘二人待候へ共、姉岩永姫ハ

 かたち醜くふつゝかにて、心迄すね/\敷、親のめのさへ

 うとましき生(むま)れ付、みやづかへハ思ひもよらず、妹木花咲

 耶姫(このはなさくやひめ)容(かたち)心さま、姉とハかはり、女の数にも入へきは、せんじ

       

 

 

 

   

 

ドラマ『MOZU Season1 ~百舌の叫ぶ夜~ 』(全10話) 西島秀俊 真木よう子 香川照之 小日向文世 生瀬勝久 池松壮亮 長谷川博己

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ドラマ『MOZU Season1 ~百舌の叫ぶ夜~ 』(全10話)

 

 

 筋書きといい、役者といい、店舗といい、色彩や光や構図といい、何をとっても面白かった。

『MOZU Season1 ~百舌の叫ぶ夜~ 』は全10話あるが、一気に見た^^

 満足のいく作品。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

原作 - 逢坂剛『百舌の叫ぶ夜』『幻の翼』(集英社文庫刊)

脚本 - 仁志光佑

音楽 - 菅野祐悟

監督 - 羽住英一郎

監督補 - 川村直紀

助監督 - 片桐健滋

美術協力 - テレビ朝日クリエイト、舞クリエーション

装飾 - 京映アーツ

 

西島秀俊

真木よう子

香川照之

小日向文世

生瀬勝久

長谷川博己

池松壮亮 他

 

 

東京ドラマアウォード2014 作品賞 連続ドラマ部門 優秀賞 受賞
北九州フィルム・コミッション 特別賞 受賞

 『Season1〜百舌の叫ぶ夜〜』(シーズン1 もずのさけぶよる)は、2014年4月10日から6月12日まで毎週木曜日21:00 - 21:54 に、TBS系の「木曜ドラマ劇場」枠で全10話が放送された。

 逢坂剛の小説『百舌の叫ぶ夜』『幻の翼』を原作とする。

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 41  十九丁裏 二十丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 41  十九丁裏 二十丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年





41 十九丁裏 二十丁表

 

十九丁裏

◯をかし女胎て、二子うみけり、一人ハいやしきおとこのまつ

しき、ひとりハあてなる男の子也けり、賤しき男

七夜の内に産衣(ウフキ)をしててつからもちてや申侍り、

心さしハいたしけれと、さる やさしき事にもなれたり

けれハ、産衣のかたに針を然しけつきをむとて

きをけれハ、とゝなきになきける、是をあてなる

男見て、いとおかしかりけれハ、いと結構なる綾羅(レウラ)

の産衣を自慢(ジマン)してやるとて

   むらさきの 色よき絹ハ金春の

   能のいしやうに まさりたるけり

紫の小袖なるへし

 

 

/\

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   むらさきの 色よき絹ハ金春の

   能のいしやうに まさりたるけり


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   紫の 色こき時はめもはるに

   野なる草木ぞ わかれざりける

 

胎て(はらみて)

 胎す

 1 母体の子が宿るところ。子宮。また、宿った子。
 2 「胎蔵界」の略。

胎て(胎す)

 ①みごもる。はらむ。「胎教」「受胎」

 ②子の宿るところ。子宮。「胎盤」「母胎」

 ③はじめ。きざし。「胚胎(ハイタイ)」

 

産衣(ウフキ)

 うぶきぬ

 

まつしき

 貧しき

 

金春 (大辞泉)

 能楽師の姓の一。シテ方と太鼓方にこの姓がある。金春禅竹の曽祖

金春流〘名〙 (日本国語大辞典)

 ① 能楽シテ方の一流派。   大和猿楽の円満井(えまい)座(または、竹田座)から出、能楽五流中最古の流派。世阿彌の女婿の禅竹が流風に新生面を開き、桃山時代には全盛をきわめた。こんぱる。   ※金春座系伝書‐宗筠袖下(16C後)「金春流にかさね文字と申は、高砂の尾の上の鐘の音す也と詠ふ事也」  ② 能楽囃子方太鼓の一流派。   金春禅竹の叔父にあたる金春三郎豊氏を祖とし、はなやかな芸風を持つ。   六代惣右衛門一峰のとき、徳川家康に召し出され、以後、金春惣右衛門流、または惣右衛門流と名乗ることが多い。   こんぱる。   金春禅竹    [生]応永12(1405) [没]文明2(1470)頃 室町時代の能役者,能作者。    金春流シテ方 30世太夫。    実名七郎氏信。前名弥三郎。    毘沙王権守喜氏の曾孫,弥三郎の子。    世阿弥の女婿として薫陶を受け,十郎元雅とも親交があり,地味な芸風ながら音阿弥と並ぶ名手であった。    世阿弥の佐渡配流中も赦免後もよく世話をしたという。   『花鏡』の相伝を受け仏教や歌道に基づく芸術観を深めた。   『六輪一露之記』『歌舞髄脳記』『五音三曲集』『拾玉得花』などの理論書がある。    一休や一条兼良との交友も知られる。    作能に『定家』『雨月』『芭蕉』『玉鬘』などの名曲がある。    

 

綾羅(レウラ)  (りょうら)

 あやぎぬ(=模様を織り出したきぬ)と、薄いきぬ。

 

紫の小袖

 例

 和歌山市  江戸時代後期  一領  和歌山市湊本町3丁目2番地  和歌山市立博物  紀州徳川家伝来の小袖。  紫縮緬地に葵紋が染め抜きされている。  裾部は菊・萩といった秋草を、腰部は雪を被った松竹梅を描き、秋から冬への季節の移り変わりを表している。  彩色は刺繍で行われる。  武家女性が好んだ御所解模様の小袖。

 

 

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 42  二十丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 42  二十丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年





41 二十丁表

 

二十丁表

◯をかし男、馬このみにて荒馬を相持ちけり、されと

癖ハたあらさりけり、しは/\責けれと猶いと

うしろめたく、さりとていかしなといえ、有まし

かりける、猶、裸背(ハタセ)にて乗ける事也けれは、ふつと

かけ出て、え追つかてかくなん

   出て逃げしあとたにみえぬ河原毛を

   誰か逸物とはいまハなるらん

ものうさによめる也けり   

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   出て逃げしあとたにみえぬ河原毛を

   誰か逸物とはいまハなるらん


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   出でてこし あとだにいまだ変らじを

   たが通い路と 今はなるらん

 

癖ハたあらさりけり

 癖はた有らざりけり

 人に噛み付いたりする癖は、およそ無かった。

 

うしろめたく

 不安で。

 なんとなく気がかりで。

 

いかし

 行かじ

 

裸背(ハタセ) 裸背、肌背〘名〙

 ① はだ。はだえ。  ※類従本赤染衛門集(11C中)「なみなみの事にも非ず天川さてはだせをもかくぞうたまし」    ② 「はだせうま(裸背馬)」の略。  ※塵袋(1264‐88頃)四「一、黒駒と云ふは、〈略〉はたせにてとりあえすはせけるにこそ」  ここでは、「はだせうま(裸背馬)」   裸背馬(はだせうま)〘名〙    はだかうま(裸馬)  ※曾我物語(南北朝頃)六「はだせ馬にうちのりて」   裸背馬(はだせうま)〘名〙 

 鞍を置かない馬。はだか馬。

「鞍おくべき暇なければ、―にうち乗りて」〈曾我物語六〉

 

ふつ

 思いがけず。急に。ふと。

 

河原毛  (ウィキペディア)

 河原毛(かわらげ、英: buckskin、羅: gilvus badius)とは、原毛色が鹿毛で、変異型MATP遺伝子(クリーム様希釈遺伝子)をヘテロで持つ馬が発現する毛色である。

 薄墨毛と混同されやすいが、別の遺伝子による。

 関連する毛色にSmoky Blackがある。

 これは、原毛色が青毛、かつクリーム様希釈遺伝子をヘテロで持つ馬のことを言う。

 遺伝上は河原毛ではないが、日本馬事協会はこの毛色を定義していないため、河原毛または青鹿毛として登録されている馬の中に、この毛色を持つ馬が含まれている可能性がある。

 

逸物

 特に優れたもの。

 馬、犬、鷹などを言う。

逸物

 群を抜いて優れているもの。

 特に、犬・牛・馬、または人などにいう。いちもち。いちぶつ。いつぶつ。

「犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの―で」〈芥川 偸盗〉

 


歌舞伎『梅ごのみ』 2004年7月 歌舞伎座 玉三郎 勘九郎(勘三郎) 段治郎 弥十郎

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ナクシェロスタムにて

 

 

  歌舞伎『梅ごのみ』5★/5

 

2004年7月

歌舞伎座

1時間40分

 

 本日、2004年の歌舞伎『梅ごのみ』を楽しむ。

 大変面白かった。

 

 早く劇場で歌舞伎を見たいと思うが、なかなかねぇ><

 

 2020年10月1日から、劇場5000人以内の劇場は満席まで入場可能になるらしいと、昨夜のニュースで伝えられていた。

 そのニュースで、石坂浩二さん曰く、

「芝居と言うのは、幕間もあって人が出入りしますしねぇ。幕間にはみなさん、幕内弁当というくらいで、お食事もなさいますから。(要約)」

と。

 なるほど、石坂浩二さんのおっしゃる通りで、歌舞伎という演劇も幕間の30分40分、あるいはもう少し短い幕間まで設けられ、売店の有るロビー及び各階の会場をでた廊下では人部とが過密にすくなきベンチで食している。

 歌舞伎は見たいは、コロナは怖いわで、劇場に行く勇気はないが、芝居は見たい。

 本当は、劇場で芝居を見たい!!!

 困った時代が来たものである。

 

 本日も簡単なきろくのみにtr失礼いたします。

 

 

玉三郎

勘九郎

段治郎

弥十郎(勘三郎)

春猿

門之助

笑三郎

猿弥

 

 

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 43  二十丁表 二十丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 43  二十丁表 二十丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年





43 二十丁表 二十丁裏

 

二十丁表

◯をかし男、「餓鬼(ガキ)の目に水の見えぬ」といひならハし

けり、その和子、墨跡をほしがりて、いとたかう

 

二十丁裏

兼てかうたまうけるを、人なす目科にて有りける

をわれのみと自慢に思けるを、又人聞つけて

文やるほとゝきたのかたをかきて

   郭 なにそと人のとひけれバ

   なを鵯(シヨトリ)とおもふ 墨跡

といへり、此和子けしきあしくて

   鵯としての田長と今朝そ鳴

   是をハ贋とうとまれ濡れハ

時ハさ月になん有りける、男返し

   にせのおほき 田長ハ猶たのむ

   吾すむ里に すきしや絶へすハ

   

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   郭 なにそと人のとひけれバ

   なを鵯(シヨトリ)とおもふ 墨跡

といへり、


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   ほとゝぎす 汝(な)がなく里のあまたあれば

   猶疎まれぬ 思(ふ)ものから

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   鵯としての田長と今朝そ鳴

   是をハ贋とうとまれ濡れハ


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   名のみたつ しでのたおさは今朝ぞなく

   庵(いほり)あまたと うとまぬれば

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   にせのおほき 田長ハ猶たのむ

   吾すむ里に すきしや絶へすハ


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   庵おきし でのたをさは猶たのむ

   住む里に声 したえずは

 

和子

 身分の高い人の子。   和子   身分の高い人の男の子供。坊っちゃん。また、男の子供を親しみを込めていう語。

  「その侍の―、鷹いと好きにて」〈仮・仁勢物語 上〉

   貴人の男の子供に対して、呼びかける語。二人称の代名詞のように用いる。    「―たちも歓 (よろこ) び給へ、父上帰り給ふとよ」〈読・弓張月後〉

墨跡 

 墨で書いた、筆のあと。筆跡。  

たかう

 高う

 

かうたまうける

 買う給うける

 

目科 (めきき と読ませている)

 人なす目科にて有りける (恩頼堂文庫旧蔵本)

 生目利きにて有りける  (東京教育大図書館所蔵 改正版)

 

 ほととぎす

 

鵯(シヨトリ)

 ひよどり

 ヒヨドリは、スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属に分類される鳥類。

 

けしきあしくて(→ 景色がひどく悪くなって)

 けしき(景色)名詞

 ①(自然の)ようす。模様。

 出典枕草子 正月一日は

「正月(むつき)一日は、まいて空のけしきもうらうらと」

 [訳] 正月一日は、一段と空のようすもうららかで。

 ②(人の)ようす。そぶり。表情。態度。

 出典竹取物語 かぐや姫の昇天

「切(せち)に物思へるけしきなり」

 [訳] しきりに物思いにふけっているようすである。

 ③きざし。兆候。

 出典枕草子 心もとなきもの

「子産むべき人の、そのほど過ぐるまでさるけしきもなき」

 [訳] 子を産む予定の人が、その時期を過ぎても産まれるきざしがないの(は、不安である)。

 ④機嫌。心の動き。

 出典土佐日記 一・一四

「かぢとり、けしき悪(あ)しからず」

 [訳] 船頭は、機嫌が悪くない。

 ⑤意向。心に抱いている考え。

 出典源氏物語 桐壺

「春宮(とうぐう)よりも御けしきあるを」

 [訳] 皇太子からも、(妻にしたいとの)ご意向があるのを。

 ⑥特別な事情。わけ。

 出典源氏物語 葵

「若き人にて、けしきもえ深く思ひ寄らねば」

 [訳] 若い女房で、特別な事情も深くは察することができないので。

 

鵯としての田長と今朝そ鳴

 ひよどりとほとほぎす、あの世へ行くと、今朝ぞ、鳴く。

 

して 

 死出(しで)

 死んであの世へ行くこと。「死出の門出」

しての田長(死出の田長)

 1 名詞 ほととぎすの別名。

 [季語] 夏。

 参考「賤(しづ)の田長」の変化したもので、田植えの時期を知らせる鳥の意であったが、音が変化して「しで」となったので「死出」と当てられ、死出の山を越えて来る鳥の意となった。

 

田長(たおさ) ホトトギスの異名

 ① 田のぬし。農夫の長。 「ほととぎすしでの-をあさなあさなよぶ/古今 雑体」

 ② 〔「たおさどり」の略〕 ホトトギスの異名。 〔日葡〕     さ月    皐月(五月)           『伊勢物語』岩波古典文学大系9    汝(な なんじ)    [代]《「なむち」の音変化》二人称の人代名詞。  多く、対等またはそれ以下の人に用いられる。  「―コレヲワキマエタカ」〈天草本伊曽保・イソポが生涯〉      

 

 

 

 

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 44 二十丁裏 二十一丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 44 二十丁裏 二十一丁表と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年




44 二十丁裏 二十一丁表

 

二十丁裏

◯をかし男、有馬へ行、人に生鯛くハせんとて呼て

 

二十一丁表

うときにしあらさりけれハ、家ぬしに貝灼子

さゝとて、女の料理くハせんとすあるしの男、歌よみて

味噌漉(コシ)にゆひ付さす、

   鯛の躰を 君がためにともりされハ

   われうハ汁を すひぬへきかな

この鯛ハ有るかなかに新しけれハ、心とゝめて

くハす、腹にあちハひて

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊       

   鯛の躰を 君がためにともりされハ

   われうハ汁を すひぬへきかな


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   出でてゆく 君がためにと脱ぎつれば

   我さへもなく なるぬべきかな

 

貝灼子(かいじゃくし)

 ホタテガイなどの平たい貝殻に、竹や木の柄をつけた杓子。

 江戸では、扇子とともにお年玉としてよく用いられた。

 

さゝ  (酒)

 《女房詞から。中国で酒を竹葉といったことからとも、「さけ」の「さ」を重ねたものともいう》酒のこと。「酒機嫌」

 

 歌舞伎では、「酒」というよりも「ささ(酒)」という言葉で出てくることが多い。

 男1「ささ、ささを一献、召し上がってごじゃれ^^ささ、まずはささのお肴(舞)を一つ、ご馳走したく候。」

 男2「お肴、お肴^^お肴は大いに結構。一つ舞ってごじゃれ。」

 男1「では、一つ舞ってみせましょう^^」

       で、男1すり足にて、舞台中央に参り、能楽風の舞が始まる^^

       乱鳥、芝居が見た〜〜い^^v

 

貝灼子

さゝ

 貝灼子でささ(酒)といえば、歌舞伎『俊寛』を思い浮かべる。

 この場合、孤島に酒はないので、清水で酒の代わりとなす^^

 

あるしの

 主人の

 

鯛の躰

 鯛の実

 

心とゝめて

 心留めて

 

腹にあちハひて

 腹に味わいて

歌舞伎『沓手鳥独城落月』5★/5 坪内逍遙作 2002年 中村芝翫(七代目) 中村富十郎 中村東蔵 澤村田之助他

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沓手鳥独城落月

 

 歌舞伎『沓手鳥独城落月』5★/5 坪内逍遙作 2002年 中村芝翫(七代目) 中村富十郎 中村東蔵 澤村田之助他

 

2002年歌舞伎座

中村芝翫(七代目)

中村福助

中村橋之助

中村富十郎

澤村田之助

中村東蔵 他

 

 上の様な役者さん達出演の芝居『沓手鳥独城落月』を見ることができ、嬉しい^^

 楽しかったので、ついついこの後、片岡孝夫&中村芝翫(七代目)の『女殺油地獄』をみた^^

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします^^

 

 

 戯曲,歌舞伎作品。

 3幕6場。

 坪内逍遙の史劇第3作目。

 1897年9月『新小説』に発表。 1905年5月大阪角座で 11世片岡仁左衛門が淀君,片桐且元二役で初演。翌 06年3月東京座で,市川猿之助 (且元) ,中村芝翫 (のち5世中村歌右衛門,淀君) らが上演,ヒステリーの淀君は以後も歌右衛門の持ち役となって,「糒庫 (ほしいぐら) の場」など独立して演じられる。

歌舞伎『女殺油地獄』 5/★5 片岡孝夫 中村芝翫(七代目) 片岡仁左衛門(十四代目) 上村吉弥(五代目)

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 歌舞伎『女殺油地獄』5/★5

 片岡孝夫 中村芝翫(七代目) 片岡仁左衛門(十四代目) 上村吉弥(五代目)

 

 

片岡孝夫

中村芝翫(七代目)

片岡仁左衛門(十四代目)

上村吉弥(五代目)

 

 

 上の役者さん達でも『女殺油地獄』を何度かみているが、見る度に心がときめく。

 現仁左衛門丈がまだ孝夫さん時代で、油屋の女房が芝翫丈^^

 孝夫さん(仁左衛門丈)は素敵で且つ鋭い表情、芝翫丈は重厚で表情豊かで且つ浮世絵から飛び出してこられた様。

 家なので、ワァワァキャッキャとはしゃぎ、十四代目 仁左衛門はんが出てこられると、わいのわいの^^

 五代目 上村吉弥さんで「うまいわぁ〜。お上手だわぁ^^」

 ほんにこの芝居の1

 時間四十分というもの、興奮し、黄色い声を出し、若い頃を思い出してワクワクハラハラドキドキと芝居に見入っておりました^^

 めでたいなぁ^^v

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます^^

 

 

 

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