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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-11 【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-11 【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

 

 日本絵巻大成 8

【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙

日本絵巻大成 8  四十三〜四十七紙

 

鳳輦、後白川上皇の法住寺殿に着御 

寝屋(前図)、透渡殿(すきわたどの)、西対(にしのたい)、西中門とその廊に続く。

 

門の内。

庭の幕の前には、公卿が並ぶ。

          鳳輦(ほうれん)    1  屋根の上に金色の鳳凰(ほうおう)の飾りをつけた輿(こし)。   晴れの行幸に天皇が乗用。   一般に、天皇の乗り物。     後白川上皇   (大辞林)   (1127~1192) 第七七代天皇(在位1155~1158)。  名は雅仁。鳥羽天皇の第四皇子。  即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。  二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。  1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。  また、今様いまようを好み「梁塵秘抄りようじんひしよう」を撰した。     透渡殿(すきわたどの)    … 屋根材,建具などは対屋も寝殿と同じである。  寝殿と東西対の間は南北2本の廊で結ばれるが,南側の廊は透渡殿(すきわたどの)と呼ばれ,建具のない吹き放しの建物である。  東西対の南から南池に向かって延びる中門廊は外側に壁をはり,内側は吹き放しである。…     西対(にしのたい)    寝殿造りで、主殿の西方にある建物。  西の対の屋。西の方。  ※伊勢物語(10C前)四「東の五条に大后の宮おはしましける、にしのたいに住む人ありけり」   西中門    中門とは、  寺院などで、南大門の後方にある門。  通常、回廊の前中央部になどに設けられる。     公卿     1 公(こう)(=大臣)と卿(けい)(=大納言・中納言・参議・三位以上の官人)との称。    2 広く、殿上人(てんじょうびと)。      

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-12 【巻一 扈従(こしょう)、翳(かざし)】四十四〜四十七紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-12 【巻一 扈従(こしょう)、翳(かざし)】四十四〜四十七紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

 

 日本絵巻大成 8

【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙

日本絵巻大成 8  四十三〜四十七紙

 

鳳輦を囲んで、すでに馬から降りた近衛の次将以下、扈従(こしょう)の面々を描く。

赤衣の仕丁二人が、翳(かざし)を高々と上げる。

 

 

 

 

扈従(こしょう)

[名](スル)貴人に付き従うこと。また、その人。こじゅう。

「殿上人や上達部 (かんだちめ) がなお相当に―していて」〈谷崎・少将滋幹の母〉

 

扈(コ、したがう、つきそう、はぶびこる、ひろい)

 したがう。つきそう。つきしたがう。

 主人のお供をする者。従者。

 ひろい。広大。

「跋扈(ばっこ)」は、思うままに振る舞うこと。のさばりはびこること。

 

仕丁 (しちょう) (日本大百科全書)

「じちょう」ともいう。

 古代に行われた徭役(ようえき)制度の一つ。

 養老令(ようろうりょう)によると、仕丁は50戸ごとに2人が点ぜられ、中央官衙(かんが)で雑役に従ったが、1人は廝丁(かしわで)として炊事を担当した。

 仕丁には官粮(かんろう)が支給され、また労役の代償として租税のうち調・庸・雑徭(ぞうよう)が免除された。

 仕丁制の起源は大化前代にまでさかのぼり、30戸を単位として2人が点ぜられていたのが、大化改新の際に50戸を単位として点ぜられることになった。

 その際、仕丁を養うために各戸から布と米を徴収し、これを庸とよんだ。

 この仕丁の庸は、歳役(さいえき)に従事するかわりに庸を出す制度が成立すると、これに吸収された。

 しかし718年(養老2)4月に至って、仕丁を出した戸が銭や綿を出す養物(ようぶつ)の制度として復活した。[長山泰孝]
『彌永貞三著『日本古代社会経済史研究』(1980・岩波書店)』

 

翳(かざし)

 1 頭上に掲げて,覆ったり陰を作ったりすること。また,その物。

 2 能で,扇を高くかざす型。

 3 (「茀」と書く)外からの視線をさえぎるために設けた塀や外の樹木、土手など。城や武家屋敷、御所などにも見られる。

   4 翳し文句の略    絵巻物での翳(かざし)は槍のように長い棒状の先に、わらで丸く編んだ飾りをつけ、高く掲げている。        

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-13 【巻一 (かもん)窠文、窠紋、家紋】四十八〜五十紙 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-13 【巻一 (かもん)窠文、窠紋、家紋】四十八〜五十紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  四十八〜五十紙

 

鳥兜(とりかぶと)をかぶった窠文の襖(あお)をつけた楽人

 

 

 

鳥兜(とりかぶと)

 1 舞楽の襲装束 (かさねしょうぞく) に用いるかぶり物。鳳凰 (ほうおう) の頭をかたどり、厚紙に金襴 (きんらん) ・紅絹 (もみ) などをかぶせて作る。曲により形式・色彩などが異なる

 2 植物(トリカブト)

 

窠文(かもん)   (日本大百科事典)

 窠は、元来動物の穴巣を意味しているが、転じて円形の区画を穴巣に見立てて、そのなかに唐花(からはな)が入っている文様を窠文という。

 またその形が瓜(うり)を輪切りにしたときの断面に似ているので、木瓜文(もこうもん)とよぶ場合もある。

 元来中国の唐代、朝服に用いられた文様の一つであったが、奈良時代に日本に伝わり、のちに公家(くげ)の有職(ゆうそく)文様となる。

 この文様は、単独に使用される場合と、霰(あられ)の地文と結び付いて、窠に霰文様となる場合がある。後者は中世以後の表袴(うえのはかま)や裳(も)に多く使用される。[吉村元雄]

 

 窠紋に同じ。

 

窠紋   (大辞林)

 有職文様の一。円弧を花弁のように四、五個輪につなぎ合わせた形。中に唐花や鳥を配する。

 鳥の巣の形とも瓜を輪切りにした形ともいう。御簾みすの帽額もこうの装飾に用いられるので帽額紋ともいい、「木瓜もつこう紋」ともいう。

 窠。

 

家紋

 そもそも家紋制度は、戦前は旧民法の下、「家制度」が存在しており、自家の家紋が入った紋付袴が日本の正装とされていた。

 家紋付きの着物や羽織、小物など多く見られ、仏壇に家紋が付いている場合がある。

 しかし戦後から日本で西洋化が一段と進んだ結果、家紋は古典的なものとして考えられるようになり、今では家紋が入っているものといえば墓石が代表的なものになっている。

 さらに昨今ではお墓を持つ方も減ってきているため、自分の家紋が入っているものを一切持たず、自分の家紋がわからない方もいらっしゃるらしい。

 家紋とは先祖から代々伝えられてきた家を表す紋章で、今風に言えば「我が家のロゴマーク」とも云える。

 一方、同じ名字の皆同じ家紋というわけではない。

 同じ名字でも出身地や家系・家業などによって様々な種類の家紋が伝わっており、名字は違っていても同じ家紋が伝わっている家も多く存在する。

 家紋は名字と合わせて自分の家系やルーツを実感できる親しみやすいシンボルとも云える。

 

襖(あお)

1 両方の脇(わき)をあけたままで、縫い合わせず、襴(らん)のない古代の上着。

 位階相当の色によるものを位襖(いあお)といい、武官の礼服や朝服に用いた。

 わきあけのころも。闕腋(けってき)の袍(ほう)。


2 《「狩襖(かりあお)」の略》狩衣(かりぎぬ)。


3 袷(あわせ)の衣。綿を入れたものもある。襖子(あおし)。

 

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』3  近松門左衛門作  

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『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』3  近松門左衛門作

 市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』猿之助、右近、玉三郎(2012)を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

  

 

 

 P. 388

 2オ

三種(じゆ)の宝の神(しん)徳に、家にたのしみ、野に耕し、

手うつてうたふ土民(どみん)迄、式(のり)を超(こへ)さる玉垣(うがき)の内

つ、御国そ道廣き、 卅二臣の棟梁(とうりやう)、藤原の大祖天津(あまつ)

児屋(こやね)の臣(しん)、御前に正笏(しょうしゃく)し、王(きみ)既(すで)に宝祚の御位、天下

万民の父母たる御身、夫婦いもせの道かけてハ、王道い

かゞ行(おこなハ)れん、御心に入、御目につきたる女あらバ、夜るの御座(おまし)

に召入られ、然るべしと奏(そう)問あれバ、恥かしげに御顔を

 

 

 

神(しん)徳 

〘名〙 (古くは「じんとく」とも) 神の功徳。神の威徳。    また、霊妙なもの、神的なものの功徳。神威。  ※栄花(1028‐92頃)鳥の舞「普賢色身無辺にし、六道自在無量にして、体相神徳魏々たり」 〔賈誼‐弔屈原賦〕     土民(どみん)   (大辞泉)    その土地に住みついている住民。土着の民。     式(のり)    ①きまり。おきて。  ②てほん。模範。  ③かた。規格。一定のやりかた。     玉垣(うがき)    玉垣(たまがき)と書いて『日本振袖始』では玉垣(うがき)と読ませている。    玉垣とは、神社などの周囲に設ける垣根。    瑞垣(みずがき)。斎垣(いがき)。     棟梁     1 建物の棟 (むね) と梁 (はり) 。

  2 《棟と梁は家を支える重要な部分であるところから》

   ㋐一族・一門の統率者。集団のかしら。頭領。また、一国を支える重職。

   ㋑仏法を守り広める重要な地位。また、その人。

   ㋒大工の親方。

 

天津(あまつ)

「つ」は現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味であり、「天つ神」、「国つ神」と表記することもある。

 漢字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。

 ... なお高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

天津(あまつ)  (大辞林)   ( 連語 )〔「つ」は「の」の意の上代の格助詞〕    天の。天にある。天上界に所属する。   天津(あまつ)     [1] 〘連語〙 (「つ」は、「の」の意の格助詞)    ① 天の。天上の。空の。空にある。「天つ風」「天つ雁」「天つ御空」など。    ② 高天原の。天つ神の。「天つ国」「天つ罪」など。→国(くに)つ。    ③ (一般的な神や、神に関する事物をあらわして) 神の。神事の。「天つ祝詞」「天つ菅麻(すがそ)」など。    ④ (広く尊敬の意をあらわしたり、ほめたたえる意をあらわして) 神聖な。尊い。おそれ多い。清浄な。「天つ日嗣(ひつ)ぎ」「天つ領巾(ひれ)」「天つ御食(みけ)」など。    ※歌謡・松の葉(1703)四・元服曾我「生れ生るる世よかけて、変り給ふなかはらじと、結ぶ誓のしたひ髪、あまつかざしの花よりも、分けて目離(めか)れず眺めしに」    [2] 〘名〙 (一語と考えられて) 天。    ※仙覚抄(1269)「伊勢国風土記云〈略〉天津(あまつ)の方に国有り」     児屋(こやね)    天児屋命(あめのこやねのみこと)は、日本神話に登場する神。   『古事記』では天児屋命、『日本書紀』は天児屋根命と表記される。    別名として天足別命(あめのたるわけのみこと)、武乳速命(たけちはやのみこと)、速経和気命(はやふわけのみこと)、天見通命(あめのみとおしのみこと)、麻刀方命(まとかたのみこと)、太詔戸命(ふとのりとのみこと)、春日戸神(かすかべのかみ)、国辞代命(くにのことしろのみこと)などがある。    その他通称として春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ぶ。   『古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。    天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとある。       正笏(しょうしゃく)    笏を正しく身体の中央に持つこと。威儀を正すこと。   正笏(しょうしゃく)   〘名〙 笏を両手で正しく体の中央に持つこと。また転じて、礼儀正しいこと。威儀を正すこと。 ※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)一「黄巻朱軸の経典を〈略〉庭上にかきすへさせしゃうしゃく一揖して奏聞有る」       宝祚(ほうそ)   〘名〙 天子、天皇の位。宝位。おおみくらい。    ※続日本紀‐天平勝宝元年(749)閏五月癸卯「詔、朕以二寡薄一恭承二宝祚一」    ※金刀比羅本保元(1220頃か)上「仁明は嵯峨の皇胤なり〈略〉宝祚(ホウソ)をつぎ給」 〔北周書‐宣帝紀〕   祚(ソ)    天子の位。
「皇子御誕生あって、―をつがしめん事も」〈平家 三〉     夫婦いもせ    いもせ(妹背)     親しい間柄の男女。    夫婦。    恋人どうし。    いもせ(妹背・兄妹)

  1 夫婦。夫婦の仲。

  「枕を並べし―も、雲居のよそにぞなりはつる」〈平家、灌頂〉

  2 兄と妹。姉と弟。

  「戯れ給ふさま、いとをかしき―と見給へり」〈源、末摘花〉

 

 歌舞伎では『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)という演目あり^^

『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)とは、人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目のひとつ。

 全五段、明和8年(1771年)1月28日より大坂竹本座にて初演。

   妹背山は、奈良県吉野町

   歌舞伎『妹背山婦女庭訓』は近松半二・松田ばく・栄善平・近松東南・三好松洛の合作。

  御座(おまし)    1 御座所(ござしよ)。▽天皇や貴人がいる場所の尊敬語。天皇の場合、「昼(ひ)の御座(=昼間の居間)」と「夜の御座(=寝所)」とがある。

 2 御敷物。

   ①に用いられる物の意から、貴人の用いる敷物・ふとんなどの尊敬語。

   ◆「お」は接頭語。

 

   

  日本振袖始 近松門左衛門

 序詞

 天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

 和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

 一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

 緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

 秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

 天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

 杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

 

 三種(じゆ)の宝の神(しん)徳に、家にたのしみ、野に耕し、

 手うつてうたふ土民(どみん)迄、式(のり)を超(こへ)さる玉垣(うがき)の内

 つ、御国そ道廣き、 卅二臣の棟梁(とうりやう)、藤原の大祖天津(あまつ)

 児屋(こやね)の臣(しん)、御前に正笏(しょうしゃく)し、王(きみ)既(すで)に宝祚の御位、天下

 万民の父母たる御身、夫婦いもせの道かけてハ、王道い

 かゞ行(おこなハ)れん、御心に入、御目につきたる女あらバ、夜るの御座(おまし)

 に召入られ、然るべしと奏(そう)問あれバ、恥かしげに御顔を

 

 

 

   

 

映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』4,5★ 2017 入江悠監督、脚本 平田研也脚本 藤原竜也 仲村トオル

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せみ

 

 

 

 

   映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』4,5★ 2017 入江悠監督、脚本 平田研也脚本 藤原竜也 仲村トオル

 

 この どんでん返しは見逃せない^^

 藤原竜也と仲村トオルの表情は興味深い。

 黒の画面に浮かび上がる藤原竜也の構図と色彩の美しさ、仲村トオルの最後あたりの表情の変化は見事。

 此映画は、私は好きだな^^v

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

 

『22年目の告白-私が殺人犯です-』

制作年/2017 制作国/日本 内容時間/117分

 

監督 入江悠 脚本 平田研也 脚本 入江悠 撮影 今井孝博 音楽 横山克

入江悠    (ウィキペディア)

 入江 悠(いりえ ゆう、男性、1979年11月25日- )は、日本の映画監督・映像作家。

 脚本家。神奈川県横浜市生まれ、埼玉県深谷市出身。

 3歳から19歳を深谷市で過ごす。 埼玉県立熊谷高等学校、日本大学藝術学部映画学科卒業。所属事務所は鈍牛倶楽部。

 メルマガ僕らのモテるための映画聖典主宰。

 

平田研也   (ウィキペディア)

 青山学院大学文学部仏文科卒業。

 大学卒業後、映画制作会社ROBOTへアルバイトとして入社。

 雑務の傍ら脚本家としての修練を積み、24歳の時に、深夜ドラマで脚本家デビュー。

 その後、映画脚本を数多く手掛け、2009年には短編アニメーション「つみきのいえ」で米アカデミー賞を受賞。

 

曾根崎雅人 藤原竜也 牧村航 伊藤英明 岸美晴 夏帆 小野寺拓巳 野村周平 牧村里香 石橋杏奈 滝幸宏 平田満 山縣明寛 岩松了 橘大祐 岩城滉一 仙堂俊雄 仲村トオル

 

 wowow公式HP ▼

 1995年の連続殺人事件の最後の事件が15年後に時効を迎えてから7年後、自分が犯人だと名乗る男が現われる……。藤原竜也、伊藤英明らが豪華共演した犯罪ミステリー!

 韓国映画「殺人の告白」を「ジョーカー・ゲーム」「ビジランテ」などの入江悠監督がリメイク。韓国を舞台にしたオリジナル版が原作ながら、日本で1995年に起きた阪神・淡路大震災、2010年の刑事訴訟法の改正によって一部の凶悪犯罪の公訴時効が無くなったことなど22年間の印象的な出来事を背景に盛り込み、事件の意外な真相の究明を緊迫感たっぷりに描いたスリリングな話題作。演技派・藤原を筆頭に、アクティブな伊藤、役になり切った夏帆、ベテランの粋に達しつつある仲村トオルらが、それぞれ熱演した。

一汁一菜 1

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一汁一菜 1

 

 コロナウイルスの影響で一歩も外に出ない日が続く。

 一日中家にいるので、食事に重きを置いていると、作り過ぎの食べ過ぎ。

 その分、運動をしよう^^と、音楽を聴きつつ体を動かし続けていたら、体重 4キロ近く落とせた。

 しかし若い頃とは違う。疲れが取れない。

 

 食べ過ぎで運動しないのは、ちょい問題!と思っていたら、いつもお邪魔している大変美味しそうな一汁一菜にたどり着いた。

 

 一汁一菜

 ネットで調べてみても、バランス抜群で体に良さそうだ。

 

 まずは夫に聞いてから^^

 実行^^

 

 心得

 全て、小鉢で盛る!

 雑穀米か豆ご飯か炊き込みご飯か白ご飯を軽く盛る

 まずは、一汁二菜から

 慣れれば、一汁一菜

 

 さ! 今から夫に交渉することにしよう^^v

  

 

散歩 1

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 コロナ対策万全で、

 9月は、毎日外に出かけよう。

 レベルは低いが、まずは毎日7000歩は歩くことにしよう。

 さてさて、

 明日はどこに出かけよう^^

 自転車かミニバイクに乗って、

 地元巡りってのも、いいかもね^^

一汁一菜 2

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一汁一菜 2

 

 

 一汁一菜とは、

   主食(白米や玄米や雑穀米)

   汁もの(味噌汁 等)一品

   菜(おかず、惣菜)一品

を添えた日本における献立の構成の一つ。粗食を指す。

「一汁一菜」と言っても、汁と菜にさらに「香の物」(=漬物類)を少量添えることはしばしばある。

「一汁一菜」はもともとは、おかずが一品のみしかない「質素な食事(粗食)」の意味で用いられた言葉であった。

 食生活の欧米化や食べすぎ(栄養過多)、肥満傾向、生活習慣病、「飽食」が日本人の健康を害しているという事実が明らかになってきた近年は、むしろ良い意味の言葉とされ、(食べ過ぎを防ぎ)健康に良い食事・献立、として着目されるようになった。

 一汁一菜もちょっとした配慮・工夫で栄養バランスも良くなり、この一汁一菜で健康で長寿になれるという。

 例えば、禅寺の食事が一汁一菜の食事を守っており、禅僧たちは一汁一菜の質素な食事でも、寺の仕事と修行をたっぷりこなし、さらに病気にかかりにくく長寿をまっとうするという。

 一汁一菜を守っていれば、食べ過ぎになるということもなく、標準的な大きさの器に常識的な盛り方をすれば、特にややこしいカロリー計算などしなくても食べ過ぎを防止することができる。

 かつて一汁一菜を守っていた日本人には、肥満や高脂血症などはほとんどなかった。

 医療費の増大に困っていたアメリカは、マクガバンレポートで、肉・乳製品・卵などの動物性食品を減らし、穀物や野菜・果物を多く摂るようにと勧告、日本の食習慣を見習うべきであるとし、玄米を主食にしていた元禄時代以前の日本の食事を理想的な食事としている。

 しかし、日本でも食生活が欧米化するにしたがい生活習慣病が増加しはじめたため、農林水産省が一汁一菜を現代風にアレンジした一汁三菜の日本型食生活を提唱。「バランスの良い食事」として紹介している。

 また、量の不足を脱した1970年(昭和45年)頃の日本人の食事は、フランスの農学者、ジョセフ・クラッツマン(fr)をして理想的と言わしめたもの。

 栄養学的見地からすれば理想的なものだった。

 だが、最近の日本人は次第に忙しくなって、食事の用意や器を洗うことも面倒だと感じる人が多くなり、「一汁三菜」だったものが菜の数が減って「一汁一菜」を通り越し、副食・主食・スープものがすべて合体化し、たったひとつの器に盛って出す「ワンディッシュ化」が起きていることが懸念される。

 他に、「○汁○菜」という表現には、本膳料理や懐石での「一汁三菜」という別概念がある。

 汁物1品とおかずを3品(主菜1品+副菜2品)にした構成である。

 客の身分・役職により菜の数が変化する本膳料理の中では、もっとも簡素な形式である。

 懐石では向付(刺身や昆布締め、膾など)、煮物、焼物で三菜となる。

 かならずしも質素な食事とはいえないが、口腹を満足させることではなく、器を愛で色彩を楽しむことが重んじられ、西洋料理のガストロノミーとは価値観が異なる。

 以上、ウィキペディア

 

 


一汁一菜 3

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一汁一菜 3

 

 

 元々は鎌倉時代に禅寺で採られていた、質素倹約を重視した食事の形式を指す言葉であった。

 よっておかずも野菜を用いた極めて質素なものであった(ただし、特別な日や来客時には「一汁三菜」となった)。

 この食事形式が一般の人々にも広まり、やがて一汁一菜・一汁三菜が日本の伝統的な日常の食事形態として定着するに至った。

 ただし、鎌倉期以前の律令時代の下級官人と庶民の食事形態も実質的には一汁一菜である。

 江戸の長屋で暮らしている人々の場合、暮れ六つ(日没=午後6時ごろ)に男性が帰って、湯屋に行って湯を浴び、それから食事となり、一汁一菜、ないしは一汁二菜と香の物程度を食べたといい、おかずとしては夕鯵(ゆうあじ)と言うように、夕方に魚河岸にならんだ新鮮な鯵やこはだが喜ばれたという 。

 ただし庶民にとっては一汁一菜も日常の食事としては贅沢なもの。

 通常は「おかず無し」、つまり、ご飯・汁・漬け物のみというのが日常の食事スタイルであった人も多いともいう。

 玄米(あるいは半搗き米など精白度合いが低い米)で食べれば米は完全食であり、味噌汁で大豆蛋白を補えば栄養学的にはそれで充分なのである。

「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ…… ほめられもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい」と宮沢賢治は詩の中でうたっている 。

 重労働をこなしていた時代には米を大量に食べてカロリー源とするのみならず、タンパク質も米から摂取していた。

 比率は多くはないものの人間にとっての必須アミノ酸がバランス良く含まれ、米はタンパク質の補給源としても秀れた食品であり、米のみで人体を維持するに十分なカロリーとタンパク質は得られるのである。

 一方で白米のご飯で同様の食事スタイルをとると栄養不足に陥ることとなり、江戸時代には俗に「江戸わずらい」と呼ばれた。

 江戸時代には上杉鷹山や池田光政が人々に倹約のために食事を一汁一菜にするよう命じたことが知られている。

 松代藩のように「おかず禁止令」を出して徹底した倹約を図った藩も存在する。

 二宮尊徳も奉公先の小田原藩家老服部家を立て直すにあたって、おかずを禁止している。

 以上、ウィキペディア

 

食の基本 4 一汁三菜

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食の基本 4 一汁三菜

 

「一汁三菜」は和食の基本。


   主食の「ご飯」に

  「汁物」

  3つの「菜(おかず)」

を組み合わせた献立。


 体に必要な「エネルギーになるもの」「体をつくるもの」「体の調子を整えるもの」という3つの栄養素を、バランスよく摂る。

   

三菜

 主菜1品、副菜2品で構成。
 主食を美味しくいただくためのおかず。
 また、主食と汁物だけでは不足している栄養を補う。

 香の物(漬物)があれば、独特のうま味が加わる。
 尚、香の物は副菜にはカウントしない。


 毎日継続して健康的な一汁三菜を用意するために、大事なのが三菜の選び方。

 栄養さえしっかり摂れれば、おかずの数は一菜でも二菜でも問題ない。

 一番バランスよく、そして過不足なく栄養を摂取しやすい基本のかたちが三菜。


 納豆や冷奴などの加工食品や簡単につくれるサラダ、又、つくりおきをしておく。

 味噌汁を具だくさんにすれば、1つの副菜と捉えることも可能です。

 一汁三菜の基本を抑え毎日の食事を健康的に楽しむ。

 

 

 

食の基本 5 薬膳(やくぜん)

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 食の基本 5 薬膳(やくぜん)

 

 

 薬膳(やくぜん)

 中医学理論に基づいて食材、中薬と組合せた料理。

 栄養、効果、色、香り、味、形など全てが揃った食養生の方法である。

「薬膳料理」と称されることもある。

「膳」自体に「料理」の意味が含まれている(重言)。

 

 生薬の原料や材料として用いられる

    海松子、金針菜、枸杞、紅花、山査子、銀、大棗、蜂花粉、百合、竜眼肉等

を用いた料理のみならず

    自然界にあるもの全て

を食物と考え。

 日本語の造語である医食同源の元に、個々人ごとに異なる体質や臓器に適した食物をどのように摂ることが効果的かを、予防医学の見地に立つ中国医学による帰経(きけい)効果がある料理。

 

 

 起源

 食・薬・医の数千年の歴史から見ると、食からの「食薬同源」「食医同源」の思想から始め、中医薬学が発生し、その発展を促進し、今に至る一貫した伝承が続いた。

『黄帝内経』「素問」臓気法時論篇第二十二において

    “五穀為養、五果為助、五畜為益、五菜為充、気味合而服之、以補益精気”

という文章がよく引用されている。

 これらは、食の医療作用を明確に解説している。

 五穀

    麦、黍、稗、稲、豆

穀類は主な食材として五臓を養う。

 五果

    スモモ、杏、大棗、桃、栗;果物

は五臓の働きを助ける。

 五畜

    鶏、羊、牛、犬(馬)、豚;肉類

は五臓を補う。

 五菜

    葵、藿、薤、葱、韭

野菜により五臓を充実させる。

 

 このように多くの食材を組合せ、バランスがよく、身体の精気を補うことが出来ると解釈していた。

 さらに食材によってそれぞれの臓腑に働くことも多くの者による食体験をもって認められていた。

 

 五穀については、他にも 「周礼・天官・疾医」では、

    麻・黍・稗・麦・豆

「孟子・滕文公上」では、

    稲・黍・稗・麦・菽

「楚辞・大招」では、

    稲・稗・麦・豆・麻

「素問・臓気法時論」では、

    粳米・稗・麦・大豆・黄黍

などの記載がある。

 

 

 生薬

 中国では、中薬(ちゅうやく)という。

 薬膳に用いられることの多い食品の内、代表的なものを列記する。

 

 海松子(かいしょうし):松の実、

 金針菜(きんしんさい):ユリ科のホンカンゾウの花のつぼみ 、

 銀耳(ぎんじ):白木耳(しろきくらげ)

 枸杞子(くこし):一般にクコの実と呼ばれ、ナス科植物のクコまたはナカバクコの果実を干したもの。

 紅花(こうか、べにばな)

 山査子(さんざし): バラ科のサンザシの実

 大棗(たいそう): クロウメモドキ科サネブトナツメの実

 蜂花粉 百合(びゃくごう): ユリの根

 竜眼肉(りゅうがんにく)ムクロジ科リュウガンの仮種皮

 甘草(かんぞう): マメ科のカンゾウの根 また、これらの中薬は効能別によく分類され、大別すると11種類に分けられる。

 

 解表類(かいひょうるい) 清熱類 祛湿類(きょしつるい) 温裏類 理気類 理血類 消食類 化淡止咳平喘類(かたんしがいへいぜいるい) 補益類 収渋類(しゅうじゅうるい) その他

 

 上記からさらに細かく分けられる。

 例として紫蘇を述べるが、それ以外の食品に関する詳細情報は薬膳の専門書を参照されたし。 例)解表類〜【辛温解表類】

 以上ウィキペディア参考

 

『与話情浮名横櫛』2005年 片岡仁左衛門 坂東玉三郎 中村勘三郎 市川左団次 市川段四郎

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『祇園祭礼絵巻』

 

 

 『与話情浮名横櫛』2005年 片岡仁左衛門 坂東玉三郎 中村勘三郎 市川左団次 市川段四郎

 

 

 何度見たことか^^

 役者揃いの上、考玉ならず仁左玉の『与話情浮名横櫛』

 

 コロナや世のごった返しでで辛い昨今

 芝居が好きで良かったと心底思える秀作^^

 

 劇場で仁左衛門丈をもう一度見ることができるだろうか。

 うん!見ることができるだろう!!!

 

 

 乱鳥の書きなぐり ▼

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/ceb8ee19273af1673964743ebd68d93f

場名など 木更津海岸見染〜源氏店 配役   (歌舞伎公演データーベース引用)

伊豆屋与三郎・切られ与三郎 = 片岡仁左衛門(15代目)

源左衛門妾お富・お富 = 坂東玉三郎(5代目)

鳶頭金五郎 = 中村勘三郎(18代目)

蝙蝠安 = 市川左團次(4代目)

和泉屋多左衛門 = 市川段四郎(4代目)

噺家五行亭相生 = 中村源左衞門(2代目)

茶屋女おとら = 中村歌江(初代)

番頭藤八 = 片岡松之助(4代目)

赤間子分梅蔵 = 尾上松太郎(2代目)

赤間子分源次 = 坂東橘太郎(初代)

赤間子分作蔵 = 澤村大蔵(初代)

赤間子分伊八 = 中村山左衛門(6代目)

黒戸子分眼八 = 尾上菊十郎(4代目)

黒戸子分竹蔵 = 尾上寿鴻(初代)

黒戸子分清六 = 中村翫之助(4代目)

黒戸子分金蔵 = 實川延郎(2代目)

下女およし = 坂東守若(2代目)

雇女お丸 = 片岡松之亟(2代目)

お針女お岸 = 中村歌女之丞(3代目)

赤間子分金次 = 片岡松三郎

下男権助 = 市川段一郎

黒戸子分 = 坂東玉雪(初代)

黒戸子分 = 坂東功一

黒戸子分 = 片岡松次郎

貝ひろう男 = 坂東幸(初代)

貝ひろう男 = 岩井義太郎(初代)

貝ひろう男 = 尾上音一郎

貝ひろう男 = 中村獅之助

貝ひろう浜娘 = 中村仲四郎

貝ひろう浜娘 = 中村福若

貝ひろう浜娘 = 市川升吉(2代目)

貝ひろう浜娘 = 片岡千壽郎(初代)

貝ひろう浜娘 = 片岡りき彌

貝ひろう浜娘 = 片岡松之

貝ひろう浜娘 = 歌次

貝ひろう浜娘 = 中村梅之

貝ひろう浜娘 = 中村歌松

貝ひろう浜娘 = 中村春之助

貝ひろう浜娘 = 中村竹蝶

貝ひろう浜娘 = 澤村伊助(初代)

貝ひろう浜娘 = 中村獅一(初代)

貝ひろう浜娘 = 尾上音三郎(3代目)

丁稚長太 = 大沢翔己

丁稚 = 田口慧

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-14 【巻一 のどかな新春二日目 夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁】五十紙〜五十三 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-14 【巻一 のどかな新春二日目 夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁】五十紙〜五十三 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十紙〜五十三

 

夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁。

板橋を隔てて、賀茂の河原には、老若男女の見物の人々。

のどかな新春二日目の喜色が人々の顔にみなぎっている。

 

 

 

 

松明    松のやにの多い所や竹やアシなどを束ね、火をつけて照明とするもの。   褄折笠    股旅ものなどの時代劇で渡世人が被っている印象が強い。    もとは江戸、京都、大坂の三ヶ所を毎月三度ずつ往復していた飛脚(定飛脚)のことを三度飛脚と呼び、彼らが身に着けていた事からその名が付いた。        名前の由来     三度がさ 三度飛脚     褄折笠  傘のつま(端)能登ことで折れている。     大深   深さのある傘(顔を隠せる女笠)      女性用として寛延、宝暦頃まで用いられた。    初めて製されたのは貞享年間であり、俗に「大深」と称せられたほどの深さの女笠であった。    その深さについて「守貞謾稿」は「誤つて落馬することある時面部を疵せざる備へか」といい、本来は女性用であった事から顔を隠す程度の深さになったともいう。    女性用は紐を後ろの方で輪にして髷の下にかけ、頤の下で結んだが、文化頃には既に女性用として用いられなかった(「塵塚咄」)。    女性用の笠は妻折笠(つまおりがさ)とも呼ばれる。   「守貞謾稿」には「文化以前は旅商専らこれを用ゆ、文化以来は雷盆(すり鉢)形の菅笠を用ゆ、飛脚宰領は今も三度笠を用ゆ」という。    この様に女笠から男笠に移り、また別に三度飛脚の常用とされた。    頂の部分が平らな笠は饅頭笠と呼ばれた。  (ウィキペディア)     仕丁(しちょう、じちょう)    昔の官庁や貴族の家の雑役夫。        

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 38 十七丁裏、十八丁表と、 『伊勢物語』

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 38 十七丁裏、十八丁表

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年




3 36-39
38 十七丁裏、十八丁表

◯をかし紀の川に、狩して大きなる鮒を

鯉といひけれは、よめる、

  きの河の おおきなる鮒を山家なる

  人はこれをつく鯉といふらん

山家人返し

  見さらゐは やすゐものハ鯰おも

  鯉とハいふとおもふわれれらも




『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

  きの河の おおきなる鮒を山家なる

  人はこれをつく鯉といふらん


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

  君により 思ひならひぬ世の中の

  人はこれをや 戀といふらん



『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

  見さらゐは やすゐものハ鯰おも

  鯉とハいふとおもふわれれらも


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

  ならはねば 世の人ごとに何もかも

  戀とはいふと問いし我しも

 

 

 

映画『The Guardian 守護神』2006 アンドリュー・デイヴィス監督 ケヴィン・コスナー

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  映画『The Guardian 守護神』2006 アンドリュー・デイヴィス監督 ケヴィン・コスナー

 

原題/The Guardian 制作年/2006 制作国/アメリカ 内容時間(字幕版)/140分 ジャンル/アクション/冒険 監督 アンドリュー・デイヴィス 製作 ボー・フリン 製作 トリップ・ヴィンソン 脚本 ロン・L・ブリンカーホフ 撮影 スティーヴン・セント・ジョン 音楽 トレヴァー・ラビン

 

 映画『The Guardian 守護神』を見た。

 この映画は今回で二度目。やはり、面白かった。

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします^^

 

 

海難救助に命を懸ける米沿岸警備隊員たちの活躍を描いた海洋アドベンチャー。伝説の名隊員役K・コスナーが「バタフライ・エフェクト」のA・カッチャーと顔合わせを実現。

沿岸警備隊のベンは200人以上もの人命を救ったと噂される、伝説的レスキュースイマー。だがある任務で相棒を失い、自信を失った彼は若いレスキュースイマーを育てる新たな職場である養成校“Aスクール”へ。そこで教官として後進の指導に当たるが、過酷な訓練で脱落者が続く中、訓練生ジェイクは元高校水泳チャンピオンだけに抜群の成績。自信家のジェイクはベンが訓練生時代に作った数々の記録をすべて破ると豪語するが……。

 

ベン・ランドール ケヴィン・コスナー ジェイク・フィッシャー アシュトン・カッチャー ジェイク・スキナー ニール・マクドノー エミリー・トーマス メリッサ・サージミラー ウィリアム・ハドレー クランシー・ブラウン ヘレン・ランドール セラ・ウォード マギー・マクグレン ボニー・ブラムレット ビリー・ホッジ ブライアン・ジェラティ

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 39 十八丁表 十八丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 39 十八丁表 十八丁裏、

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年




3 36-39
39 十八丁表 十八丁裏

十八丁表

◯をかし斎院のなにかしと云、侍ありける、その侍の

和子鷹、いとすきにて、いつも狩しけり、その和子(わこ)

呼給ふて、御料理の夜、その家の隣なりける男、

御料理にせんと大蟹車、海老を相もちて出たり

けり、京久しく烹て出したべまいらすうち

くひて帰ぬへひかりける間に、天野酒の癖のよき

を檜木の小樽に入て、客これも物くふに、此車

海老を姫胡桃と見てよりきてかぐになす

十八丁裏

くさき男の酒をとりて、車海老、残はふし

飲たりけるをくらかりなりける人、この小樽のとも

しくやみやらん、ともし火けるなんとするにのめる

男のよめる

   飲あけハ 限なるべし ともしげに

   樽のにこにて なる旨をきけ

かの居たる客かへし

   いとおそく なるにきこゆる 類ともしけに

   みゆるものとも われかしらする

天野酒の酒、このみの歌にてハ難になりける、

小樽ハしぶ柿のおほき御なり、和子ほいなし



『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   飲あけハ 限なるべし ともしげに

   樽のにこにて なる旨をきけ


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   出でていなば 限りなるべに ともし消ち

   年へぬるかと 泣く声を聞け



『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   いとおそく なるにきこゆる ともしけに

   みゆるものとも われかしらする


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   いとあはれ 泣くぞ聞ゆる ともし消ち

   聞ゆるものとも 我は知らずな

  

烹て (こいて  「にて」(意味は、煮て)が、正しい)

 烹

 にる。食材をやわらかくにる。

 

姫胡桃 (ひめくるみ)    (日本国語大辞典)

〘名〙 オニグルミの変種で本州中部以北で栽植される。全体に小さい。    果実は扁平で表面にしわが少なく、頂端は鋭くとがり、砕けやすい。    おたふくぐるみ。めぐるみ。《季・秋》  ※新撰六帖(1244頃)六「夏山のしけみかくれのひめくるみかねて見まくのかたきこひ哉〈藤原信実〉」    

和子ほいなし

 和子(わこ)おいなし→和子(わこ)老いなし

   をかし斎院のなにかしと云、侍ありける、その侍の

   和子鷹、いとすきにて、いつも狩しけり、その和子(わこ)

   呼給ふて 云々

 和子(わこ)は鷹。狩の時、斎院のなにがしと云う侍がこの鷹を愛し、狩の時にはいつも連れて行った。その鷹が年老いた。

 

 

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 40  十八丁裏 十九丁表 十九丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

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富田高至 編者

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 40  十八丁裏 十九丁表 十九丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年





39 十八丁裏 十九丁表 十九丁裏

 

十八丁裏

◯をかしわかき男藝にもならぬ相撲を

 

十九丁表

とりけり、うれしかる、親にて触とるとおもひて此子を

外にてとらせんとすさよういへ、いまたとらさす独子

なれハあまやかしけれは、とるにいきほひなし、此子

やみあかりなりけれハ、相撲のちからなし、さる間に

相手ハいつくまさりにまさる、俄に親の子をつれて

行、この子、縮緬の褌(タンナ)をして、とだつよし、臨して出て

とりぬ此子なよ/\とよめる、

   出てとらハ たれかわれにハ かたさらん

   ありしちからも とるハかなしも

とよみてなけられにける親ありてにけるよく

とると思るてこそとらせしか、いとかくもなげゝら

しとおもふに、真実に施入にけれハ、片屋にて願たん

 

十九丁裏

けり、とるの入相はかりに㝃いりて、又の日のいぬの時

はかりになん、養生していき出たりけるむかしの阿房ハ

さる相撲をなんとりける、今の各ゝまさに仕るんや

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊     

   出てとらハ たれかわれにハ かたさらん

   ありしちからも とるハかなしも


『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   出でていなば 誰か別(れ)の難(かた)からん

   ありしにまさる 今日(けふ)はかなしも

 

独子

 〘名〙 「ひとりご(一人子)」の変化した語。

 ※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「ひとり子(ッコ)と云ものは兎角あまやかすから役に立たねへ」   独子〘名〙    ① 兄弟姉妹のいない、ただひとりの子。ひとりっこ。  ※万葉(8C後)六・一〇〇七「言問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)ありといふをただ独子(ひとりご)にあるが苦しさ」    ② 神のただひとりの子。キリスト教で、イエス‐キリストをさす。  ※どちりなきりしたん(一六〇〇年版)(1600)一「御おやデウスのまことの御ひとり子(ゴ)にてましませば也」     やみあかり    病み上がり     縮緬 (ちりめん)    縮 (シュク・ちぢむ・ちぢまる・ちぢめる・ちぢれる・ちぢらす)   (しわをよせて)小さくする。形のつりあいを変えずに小さくする。小さくなる。ちぢむ。ちぢめる。ちぢまる。     褌(タンナ) →褌(ふんどし)    縮弥の褌(タンナ)      ちりめんのふんどし     施入(せにゅう)    布施の物を贈ること。 施しをすること。 また、その物。          

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-15 【巻一 舞御覧(まいごらん)の見物人たち】五十四紙〜五十六 中央公論社 小松茂実編

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-15 【巻一 舞御覧(まいごらん)の見物人たち】五十四紙〜五十六 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十四紙〜五十六

舞御覧(まいごらん)

舞楽を見るため東中門(右手)に集まる人々。

警護の武官や院御所の女房、女、子供、

中には狩衣人々に混じり、束帯の姿も見える。

此時代、舞楽は人々にとって楽しみのひとつであったようだ。

 

 

舞御覧   〘名〙 正月一七日、または一九日    清涼殿の東庭、あるいは紫宸殿の南庭に舞台を設けて舞楽を行ない、天皇がご覧になった行事。《季・新年》    ※続古事談(1219)五「天暦の御時舞御覧の時、此舞はたえたるよし奏しけるを宣旨にてあたらしくつくりてまひたりけれども」     武官    武官(ぶかん)とは、国家若しくは君主から官吏たる軍人に任じられた者又はその軍人の官職をいう。    一般的に終身官とされる。    通常、軍人の職の総称として用いられるが、国家によっては官名として扱う場合もある。       院御所(いんのごしょ)    ① 上皇の御所。仙洞(せんとう)。仙洞御所。霞の洞(ほら)。緑の洞。藐姑射(はこや)の山。   ※台記‐保延二年(1136)一二月一三日「次参二大宮一、御所白河也、院御所也」    ② 上皇の呼称。〔日葡辞書(1603‐04)〕     仙洞御所(せんとうごしょ)    仙洞御所(せんとうごしょ)とは太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇の御所。   仙洞    仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。     霞の洞(かすみのほら)     1 仙人の住む所。     2 上皇の御所。仙洞 (せんとう) 。  「(水無瀬殿ハ)げに千代をこめたる―なり」〈増鏡・おどろの下〉     緑の洞    《仙人が住む洞の意から》上皇の御所。霞 (かすみ) の洞。仙洞 (せんとう) 。      「―、花香ばしきあした」〈新古今・仮名序〉       藐姑射(はこや)の山    ① 〔荘子 逍遥遊〕 中国で、不老不死の仙人が住むという伝説上の山。姑射山こやさん。    ② 上皇の御所を祝っていう語。仙洞御所。        

映画『Charlie's Angels チャーリーズ・エンジェル(2000)』キャメロン・ディアス 

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    映画『Charlie's Angels チャーリーズ・エンジェル(2000)』キャメロン・ディアス 

 

 

原題/Charlie's Angels 制作年/2000 制作国/アメリカ 内容時間(字幕版)/99分 内容時間(吹替版)/99分

 

 久々に、映画『Charlie's Angels チャーリーズ・エンジェル(2000)』を見たが、笑いに笑い、スカッとした。

 これといった筋書きもなく、歌舞伎の様にただただ楽しむ^^

 こういった映画も、好きだな^^

 今回も記録のみにて、失礼いたします。

 

 

監督 マックG 製作総指揮 アーロン・スペリングほか 製作 ドリュー・バリモア 製作 レナード・ゴールドバーグ 製作 ナンシー・ジュヴォネン 脚本 ジョン・オーガスト 脚本 ライアン・ロウ 撮影 ラッセル・カーペンター 音楽 エド・シアマー スタントコーディネート ユエン・チュンヤン

wawaw公式HP ▼

世界的人気を誇ったTVドラマを映画化。美人探偵トリオの活躍を、大スケールのアクション、キュートな魅力、ポップなセンスを詰め込んで描いた痛快編。第2作も作られた。

チャーリー探偵事務所の美人トリオ、ナタリー、ディラン、アレックスと彼女たちのサポート役ボスレーは、ボスのチャーリーからある事件の調査を命じられる。完成間近だったコンピューターソフト《音声追跡システム》とともに消えたコンピューター会社の社長ノックスの捜索だ。同社のライバル社のオーナー、コーウィンがノックスを誘拐したとにらんだナタリーたちだが事態は二転三転し、彼女たちは何者かに命を狙われるように……。

ナタリー・クック キャメロン・ディアス   ディラン・サンダース ドリュー・バリモア   アレックス・マンデイ ルーシー・リュー   ジョン・ボスレー ビル・マーレイ   エリック・ノックス サム・ロックウェル   ビビアン・ウッド ケリー・リンチ   ジェイソン マット・ルブラン   チャド トム・グリーン   チャーリー ジョン・フォーサイス   コーウィン ティム・カリー  

 

 

 

 

 

山崎まさよし HALL TOUR 2017 “The Life I Live”  2017年 横浜

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山崎まさよし HALL TOUR 2017 “The Life I Live”  2017年 横浜

 

山崎まさよし HALL TOUR 2017 “The Life I Live”山崎まさよしデビュー25周年を記念して、2017年に行なわれた全20公演の全国ツアーの様子。wowow

収録日:2017年5月19日

 

 

 午前中、山崎まさよし HALL TOUR 2017 “The Life I Live” を楽しむ。

 ここ2、3年、山崎まさよしのコンサートを見てないので、緊張する^^

 

 せっかくならばとコンサートにいった雰囲気で、2時間40分、体を動かしながら見ていたら、歩数計は見終わった時点で1万歩を超える。

 しめしめと思いきや、夜には首が痛くなった。激痛也^^;;

 

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

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