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東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

十丁裏

斯(かく)て山中といへる建場(たてば)に似たる、爰ハ両側に、茶

屋軒をならべて、「おやすみなさいまァし、くだり

諸白(もろはく)もおざりやァす、もち(餅)よヲ、あがりやァし、いつ

せんめしヲあがりやァし、お休みなさいやァし/\

弥二「きた八、ちつと休んでいかふ、 ト ちゃ屋へ入る、此内のにハにつきたてたる、へつついのまへへ

おもてのかたより、たけのきせるをくはへて、一人のくもすけ、ずつと入り、「おへねへひやうたゝれどもだ、

ある熊や、どぶ八目が、峠まで長持ちでゆつたァな、

 

十一丁表

ひとりのくもすけ「ゑいは、そんざいあびてが、あんどんにげんこ(五十)ハ

ふんだくるべい、この長もちといふハ、六百の事、あびごといふハ、さりての事也、今一人「コレそりやァ

ゑいが、コノやろうが、しやらくを見ろべ、しつかりもん

つきをきァがつた、酒ごもきている雲すけ、「きんによう(昨日)、小田原

の甲州屋で、やらやつと壱まいもらつてきたが、あん

まり裾が長くて、お医者様のよふだとけつかる

丸はだかのくも、「やろうめらァ、工面がゑいから、すきなものをき

やがる、こんぢう(此中)内から、はだかでゐりやァ、がら

 

建場(たてば)

 1 江戸時代、宿場と宿場の間の街道などで、人足、駕籠かきなどの休息した所。

  明治以後は人力車や馬車などの発着所をいう。

 2 人の多く集まる所。たまり場。

 3 位置。たちば。

 4 業者がその日に集めた廃品を買い取る問屋。

諸白(もろはく)

 諸白(もろはく) とは日本酒の醸造において、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名。

 または、その製法で造られた透明度の高い酒、今日でいう清酒とほぼ等しい酒のこと。

 一方、麹米は玄米のままで、掛け米(蒸米)だけに精白米を用いる製法、またはその製法で造られた酒のことを片白(かたはく)という。

 麹米、掛け米ともに精白しなければ並酒(なみざけ)と呼ばれた。

諸白(もろはく)もおざりやァす、

 → 諸白(もろはく)もございます

げんこ(五十)

 ① 固く握った手。

 ② 〔近世、馬子、駕籠(かご)かきなどが用いた隠語〕 五・五〇・五〇〇などの金額。片手

甲州屋

 実家の宿屋か、酒屋。(日本古典文学全集 頭注)

やらやつと

 やっとの事で。(日本古典文学全集 頭注)

裾が長くて

 医者の着る気長い合羽に見立てて(日本古典文学全集 頭注)

 

 

 


『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

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 祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

小松茂実

1977年12月20日

 

『年中行事絵巻』  (大辞林)

 絵巻物。

 平安後期の成立。

 後白河院の命により常盤光長らが制作。

 当時の宮廷での年中行事や民間風俗が描かれている。

 もと六〇巻と伝えられるが焼失、現在は模本一六巻その他が伝わる。

 

『年中行事絵巻』  (日本大百科全書)    絵巻。  平安時代における宮中の儀式や、祭事、法会(ほうえ)、民間の宗教上の風俗など、年中の行事を集めて描いたもの。  平安末期に後白河(ごしらかわ)法皇が六十巻余に及ぶ絵巻を常盤光長(ときわみつなが)を中心に制作させ、藤原基房(もとふさ)に校閲させて蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の宝蔵に収め後世に伝えた。  この原本はしだいに散逸し、残ったものも江戸時代に幾たびかの内裏(だいり)の炎上で焼失した。  現在は失う前に模した模本が伝わり、田中家その他に分蔵される。  これは、1661年(寛文1)ごろ、宮中にあった原本を土佐広通(ひろみち)(住吉如慶(じょけい))が写した白描(はくびょう)模写十六巻をはじめとしたもので、二十四、五巻分の図様を伝えている。  近世の模写とはいえ、平安時代の風俗資料としてきわめて高い価値を有する。[村重 寧] 『新修日本絵巻物全集24 年中行事絵巻』福山敏男編(1978・角川書店)  『日本絵巻大成8 年中行事絵巻』小松茂美編(1977・中央公論社)』

 

後白河院

 第七十七代天皇。後鳥羽天皇の第四皇子。

 母は藤原公実の娘。

 戦乱の世にあり、長く院政をすすめた。

 仏教を厚く信仰。

 東大寺の大仏再建。

 今様を愛す。

『梁塵秘抄』を編纂した。

 建久3年(1192)66歳、歿

 

『梁塵秘抄』

 平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。

 主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。

 記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明である。

「今様」は、その当時として〈今よう〉、つまり現代ふうという意味で名づけられたもの七五調四句の詞型を特徴とし、独唱者が主として鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡ったのではないかと推定されている。

 歌詞集及び口伝集、ともに10巻ずつがあったと推定されているが、歌詞集の巻1の断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。

 成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる。

 現存本では566の今様を長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、今様、法文(ほうもん)歌、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌などに分類して収載している。口伝集には撰述の事情などが記してある。

 平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史音楽史のみならず風俗思想史上にも重要な資料である。

 

常盤光長

 12世紀後半,後白河上皇のもとで活躍し,『年中行事絵巻』や『伴大納言絵詞』の筆者に擬せられる宮廷絵師。

 生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが,後世土佐派の系図において,基光,隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ,当時の能画の第一人者と目された。

 この光長は,後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。

 

藤原基房

 [生]久安1(1145).京都

 [没]寛喜2(1230).12.28. 京都

 平安時代末期の廷臣。

 関白忠通の次男。

 松殿,中山菩提院などと呼ばれた。

 保元1 (1156) 年正五位下となり,権中納言,内大臣,左近衛大将,右大臣を経て長寛2 (64) 年左大臣。

 仁安1 (66) 年後白河院政下で摂政,関白となったが,平氏抑圧を策して平清盛によって治承3 (79) 年解任された。

 のち宮本義仲結んで復活したが,義仲の死後失脚した。

 

土佐広通

 室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の絵所を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。

 1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。

 行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した

 

絵所

 画所(絵所・えどころ)とは、平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ。

 本来は宮廷の絵画・意匠を考案・制作する「所」であるが、鎌倉時代には絵画の需要が多い寺社の工房にも置かれるようになり、南北朝時代には独立した絵師の工房に対しても用いられるようになった。

 

『融通念仏縁起絵巻』

 融通念仏宗の開祖良忍の伝記、同宗の功徳などを描いた2巻本の絵巻物。

 念仏勧進のため正和3年(1314)に最初の作品が成立し、以後広く伝写された。

 南北朝時代に良鎮 (りょうちん) の勧進により制作された「知恩院本」、明徳2年(1391)制作の木版による「大念仏寺本」、この木版本の図様を踏襲した紙本著色の「清凉寺本」(応永年間の作)などがある。

 特に清涼寺本は六角寂済 (じゃくさい) 、藤原光国、土佐幸宏、粟田口隆光ら、当時一流の画家たちが制作に参加しており、室町期の大和絵の貴重な作例として国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

『年中行事絵巻』小松茂実

 もとは12ヶ月全て、宮中腫瘍の年中行事を絵画化

 一年の前半が比較的残る。

 7〜9月、12月がほとんど残ってない。

 

『朝覲行幸』 

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

『朝覲行幸』(日本第百科全書)

 覲は謁見の意で、天皇が親である太上(だいじょう)天皇・皇太后の居所を訪問し拝謁すること。

 朝覲行幸とはそのために行幸、すなわち外出すること。

 嵯峨(さが)天皇の809年(大同4)8月に始まったとされ、平安時代に盛んになる。

 鎌倉時代まで行われたが、以後は下火になった。

 年始の挨拶(あいさつ)として正月の3、4日ごろに行われるのが朝廷の恒例の儀となったが、ほかに践祚(せんそ)、即位または元服のあとに行われる臨時の儀もあった。[酒井信彦]

 

朝覲

 朝覲(ちょうきん)とは、天皇が父母もしくはそれに準じる太上天皇・女院に拝礼すること。

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

朝覲  (大辞林)    ① 天皇が太上天皇や皇太后の御所に行幸し、恭敬の礼をつくすこと。   年頭に行われる恒例の儀と、践祚・即位・元服の後に行われる臨時の儀とがある。    ② 諸侯や属国の主が天子に拝謁すること。   行幸 ( 名 )    天皇がが出かけること。みゆき。   行幸     《名・ス自》天皇のお出まし。みゆき。            

 

乱鳥徒然  大明神様でございまするわぇのう。

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 此処のところ運動がてらジャズやらロックに合わせて、ステップを踏んだり、激しくドラムを叩くそぶりでストレスを発散させていた。

 挙句、スティックぐらいは買おうかと思っていたさなか、腕が痛くなった(><)

 こりゃダメだわと、昨日夫にリコーダーを貸してと頼んだのだが、渋々、短い方の笛を貸してくれた^^

 にゃはは!と言わんばかりの私^^

 でたらめに、ソニー・ロリンズだの、ニール・ヤングだの(どういう組み合わせやのん?!)のりのりで吹いていたが、木笛の滑らかさは全くなく、ピーピー、ピイィ!

 まるで能楽のカケリの始まりのような音を何度も立てていた。

 あらま!

   能楽見たや、歌舞伎見たや!の、大明神様でございまするわぇのう。

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

【巻一 朝覲行幸】一紙

黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)とは、平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束。

「黄櫨染」色の袍(ほう)のことである。

 黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨(はぜ)の樹皮と蘇芳(すおう)から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」等と言われる。

 時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている。

 令和元年(2019)の即位昇段の儀における海外報道の多くでは、その色調はbrown-goldと評され

 

袍(ほう)

 袍(ほう)とは、日本や中国などで用いられる衣服。

 日本においては、朝服の上衣のひとつ。

 武官・幼年用の闕腋袍(けってきのほう。 両わきの袖付けの下を縫い合わせない)と、文官用の縫腋袍(ほうえきのほう。)

櫨(はぜ)

 うるし科

蘇芳(すおう)

 蘇芳(すおう)とは、黒みを帯びた赤色のことで、『蘇方色』『蘇枋色』とも書きます。

 蘇芳とは染料となる植物の名前で、蘇芳の芯にある色素を明礬(みょうばん)や灰汁を使って発色させたものです。

 明礬焙煎では赤に、灰汁で赤紫に、鉄では暗紫になります。

 今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われています。

 

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を真っ黄色に置き換えるっと、

 歌舞伎『蜷川十二夜』の翫雀(現鴈治郎)の衣装だわ^^

 この衣装では、翫雀(現鴈治郎)さん、

「ぼっちぃ(僕)、ぼっちぃ(僕)。」

と連発されていたなぁ^^

 歌舞伎、見たいなぁ^^

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-4 【鳳輩、輿丁、供奉】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-4 【鳳輩、輿丁、供奉】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

【巻一 朝覲行幸】四紙

鳳輩

 神輿は諸説あるが、鳳輦から発展し、神霊が乗ることに特化したものであるという解釈ができる。

 成人男性が1人で持てそうな小型の物から、中に入れそうな大型のものまである。 神輿と鳳輦を合わせて「輦輿」(れんよ)と呼ぶが、定義もさることながら、外見では判断しにくいため、双方とも「神輿」と総称されているのが現状である。

 

輦輿(れんよ)

 轅(ながえ)を肩に当てて移動する輿(こし)。

 

轅(ながえ)〔長柄ながえの意〕

 馬車・牛車ぎつしやなどの前に長く出した二本の棒。    その前端に軛くびきをわたして牛馬にひかせる。 →牛車  

輿丁

 輿(こし)をかつぐ人。こしかき。駕輿丁(かよちよう)。

駕輿丁(かよちょう)

 駕輿丁(かよちょう)は、かつて日本の朝廷に所属し、高貴な人物の載る駕輿(がよ、鳳輦や輿の意)を担ぐことを主たる任務とした下級職員である。

 輿丁(よてい・よちょう)、輿舁(こしかき)ともいう。 平安時代末期(12世紀末)に現れた、寺社等に属する輿を舁く剃髪の者は、力者(りきしゃ)と呼ぶ。

 

供奉[名](スル)   (大辞泉)

1 行幸や祭礼などのときにお供の行列に加わること。また、その人。おとも。
「鳳輦(ほうれん)の前後を守護し美々しく―し給える有状」〈染崎延房・近世紀聞〉

2 《「くぶ」とも》「内供奉」の略

 

供奉[名]    ① (「くぶ」とも) (━する) 物を供給すること。    供えること。供え奉ること。   ※続日本紀‐和銅元年(708)一一月己卯「大甞。遠江但馬二国供二奉其事一」    ② (━する) 従事する、仕えるの意を、その動作の相手を敬っていう語。   お仕え申し上げること。   ※令義解(718)職員「侍医四人。〈掌レ供二奉診候。医薬一〉」    ③ (━する) 天皇の行幸などの行列に供として加わること。   また、供の人々。   ※太平記(14C後)一一「此寺に一日逗留有て、供奉(グフ)の行列還幸の儀式を被レ調ける処に」    ④ (「くぶ」とも) 仏語。宮中の内道場に奉仕する僧。   内供奉(ないぐぶ)のこと。日本では十禅師が兼ねた。   内供(ないぐ)。供奉僧。   ※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「若復、印可紹構者、義明供奉其人也」    ⑤ =供奉僧

 

東海道中膝栗毛 三巻 8 十一丁裏 十二丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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氷室神社

 

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 8 十一丁裏 十二丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

十一丁裏

吉ばゞあがぬかすにや、古傘(ふるからかさ)をやらふから、ひつ

ぺがしてきろとけつかる、べらぼうめ、やらうの猪(しゝ)

じやァあんめいし、そんなもんがきられるもんかといつたら、

すんならこり(是)よヲきろとつて、ゑい(能)、みしろ(筵)を壱まい

うつくれたとおもへ、その みしろ を、きんによう(昨日)のばん

げに、畑(はた)で湯(ゆ)につつぱいるとつて、脱(ぬい)でおいたら

聞きやれ、だいじのきものを、がらゝ おま(馬)にくハれてし

まつたァ、いま/\しい、ねからきた八、このこてやいのはなしをきいていて、大きに、きやうに、やがてこゝをたちいでゝ、

 

十二丁表

ゆくと、長坂大時雨といへるあたり、旅人壱にん、こんのもめん、かつぱを

きて、ふろしきづゝみと、やなぎごりをかたにひつかけたるが、あとになり、さきになり、

たび人十吉「あなた方ハどこでござります、弥二「わつちらァ、ゑどさ

たび人十吉「わたくしもえとでござります、あなた、ゑどハどの辺

でござります、弥二「かん田さ、十吉「かん田にハわたくしもおりまし

たが、どぶかあなた方見ゆたよふだ、神田ハどこでござ

ります、弥二「神田の八丁ぼりで、わつちらが内ハ、とちめんや

弥次郎兵衛といつて、まぐちが廿五間(けん)に裏行が四千間

かどやしきの土蔵づくりで、大造(たいそう)なものよ、十吉「ハァ、その

ゑい(能)

 かいな

 コブナグサの古名。( 連語 )〔近世語〕

 ① 〔終助詞「かい」に終助詞「な」の付いたもの〕   文末に用い、疑問の意をもって確かめる気持ちを表す。   …かなあ。…かねえ。  「十夜の内にしんだ者は仏になるといひますが、定じよう-/浄瑠璃・天の網島 上」    ② 〔「そうかいな」を略した応答語〕   そうですか。そうかねえ。  「『ほつそりすうわり柳腰とさへいふぢやあねえか』   『-。こちやまた風負けせいで能(えい)かと思うた』/滑稽本・浮世風呂 2」   みしろ(筵 むしろ)   1 藺(い)・藁(わら)・竹・蒲(がま)などの植物を編んでつくった敷物。特に藁のを言う。    2 座。席。   みしろ (さんだい 三代)    1 天子・君主・家長など、ある地位の連続した三代。

 2 親・子・孫と続く三世代。

おま(馬)

 うま

 

 舞台『地球ゴージャスプロデュース公演Vol.15「ZEROTOPIA」』 2018、

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イラン アブヤネ

 

   舞台『地球ゴージャスプロデュース公演Vol.15「ZEROTOPIA」』4,6★

 

 岸谷五朗さんと寺脇康文さん監修の舞台『地球ゴージャスプロデュース公演Vol.15「ZEROTOPIA」』をみた。

 筋書きは歌舞伎さながらの展開だが、上手い役者が精一杯に与えられたば年をこなす。

 多くの頑張っておられる役者たちの中で、岸谷五朗さんと寺脇康文さんと柚希礼音さんは神だと感じた。

 持って生まれた役者魂がうまく絡み合っていた。

 岸谷五朗さんと寺脇康文さんと柚希礼音さんは上手いわかっこいいわで、舞台を見ている満足感をあkんした。

 私は、『地球ゴージャス』はとても好きだな^^

 

 今回も大変簡単なか記録で失礼申し上げます。

 

wowow公式HP ▼

岸谷五朗と寺脇康文による演劇ユニット「地球ゴージャス」2018年公演。柚希礼音、西川貴教、新田真剣佑ら豪華俳優陣が集結。宮澤佐江と花澤香菜がWキャストで演じた。

岸谷五朗と寺脇康文により1994年に旗揚げされた演劇ユニット「地球ゴージャス」。“劇団”ではなく、岸谷と寺脇以外のメンバーは固定せずにゲストを迎える“プロデュース公演”というスタイルで作品を上演する。15作目となる今回の公演で描かれるのは、沈没した豪華客船から生き残った男女に待ち受ける運命。地図にも載らない島に流れ着いた人々は、ユートピア(理想郷)へ向かうのか、それともディストピア(地獄郷)へ向かうのか。「生」という普遍のテーマを題材にしたエンターテインメント。
キャストは、元宝塚歌劇団星組トップスターで、「お気に召すまま」「マタ・ハリ」など舞台を中心に活躍している柚希礼音と、ソロプロジェクトT.M.Revolutionのミュージシャンとして知られ、舞台「ヴェローナの二紳士」や「ロック・オブ・エイジズ」でも名演を見せる西川貴教の2人が主演を務める。さらに、ドラマや映画で大注目の若手俳優で、ハリウッドでも活躍している新田真剣佑が出演。また、宮澤佐江と花澤香菜がWキャストで演じ、それぞれが出演した公演を放送する。

 

 岸谷五朗と寺脇康文による演劇ユニット「地球ゴージャス」2018年公演。

 柚希礼音、西川貴教、新田真剣佑ら豪華俳優陣が集結。宮澤佐江と花澤香菜がWキャストで演じた。

 岸谷五朗と寺脇康文により1994年に旗揚げされた演劇ユニット「地球ゴージャス」。

 “劇団”ではなく、岸谷と寺脇以外のメンバーは固定せずにゲストを迎える“プロデュース公演”というスタイルで作品を上演する。

 15作目となる今回の公演で描かれるのは、沈没した豪華客船から生き残った男女に待ち受ける運命。

 地図にも載らない島に流れ着いた人々は、ユートピア(理想郷)へ向かうのか、それともディストピア(地獄郷)へ向かうのか。

「生」という普遍のテーマを題材にしたエンターテインメント。


 キャストは、元宝塚歌劇団星組トップスターで、「お気に召すまま」「マタ・ハリ」など舞台を中心に活躍している柚希礼音と、ソロプロジェクトT.M.Revolutionのミュージシャンとして知られ、舞台「ヴェローナの二紳士」や「ロック・オブ・エイジズ」でも名演を見せる西川貴教の2人が主演を務める。

 さらに、ドラマや映画で大注目の若手俳優で、ハリウッドでも活躍している新田真剣佑が出演。

 また、宮澤佐江と花澤香菜がWキャストで演じ、それぞれが出演した公演を放送する。

 

 


『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-5 【承明門(じょうめいもん)】五紙 中央公論社 小松茂実編

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-5 【承明門(じょうめいもん)】五紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 承明門(じょうめいもん)】五紙

承明門(じょうめいもん)

 『年中行事絵巻』

  日本絵巻大成では、じょうめいもん、

  ウィキペディアでは、しょうめいもん

 承明門(じょうめいもん)は、平安京内裏の内郭門の1つ、または京都御所の門の1つ。 「南面内門」とも。

 

承明門(じょうめいもん)(国語大辞典) 

 内裏(だいり)紫宸殿(ししんでん)の正面にある内門。  内郭の南面中央にあり、外郭の建礼門に対する。    ※内裏式(833)上卯日献御杖式「開二承明門一〈相対開レ之〉先共北面立二門内檀下一」     承明門(じょうめいもん)の屋根は、檜皮葺(ひかわぶき)  『年中行事絵巻』     檜皮葺(ひかわぶき)  (日本大百科全書)    檜(ひのき)の樹皮、すなわち檜皮を葺き材料とした屋根葺き方法をいう。    垂木(たるき)の上にこれと直交する方向に一定間隔で桟を打ち、その桟に釘(くぎ)や縄を用いて止めていくが、檜皮は密に重ねられ、その総厚が30センチメートル以上に及ぶことも珍しくない。    棟は普通の瓦(かわら)葺きと同じく棟瓦(むながわら)、のし瓦、鬼板を使って収めることが多い。優美な外観となるが、同じ植物性材料とはいいながら、茅(かや)や藁(わら)に比して高価につくので、宮殿、神社、仏寺などに広く用いられても民家ではめったにみられない。    檜皮葺きをもつ著名な建物としては京都御所の紫宸殿(ししんでん)、清涼殿などの主要殿舎があるが、同じ御所内でも付属屋にはむしろ瓦葺きが多用されている。    これは、貴人の住居には中国風の瓦を避け、植物性材料を用いる古代以来の風習によるものと思われる。    なお仏寺では吉野山蔵王(ざおう)堂が檜皮屋根をもつ最大の建物である。
 檜皮葺き屋根の耐用年数は15年程度とされるが、檜皮の採取や葺き上げには特殊な技術を要し、かつ森林資源保護の見地からも今後その供給が危ぶまれ、巨大な遺構の修理に支障のおこることが懸念されている。    ただし可燃性材料であるので、市街地における一般建築への適用は法規で禁止されている。[山田幸一]   檜皮葺(ひかわぶき)    神社や寺をお参りすると、檜皮葺(ひかわぶき)を見ることが多い。    春日大社などの様に、檜皮の寄付を募っておられる所を度々見かける。

 

平安京内裏の内郭門  (日本大百科全書)

 宮城(大内裏)の中で天皇の住む一画。

 皇居。

 難波(なにわ)宮、藤原宮、長岡宮、平城宮などは発掘調査されているが、平安宮はほとんど未調査である。

 しかし各種の古図や江戸時代の有職故実(ゆうそくこじつ)家裏松光世(うらまつみつよ)(固禅(こぜん))が残した詳細な考証書『大内裏図考証(だいだいりずこうしょう)』などによって殿舎の配置・規模などはある程度わかる。

 内裏は平城宮までは朝堂院(大内裏の正庁)の真北にあり、長岡宮、平安宮では朝堂院のやや東に移された。

 これは公的な朝堂院と、天皇の私的な居所を分離したものであろう。

 しかし、律令(りつりょう)体制の変質によって、この平面の変化がかえって内裏を政治の中心的な場とし、朝堂院は儀式の場としての性格を強めることになった。


 平城宮の内裏として確認されているのは、宮城東寄りの壬生(みぶ)門――朝堂院の北に位置し、第二次内裏といわれた所である。

 築地(ついじ)回廊に囲まれた、1辺約180メートルの正方形の地域で、南側には東西9間、南北5間の正殿(平安宮の紫宸(ししん)殿にあたる)などを回廊で囲んだ一画があり、公の宴などが催されたりした場所である。

 北側は正殿より少し小さめの殿舎の周囲に建物が配され、天皇が起居する私的な区画であった。

 正殿などの殿舎は檜皮葺(ひわだぶ)きで板敷きのものが中心となっていた。

 内郭(築地回廊が囲む区域)の外側をさらに築地で囲み、これを外郭という。

 広い意味の内裏はこの全体を含み、内郭と外郭の間に、天皇の日常生活と関係の深い官衙(かんが)(官庁)があった。
 

 長岡宮(京都府向日(むこう)市)では、朝堂院の東方に内裏が確認されている。

 平城宮と同様外郭が存在しており、内郭は1辺約160メートルの正方形で築地回廊に囲まれ、その南中央に正殿が位置していた。

 正殿などの柱は抜き取られて、平安京の造営に使用されたらしい。


 平安宮の内裏は大内裏の中央東寄り、朝堂院の北東にあった。

 築地の外郭は東西113丈(約342メートル)、南北100丈(約303メートル)ともっとも大きい。

 東部に築地回廊で囲まれた内郭、その北に蘭林坊(らんりんぼう)、桂芳(けいほう)坊、華芳(かほう)坊、西に中和院(ちゅうかいん)、内膳司(ないぜんし)、采女町(うねめまち)があった。

 内郭は東西57丈(約173メートル)、南北72丈(約218メートル)で、南側中央に位置する紫宸殿と、その南にある4殿が公的な部分であり、北側に清涼(せいりょう)殿など天皇の私的な殿舎があった。

 その北が皇后・女御(にょうご)などの居所がある後宮で、建物は檜皮葺き、素木(しらき)(白木=木地のままの木材)造、板敷きであった。

 このように南北に公私を分け、左右対称に殿舎を配する形態は平城宮でもみられたが、各建物を廊で結んだのが平安内裏の特色である。
 

 794年(延暦13)の平安遷都でつくられた内裏は、約160年後の960年(天徳4)に全焼、ただちに木工寮(もくりょう)、修理職(しゅりしき)と27か国に造営を分担させ、翌年完成した。

 その後、火災の頻発により、一条殿などの里内裏(さとだいり)が現れ、平安後期になると天皇は日常は里内裏に住み、儀式のときに内裏に帰るようになり、初めから里内裏として造営される邸宅もあった。


 鎌倉時代も同様で、本来の内裏は1227年(安貞1)焼亡したのちは再建されていない。

 建武(けんむ)の新政で大内裏再建が計画されたものの中止され、南北朝以後は鎌倉末期につくられた土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が、内裏として固定する。

 ここは規模も小さく、構成なども平安内裏とはかなり異なっていた。

 近世に入って規模が拡大され、江戸後期の1788年(天明8)の火災後、紫宸殿、清涼殿などが平安内裏を復原して造営され、1854年(安政1)に焼亡したがすぐ再建され、1869年(明治2)の東京遷都まで皇居であった。

 現在の京都御所がこれである。[吉田早苗]

 

内裏

 内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。

 都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所である内裏があった。

 

 

 

映画『Kill Mode サイキッカー 超人覚醒』2019 オランダ

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京都 鉾町の屏風祭

 

 

  映画『Kill Mode サイキッカー 超人覚醒』2019 オランダ

 

 

 あははは は^^

 場面場面の音楽は、かなり良かった^^かな。

 

 時々昭和中頃の映画かなと思えるくらい古い手法をわざと使っておられたり、また、色彩のコントラストを上げすぎて、緑が強かったかと思えば単調なグレーでむきしつさうを表現したり、2019年としては帰って真新しい斬新な画面展開され、タイムマシンで時代が遡り、小、中学生のことに戻った様な錯覚に陥ることができ、嬉しかった。

 最後は映画の文法の手法の一つ、「繰り返しのパターン」で幕を閉じるが、そこに置ける政府や製薬会社の意味合いは大きい。

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします^^

 

 

オランダで作られたノンストップSFアクション。ウイルスによる謎の“病”が蔓延する近未来。治療薬を独占する巨大企業に抵抗する市民たちは、命懸けの死闘を繰り広げる。

2022年。治療困難な“病”をもたらすウイルスにより大勢が命を落とすが、治療薬を開発した企業“カンパニー”は、高価な治療薬を売って莫大な利益を得る。それから8年後、“カンパニー”に抵抗するデヴィッドら市民集団は、圧倒的武力を誇る当局の軍隊に取り締まられていたが、“カンパニー”は“病”の根治薬を隠し持つという情報を得て、その施設に潜入。そこにはなぜか、デヴィッドと8年前に生き別れた少女モリーがいた。   原題/Kill Mode 制作年/2019 制作国/オランダ 内容時間(字幕版)/98分   監督 タイス・ムーウェーゼ 製作 タイス・ムーウェーゼほか 脚本 タイス・ムーウェーゼ 撮影 ジャスパー・ヴァーカート

 

役名 役者名 デヴィッド デイヴ・マンテル モリー ユリア・バテラーン アレックス ヤスミン・ブレイク  

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-6 【建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )】五、六紙 中央公論社 小松茂実編

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-6 【建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )】五、六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )】五、六紙

 建礼門(けんれいもん)は、平安京内裏の外郭門の1つ、または、京都御所の門の1つ。

 

 平安宮内裏外郭の南正面にあり、内郭の承明門(じょうめいもん)と相対する。

 東西の築墻はそれぞれ39間で、その両端に春華門および修明門があり、門外の東西に仗舎を設け、舎前に炬火を焼き、左右の兵衛がこれを警固した。

 

 白馬節会(あをうまのせちゑ )がこの門前で行われた事から「青馬陣」ともいい、内裏の南にあるから「南端門」ともいい、外郭にあるから「外門」ともいい、「南面僻仗中門」ともいった。

 

構造としては檜皮葺(ひわだぶき)、切妻屋根の角柱の四脚門である。

京都御所南面正門は建礼門である。

現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされ、御所一般参観時にも開門されることはないが、間近で見学することはできる。  (ウィキペディア)

 

【白馬の節会】あをうま-の-せちゑ   (古語辞典)

 正月七日、左右の馬寮(めりよう)から二十一頭の「あをうま」を庭に引き出し、年中の邪気を除くとしてそれを天皇がご覧になって、そのあと宴を行った儀式。

 

【白馬の節会】

「白馬」と書いて、なぜ 「あおうま」と云うのか?

「あをうま」は、初めは青毛、または青みをおびた灰色の毛の馬であったが、醍醐(だいご)天皇のころから白馬に変わった。

 

 

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-7 【待賢門(たいけんもん)、宮城十二門】十三〜十六紙 中央公論社 小松茂実編

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-7 【待賢門(たいけんもん)、宮城十二門】十三〜十六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 待賢門(たいけんもん)、宮城十二門】十三〜十六紙

待賢門(たいけんもん)  (大辞林)

 平安京大内裏の外郭十二門の一。

 大内裏の東面の中央にある。郁芳門の北、陽明門の南。中御門なかみかど。 →大内裏

 

大内裏 (たいだいり とも云う)

 天皇の居所である内裏を中心として朝堂院や諸官庁を配置した一郭。

 多く平城京・平安京についていう。

 都の中央北に位置し、大垣に囲まれる。

 平安京大内裏は南北四六〇丈(約1394メートル)、東西三八四丈(約1164メートル)を占める。

 宮城。

 

宮城十二門(陽明門から時計回り)

 十二門  (大辞林)

 平安京大内裏の外郭にある一二の門。

 陽明門(東側)

 待賢門

 郁芳門

 美福門(南側)

 朱雀門

 皇嘉門

 談天門(西側)

 藻壁門

 殷富いんぷ門

 安嘉門(北側)

 偉鑒いかん門

 達智だつち門。

 

 

映画『No Reservations 幸せのレシピ』2007年 アメリカ 4,3★

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  映画『No Reservations 幸せのレシピ』2007年 アメリカ 4,3★

 

原題/No Reservations 制作年/2007 制作国/アメリカ 内容時間(字幕版)/105分 ジャンル/ラブロマンス/青春

 

  映画『No Reservations 幸せのレシピ』を見た。

 周りからは完璧主義者であった女性が諸々の経験を重ね、時を経て変わりゆく女の一生を描く感動作と書けばいいのだろうが、この映画はそんな屁理屈抜きで、幸せになれる。

 半ばをすぎ後半になる辺りから、幸せの涙が押し寄せ、その波は最後まで止まらなかった。

 

 シェフ、ニックがプライパンをカンカンカンカン叩いての

‘Pancake time〜〜〜♪

の言葉は、今も耳に残っている^^

 

 素晴らしく幸せな気持ちにさせる秀作

 この映画は好きだな(*^^*)

  

 

 

 以下はwowow kousiki HPより ▼

 2001年のドイツ映画「マーサの幸せレシピ」をC・ゼタ=ジョーンズ主演でリメイク。

 完璧主義者だった女性シェフが、生き方を見つめ直す姿を綴るハートウォーミング作。

 

 ニューヨークきっての人気高級レストラン“22ブリーカー”の料理長を務めるケイト。

 妥協を許さぬ完璧主義のせいで周囲と衝突することも辞さない彼女だったが、ある日姉が不慮の交通事故で急死したことから、遺された9歳のめいゾーイを引き取って一緒に生活することに。

 そのうえ、これまで彼女の独壇場だった厨房にもノンシャランとしたシェフ、ニックが現われて彼女の聖域を侵し始め、ケイトのいらだちは募る一方だったが……。

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-8 【突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙 中央公論社 小松茂実編

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-8 【突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙

 

 街並みの中には、見物客でごった返している。

 家の中には、一献交わして、酒に浮かれている。

 踊る人々。

 突然走り出した二両の車。

 馬は嗎き、人々は驚いて車にひかれぬように避ける。

 

 この場面は面白い^^

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-9 【行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙 中央公論社 小松茂実編

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祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-9 【行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙

褐衣の舎人

 褐衣(かちえ)

 褐衣(かちえ)・褐襖(かちあお)は、日本古代から中世にかけて、地下武官や左右近衛の随身(ずいじん)、鷹匠が用いた上着で狩衣(かりぎぬ)の一つ、および武家装束。

 

 舎人(とねり)《「との(殿)い(入)り」の音変化かという》

 1 古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者。

 2 律令制で、皇族や貴族に仕え、護衛・雑用に従事した下級官人。

  内舎人・大宮人・東宮舎人・中宮舎人などがあり、貴族・下級官人の子弟などから選任した。大宮人

 3 牛車 (ぎっしゃ) の牛飼いや乗馬の口取り。

 4 宮内省式部職の判任名誉官。式典に関する雑務に当たった。宮内省式部職

 

 式部職

 ① 宮内省の一部局。1884年(明治17)式部寮を改称して設置。宮中の祭典・礼式・交際・雅楽などをつかさどる。

 ② 宮内庁の一部局。皇室の儀式・交際・翻訳・狩猟・雅楽のことにあたる。        大路に面する家々の前には、門松が立てられている。    門松は今現在のように竹の三本に松や南天などを合わせて祀るのではなく、松の木そのものが地面に植えられている。      門松    松は冬でも青々とした常緑高木で新しい生命力の象徴となっている。    神様が宿ると思われてきた常磐木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきた。

 一説には唐代にみられた正月に松の枝を門に飾る風習が平安時代に日本に伝わったという(ただし中国で正月に松を飾る地域は限られている)。

 平安時代の宮中では「小松引き」という行事が行われた。

 これは、初子の日に外出して松の小木を引き抜くという貴族の遊びで、持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣があり、門松はこれが変化したものと考えられている。

 現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られる。

     

市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』 作/近松門左衛門 三代目:猿之助 右近(三代目) 玉三郎

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東大寺

 

 

  市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』 

 

『日本振袖始』

 作/近松門左衛門 

 演出/三代目 市川猿之助 

 美術/金井俊一郎 

 照明/吉井澄雄 

 振付/藤間勘吉郎

 


 岩長姫、実は八岐の大蛇/三代目 猿之助

 素さのおの鳴尊/右近 現三代目市川右團次

 稲田姫/玉三郎

 平成12年2月13日より20日

 国立大劇場

 

 

 歌舞伎『日本振袖始』を見た。

 右近(現右團次)さんが素敵で、彼が出てくる場面は二度見た。

 真似たくなって、二度目はひらひらドタドタ踊ったり刀を振りかざしたり見得を切って見たが、所作が難しすぎる。

 膝を炒めなかったから良かったとほくそ笑む。

 

 仁左衛門さんに加え、右團次さん、玉三郎さんのお舞台も見たいなと心底思った。

 ああ!芝居が見たいなぁ〜〜〜!

 そして近松も読みたいなぁ〜〜!

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』 近松門左衛門作

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『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』 近松門左衛門作

 市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

P. 387

1オ

 

  日本振袖始 近松門左衛門

序詞

天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

 

 

神御衣(かんみぞ)

 《「かむみぞ」とも》神の着用する衣服。また、神にささげる衣服。かんみそ。

 

和妙(にぎたへ にきたへ)

 《後世は「にぎたえ」とも》織り目の細かい布の総称。また、打って柔らかくしてさらした布。にこたえ。→荒妙(あらたへ)

 「片手には木綿(ゆふ)取り持ち片手には―奉(まつ)り」〈万・四四三〉

 

荒妙(あらたへ)〘名〙

 ① 上代、織り目のあらい織物の総称。   一般に、藤、カジノキなどの木の皮の繊維で織った粗末な布をいう。⇔和妙(にぎたへ にきたへ)   ※万葉(8C後)五・九〇一「麁妙(あらたへ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてにかくや嘆かむせむすべをなみ」    ② 中古以降、麻織物のこと。   ※延喜式(927)七「阿波国忌部所レ織麁妙服(あらたへ)〈神語所レ謂阿良多倍是也〉」   ※即興詩人(1901)〈森鴎外訳〉謝肉祭「常の衣の上に粗𣑥(アラタヘ)の汗衫(じゅばん)を被りたるが」     髻(おんもと)    (新選語林)    髻(ケイ、キツ、キチ)  もとどり、たぶさ  髪を頭場で束ねたもの       頸 (ケイ、キョウ、)   (新選語林)    くび、のどくび、首の前の部分  喉頸(のどくび)     玉手玉足    手足で軽々と取り扱う。自由自在にもてあそぶ。    ※浄瑠璃・箱根山合戦(1660)四「犬ののどくび、ひっくわへ、一ふり二ふりふりけるが、後にはあしだまてだまに取、ついには犬をくひころし」     秋津民    東村山 秋津の民     ちはや振袖    在原業平が屏風絵を見て詠ったと云う、奈良竜田川の歌  ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは     戈    1 両刃の剣に長い柄をつけた大昔の武器。  「―をおさめる」(戦いをやめる)    2「鉾山車(ほこだし)」の略。ほこを立てて飾った山車(だし)。山鉾(やまぼこ)。     たいらけく   【文語】ク活用の形容詞「平らけし」の連用形。    平らけし(穏やかだ。 無事だ。)     御(しろしめ)す    1 領有なさる。統治なさる。▽「知(領・治)る(=治める)」の尊敬語。     出典古今集 仮名序「天皇(すべらぎ)の、天(あめ)の下しろしめすこと」     [訳] 天皇が天下を統治なさることが。

 2 知っていらっしゃる。ご存じである。▽「知る」の尊敬語。

  出典平家物語 九・木曾最期「さる者ありとは、鎌倉殿までもしろしめされたるらんぞ」

  [訳] そういう者がいるとは、鎌倉殿までもご存じでいらっしゃるであろうぞ。◆「しらしめす」の変化した語。     天照大臣(てんせうだいじん)    天照大神(あまてらすおおみかみ)を音読した語。    天照皇大神。    ※金刀比羅本保元(1220頃か)上「天照太神(テンセウダイジン)四十六世の御末、神武天皇より七十四代にあたり給へる御門也」     天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)   (日本大百科全書)    瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)    天照大神(あまてらすおおみかみ)の子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の女(むすめ)である  栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)(記、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきづしひめのみこと))をめとって生まれた子で、稲穂の豊饒(ほうじょう)を示す穀霊神。    天孫降臨神話、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の神話、火中出産神話の主人公だが、このうちで木花開耶姫の神話は、降臨した尊を笠狭崎(かささのみさき)で迎えた鹿葦津(かしつ)姫(吾田津姫(あたつひめ)ともいう)との聖婚のあとに挿入した別話である。    火中出産神話は、聖婚によってはらんだ御子(みこ)を国神(くにつかみ)の子と疑われた鹿葦津姫が、天神(あまつかみ)の子ならば災いなしと誓約(うけい)をたてて、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(海幸(うみさち)・山幸(やまさち)神話の主人公)以下の子を無戸室(うつむろ)の産屋(うぶや)を焼き火中で出産する神話である。[吉井 巖]    

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』2  近松門左衛門作

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『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』2  近松門左衛門作

 市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

 

 『日本振袖始』

 『近松門左衛門全集』の原寸大

 『近松門左衛門全集』より第十巻では上の大きさくらいで下の方に1〜2頁づつ、載せてあります。

  原本はもっと大きい。

  文字が小さく非常に読みにくい^^

  大きくすると、大変読みやすいです。

 

 P. 387

 1ウ

 ヲロシ

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお ママ)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

ヲロシ

 浄瑠璃の合図となる節回し

「ヲロシ」「ハル」「ウ」など、浄瑠璃の合図となる節回し

 

日の神

 太陽神。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)をさす。  (大辞林)

「 -ながく統を伝へ給ふ/正統記 序」

正統記(神皇正統記 じんのうしょうとうき)  (大辞林)

 歴史書。六巻。北畠親房著。1339年成立。

 1343年改訂して後村上天皇に献じた。

 独特の神国論に基づいて、神代から当代に至るまでの天皇の事績、歴史の推移を述べ、南朝の正統性を論じる。

 

八咫(やた)の鏡  (三種の神器)  (世界大百科事典)

 天照大神(あまてらすおおみかみ) 

 …天皇家と諸氏族の支配服従関係は擬制血縁関係をもって表現されていたからである。

 伊勢神宮には三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)がまつられている。

 この鏡は,ニニギ降臨の際,アマテラスが太陽神にふさわしくみずからの御魂代として授けたものである。…

三種の神器     (大辞林)

 ① 皇位のしるしとして伝えられている三つの宝物。

     八咫やたの鏡

     草薙くさなぎの剣(天叢雲あまのむらくもの剣)

      八尺瓊やさかにの勾玉まがたま。

      みくさのかんだから。

      みくさのたからもの。

  八咫やたの鏡、草薙くさなぎの剣(天叢雲あまのむらくもの剣)までは有名

 ② 三種の代表的な必需品。   神勅(しんちょく)     (大辞林)    ① 神のお告げ。  ② 天照大神が皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を下界に降す際に、八咫鏡(やたのかがみ)とともに授けたことば。     伊弉諾の尊  (伊邪那岐 伊弉諾 伊耶那岐)(日本国語大辞典)   (古くは「いざなきのみこと」か)

 記紀などに見える神。

 国生みを行なった男神。

 神代七代の最後の神。

「古事記」によれば、天神の命で、伊邪那美命とともに大八洲(おおやしま)の国をはじめ、山川草木や万物を司る神々を生み、最後に天照大神、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を生んで、治めさせる国々を定めた。

「日本書紀」本文では天神の命はなく、国生み・神生みは二神の意志による。

伊弉諾の尊   (日本国語大辞典)

 (1)イザはイザナフの語根。

  ギは男性を示し、イザナミのミは女性を示す

 〔古事記伝・野乃舎随筆・日本の神話=松本信広〕。

 (2)イサは、功徳を意味するイサヲの語根イサであろう。

  キなどのK系のことばは男、ミなどのM系のことばは女を表わす

 〔神代史の新研究=白鳥庫吉〕。

 (3)梵語のイシャナテン(伊舎那天)、イシャナクウ(伊舎那后)からか〔神皇正統記〕。掬

 

十握の宝剣

 十握 十束 十掬 十拳(とつか)の宝剣

 十束剣(とつかのつるぎ)は、日本神話に登場する剣の総称。

 十握 十束 十掬など様々に表記される。(ウィキペディア)

十握の宝剣

 様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。

 記紀ではアマテラスとスサノオの誓約の場面などで記述される。

 ここでは固有名詞の「十束剣」とだけ記述される(古事記では、スサノオが持っていた十拳剣を物実としてアマテラスが口に含みかみ砕き息から3柱の女神(宗像三女神)を産んでいる)。

 

素戔嗚(そさのお)

 スサノオ

 

神璽(しんじ)

 璽  (ジ)  (大辞泉)

 1 印章。特に、天子の印章。
 2 三種の神器の一。八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)。
 「剣、―、内侍所わたし奉らるるほどこそ」〈徒然・二七〉

 

礼知

 仁・義・礼・智・信

 儒教において重んじられる五つの徳。

 五常。

 

 

  日本振袖始 近松門左衛門

序詞

天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-10 【巻一 院御所(法住寺殿)、窠文(かもん)他】三十四〜四十紙 中央公論社 小松茂実編

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 『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-10 【巻一 院御所(法住寺殿)、窠文(かもん)他】三十四〜四十紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 院御所(法住寺殿)】三十四〜四十紙

 院御所(法住寺殿)の寝殿の南面。    窠文(かもん)を表した縄張り。        寝殿は南廂(みなみびさし)から周縁(まわりえん)の簀子(すのこ)    院司で主上到着を法皇に奉上して戻るところ。               院御所(法住寺殿)  1 上皇の居所。仙洞 (せんとう) 。藐姑射 (はこや) の山。  2 上皇の呼称。   法住寺  法住寺(ほうじゅうじ)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。後白河法皇ゆかりの寺である。     窠(カ)    巣。鳥や獣の巣。地中にある巣。  穴。くぼんだ穴。  部屋。家。   窠文(かもん)    元来動物の穴巣を意味している。    転じて円形の区画を穴巣に見立てて、そのなかに唐花(からはな)が入っている文様を窠文(かもん)という。    またその形が瓜(うり)を輪切りにしたときの断面に似ているので、木瓜文(もこうもん)とよぶ場合もある。    元来中国の唐代、朝服に用いられた文様の一つであったが、奈良時代に日本に伝わり、のちに公家(くげ)の有職(ゆうそく)文様となる。    この文様は、単独に使用される場合と、霰(あられ)の地文と結び付いて、窠に霰文様となる場合がある。    後者は中世以後の表袴(うえのはかま)や裳(も)に多く使用される。[吉村元雄]     南廂(みなみびさし)   (大辞林)    清涼殿の南庇みなみびさしにある、殿上人の詰め所。院の御所にもあった。殿上。   南廂(みなみびさし)   (日本大百科辞典)    清涼殿の南廂(みなみひさし)をいう。    殿上人はここに控え、上の戸から東廂の御前に参進した。    常には蔵人が詰めており、また、公卿の僉議(せんぎ)も行なわれた。    清涼殿の控室・事務室・会議室を兼ねた所で、台盤(だいはん)、出御の際の椅子(いし)、殿上の簡(ふだ)、鳥口(とりぐち)の文杖(ふづえ)などがおかれている。  殿上。    ※侍中群要(1071か)五「候二殿上之間一大臣被二参来一者、起座レ隠去」     主上     天皇を敬っていう語。 おかみ。 至尊。     法皇    現在の天皇を指す意味で、今上天皇(きんじょうてんのう)と呼ぶこともあります。    上皇とは太上天皇の略で、天皇の位を後継者に譲った天皇の称号です。    太上天皇のことを「院」と呼ぶこともあり、平安・鎌倉時代にあった「院政」とは、この呼名からきています。    法皇とは太上法皇の略で、出家した太上天皇に送られる称号です。      

映画『東京喰種 トーキョーグール』2017 萩原健太郎監督 窪田正孝 千眼美子 村井國夫 坂東巳之助 大泉洋他

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   映画『東京喰種 トーキョーグール』2017 萩原健太郎監督 窪田正孝 千眼美子 村井國夫 坂東巳之助 他

 

制作年/2017 制作国/日本 内容時間/120分 監督 萩原健太郎 脚本 楠野一郎 撮影 唐沢悟 音楽 ドン・デイヴィス 金木研(カネキ) 窪田正孝 霧嶋董香(トーカ) 千眼美子 亜門鋼太朗 鈴木伸之 笛口雛実(ヒナミ) 桜田ひより 神代利世(リゼ) 蒼井優 真戸呉緒 大泉洋 芳村 村井國夫

 

 以前、続編 映画『東京喰種 トーキョーグールS』(https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/a93aff0a225f880120396b31b8127a4c)を見たが、あまり面白さがわからなかったと思ったら、前編があったんだね^^

 今回は言いたいことがよくわかった。

 また、今回は、窪田正孝の表情が渋かった。

 蒼井優が初っ端に出てこられたが、事の外、はまり役で素晴らしかった。最後には西太后かと思わせる表情。見直した^^

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます^^

 

 

 以下はwowow公式HP ▼

 窪田正孝が、悩み苦しみながらも成長するダークヒーローを演じるホラーアクション。人間と“喰種(グール)”という2つの世界を知った青年がヒーローとして覚醒する。

 石田スイの人気漫画を、CM、MV、ショートフィルムなどを手掛けてきた萩原健太郎が初映画監督作として実写映画化。主人公が悩みながらもヒーローとして成長する姿は昨今のアメコミ原作映画を思わせ、また劇中にはさまざまな名作映画を連想させるような場面が多く、映画ファンなら思わずニヤリとするような仕掛けが見どころだ。原作者からのラブコールを受けて主人公を演じた窪田、スタイリッシュなアクションに挑んだ千眼美子(清水富美加)、初の悪役となった大泉洋も要注目。後に続編「~【S】」も作られた。

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