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化物和本草 12 九丁裏 十丁表「奴(やつこ)のひぼし」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 12 九丁裏 十丁表「奴(やつこ)のひぼし」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 九丁裏

「奴(やつこ)のひぼし」

ひとハかゝととなる

ものをたつとみ、にち用の

ものをいやしむ みやこの

ひとむき、女らをたつとみ

こめのめしをめづらしがらぬ

たぐひなり、されバなるむかし、

ゐとくのちんぶつを

このむひとあつて

おらんだじんのしりを

あらふつぼへはなをいけて

たのしみしをながさきの

ひとみてわらひしを

いふ仕なしもあり

こゝにもろこしをさる事

万八りひがしの

かいちうに

春風紙ゑん國(しゅんふうしゑんこく)と

いふくになり、むかし

このくにへやるこだこの

いときれてとび、

かぜにしたがつて、このくにへ

おちたれバ、このくにのひと

やつこのひぼしなりとて

めづらしがり、つゐに

 

化物和本草 十丁表

大わうへけん上

したるよし、ゐとくハ

ちんふうにせんきんを

ついやす い上

また、かやうの

まちがいあるべし、

仕ち用の

 忘なこと

  とふと

   けれ

 

化物和本草 九丁裏 下

   「びつうながら、わたくしのたくの

    せつゐんのわき、むめのきの

    ゑだに、かつておりました

 

化物和本草 九丁裏 下

   「あまりめづらしき

    ものゆへ

    だいわうへ

    けん上つかま

        つり

        ます

 

化物和本草 十丁表 下

    むまれてから

    はしめて

     みました、

 

 

奴(やつこ)のひぼし

 奴凧

 

おらんだじんのしりを

あらふつぼへはなをいけて

 オランダ人の尻を洗う壺に花をいけて

 壺に花と、万八(鉢)


化物和本草 13 十丁裏 「疳積(かんちやく)の虫(むし)」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 13 十丁裏「疳積(かんちやく)の虫(むし)」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十丁裏

「疳積(かんちやく)の虫(むし)」 

かんしやくのむしハ、ひたいに出しおく

しゆきばりたるむしなり、なりたふんハ

大ざけをこのみ、すりばち

すりとき、さらさはちをうちわつて

くらふをのかみきへしの

くへきずいむらに、このむし

おゝくしや□□(欠け)

ゆう/\じやなんし、おしやう

ゆるりくらんはのまるかゆを

ゆるりくらんはのなるまゆを

かけてきをなかしかぢ

したぬいてのいしき

さいご、したまふ、

ひとたるかのこの

むしにつかれるときハ

ついにみをほろぼすなり

きなし

 きすいを

  つゝしみ

   くのむしを

    ちかづけ

     べからず

 

 

    しゆうとう

    くるしみを

    たすかれ

      /\

 

 

疳積(かんちやく  かんしゃく)

 ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで激しく怒り出すこと。また、そういう性質や、その怒り。「癇癪を起こす」「癇癪が強い」

疳(かん)

 小児の病気のなかで最も恐れられていたのは痘瘡,麻疹であり,大量の子どもがこれで死んだ。小児特有の病気として古くからいわれてきたものに〈虫(むし)〉と〈疳(かん)〉がある。虫という病名は,本来医学用語の体熱の蒸(むし)から出たとされ,のちに小児に多い寄生虫と結びつけて広く用いられるようになった。(小児医学より 世界百科事典)

 

化物和本草 14 十一丁表「六足(ろくそく)の駕(かご)」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 14 十一丁表「六足(ろくそく)の駕(かご)」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十丁裏

「六足(ろくそく)の駕(かご)」 俗(ぞく)にさんまいといふ

古戦場(こせんじやう)を鐘懸松(かねかけまつ)に

博牧志(はくいつかし)を引(ひい)て曰、

みつぞゝのかわずよく

あたをぶくし

みつぞくのごとく

よくやくわんを

のすと、つまびらかに

のせたれど、

六足(ろくそく)のかどハ

いまだみざる

ところなり、

いたつてあしの

はやきものにて

あたかも ちうを

とぶがごとく

ひるハいでず

よるになると

くらやみに

かくれゐて

 ハイかご 

  /\と

   なく、

つねに

 さかてをゑじ□□(欠け)とす、

 

 

あたかも ちうを

とぶがごとく

 あたかも宙を飛ぶが如く

 

 

 

化物和本草 15十一丁裏 十二丁表「み人(みいら)とりのみいら」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 15 十一丁裏 十二丁表「み人(みいら)とりのみいら」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十二丁表

「み人(みいら)とりのみいら」 

化物和本草 十一丁裏

ひとのせがれ

ふしよぞんにて

やうきゅうにふけり

すじついゑにかえらず

父母なげきに

せまり、こんゐの

ひとをたのみ

ごくろうにてハ

いへども、きさま

けうくんなされて

なにとぞ せがれを

いゑにつれかへりくださる

べしとたのまれ、すなハち

ゆうきやうのちにゆきて

かのせがれにあいつれ

かへらんとききやうくんを

もちゆるとき、かの

せがれのいへるハ、

「すいぶんきとうさまの

 御ゐけんにしたがい

 すみやうに、写り申べし、

 さりながら、まず御酒、

 いつさん めしあがつて

 くだされ」 とすゝめられ、

したぢハすきなり、

一はいのみ、二はいのみ、

ついにハその

 

化物和本草 十二丁表

せがれとゝもに

ふぎやうせきを

なし、りやうにん

ともにいゑにかへるを

わするときをなづけて

みいらとりの

みいらになる

とハ申なり

これはな

はだひとの

こたるもの

にハどゝ

  やく

  なり

 

化物和本草 十二丁表

このみいらハ

 ずいぶんなりを

 みやわせ

   たび/\

いけんで

   おろし

 さいまつして

  もちひずハ

  くすり

   にハ

   なるまい

 

 

ふしよぞんにて

 不所存にて

 所存(考え。意見。)

 不所存(考え、意義はありません)

 

すじついゑにかえらず

 筋つい、えに返らず

「つい」は「継い」か?

覆水盆に返らずの他の言い回し  (ウィキペディア)

 覆水納め難し、覆水普遍、覆水何収、覆水不可収

 "It's no use crying over spilt milk."(こぼしたミルクを嘆いても無駄)

返る

 すじついゑにかえらず(覆水盆に返らず)

 ともにいゑにかへるを

 

けうくんなされて

 教訓なされて

 

ふぎやうせきを

 不行跡を

不行跡 

《名》身持ちがよくないこと。

〘名〙 (形動) 行ないがよくないこと。身持が悪いこと。また、そのさま。不行状。ふこうせき。

※談義本・教訓乗合船(1771)「ほうらつ、ふ行跡(ギャウセキ)、朝寝、夜あるき、気ずい、のらくらを、親兄弟にも、見かぎられ」  (大辞林)    

 

ゆうきやうのちにゆきて

 遊興の地に行きて

遊興《名・ス自》

 面白く遊ぶこと。遊び興ずること。特に、料理屋・待合などで遊ぶこと。     かへらんとききやうくんを  返らん時、教訓を    返らん と、すじつい えに返らず

 

 

 

 

 

八月のモモ

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 うちの子はカメラを向けられるとソワソワとして、お尻を向けてしまう。

 そこで椅子の上に乗せると、ももちゃんは下を向き怖がって足をオタオタさせていた。

 ではではと夫が抱きかかえても、あっちやこっちにプイプイと向きを変えて抵抗する。

 数枚撮った中で、なんとか顔が映ったのは、この一枚。

 モモちゃん、いつもみたいにごこげんな顔を見せてくれないと、困っちゃうヨォ!

 

 

    △ 写真は 八月のモモ    

    ▽ 音楽は  Uriah Heep July Morning live 1973 

 

化物和本草 16 十二丁裏 十三丁表「うその皮(かわ)」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 16 十二丁裏 十三丁表「うその皮(かわ)」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十二丁裏

「うその皮(かわ)」 

うそといふたものハ、いたち、むさゝびの

ごとく、ごとく、めからはなへぬけ出る

つうりきをゑて、ひとをまどハす

ものなり、つらのかハいたつて

あつくしたハ、こまいあつて

したつぱらにハけのなき

そのかみ、めつぽう弥八   けだものにて

まんざらの万八といふ

両人のかりうど、からでつぽうを

はなして、うちとめたりといふ、

 

化物和本草 十三丁表

  ものまへに

  なると

  このしつ

    ぽを、

  いだして

    人に

  みらるゝ

    なり

 

化物和本草 十二丁裏 下

    しめこのうさぎを

    つい、にがしたから

    このけだものを

    せしめ

    たるしに

    して

    こま

    そふ

 

化物和本草 十三丁表 下

   「さて/\

    おそろしい

    けだものじや、

    はやく

    にげ

    ませう

 

 

うその皮(かわ)

 カワウソ

 嘘の皮

 

しめこのうさぎ (連語)

 物事がうまくいったときにいう言葉。しめた。しめしめ。

「しめた」を、「(うさぎを)絞(し)めた」かけたシャレから。

しめこのうっさうさ

 歌舞伎『法界坊』など

 悪人などを捕まえて捕り物の縄で住め捕まえる場面で出てくる。

 大概は悪人がほとほとと困り顔で座っているところを、捕り捕まえる人物、一人か二人が、リズミカルな抑揚と足取りで、悪人を綱手巻いていく。

「しめたぞ、しめたぁ〜、しめこの、うっさうさっ。しめたぞ、しめたぁ〜、しめこの、うっさうさっ。」

と、足取りが楽しい。

 

 

化物和本草 17 十三丁裏「両頭(りょうとう)の筆(ふで)」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 17 十三丁裏「両頭(りょうとう)の筆(ふで)」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十三丁裏

「両頭(りょうとう)の筆(ふで)」 

りやうとうのふでハ

御年にうたよみ

はいかいしのふところに

かくれすみ

はなのとき

つきのころハ

おゝくあらハれ

いで、しきし、

たんざくを

とり、

くらふ

また

ひとの

あふぎ

などを

みると

みだりに

 とり

 くらふ

  なり

 

  ひらどろ

    /\/\

       /\

 

化物和本草 十三丁裏 下右

   これハ

   ふしぎな

     ひと

 

化物和本草 十三丁裏 下左

   あと/\

     りやう

   とうのふでが

   すゞりの

     うみから

   てんじやう

   します

   

 

あら!まぁ!!

  ↓

はなのとき

つきのころハ

おゝくあらハれ

いで、しきし、

たんざくを

とり、

くらふ

また

ひとの

あふぎ

などを

みると

みだりに

 とり

 くらふ

  なり

化物和本草 18 十四丁表「手(て)の長(なが)さの猿(さる)」  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 18 十四丁表「手(て)の長(なが)さの猿(さる)」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 十四丁表

「手(て)の長(なが)さの猿(さる)」 

ゑんかうざるハ水の月をとらやとし、

このてながざるハ、さいふの

かねをとらんとす、なくこへ、「ぶつぽうそう」をと

いふとうにて、このかいどうハ「ぶつぽうそう、/\」となく、

みやこやまざきの

山中にそのかみはやの

かん平というかりうど

  てつぽうにて

    しとめたり

 

化物和本草 十四丁表 下

   さて/\、てるがいのさるじや

   てながいのやすたり

      三十八もんと

        きている

 

 

ぶつぽうそう (仏法僧)

 仏法僧

 1 仏教で重んずる、仏と法(=仏の教え)と僧(=仏の教えを奉ずる者)。三宝(さんぼう)。    2 動物   ぶっぽうそう科の鳥。ハトよりやや小さく、青緑色で美しい。山林に住む。冬は南方に渡る。  

かん平というかりうど

  てつぽうにて

    しとめたり

『仮名手本忠臣蔵 二つ玉の場』

 寛平がイノシシを仕留めるために、鉄砲を二度撃つ。

 小屋の前で、親父様(義父:おかるの父)が定九郎に殺され、懐からおかるのみを打った金を取り出しで、片手で重さを測る。

「五十両〜〜」

 二度目の鉄砲の弾が、定九郎に当たる。

 寛平はおかる→親父様から巡ってきた定九郎の持っていた親父様の島の財布を奪って帰る。

 

 家に帰ると、程なく、遺体となった親父様が運ばれる。

「誰がこない酷いことを!」

と、義母。

 島の財布は義父のものと知った寛平は、自分が親父様を撃ち殺したと思い、自害する。

「色にふけったばっかりにぃ〜」

と左ほほに、指筋の地跡をつけるのは見もの。

 

 村人、

「やヤァ!こりゃ死因は鉄砲ではござらぬ、刀の切り傷で顎ざる。」

 まぁ!何ともはや切ない場面である。

 


化物和本草 19 十五丁裏 十六丁表「山の神の角」「三豆の猫足」「頭の黒鼠」 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 19 十五丁裏 十六丁表「山の神の角」「三豆の猫足」「頭の黒鼠」

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

化物和本草 十五丁裏

「山(やま)の神(かみ)の角(つの)」

◯やまのかみのつのといふハ

人のにょうぼうにはいる

つのなり、ぶんぶのまなこにハ

みへねども、おそろしき

つのなり、これみな、こゝろの

おにのしよゐにてりんき

はなハだ   しつとの

しきがつのつて

かやうのつのをはやす

   おそるべし

   やらむべし

 

化物和本草 十五丁裏

◯さんぞくの

めこあしハつねハ

しばゐにすみ

つきみとし

わすれなどの

 ざしきへ

 おり/\

  いづる

   なり

 

化物和本草 十五丁裏

◯なくこゑ

いたつて

おもしろく

しのぶ

 いらしやん

 せんかいにやあ

     /\と

     なく

 

化物和本草 十六丁表

「三豆の猫足」

   「けんざい

    みもんの

    はなしの

    たね

    じや

 

化物和本草 十六丁表

◯あたまの

くろいねづみハ

アシカといふ

けものにて、ひるハ

いねむりばかりなし

よるになると

目をさらのごとく

       に

      して

 

化物和本草 十六丁表

「頭(あたま)の黒(くろい)鼠(ねずみ)」

    あらわなく

しつぼこなどを

かきさがし、かれいの

ふねなどを

    しやぶり

 いろ/\しよかつを

       あらず

またよふけに

 しやみせんをかづるなり、

 

化物和本草 十六丁表 下

    いちどごうしや

    ますれバ

      続々だひの

      おはなしの

      たねに

       なり

        ま

        す、

 

 

 

化物和本草 読了 20  後書(つれ/″\なるまゝに・・・)  山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

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 化物和本草 読了 20  後書(つれ/″\なるまゝに・・・)

 山東京伝作 葛飾北斎画 寛政十 版元 山口屋忠右衛門

 

 

 化物和本草 3巻

 山東京伝作 1761-1816

 葛飾北斎画 1760-1849

 版元 山口屋忠右衛門

 寛政十 (1798)

 18cm

 黄表紙

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 

 

化物和本草 後書

つれ/″\なるまゝに、ひぐらしふづゝへにむかひ、すりこぎに

はねのはえたる、鳥羽僧正(とばそうしょう)のえまきもの、そこしにうとうの

しまのふのこきたるあかぼんのたハれゑなどをこはると

なく、くりひろげれバ、こゝ住にうつりゆくものみな

ばけものにあらざることなし、やくハんハてんぐににて、

かべのしぶきハゆうれいとうたがふ、しかハあれど、

あやしきをみて

あやしき混ざれバ

あやしき子なし

といへる古語(こゞ)を思へバ、

みなわがこゝろの

まよひなり、たゞ

人のこゝろの

ようぐハいほど

おそろしきハ

なし、みなの

こどもしゆ

  といゝ

あしろのばけものを

  たいぢすべし

  がつてんか

      /″\

 

 

 千 秋

  萬 歳

 

化物和本草 後書 下

 京 傳 戯 作

 

大道にて京傳作と申し売り候、よみうりの

るい、一切、わたくし さゝにてハ被御座候

 

化物和本草 後書 中

京傳見せ、おのゝ様、御ひぬきあつく

日にまし、はんぜう仕り、ありがたく奉在候

きれぢかみたば、この御みながみぶくろゑ

御きせるとうねんハわけて、めつらしき

しんがた遣来申候、御もとめ可被申候

 

    画 工  可 倠

 

 

あしろ  (あじろ 網)〘名〙

① 漁網を打つべき場所。漁場。建場。 ② 川の瀬に設ける魚とりの設備。数百の杭(くい)を網を引く形に打ち並べ、その杭に経緯を入れ、その終端に筌(うけ)などを備えた簗(やな)のようなもの。冬、京都の宇治川で、氷魚(ひお)を捕えるのに用いたので、古来有名。あむしろ。あんしろ。《季・冬》   御みながみ (お女神)  晴天を祈って作る紙人形。てるてる坊主の類。   御みながみぶくろゑ  お女神袋絵   可被申候  申されるべくそうろう            

『絵入 好色一代男』八全之内 巻二【1】 一表 目録 井原西鶴

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『絵入 好色一代男』八全之内 巻二、【1】一表 目録 井原西鶴

 

 絵入  好色一代男   八前之内 巻一  井原西鶴
 天和二壬戌年陽月中旬 
 大阪思案橋 孫兵衞可心板

 

巻二 一表  目録

好色一代男  巻二 目録

 十四歳 はにふの寝道具

     仁王堂飛子(とびこ)の事

 十五歳 髪きりても捨られぬ世

     後家なびける事

 十六歳 女ハおもハゞの外(ほか)

     京川原町(かハらまち)の事

 十七歳 製紙(せいし)のうるし判

     奈良木辻町(きつぢまち)の事

 十八歳 旅のできこゝろ

     道中(だうちう)人どめ女の事

 十九歳 出家にならねばならず

     ゑ戸(ゑど)香具(かうぐ)売の事

 二十歳 うら屋もすみ所

     大坂上町者の事

 

 

『絵入 好色一代男』第二巻からの再開です^^

 

 

 

金々先生造化夢 1 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 1 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

北尾重政  (大辞林)

 (1739~1820) 江戸中・後期の浮世絵師。独学で一家をなす。

 錦絵の美人画をよくし、独自の画風を完成。

 北尾派の祖。また、能書家でもあった。

 

北尾派

 北尾重政を祖とする浮世絵の一派。

 政伸(まさのぶ)(山東京伝)・政美(まさよし)(鍬形蕙斎 (くわがたけいさい) )らが知られる。

政美(まさよし)(鍬形蕙斎)  (日本大百科全書)

 江戸後期の浮世絵師。

 江戸の畳商の子として生まれる。

 初め赤羽、のち鍬形(くわがた)氏。

 名は紹真(つぐざね)、字(あざな)は子景、号は蕙斎(けいさい)、杉皐(さんこう)、通称三二郎。

 晩年は鍬形蕙斎の画名で聞こえた。

 

 北尾重政(しげまさ)の門人で、1780年(安永9)に『十二支鼠(ねずみ)桃太郎』ほか数点の黄表紙に挿絵を描き、浮世絵師としてデビューした。

 黄表紙、洒落本(しゃれぼん)、噺(はなし)本、滑稽(こっけい)本、地誌、随筆類など多方面の版本に挿絵を提供、また天明(てんめい)年間(1781~89)のなかばごろから美人画や武者絵、浮絵(うきえ)などの錦絵(にしきえ)を発表した。

 94年(寛政6)5月、津山侯のお抱え絵師となり、97年6月鍬形氏に改姓、幕府の奥絵師狩野養川院(かのうようせんいん)惟信(これのぶ)に入門した。

 寛政(かんせい)年間(1789~1801)なかば以降『略画式』(1795刊)、『山水略画式』(1800刊)などの画譜類を多く出版、また『近世職人尽絵詞(えことば)』(東京国立博物館)など肉筆画に主力を注いだ。[小林 忠]

 

蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)

 寛延3年1月7日〈1750年2月13日〉 – 寛政9年5月6日〈1797年5月31日〉

 つたじゅう
 江戸時代の版元

 現在のレンタルビデオ・書店大手企業の1つである「TSUTAYA」は、創業者の祖父が営んでいた屋号が「蔦屋」だったことにちなみ、名付けられた。

金々先生造化夢 2 自叙 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 2 自叙 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

一丁表

 自叙

 自叙

李紳憫農詩曰、鋤ノ木日當午、汗滴禾下土、誰知

李紳(りしんのう)憫(あわれむ)農詩(しに)曰(いハく)、鋤ノ木(のぎをすいて)日當(ひごま、あたり)午、汗(あせハ)滴(たる)禾(くわ)下(かの)土(つち)、誰(たれか)知(しる)

盤中飧粒々皆辛苦、と、宣哉 盤中の飧とハ一膳

盤中(ばんちうの)飧(そん)粒々(りゅうりゅう)辛苦(しんくせん)と、宣哉(むべるもがな)盤中(ばんちう)の飧(そん)とハ一膳(いちぜん)

の水漬飯といふことなり、米一粒、布一寸といふとも

の水漬(みづづけ)飯(め)といふことなり、米(こめ)一粒(いちりょう)、布(ぬの)一寸(いつそん)といふとも

何ぞ謾に用んや、其恩 沙弥よりも高し、況衣食

何(なん)ぞ謾(ひたり)に用(もちひ)んや、其(その)恩 (をん)沙弥(しゃみ)よりも高(たか)し、況(いわんや)衣食(ゐしょく)

器財屋室、人間一生日用の、萬物を制し出す

器財(きざい)屋室(おくしつ)、人間一生(にんげんいつしよう)日用(にちよう)の、萬物(ばんもつ)を制(せい)し出(いだ)す

事、幾萬人の辛苦を負けん、量尽がたし、於是偶季

事(こと)、幾萬人(いくまんにん)の辛苦(しんく)を負(をひ)けん、量(はかり)尽(つくし)がたし、於(ここに)是偶(たま/\)季(り)

神が詩を、感ずるのあまり三巻の稗史小説を作り、

神(しん)が詩(し)を、感(かん)ずるのあまり三巻(さんくわん)の稗史(ていし)小説(しやうぜつ)を作(つく)り、

其大意を書して、序となす而已

其(その)大意(たいゐ)を書(しょ)して、序(じょ)となす而已(のみ)

 寛政六甲寅孟陬  山 東 京 傳 題 印

 寛政六甲寅孟陬  山 東 京 傳 題 印

 1 憫む(あわれむ)

 2 うれえる(うれふ)

 3 もだえる

李紳(りしんのう)憫(あわれむ)農詩(しに)曰(いハく)、

 → 李紳農(りしんのう)憫(あわれむ)詩(しに)曰(いハく)、

 すき

鋤ノ木(のぎをすいて)

 芒(ノ木)を鋤(す)いて

日午當(ひごま、あたり)

 午 

「午」は「忤」(ご:「つきあたる」「さからう」の意味)で、草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているとされる。

 後に、覚え易くするために動物の馬が割り当てられた。

 2月の最初の午の日は初午と呼ばれ、稲荷社の縁日となっている。

 相場格言に「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ。

 戌は笑い、亥固まる、子は繁栄、丑はつまずき、寅千里を走り、卯は跳ねる」があり、午年の相場は俗に一服する相場といわれる。

 イネ科、アワ科の植物

 ソン、ばんめし

粒々

 一粒一粒。全ての粒。 

辛苦

 《名・ス自》つらく苦しいこと。苦労すること。難儀。

謾(ひたり)

 おこたる/あなどる/軽く見る/あざむく/だますなどの意味をもつ漢字。

季神が詩を、

 季神(固有名詞)

[音]スウ(慣)
 片すみ。片いなか。

 

 

 

 

金々先生造化夢 3 隣芳斎養気守清貧 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 3 隣芳斎養気守清貧 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

一丁裏 

隣芳斎養気守清貧

むかし/\ある

ぼんくわんねん

かち/\山の

うさぎの

とし 

のこ

金々先生といふものあり、その身

貧して、人のふうきをうら山しく

おもひあけくれ、此事をのみくやみ ゐ

たりしが、ろせいもどきのゑいぐわ

のゆ目を見てより、うき世は夢

のごとしとさとり、それもゆめ、

これもゆめ、ねては夢、おきてハ

ゆめ、あけてハゆめ、くれてハ夢、

ぼたもちを見て、「アァ、ゆめじや

ナァ、」なすびの

うらの物を

見てハ「アァ、ゆめじやナァ、」

となにもろもゆめに

してしまひ、あまり物

をさとりすぎて、これぞ

といふ しゆうばいも、とせい

もせず、うき世をうな

ぎやのはんざいのごとく

 

二丁表

見なしてたゞあけくれ、ぬらり

くらりとくらしけるか、あるとき

ひもじくなりけるゆへ、

ちやづけを一ぜん

してやらんと

手づからにば

なをしうけ

そのちやの

できるうち

とろ/\と

やうかし

ける、

 

二丁表 (挿絵)京傳の言葉

  「おまへのおすが

   たハ、からこの

   とうへ、ねり

   くやうのちご

   のくびをすげ

   ややうだ

 

二丁表 

「そちが

 はなハ

 なんきん

 おこしのできぞこ

 ないときてゐる、

 

二丁表 

  「ここまで

   ござれ

   あまざけ

   しんじよ

 

一丁裏 下

   つたへきゝ、ち

   か松門左門

   じやうなり

   作者の

   く□人なれ

   ども、ねご

   とのもんくに

   ハとまりしと

   かや、われらも

   ねごとの

 

一丁裏 下   

   もんくにハ

   大こまり

   たゞいびきの

   をと

   コウ/\/\/\

 

二丁表 下   

   くちなめづり

   ムニャ/\/\/\

   此外にもし

   ねごとのもんく

   御おんじござ候ハヾ

   御しらせ

   くださる

   べく候

   さつそく

   かきいれ

   し候

 

二丁表 中

 きん/\

 先生の

 ゆめに

 見やう

 あめさい

 くのうぐ

 ひすの

 しつぽの

 ごとし

 

二丁表 中

 小人かんきよ

 して、ふせん

 をなし、ひん人

 かんきよして、手

 せんをなすとハ

 まさにこれ此事ならん

 

ふうき 富貴

 [名・形動]金持ちで、かつ地位や身分が高いこと。また、そのさま。ふっき。

 「富貴になる」「富貴な(の)生まれ」⇔貧賤。

 

ろせい 盧生之夢 (四字熟語)

 人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。
 または、人の人生が儚いことのたとえ。
「盧生」は人の名前。
 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。
 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。

 

ゑいぐわ 栄華 

 栄えときめくこと。権力や富貴をきわめていること。    盧生之夢 →栄華之夢   はなやかに世を過ごす夢。すぐにさめる夢のように栄華のはかないことをいう。   しゆうばい  商売   とせい  暮らして行くための職業。世渡り。生業。  

うなぎやのはんざい

 鰻屋の(お)ばん菜

 

ちか松門左門

 近松門左衛門

 

うき世は夢

のごとしとさとり、それもゆめ、

これもゆめ、ねては夢、おきてハ

ゆめ、あけてハゆめ、くれてハ夢、

ぼたもちを見て、「アァ、ゆめじや

ナァ、」なすびの

うらの物を

見てハ「アァ、ゆめじやナァ、」

となにもろもゆめに

してしまひ、

   ↓

  数年ほど、こんな風に生きてみたい^^

乱鳥徒然 オヨヨ

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『三番叟』 天神祭 船能  (帝国ホテル)

 

 

 

 二年ほど前だったろうか。

 肩まであった髪を何を血迷ったのかとばかりに、ベリー・ショートにした事があった。

 あれから月日が経ち、カットをしつつ髪を伸ばしていた。

 

 今年に入ってから、コロナの怖さを感じ、半年ばかり美容院に行く事が出来なかった乱鳥。

 カットで整えながらならまだしも、肩中まで放って伸びた髪は見苦しい。

 毎日のように

「髪の毛を整えた〜〜い。でも、行くのが、コワ〜〜イ。」

と言っていたら、夫曰く

「切ってあげようか?」

と。

「いやいや、あかんでしょう」

と、私。

 怖さ堪えて、行きつけの美容院に電話し、マスク二枚重ねで美容院に行くと、いつものスタッフがいらっしゃらない。

 

 入り口に消毒液が置かれているでもなく、体温を測るでもなく、入り口を開けるでもなく、大声で迎えて下さる。

 おまけに見かけぬ顔のスタッフは、マスクを取った客と、大声で世間話に花を咲かせておられる。

 いやいや、これぞ、あかんでしょう!

 このご時世、ネットで調べても、マスク着用で最後の仕上げのみ、一瞬マスクを外すとか、無駄話やシャンプー後のマッサージは控えるとか、そんな風に書かれてますでしょう。

 

 一日経って友人に問うと、

「美容院によって、かなりの温度差があるよ。」

との事。加えて、

「先に電話でマスク状況を聞くといいよ。私も、これまでの美容院はマスク取るとこだったので、マスク着用でも良い店に変えたんだ。」

との事。

 

 どうも私の取り組みに問題があったようだ。

 自分の身は自分で守る。それを徹底するためには何が必要かを、各個人が考え行動することが必要な時代到来だと感じた。オヨヨ

 

 

 

 

 


金々先生造化夢 4 二丁裏 三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 4 二丁裏 三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

二丁裏 

きん/\せんせい、ゆめのうち

に、一人のとうじにいさなハ

れ、いづこともわかぬ しんざん

にきたりとみてあれば、

しきのそうくわさきみ

だれぬ きやうもにくんじ

けれバ、又ゑいぐハのゆめの

二はんめでハないか、ちと うつとう

しいぞと思ふをり、うち一人の仙人

あらハれ、きん/\先生にしめして

いろ/\なんちさきにゑいぐわの

ゆめをみて、よりうき世の事ハ

みなゆめなりとさとり、これと

いふ世わたりのわきをせす、これ

ざいのいきすきにて さとらバ、

ときにハおとりなり、なんぼさ

とつても、めしをくハねバ いきて

ゐられす、すでに

古終にもつねの

さんなきハつね

のこゝろなしと

いへり、よしだの

けんろうも みづ

から むしろを

おりて、よわたり

 

二丁表

ことせしなり、まづしバ

らく此山にこうりう

すべし、なんじがな

まだとりのあや

まち、みづから

がてんゆくべし

と、仙人長口上

のうち、きん/\

せんせいハひだ

るくても、どうも

ならず、どうぞ

おちやづけをさら/\

とやらかしてから、

おしめをかけまし

たうござりますと、

こぞ申ける、

仙人曰、

「なんぢうへにのぞみたるよし

 何ぞしよくもつをあたふべ

 きなれと仙人ハ玉のくづ

 をくらい、かすみやきりを

 のんでしよくもつをなす

 ゆへ、にんげんにくハする物

 なし、しバらく待て、おし

 つけちやづけをふるまふべ

          しと△

 

二丁表 中

   △さて/\

    仙人ハ

    きの長き

    ものなり

    きん/\

    先生が

    はらのかげん、お

    もひやられて

    あハれなり

 

二丁裏 下

      「さてハあなたハお仙人

       さまでございまする、

       わたくしハ又ばいやく

       店のどうにんぎやう

       かと、そんじました、

    

二丁裏 下

    これハ

    たしかに

    ゆめで

    ござりませう

    なぜと申すにあ

    なたの おうほが

    ぶしつけながら

    ぼたもちの

    やうだからさ、

    アハヽ/\/\

       /\/\

    かならず

 

二丁表 下

    おきにさへ

    られまする、

   「玉や

    きりと

    のむと

    おつ

    しやれぞ

    どうか

    てづま

    つかいの

    やうだ、

一人のとうしに

 一人の同士に

いさなハれ、

 誘う

ゑいぐハのゆめ

 栄華の夢

古終

 古代の終わり

 終古(歳月のきわまりないこと。長い年月。永遠。)

 

わたくしハ又ばいやく

店のどうにんぎやう

かと、そんじました、

 私は又売薬店の同業人かと、存じました。

 

おうほ 応報(おうほう)

 (したことに対する)むくい。果報。

 

 

 

金々先生造化夢 5 三丁裏 四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 5 三丁裏 四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

二丁裏 

かくての仙人のおかしらお北の

このは、仙人に申つけきん/\せんせい

にくハするちやづけめしのしたく

をするどろぼうをみつけて

なわをなうより もちつと

じれつてへよゥと申

    しざいなり

仙人のおかしらきん/\

せんせいを同道して

びていをみせる、

 

二丁裏 中

  そまの仙人山へ

  いりちやづけの

  ぜんにこしらへる

  木をきり

  いだす、

 

二丁裏 中

  「すみやきの

   仙人ちやづけに か

   すみをこし

   らへんと中

   にてあら

   ぶきゑだ

   をあつ

   める

 

二丁裏 右下

    ひだるいもとをり、ぬ

    けるとよい

    ものにして

    ど

    う

    に

    こらへ

    よく

    なり

    ました、

 

三丁表

「おい

 らが

 しやう

 バイハ

 やらうの

 きてきと

 きている、

 

三丁表

「こびきの仙人、そまの

 仙人がきり(かぎり)いだせし

 たいぼくをひきわり、

 いたわしてぜんをこし

 らへる、仙人にわたす、

ずいこう/\、ずいこうハさいきん

のかへりみず、此くらい わるい

ぢぐちハにんげんの

ほうにハ

なし、

 

三丁表  中

  「まだめしとちや

   と しかける水をくむ

   井戸がハになる木と

   つるべと手をけになる木

   とかうのものを きるまな

   いた、かまのふたとへ、つたいの

   かハほうテウのゑになる木まで

   切らねバならぬ、

   

三丁表  下

     きこりの

     仙人

 

三丁表  下

     ちやづけ

     のめしを

     たく

     まきを

     あつ

     める

びてい

 尾骶(尾骶骨)か

ずいこう

 随行(《名・ス自》目上の人のともをし、つき従って行くこと。また、そのともの者。)

 

Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

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 Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

 1931-1989

 北海道出身の彫刻家

 

 確か三回生か四回生だった頃、一人で北海道に行ったことがある。

 旅も終わりに差し掛かり、真昼間のすすきのを歩いていた時の事。

 粗彫りの立体造形の並んだ店が目に入る。

 そこは京都丸善の『檸檬』(梶井喜次郎)の様な雰囲気の店であった。

 

 作品は一瞬にして私の心を捉え、かなり長い時間楽しませていただいた。

 店のスタッフが、二階に大作があると案内して下さった。

 そこには、ビッキの芸術作品が所狭しと胸を張っていた。

 大きな作品群にはビッキの息吹と威厳を感じた。

 

 私は、ビッキに魅了されたが、芸術作品には手を出すことはできない。

 ビッキの「幸福の鳥」という名の土産を購入。

 学生としては分不相応な値段ではあったが、どうしても欲しかった。

 今も幸福の鳥を時々眺めては、乱鳥、ニンマリと笑う。

 

 先日、たまたま『開運!なんでも探偵団』で砂澤ビッキの作品を見て、そんな事を思い出した。

 

 

 Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

 

 

金々先生造化夢 6 四丁裏 五丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

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 金々先生造化夢 6 四丁裏 五丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

四丁裏 

きぢやの仙人、ちゃづけのぜんのしたぢ

をこしらへて、ぬしやの仙人にわた

す ぬしやの仙人、かしやの仙

人より、うるしをかいとうて、かの

ぜんをしやんげいにぬる、これやも

まだ、しやんけい、したぢのくちな

しを山からとつてだす仙人も

あつぬしやの

仙人のつ

かふはけ 

をこし

らへる、

仙人も

ありその

さき/″\

をくハ

しく

まん

人の

くん

か かぞへ

てし

がた

し、

 

五丁表

やく

しごとをしまつて、あつ

がんを一ツ

はいせ

しめ、うるしと

 でかけたい、

 

ほしやの仙人、ちやづけ

めしをくふはしを こ

しらへる、此はしやの

ごとく みぢかき きにて

かくばしのころんだ事

にも はらをたち、ひつ

さきばしのふうふ

げんくわ ぞうにば

しのふとじるし

などゝと、人をハ ぞう

ばしのごとく、おひつかい、

すぎばしのあげおろし

にやりました、

  仙人なり、

 

「道とをりの女仙

 人、なかにハ つがもな

 くひじろくものあり、

 これらもふよりの人

 にあらず、かような△

 

五丁表 下

うつくしき

仙人を天から

みくだして通り、

すがいにもこの

やうなほねを

おるは、よく人

のめをよろ

こばせ給う

   なり

 

四丁裏 下

  「うるしやの仙人ハちやづけの

   ぜんへぬるうるしを

   こしらへる、これも山

   からうるしをとり

   きたり、うるしやの

   仙人のてんわたる

   までにハ おゝく

   の仙人の手に

   かゝる事なり、

   そのしんく

   のべつくし

   がたし

 

四丁裏 下

  「オット、めくら

   仙人、つゑの

   ほう/\

   これで けふも

   五たび しりを

   つゝつかれるうるしやハはく

   たくとひらめが、うら

   やましい せなかに

   めが

   ある

   から

 

四丁裏 下

  「めくら

   仙人ゑて、うるしや

五丁表 下

   のしりを ほつつく

        もの

        なり

 

しやんげい しやんけい

 上芸か?

 

うるしをかいとうて、かの

ぜんをしやんげいにぬる、これやも

まだ、しやんけい、したぢのくちな

しを山からとつてだす仙人も

 漆を買いとうて、彼(か)の膳を しゃんげい(上芸か?)に塗る、此れやも、まだ、しやんけい(上芸か?)、下地の梔子(くちなし)を山から取って出す仙人も

 

したぢのくちなし

 したぢとして梔を塗り、黄色味をおびさせてから上塗りをしたのだろう。

 正月のおせちや料理で、梔子(くちなし)の花を使って黄色に着色する。

 日本の伝統食の一つで、染色にも使われた。梔子色の帯揚げや着物の裾に少し使うと、華やぎがありそうだが、翫雀時代の中村鴈治郎が全身梔子色の麻呂風着物姿で「ぼっちぃ〜!」と自分の事を指さす(新 歌舞伎『蜷川十二夜』)と、さぞや楽しい舞台になるであろう。 ああ!芝居が見たい!!!

梔子色(くちなしいろ、支子色)

支子色(くちなしいろ)

 

ひつ

さきばしのふうふ

げんくわ ぞうにば

しのふとじるし

などゝ

 ひっ裂き橋の夫婦喧嘩、雑煮の麩とじ汁品等と

2020. この夏のももちゃん (5枚)

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 2020. この夏のももちゃん (5枚)

 毎日、7回程 パパさんに連れられて、シィシィ。

 短いお散歩以外、モモは、お家にいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  暑いので、どの写真も舌を出しています^^

 

 

 

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