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金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

五丁裏 

ひやくしやうの仙人、いちやづけめしの

さいになる、けうの おの大こんをつくらん

と、まづ大こんのたねをまゝ、此たね

をまゝまでにも、はたけをかない

こやしをかけ、大こんになるまでのしん

くハさらにたとへがたし、

 

五丁裏 

又、ちゃつみの仙人ハちやづけのに

ばなになるちやをつむ、これも

ちやになるまでのしんくいか

ばかりか、しれず

 

五丁裏

「ちやつみの女中にみとれて

 おもハずちやの木にだき

 ついた そゞろな人さん

 じや チンツ チャン/\

 などゝちや

 つみの仙

 女、ごう

 せへに

 かく

 

五丁裏

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 わがいほハ

 

六丁表 

  みやこの

  ちやつみ

 しるぞ

 すな

 よう

 うち/\と

 らち

 のあ

 かぬこ、

 たぞ

 じれつ

 てへそ

  よウ

 

六丁表  

「おさる 

  さん、

 かんぶつ

 のちつたま

 めぞうを

 こるやうに

 ざるを

 もつて

  まご/\

  しなさんな

 

五丁裏 中

   「たねから大こを

    とらヤァ/\

    なむこう

    たんのうと

    にんげんに

    きこへれ

    ば、いく

       が

 

けうの おの大こん

 京の小野大根か?

 

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 

 「早くこっちへ喜撰法師」

 「早くこっちへ来せん法師」

 きせん(掛詞)

 

  喜撰法師

 伝不詳。宇治山に住んだ僧ということ以外、確かなことは判らない。

 いわゆる六歌仙の一人で、古今集仮名序には

「ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず」

と評されている。

『元亨釈書』には「窺仙」なる僧が宇治山に住んで密咒をなし、長生を求めて仙薬を服し、あるとき雲に乗って去って行った旨書かれている。

 また『孫姫式』には「基泉」の作が載るという(『古今和歌集目録』)が、いずれも喜撰と同一人物かどうか判らない。

 歌は古今集の一首以外たしかなものは伝わらない。

 歌学書『喜撰式』の著者と永く信じられていたが、今日この書は平安中期の偽書とみる説が有力視されている。

   題しらず   喜撰法師

   わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今983)

 喜撰法師は宇治山に住んだ僧であり、『金々先生造化夢』のここでは、茶摘みの話と挿絵を用いている。

 宇治は現在も有名茶所で、黒い風通しの良い布で直射日光を遮って茶を育て、玉露を作っている。

 

 

 


金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

六丁裏 

きん/\せんせいにくハすべき

ちやづけのとうぐ、まつ

大ていソロいけれども、まだ

たい一のこめかなけれバ

ひやくしやうの仙人まつ

田へタネをおろす、これ

こめをくるまゝ、あき

のじよ、ひらきけり、

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

「仙人のおやかた、きん/\

 せんせいとともなハ此

 ていを見せる、

「あれ、かたき

 まに くらせる

 ちやづけのめしに

 なるのだ、

 きん/\先生曰、

「もはやわたくしも

 おまへかたのきのながさに

 ハ あきれかへつて、はらが

 ヘリとをして もう へい

 きでこさります、しる

 し まだ ひもじいきのせい

 

七丁表

 かして、わたしがめにハおまへ

 のころもが、この先、せんへいの

         やうにみへ

            ます

 

七丁表

それ

より

女房

仙人

かゝあ

仙人

よめ

仙人、ば

ばあ仙

人、うちま

じり、田を

かへる、これ

までの

しんく

中/\

ひつしに

のべがたし、

はいかいし

ていはといへるか、勺に

「さおとめの よるもそろへて

 いひきかな

といへるも、ひるのくさ、ひれし

さまみへて、まことそのしんく思ひやらる也

 

六丁裏 下

   仙人のおやかた

   にハざよらく

   がもんのやう

   子しる

   し

   と

   つ

   け

   て

   お

   かねバ

   たゞの

   仙人と

   まち

   がふ

   やつ

   さ

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

 「此の種蒔きは過ぎし頃と、百姓が河東節でも有るまいに。」

河東節

 河東節(かとうぶし)は浄瑠璃の一種。

 また古曲の一つ。重要無形文化財(1993年4月15日指定)。

 歌舞伎で河東節(かとうぶし)を使うのは、『助六所縁江戸櫻』

河東節 

 江戸浄瑠璃の一派で享保年間に十寸見河東(ますみかとう)が創始、江戸節とも呼ばれて鷹揚で華麗、江戸気分豊かな曲想が特長ですが、文化文政期以降は常磐津、富本、清元といった豊後節系浄瑠璃に押され衰退してゆきました。

 現在も数十曲が伝えられていますが、芝居に関連して使われるのは市川團十郎家が『歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』を上演する際、助六の花道出端のところで舞台正面御簾内で語られるのみです。

 その際「河東節十寸見会御連中」として日替わりで並びますが、主に他の邦楽の心得がある旦那衆や奥様方が中心となっています。(金田栄一)(歌舞伎様案内より)

 

 勺は、尺貫法の体積の単位である。 合の10分の1、升の100分の1と定義される。

 日本では1升=約1.8039リットルであるので、1勺は約18.039ミリリットル、中国では1升=1リットルであるので、1勺は10ミリリットルとなる。

 

 

金々先生造化夢 9 七丁裏 八丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 9 七丁裏 八丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

七丁裏 

百しやうの仙人、いねをう

ゑ、つけたん/\ そ

ざつに したがいてん

ぢよくにても、かみな

りかせのけに、十日の

あり、又、日のかぜををふ

かせて、いねにみ

をいハひんとほね

をおる、こ

れ、みな きん/\

先生らに

くハする左たいちぜん

のちやつけめ

しのために尺

ぢよくまでか大さ

ハぎ、そのしんく、また

いかな

らん

 

七丁裏 

これハあめ

をふらせる

しかけなり、からていねい

にかいて、おとねハとしめ

なわと、みるやつさ、

 

八丁表 

かみなりの女房ほどせ

ハしなきものハなし、

わた入ものをしかけて

いなつまとひからせる、これを

おもへバ人げんの女ぼう

がゑよう

ぐひしたり、こたつに

くびつきりはいつていたり

するはあつぶてき

なり

 

八丁表 

「もはやそろ/\

 あきの風をふ

 かせよう、し

 たが、にんげん

 がめにハ

 さやり候に

 みへね

 ども、かぜのお

 とにぞ、おどろ

 かれぬるほどゝ

 みかハりに しづめておいた

 あ長谷の事を思ひ

 いたすであらふ、

 

八丁表 

「これでちやうど五十か

 くんだどうだのちつとしめりが

 ゆきわたつたかの

 

七丁裏 下

    わたしがみ

    ふりハしゆん

    くわんの

    おやすと

    きて、いやす、

 

八丁表 下 

   「たいこにつゞいて 

    ふいた/\ 

 

八丁表 中

  かみなりの

  太こハはごろ/\ 

  なるが、何の

  かりてはるか

  しらん、大方

  ひきうすの

  かわかつらの

  かわではる

  だろふ、

 

わたしがみ

ふりハしゆん

くわんの

おやすと

きて、いやす、

 渡し神の振りは俊寛のおやすときていやす、

 そういえば、此の一、二年で『俊寛僧都物語』(影印)を読んだな。

『俊寛』か。

 今一度、片岡仁左衛門丈か、吉右衛門か、三代目猿之助(二代目猿翁)で『俊寛』を見たいという衝動にかられる。

 それぞれの役者の『俊寛』は見応えがあったわいな。

体フリフリ

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イラン アビアネ

 

 

今日はヘラヘラヘラヘラ 体フリフリ

ズンバやらジャズやらヒップホップやらストレッチやら、

ハードロックやらグラムロックやらなんやらかんやら、

 

挙句の果ては映画半ばまで

ヒラヒラドタバタ踊っていた。

おかげで夕刻には、体重が0,5キロも減っていたよ。

 

ウヒャヒャウヒョヒョ

肩こりは治るは、ストレスは発散できるは!

こりゃ!お得感、満点だわん!

 

金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

八丁裏 

ぢのしたハ

しつけが

おほ

いか

つい

たち

十五日、廿

八日にハ

そうじゆつ

をたく

なり、それ

だから

地神た

ちハ、ついた

地、十五日

の礼にを

そう

じつ

の御

しうぎや

上ます

いふ、

 

八丁裏 下

   天ぢよくでばかり、ほねをおるかとおもへハ、地の

   下にても地神といふものあつて、おほく

   の手下の地神

   をあ

   つめ

   に

   ひを

   さかせ

   たり、みを

   いらせ

   たり

   する、か

   らく

   り

   の

   いと

   を

   ひき

   給ふ、

   

八丁裏 中

  此所竹田の

  しばいのゑん

  の下のごとし

  どこぞのだるま

  のぢぐらの

  ようだ、

 

八丁裏 中

  まづわせのいとかき

  きゝひきやれ

 

八丁裏 中

  これ又きん/\

  せんせいにくハする

  ちゃづけめしの

  ために、かくしん/\

  志給ふなりされバ、

  かゝるてんちのをんをあだに思ふものハ、

  もくぜんにばちもあたるはづなり、

 

九丁表

天地のめぐみにていね

にみいりけれバ、百しやう

の仙人、これをうり

とりて、もみを

うすでひい

たり、からさ

ほでうつたり、

なにやかやして、やう/\こめ

になる、これまでのしん/\、いか

ばかり ならんや、よく/\感

がへ思ふべきなり、

 

「きん/\先生、だい所へなり

 のぼりにいつたやうに

 此亭をみて、でき、

 あきのみのりとほめる、

 

九丁表

いなかそだちの仙女

すゞむ 手のづけの

くしに、ぎんなかしの

かんざし、手とり

もめんのやなぎ

に、けまり、ぐつと

はづんだ いでたち

と、みへる、

 

九丁表 下

   からさほと

   うつハいゝが

   ものまへに

   ざぶを

   かさね

   やうに

   せい

   だし

   たが

   いゝ

此所竹田の

しばいのゑん

の下のごとし

どこぞのだるま

のぢぐらの

ようだ、

竹田のしばい(竹田の芝居)  (日本国語大辞典)

 江戸時代、大坂道頓堀、太佐衛門橋南詰東入ル浜側に創設されたからくり人形芝居。

 寛文二年(一六六二)竹田近江が開場したもので、からくり専門の芝居としては日本最古のもの。

 人形、屋台、道具の類が、機械仕掛けで動くようにした見せ物。

 のち類焼で移転し、小芝居の歌舞伎となったが、劇場は明治九年(一八七六)まで存続した。

 竹田の座。

 竹田のからくり。

 竹田の細工。

竹田のしばい(竹田の芝居) (大辞林)

  江戸時代、大坂で興行されたからくり芝居。

 1662年、竹田近江(?~1704)が創始。

 初期はからくりのみ見せたが、のちには子供芝居を加えた。

 人形浄瑠璃芝居とは異なる。

 

 

金々先生造化夢 11 九丁裏 十丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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  本当は可愛かったピグモンちゃん

 『猫 夏祭浪花鏡』風に撮ってみたもの。

 

 

    

 

 

 

 金々先生造化夢 11 九丁裏 十丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

九丁裏 

しほくみ

の仙

女ハ

かの

ちや

づけめ

しの

さいに

なる

けうの

もの

をつける

しほを

くむ、

此しほくみといふもの、お

どりやきやうげんでみ

てハ、松かぜ、村さめなどゝ

て、しごくらくそうにみや

れども、しやう、うつしのしほ

くみハ、ことのほか、ほねのおれる

ものにて、しほになるまでハ

なまやさしき事にあらず、

そのしんく、あはれむべし、

 

九丁裏 

「むかしハ村さめだの、松かぜだの、

 とてだけかしやのしろ物をみる

 やうな、きいたふうな名とついて、かうまんな かほしたときいたが ▲

 

九丁裏 中

   ▲わがやうな うつく

    しい しほくみ、あるものか、

    今 時行二十さんが

    いさんしよなら

    あつ

    ち

    から

 

九丁裏 下

      すへぜんでござん

      しやうなどゝ

      しほくみだけ

      つがもなく

      しほや

      をいふ

 

九丁裏

石しやうの仙人、しんくして

かうのものにする大こんを

つくりしほくみの仙女し

ほをこしらへわたししけれバ、

ぬりやの仙人、ぬかをうり

にきたりたる、かいの仙人

たるをうりにきたりけれバ、

なにもかもそろいて、つけもの

やの仙人、かの大こんをたく、

あんにつける、これみな、きん/\

せんせいにくハするちやづけめ

しのためなり、かうのものば

かりもたいていや、大かたのしん

くにハあらず、

つきやの仙人ちやづけめしに

なるこめをつく、これもつきやの

ひるめしのさいになるさんまの

ひものからみちをき

かれた時、あせを

ふくてぬぐいま

でそれ/\  ユ入

用の品をつくりいだす

こと、そのさき/\ハ、か

ぞへてつくしがたし、

 

九丁裏 下 

     「あをむいて

      つきやさん

      まをふつり

      くいとハ

      川柳の

      名

      句

      で

      あ

      つた、

しほくみ

 潮汲み、汐汲み

 塩を作るために海水をくむこと。また、その人。    歌舞伎(舞踊)では、『汐汲み』   『汐汲み』『村松風二人汐汲』など、30分舞踊。    映画でも七世尾上梅幸で上演されている。 『<映画>汐汲』七世尾上梅幸/ 『京鹿子娘道成寺』芝翫 十七世中村勘三郎 中村勘九郎(十八世勘三郎 東蔵

此しほくみといふもの、お

どりやきやうげんでみ

てハ、松かぜ、村さめなどゝ

て、しごくらくそうにみや

れども、しやう、うつしのしほ

くみハ、ことのほか、ほねのおれる

ものにて、しほになるまでハ

なまやさしき事にあらず、

そのしんく、あはれむべし、

 此の『汐汲』と云うものは、踊りや狂言で見ては、『松風』『村雨』などとて、至極楽そうに見やれども、仕様、写しの『汐汲』は、事の他 骨の折れる物にて、塩に成るまでは、生易しき事にあらず、その辛苦、憐れむべし。

 ほほう^^  なかなか、深い!     北上時行  (ブリタニカ国際大百科辞典)  [生]?
 [没]正平8=文和2(1353).5.20. 鎌倉
 鎌倉時代末期,南北朝時代初期の武将。  鎌倉幕府の執権高時の子。  通称は相模二郎。鎌倉幕府が滅亡したとき,信濃の諏訪氏のもとに逃れ,建武2 (1335) 年京都の西園寺氏とはかって兵を起し,足利直義の軍を破って鎌倉を占領。  一時北条氏を復興したが,足利尊氏に敗れた。  のち南朝に投じて,北畠顕家,新田義興らに従い,鎌倉に攻め入ったが,義興が敗れると,足利氏に捕えられ殺された。    

今 時行二十さんが

いさんしよなら

 北上時行  (ウィキペディア)  北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して中先代の乱を引き起こし、鎌倉を奪還するが、わずか20日で尊氏に逐われた。    

なにもかもそろいて、つけもの

やの仙人、かの大こんをたく、

あんにつける、これみな、きん/\

せんせいにくハするちやづけめ

しのためなり

 かの大こんやら、漬物やら、さぞかし臭い演じ手の役者をもじっていることであろう。

 本書の初めには江戸時代の役者名も出てきて、その時も悪態をついていたので、逆にその役者に引っかかりと愛着心を持っていたのかもしれぬとほくそえむ。

 

 

 

『Along with the Gods: The Two Worlds 神と共に 第一章:罪と罰』2017 韓国 140分

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  『Along with the Gods: The Two Worlds 神と共に 第一章:罪と罰』2017 韓国 140分

 

神と共に 第一章:罪と罰

原題/Along with the Gods: The Two Worlds 制作年/2017 制作国/韓国 内容時間(吹替版)/140分

韓国で大ヒットしたスペクタクルアクションファンタジー大作2部作の前編。

死者たちの魂が7つの地獄を突破しなければ新しい人生を迎えられない死後の世界で大冒険が展開。

 

 久しぶりに映画を見ました。

 家事があったので 二日に分けて見たが、楽しい時間を過ごせたと思います。

 2部作の前編という事なので、後日、後編を見ることにします。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

 

 

金々先生造化夢 12 十丁裏 十一丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 12 十丁裏 十一丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

十丁裏 

おけや

の仙人

井戸

がハを

こしらへ

る、これ

ハめし

をたい

たり

ちやを

にたり

する水の

用ゐまてへつに井戸を

ほるつもりなり、その木の

あまりにて、手をけこめ

かしをけなどをこしらへる、

「仙人のおかしらとやう

 面につけて、いち/\

 いろかづをそろへる

 まだ かうのものを

 きる まないたと

 こめあげざる日、

 ふき所とひうちばこ

 がてきないまきとすみ

 ハたいていできあがりだな

 どゝ、かほみせまへのしばゐの

 

十一丁表

 ごとく、おおさわぎなり、

「ひもじいせいか

 わしがにハいし

 やのげんのうが

 さつまいの

 やうにみつる 

    やつさ

 

 さくわん 

 やの

 御人

 へつ

 たいを

 ぬる、

 

「べつついの

 うハぬりハはぢ

 のうハぬりをするよう、

 なだらのはいれで

      ござる、

 

「うちハやの仙人しち

 りんの下をあふぐしぶ

 うちはをこしらへる、これ

 もやぶより竹をきりいだし

 て、うちめにはり山よりしぶを

 とりきたりて、うへにひくうちわ

 

十丁裏 下

   いしやの

   仙人ちや

   づけのに

   ばなをにる

   いしの七輪を

   こし

    らへる

 

十一丁表 下

   ぞうりもその

   さき/″\を

   恩人ばいく

   万人の手に

   かゝる事 

     やら

   しれぬなり、

 

へつたい

 へったい  (へっつい)竃(かまど)

〔「竈(かま)処(ど)」の意〕  ①鍋や釜をかけ,下から火をたいて煮たきする設備。   周りを土や石や粘土やセメントなどで築き,焚(た)き口をもうけ、上に鍋(なべ)・釜(かま)をかける穴をあける。   かま。へっつい。  ②〔竈の数を家一世帯の単位,課税の単位としたことから〕 独立生活を行う一家。    

金々先生造化夢 13 十一丁裏 十二丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 13 十一丁裏 十二丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十一丁裏 

かくてきん/\先生に   するちやづけめしのどう   ぐだて   あらまし、できあがり、   けれどもいまだめしをた   きにばな   をふるかんじんの   水がなし、それゆへ仙人の   おかしら、井   戸、ほかの   仙人にいひつけきう   に井戸をほらせる   これも 井戸   ほりあし、しろからすき   くわのたぐいのどうぐを   こしらへ、その志   んくいく、   万人のほね   おりか、そのさき/\   ハかぞへつくし   がたし、     十一丁裏    「女仙人、井戸をホルをみに    くる、これハ    なにのた    めにみに    くるかきが    しれず、し    たがいつたい     十二丁表    りう    ぐう    にて    ハ    此たび井戸をほる    ときゝ、水をさづけん    と、龍王みずからたち    いでゝ、おほくのうちくずに    そのよういを申つける、これ、また、きん/\    せんせい一人のために、龍宮までの    ほねをり、のべがたし、    龍王の水をさずける所かん    むりがへどをはくやう            なり、     十一丁裏    ことハざに水ハほう    いんのうつハものに    ほういんの うつハものは、さしづめ、ほらの    かいなり、それゆへ、りう    ぐうでも、水をさづける、    てつだい    ハほら    の か    い    が    つと    める    なり、     十一丁裏  下   此本   に女   がす   けな   きゆへ   ゑぐみ   の   あ   い   き   や   う   に   みに   き   たと   みへ   る、     十二丁表 下   こんだのちやづ   けめしのさいが、   ひものでなく   て、しやりせ□□□(擦れ)だと   おいらもろうして   ハ   いら   し   れぬ、     茶漬け    江戸時代では、茶漬けをメインに出す『茶漬け屋』が存在していた。    江戸時代は旅でもサラサラと食べられる茶漬けがブームになっていた。    奈良茶飯もその一つだという。              

金々先生造化夢 14 十二丁裏 十三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 14 十二丁裏 十三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十二丁裏 

さて何もかもできあがりければ

めしたきの仙人、下女の仙人で、つちの

仙人あつまりて、水をくみ、めしを

たき、けうのものをきり、ちや

をせんじ、ぜんだてをし、

さま/\しんくする、

さて、此めしたき

の仙人下女の

仙人で、つちの仙人

など/\いふもの

ハゑどく、しんく

するものなり、下女

だの、てつちだ

のとて、べつ

にうまるゝ

ものにあら

ず、そのみ

びんぼうに

生まれしゆへ、

かゝるしんく

の奉公も

するなり、

くれらもしや

ハせさへよけ

れバ、しん内

 

十三丁表

でハないが、

御しんそさんの

おくさんの

とにんにうやま

ひろつかれ、こへみぬ

わしでくらすけ

れど、ヤ

レ、三侠

 

十三丁表

ヤレ

おさ

んのヤレ

長松のとやすくされるハ

その身/\のつたなきくハ

ほうせんと思ひいつ

なる三度太夫もあ

ハれ、みつけふへきる

        なり、

 

十二丁裏 中

   くハうじんゟの

   のたハく「これ、長松仙人

   ちやのほうじやうがわるい

   ぞ、それでハゑんがゝない

   がつてんか、それ、おさん仙

   人、はやくかま

   の下のまきを

   ひけ、

   

十三丁表 中

   こげく

   さいぞ

   アヽ、せハのやける

   やつらだ、

 

十二丁裏 下

   此ときハ

   かまどのか

   み、くほうじん

   さまも男

   女、あいせう

   のほんを

 

十三丁表 下

   みりやう

      に

   さいえいを

   のち、たい所

   を守り

   給ふ、

 

十三丁表 中

  はしめに、よ

  ろ/\、中

  くハつ/\、

  え戸

  たる

  つて

  たるねぶりと

  いふかちと

  ふねをこ

  らふ、

  

 

三侠

 三侠五義(さんきょうごぎ)

 中国の小説。石玉崑作

 北宋時代に実在した名裁判官である包拯(ほうじょう)と侠客の活躍を描く。

 公安小説と武侠をあわせたような作品である。

 成立には『龍図公安』、あるいは『包公案』と呼ばれる公案などの影響が見られる。

 兪樾によってタイトルが『七侠五義』と変更されたのは、登場する侠客として南侠(展昭)・北侠(欧陽春)・双侠(丁兆蘭、丁兆蕙)をさして「三侠」としているが、丁兄弟の存在で実質が四人であることで計算が合わない。

 そこで、智化・艾虎・沈仲元の三人を加え「七侠」としたため。

 実際、「三」や「五」という数字は中国で慣用的に使われる数字であることから、そう深い意味はない。

 

 

 

金々先生造化夢 15 十三丁裏 十四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 15 十三丁裏 十四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十三丁裏 

かくてやりこせんのちやづけめし、できあがりけれバ、   仙人のおかしら、これを、きん/\せんせいにくハする   きん/\せんせいハ此ちやづけめしをこしらへるおほ   くの人のしんろうをもくぜんにみたる事、なれ   ハぜんにすはりて、つく/\思ひけるハ、わずかに   ちやづけめし、一ぜんたつた、二夕キレのうらの   ものといへども、いく万人の手にかゝり   ける かぞくへつくしがたし、りやうり なん   どハ、いくおくをく、万人のしんくなる   かは□□しるべからす、これを思へバ   家をつくり、きものをき、人間一生入   用の品/\ハみな、これいく万人   のしんくをつめりしかる   時ハ互に一まい   はし一戦も   わがものに   あらす、皆   天地より   めぐみ給ふ   所なりて   め一りらも   あそんていて   くらふハもの     十四丁表   たいなき   事なり申   そうじや   ナァ、と、かん   しんのあまり、ひざの   うへゝ、しろきなみだ   をこぼしければ、おきう   じのどうじがめつけて、   もしめしつぶがこぼれ   ましたもいく/\     十四丁表   「いかにきん/\せんせい、なん    ぢなまものじりにして、さだま    ると、せいもせず、あたかに    きあくまてくらひ、千万人の    しんくをついやて、ぶらついて給    たるハ、大きなるあや    まりなり、うき    よハいぼあい    もちなんと、こ    れでちや    づけめし    をくふ    やうに    さら/\とさ    とりがひらけ    たであろふ、       十三丁裏 下      たゞ今までハちやづ      けめしなどハ      なんのきもつ      かず、ふ      しやう/″\      にたべ□(欠け)      したる、      さん/\      おぼゞの      人のしん      ろ□す       る所を      こまして      ハのどへ      つかへて     たべられませ     ぬ、今までゑようくひに     着よく、ちのみいた     したハ、大き     なあやまり、     ひもじひ     ときにまづ     い     ものな     十四丁表 下     しと     申が     よい     たとへで     ござり     ます、            

金々先生造化夢 読了   16 金々先生造化夢 口上(十五丁裏) 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 読了 16 金々先生造化夢 口上(十五丁裏) 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十四丁裏の続き、十五丁裏 口上

十五丁裏の続き   と思ひしハ夢に手あたり   をみれバ、やう/\にはながにへ   たちけれバ、手をはたとう   つてアヾきなるかな、みやう   ごぜへす、ろせい   ハあハいゝかしく   うちに五十年の   ゆめを見、われハ小   ばなのできるうち   千万人のしんくを   しれり、われうきよ   をゆめと思ひなし   て、ただ かる/″\と   くらしたるが、今日   より心をあら   ため、天地へおん   をほうづるため、   一ツのとせいをはじ   めんと、これよりむしやうに   うせぎけれバ、四、五年たゝぬ   うち、百万両のぶげんとなり、   のちハゆめにあらぬ、ほんまの   ゑいぐわのみとなりけるぞ、   御あつらへ、とびきりのめで         たし、/\       十五丁裏 京傳が飯のまえでおおのびをして喜んでいる^^ 京傳の羽織の紋付には、金の文字^^    「アヽ、ひさし        ぶりで     くさぞうしの       しまいが        ゆめだ、       十五丁裏 中     京傳作       口上      此度山東京傳儀、かみたば      こ入れ、みせ出し、いろ/\ゑん      がた、仕入仕下直の品に      て、切れたばこ入 同様、      御用ひに相成候やう、      工夫仕候 何とぞ      御ひゐき、御取立      ひとへ奉希上候      以上      江戸京橋銀      座一丁目      京屋        傳蔵     「こればつ       かりが       ましめだ。       京傳は歔     作の大人                  金々先生造化夢 読了^^v      

東海道中膝栗毛 三巻 0 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

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 東海道中膝栗毛 三巻 0 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

 早稲田大学 ヘ13 03123 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 全18冊だが、1冊目と2冊目部分は日本古典文学全集で読んだので、3冊目は早稲田大学所有の「発端,初,後,3-8編 」で読もうと思う。

 それもこれも、黄表紙の『今昔狐夜噺』(十返舎一九作)が面白かったため。

 今度こそ苦手意識を持たず、十返舎一九と正面から向き合いたい。

 

 “Rancho, Are you ready? “

 “Yes, come on,come on, let go.“

 それでは、旅の始まり、はじまりぃい〜〜^^

 

 

 

 

 

 

東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

 

一丁裏

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

閲覧 

膝栗毛初編、序にして、世に行流、仍而(よって)其後編を索(もと)むれ

ども、作者、例の悠長にして、鼻の下と惧に長し、其上

去年の初秋、常総に遊て、鳥此申湖(ママ)の居続に尻を

腐らし、斬旧蝋中旬の比、東都に帰る、予頻に此編を

商求む(はかりもとむ)、於是不得止事、終に前後二巻を編転す、

気迫なれは、排説の中、齟齬あることハ見赦し給へと、

十返舎の主にかハりて、書肆(しょし)栄邑堂しるす、

                  印 印

 

索(もと)む

 【索】 サク

  ① 太いなわ。つな。 

  ② もとめる。さがす。 

  ③ ものさびしい 。

悠長

 [名・形動]動作や態度などが落ち着いていて気の長いこと。また、そのさま。「悠長に構える」「悠長な話」

鼻の下

 痴人の様をいう。(日本古典文学全集 頭注)

 鼻の下が長い

 (女性に甘い。色香に迷いやすい。好色である。「女性に言い寄られて―・くなる」)

 鼻の下が干しあがる

 (収入がなく、生活ができなくなる。口が干上がる。「不景気で―・る」)

惧 グ ク

 おそれる。おそれ。「危惧」

危惧

 悪い結果になりはしないかと心配しおそれること。

長し (古語)

 ①長い。▽空間的な隔たり。

 ②長い。永久である。▽時間的な隔たり。

常総

 常総(じょうそう)は、常陸国と下総国の併称。

蝋中旬

 蝋燭の中程(半分燃えた状態)

比  (ころ)

  ヒ・くらべる ならぶ・ころ

東都

 東方のみやこ。

 日本では、京都に対して江戸または東京をいう。

於是不得止事

 これにおいて、止め得ずこと、

齟齬 (そご)

 《名・ス自》

 意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。くいちがい。

赦し

 ゆるし

書肆 (諸氏)

 書物を出版したり、また、売ったりする店。書店。本屋。

 (肆 連ねるという意味)

 ①くに。領地。みやこ。「食邑」

 ②むら。さと。むらざと。「邑落」 ③うれえる。「忿邑」

栄邑堂

 江戸 版元

 

 

東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁表

浮世道中膝栗毛後編

       十返舎一九

長明が東海道記に曰、松に雅琴(かぎん)の調あり、浪

に鼓の音ありと、息杖の竹笛をふけバ、助

郷の馬、太鼓をうつ、膝栗毛扁の序びら

き、ヒヤリ/\、すつてん/\、狂言詞 「か様に

候者ハ、お江戸の神田のハ丁掘辺に住居せし、

弥治郎兵衛、きた八と申す、なまけものにて候、

 

 

雅琴(がぎん)

〘名〙 琴の美称。風雅な琴。上品な琴。    ※和漢朗詠(1018頃)下「嵐に随ふ落葉は蕭瑟を含めり 石(いは)に濺く飛泉は雅琴を弄ぶ〈源順〉」  〔司馬相如‐長門賦〕   息杖    駕籠 (かご) かきや重い物を担ぐ人が、ひと休みするときに荷物を支えたり、からだのバランスをとったりするために使う長い杖。

 

 

       


映画『Along with the Gods: The Last 49 Days 神と共に 第二章:因と縁』2017 韓国

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イラン タフト・ソレーマーン

 

 

  映画『Along with the Gods: The Last 49 Days 神と共に 第二章:因と縁』2017 韓国

 

 

原題/Along with the Gods: The Last 49 Days 制作年/2017 制作国/韓国 内容時間/142分 ジャンル/SF/ファンタジー

 

 

 先日見た『神と共に 第一章:罪と罰』に続き、今日は、『神と共に 第二章:因と縁』を見た。

 前回、現代美術的な場面とCGと古典的な画面のメリハリに面白みを感じていたが、今回は表現主義が加わり、さらに満足した。

 役者が有名な方なのか、演技もメリハリがあり、前回今回共に、涙を流させる、映画の文法に則った娯楽的秀作だと感じた。

 

 また、前回今回共に韓国語が日本語の単語に似た部分があることに気づかされる。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます^^

 

 

 第一章 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c689e0b50e596c362fdbcaae07b09f7b

 

 

 

東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 観月祭

 

 東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁裏

扨(さて)もわれ/\、伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕

さまへは月参(つきまいり)も大願うを起こし、ぶらりしやらりと

出かけ、ねつから急ず候ほどに、ゑい奴とはこねの

駅に着て候、謡玉くしげ 箱根の山の 九折/\

げにや久肩の醴(あまざけ)売りや 産しよ魚の名所多き

山路かな、 あまざけやうりのおやぢ「めいぶつあばらしやいませ あま

ざけのましやいませ、 北八「弥次さん、ちつと休やせう、

ヲイ、一盃(いつペい)くんな、トせう木にこしをかける、おやじ一杯くんで出す、「こいつハ黒い/\、

 

八丁表

弥次「くろいよふであまいハ、遠州はまじやァな

いか 北八「わりい/\、コウ、おめへ、なぜのまねへ 弥二「おいらァ

いやだ、そのちやわんを見や、施主の気づきのね入る

あさがほなりにでもすれバいいよ、 北八「そふき、是じやァ

強飯のかうのもの、奈良漬じやァあるめへの

おやぢ「かうのもんハござらねへが、むめぼしを進ぜます

べい、ト皿にある梅母子をいだす 北八「ヲイ/\、いくらだへ、サァおせハトぜにを払日出て行

向こうよりくる小荷駄馬ひきもきらず、すゞのおと しやん/\/\「富士の頭がつん

月参  (ガッサン)

 がっさん グヮッ‥

 がっさん〔グワツ〕

 つきまいり ‥まゐり

 毎月一定の日に神社や寺に参詣(さんけい)すること。

 つきまいり。

ねつから

 根っから

 一向に

玉くしげ

 「箱」の枕詞

九折/\

 箱根の山道の様に、くねりくねり折れ曲がった道

施主 (せしゅ)

 1 法事・供養(くよう)をする主人役の人。また、寺や僧などに物をほどこす人。

 2 物事、特に建築や造園の資金を出す注文主。   あさがほなりにでもすれバいいよ、    歌舞伎『助六』では、風呂上がりの「朝顔のかんぺら」が出てくる^^  この朝顔のかんぺら、なりはごついが、弱ぇえ弱ぇえ(笑)  ここでは、朝顔型に開いた茶碗の形こと。

 

 

       

東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

八丁裏

(「ふじのあたまが、つん)もへる、なじよにけふりがつんもへる、三嶋女郎衆(ぢょろしゆ)

に、がらゝ打こみ、こがれおじゆつたらつんもへたぁ、

しよんがへドゥ/″\ こちらからゆく馬かた たがいに行ちがひて 「ヒヤア 出羽宿の

先生どふだ、向ふよりくる馬かた 「べらぼうめ、おれが先生

なりやァ、うぬハはつつけだァ 「ヒイン/\ 又むかうより来るハお大名

のお国からおゑと入の女中たち、かごをつらせて、四、五人づれ、さいぎつれてくるを見て弥次郎 「ヲヤ/\、ゑらい/\

きた八 「ほんに是ハみな生た女だ、きめう/\、ナント弥次さん、つかねへこつたが、白い手拭をかぶると、顔の色

 

九丁表

がしろくなつて、とんだいきな男にみへるといふ

ことだが、ほんとうの 弥次「ソリヤァ ちげ(違)へなしさ、北八「よし/\

トたもとから、さらしのてぬぐいを出して、ぐつとほうかふりにすると、

とふりすがひに女中たち、きた八がかほをのぞいて見て、みな/\わらひ、

とふりすぎる、 「ナント、どうだ、今の女どもが、おいらが顔を見

て、うれしそうに笑いていつたハ、どふでも色男ハ

ちがつたもんだ、弥二「わらつたはづだ、てめへの手拭

を見や、木綿さなだの紐が、さがつていらァ、

北八「ヤァ/\、こりやぁ、手じやね、ゑつちうふん

 

出羽宿

 江戸時代に入ると村上藩(新潟県村上市)の本城である村上城の城下と、庄内藩(山形県鶴岡市)の本城である鶴ヶ岡城を結ぶ街道として改めて整備され、村上藩主は海、岩石、小俣宿、雷に番所が設置されています。

 庄内藩初代藩主酒井忠勝が初めて御国入りした際にも出羽街道が利用されています。特に参勤交代では利用されず、日本海の沿岸部はが整備されていましたが、羽州浜街道に比べると難所が少なく、季節によっても影響が受けにくかった事から引き続き多くの人々が利用したようです。

 元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥之細道で当地を訪れた際には酒田から鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市)までは羽州浜街道を利用し、鼠ヶ関宿からは出羽街道に入り、村上城の城下町に至っています。

 江戸時代後期になると、出羽三山(山形県鶴岡市)の信仰が全国にも広がり、日本海側の参拝者は出羽街道を利用したとされ、村上城の城下の鎮守である神社は戦国時代に本庄氏によって出羽三山の一翼を成す羽黒神社の祭神である羽黒大権現に分霊を勧請したもの。

 藩主の祈願所の観音寺は、同じく出羽三山の一翼を成す湯殿山神社と関係が深かった事から城下の住民も出羽三山を詣でたと思われます。

 又、街道沿いの湯田川温泉(山形県鶴岡市)は鶴ヶ岡城の奥座敷とも云われ庄内藩の温泉場が設けられ、出羽街道を通過する旅人や商人、出羽三山の参詣者などから利用され大変栄え、湯野浜温泉(山形県鶴岡市)、温海(あつみ)温泉(山形県鶴岡市)と共に庄内三名湯に数えられました。   (https://www.niitabi.com/kaidou/dewa.html)

 

木綿さなだの紐

 木綿の平打ちの紐

 

       

東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

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 東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

九丁裏

(ゑつちうふん)どしであつた、弥二「てめへ、ゆふべ、ふろへはいるとき、

ふんどしをたもとへいれて、それなりに忘れたハ、おか

しい、大かた、けさ、手水(てうづ)をつかつて、顔もそれで

ふいたろふ、きたねへおとこだ、北八「そふよ、どうりこそ

わるぐさい手ぬぐひだとおもつた、弥二「ナニ、ぜんてい

てめへが、あたじけねへから、こんな恥をかくハ、北八「なぜ

弥二「もめんをしめるから、手ぬぐひと取ちがへるハ、コレ

おいらァ、見やれ、いつでも絹のふんどしだ、北八「それだ

 

十丁表

とつて、やねやがながつぼねのふきかへに行きやァ

しめへし、きぬをしめることもねへす、エヽまゝよ、たびの

はぢハかきすてだ、斯(かう)もあらふる、

 

 手ぬくひと おもふてかふる ふんどしハ

  さてこそ恥を さらしなりけり

 

それより かぶと石をよめる弥次郎兵衛

 

 さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

  かゝる難所に 降参やして

 

手水(てうづ)

 手水(ちょうず)

 手や顔などを洗い清めること。また、そのための水。

 出典枕草子 正月に寺にこもりたるは 「半挿(はんざふ)にてうづ入れて」  [訳] 半挿(=湯水を入れて物に注ぐ器)に水を入れて。◆「てみづ」のウ音便。   ながつぼね    大奥   斯(かう) かかる    [連体]《「かくある」の音変化》このような。こういう。「斯かる行為は許されない」     かぶと石     神奈川県    湯河原は源頼朝にゆかりがあり、様々な伝説が残っています。

 頼朝が石橋山の合戦で敗れ、逃れている時に兜を脱いで休息したとされるのが兜石。その形はまさしく頼朝が脱いだ兜にそっくりです。

 その近くにあるのが立石で、その姿はまるで地面に立っているかのよう。

 頼朝が自らの天下を占うために投げたと言われ、見事に山の中腹に立ったことから運が開け、鎌倉幕府を開くにいたったと言い伝えられています。(湯河原町観光課HP https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/753/)

 

かぶと石 

 かぶとを脱ぐ

 →降参やして

   さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

   かゝる難所に 降参やして

 

 

映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』2019 4,3★

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  映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』2019 4,3★

 

 

原題/Brightburn 制作年/2019 制作国/アメリカ 内容時間(字幕版)/91分 ジャンル/ホラー・SF/ファンタジー宇宙から地球に来た12歳の少年、超能力を使って惨劇を起こすように……。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のJ・ガン監督がプロデュースを務めたSFサスペンス。

 宇宙から地球に来た12歳の少年、超能力を使って惨劇を起こすように……。

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のJ・ガン監督がプロデュースを務めたSFサスペンス。

監督 デヴィッド・ヤロヴェスキー 製作 ジェームズ・ガン 製作 ケネス・ファン 脚本 ブライアン・ガン 脚本 マーク・ガン 撮影 マイケル・ダラトーレ 音楽 ティム・ウィリアムズ トーリ・ブレイヤー エリザベス・バンクス カイル・ブレイヤー デヴィッド・デンマン ブランドン・ブレイヤー ジャクソン・A・ダン ノア マット・ジョーンズ メリリー メレディス・ハグナー

 

 

 家族と、映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』を見た。

「水色」を基調に大胆な構図から始まる、美術的に品さへ感じるこの映画も、「赤」を刺し始めるころから話が展開する。

 ネタバレは避けたいと思うが、子供を欲しいと思い続けていた夫婦に、宇宙からの授かりもの、それが、ブランドン・ブレイヤーであった。

 ブランドン・ブレイヤーは宇宙船の地球着によって、体から血を流し落下の衝撃で痛めつけられていたが、夫婦、特に母親が子供として大切に育てる。

 だが、十年の月日を経て、ブライトバーン自身と親二人は次第にブライトバーンが普通でないことに気づき始める。云々

 

 ブランドン・ブレイヤーは言う。

「本当は良い人間(人?子?)で居たいんだ。」 

 この言葉は大変重要。

 ブランドン・ブレイヤーは多くの酷い事件を巻き起こし、三角が四つのサインを後に残す。

 △△

 ▽▽

 酷い連続事件であったが、三角が四つのサイン

 △△

 ▽▽

を残しつつ、次のような事を思ったかもしれない。

「本当は良い子で居たいんだ。本当はBright Burnで居たいんだ。」

と。 

 

 そう考えるとせつなくさへ感じる映画であった。

 この映画は、私は好きだな^^

 

 

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