Quantcast
Channel: 乱鳥の書きなぐり
Viewing all 5148 articles
Browse latest View live

仮名手本胸之鏡 下 14 二丁裏 三丁表

$
0
0

仮名手本胸之鏡 下 14 二丁裏 三丁表

早稲田大学所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_02946/he13_02946_0054/he13_02946_0054.html

仮名手本胸之鏡 下

山東京伝 作

歌川豊国 画

早稲田大学デジタル図書

通油町(江戸)  [蔦屋重三郎]

寛政11 [1799]

黄表紙

仮名手本胸之鏡 下 14 二丁裏 三丁表

 

下 一丁裏 上

やけのゝきゞす、よるのつるてう

るひ ちゝとひでさへしさぬ

ものハ なし、

しかる

をおや

のみ

にて

子を

かさ

する

これ

 

ぎりにせめらるゝ

なり、そのくるしみ

いかばかりならん

 

「こなせがかたなをふり

 あげたところハ、こなみが

 いのちハまことにかぜのまへの

 ともしびのごとくなり

 

刀を振り上げる鬼の頭に ぎり

なんとぎりハかれまいが

ぎり/″\むすめをころ

せやひ

 

風神のような鬼

油壺には 命

鬼は油壺の灯火に大風を吹きかける

 

女の着物に も

女は刀を持ち、刀を持つ鬼と戦っている。

 

  「おやの身で

   なんとかたなが

   あてらりやう

   あゝ、くるしや

        /\

 

泣き崩れる女

   おん

   あい

親の帯は、泣き崩れる女(娘)に繋がっている。

娘が親に引かれているような状態

親の着物は、波文様

袖に 本 (親の名は本ぞう)の文字

 

下 三丁表 下 

    本ぞう、子ゆへの

    やみにまよひて

    おん、あいにひか

    るゝ

鏡に写る画

家に中では祈る女に、刀で切りつける女

外戸口で虚無僧に扮した男が、家の中をのぞいている

 

鏡の下には 

     おや の おん の かゞみ

    親の恩の鏡

 

下 三丁表 下

    ほんぞうが子ゆへのやみに

    まよひて、おん、あいにひる

    るゝところあたりも、おゝつ

    ゑのざとうのごとし

 

   「かゝるおやのおんをしらぬ

    子ハとり、けだものにもおとるべし

    これらがよきおやのおんのおんぞ、こと

                    なり

 

 

仮名手本胸之鏡 下 14 二丁裏 三丁表

 

 

下 一丁裏 上

やけのの きぎす、夜の鶴、鳥

類 父とひでさえしさぬ

ものは 無し、

しかる

を親

のみ

にて

子を

かさ

する

 

義理に責めらるる

也、其苦しみ

如何ばかりならん

 

「こなせが刀を振り

 上げたところは、こなみが

 命は誠に風の前の

 灯火の如く也

 

刀を振り上げる鬼の頭に ぎり

なんと義理が枯れまいが

ぎりぎり娘を殺

せやい

 

風神のような鬼

油壺には 命

鬼は油壺の灯火に大風を吹きかける

 

女の着物に も

女は刀を持ち、刀を持つ鬼と戦っている。

 

  「親の身で

   なんと刀が

   当てらりょう

   ああ、苦しや

        苦しや

 

泣き崩れる女

   恩

   愛

親の帯は、泣き崩れる女(娘)に繋がっている。

娘が親に引かれているような状態

親の着物は、波文様

袖に 本 (親の名は本ぞう)の文字

 

下 三丁表 下 

    本蔵、子故の

    闇に迷いて

    恩、愛に引か

    るる

鏡に写る画

家に中では祈る女に、刀で切りつける女

外戸口で虚無僧に扮した男が、家の中をのぞいている

 

鏡の下には 

     おや の おん の かゞみ

    親の恩の鏡

 

下 三丁表 下

    本蔵が子故の闇に

    迷いて、恩、愛にひる

    るる所辺りも、大杖

    の座頭の如し

 

   「かかる親の恩を知らぬ

    子は鳥、獣にも劣るべし

    これらが良き親の恩のおんぞ、こと

                   也

 

 

こなせ(固有名詞)、こなみ(固有名詞) 

「こなせが刀を振り

 上げたところは、こなみが

 命は誠に風の前の

 灯火の如く也

 →父親の着物が波文様なのは、娘の名によるものか、、、

ざとう 座頭

 1盲人の琵琶(びわ)法師の位。勾当(こうとう)の下。

 2頭髪をそった盲人で、琵琶・三味線(しゃみせん)をひいて語り物を語ったり、あんま・はり等を業としたりした者。

 


仮名手本胸之鏡(上中下読了^^v)  17 下 五丁裏

$
0
0

仮名手本胸之鏡(上中下読了^^v)  17 下 五丁裏

早稲田大学所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_02946/he13_02946_0054/he13_02946_0054.html

仮名手本胸之鏡(上中下読了^^v)

 

仮名手本胸之鏡 下

山東京伝 作

歌川豊国 画

早稲田大学デジタル図書

通油町(江戸)  [蔦屋重三郎]

寛政11 [1799]

黄表紙

仮名手本胸之鏡 下 17 五丁裏

 

 

提灯14個に書かれた文字

 い ろ に

 ま よ ふ な

 さ け は

 ご む よ う

 

下 五丁裏 上

大ぼしか いろとさけとをもつて

かたきをあざむき、大功(たいこう)をたて

たれをも世(よ)の人のふちうふつうを

なす、そのみなれハ、たぶんいろと

さけなり、此二つを

つゝしまば

いつしぞか

心がす

くして

みをあや

めること

なかるべ

   し

がてん

  か

 /\

 

 

下 五丁裏 下

    京傳作

    ◯山東京傳作にて

     忠臣(ちうしん)水滸伝(すいこでん)と申、五さつもの

     おもしろきものがたりもの

     出来仕候、これハちうしんぐら

     を すいこでんのすぢにかき

     とりさバきうしあり

 

    ◯京傳、店にてあきなひ候、はな

     かみぶくろかひ

     御かみたばこ入候   キセルの絵

     べつしてとう年ハめずらしき

     しんがたおほく御ざ候あいだ

         にもとめ可被下候

 

 

         千秋萬歳    

         めでたく

         筆をとゞむ

 

 

仮名手本胸之鏡 下 17 五丁裏

 

 

提灯14個に書かれた文字

 い ろ に

 ま よ ふ な

 さ け は

 ご む よ う

  色に迷うな

  酒はご無用

 

下 五丁裏 上

大星が 色と酒を以って

仇を欺き、大功(たいこう)をたて、

誰をも世(よ)の人のふちゅうふつうを

なす、その見慣れは、たぶん色と

酒也、この二つを

慎しまば

いつしぞか

心が空く(すく)

して

身を殺(あや)

めること

なかるべ

   し

合点

  か 

合点

  か

 

 

下 五丁裏 下

    京傳作

    ◯山東京傳作にて

     忠臣(ちゅうしん)水滸伝(すいこでん)と申す、五冊物

     面白き物語もの

     出来仕(つか)わし候、これは忠臣蔵

     を 水滸伝の筋に書き

     取り、さばき、うし有り

 

    ◯京傳、店にて商い候、

     鼻紙袋買い

     御紙煙草入れ候   キセルの絵

     別して当年は珍しき

     新型、多く御座候間(ござそうろうあいだ)

         に、求め下されるべく候

 

 

         千秋萬歳    

         めでたく

         筆を止どむ

 

 

い ろ に

ま よ ふ な

さ け は

ご む よ う

大ぼしか いろとさけとをもつて

かたきをあざむき、大功(たいこう)をたて

   ↓

 大星の色と酒にのめった様に見せかけ、作り阿呆で大成をなす。

 この場面の大星は片岡仁左衛門がいとよろし。

   芝居見たいや

   見たやの芝居

   芝居見たやで

   読む草子

 

 

忠臣蔵

を 水滸伝の筋に書き

取り、さばき、うし有り

 忠臣蔵を 水滸伝の筋に書き取り、さばき、無くなってしまった。

もとめ可被下候

 求め下されるべく候

千秋萬歳

 歳月の非常に長いこと。また、長寿を祝う言葉。▽「千」「万」は数の非常に多いことを示す。「秋」「歳」はともに年のこと。千年、万年の非常に長い年月の意。「万歳」は「ばんぜい」「まんざい」とも読む。

 

 

   

 

 

今昔狐夜噺 1 上,、中、下 十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 1 上,、中、下 十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

げんじ の くちきり

源氏口切

へいけ の ろひらき

平家炉開

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

 

巳 新板

 

舎 (山吉)

舎 (山吉)

 山に、榎本屋吉兵衛の吉

今昔狐夜噺 2 上、中、下 十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 2 上、中、下 十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

来ル巳正月より  作者 十返舎

              一九

 

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

      全部 三番纉

 

右古今、まれなる大道具

大じかけ、幕なしにて、奉

入 御覧候以上

       板元

 

来たる巳 正月より  作者 十返舎一九

 

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま は むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

      全部 三番纉

 

右(ここでは、上)古今、稀(まれ)なる大道具

大仕掛け、幕無しにて、奉り

入り、 御覧候え 以上

       板元

 

 

表紙では、下の様に書かれているが、

げんじ の くちきり

源氏口切

へいけ の ろひらき

平家炉開

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜話 上

裏表紙では

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜話 上

上の様に、赤い文字の部分がテレコになっている事に面白みを感じる。

         

  (口切、炉開)→(炉開、口切)

 

今昔狐夜噺 3 (いまハむかし きつねのよばなし) 一丁裏 二丁表  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 3 (いまハむかし きつねのよばなし) 一丁裏 二丁表  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺一丁裏

こゝにみめ

ぐりのほ

とりに

くさの

いほ

むすび

よをのがれ

くらす

らくさいと

いふものあり

おゑどの

まんなかに

有、とやしき

ひきまハした

大あきんど

なりしが、あと

しきハむすこに

ゆづりて、そのみハ

わかいんきよの

みのうえ

なれバ、このところへ

ひきこもり、わかんの

ふみをのみ、ともと

して、たのしみ

くらしけるが、らく

さいあるとき、ほか

よりかへりが、どの

とのすきまかり

 

今昔狐夜噺二丁表

ふとのぞき

見けるに

めしたき

おとこの

こん八と

いふもの、よねん

なく、いろ/\の

しよもつをとり

いたし、ながめいたり

けるが、このこん八の

すがた、いつと

なく、きつね

のすがたと

なり、なをも

よねんなく

しよもつに

見入れたる

ありさま

らくさいも

おどろき

ながら

よふすを

なをも

うろぐ

 

今昔狐夜噺一丁裏 中央

鼠頭の異形が、草子を読んでいる

    「明徳(めいとく)を

     あきらか

     にすると

     いふ事がやふ/\と

      わかつてきた

      うれしや

         /\

 

 

今昔狐夜噺二丁表 下

門口で黒い羽織の男(楽斎)が中をのぞいている

     さてハこん八ハ

     きつねでおつ

     たか、どうりで

     よく

     あぶ

     らげ

     のさい

     はかり

     くり

     せた

     

   

 

   

 

今昔狐夜噺一丁裏

此処に見目

ぐりの辺り

草の

いを

結び

世を逃れ

暮らす

楽斎(固有名詞)と

云う者あり

お江戸の

真ん中に

有り、と(とある)屋敷、

引き回した

大商人

成りしが、後

敷きは息子に

譲りて、その身は

若隠居の

身の上

なれば、この所へ

引き篭もり、和漢の

文をのみ、友と

して、楽しみ

暮らしけるが、楽斎、

或る時、他

より帰りが、どの

との、隙間かり(ママ から)

 

今昔狐夜噺二丁表

ふと覗き

見けるに

飯炊き

男の

こん八と

云う者、余念

無く、色々の

書物を取り

致し、眺め居たり

けるが、このこん八の

姿、いつと

なく、狐

の姿と

なり、尚も

余念無く

書物に

見入れたる

有様、

楽斎も

驚き

ながら

様子を

尚も

うろぐ

 

今昔狐夜噺一丁裏 中央

鼠頭の異形が、草子を読んでいる

    「明徳(めいとく)を

     明らか

     にすると

     云う事が、ようようと

      分かって来た

      嬉しや

         嬉しや

 

 

今昔狐夜噺二丁表 下

門口で黒い羽織の男が中をのぞいている

     扨はこん八は

     狐でおったか、

     道理で

     よく

     油揚げ

     の菜

     ばかり

     喰り

     せた

一代目十返舎一九の『今昔狐夜噺』での言葉の特徴

下は一例

   すきまかり(隙間から)

   くりせた(喰りせた→食っていた)

 

明徳

 1 正しく公明な徳。
 2 《「大学集注」から》天から与えられたすぐれた徳性。

徳性

 徳義をそなえた品性。道徳心。道徳意識。

 

 

 

 

今昔狐夜噺 4 (いまハむかし きつねのよばなし) 二丁裏 三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 4 (いまハむかし きつねのよばなし) 二丁裏 三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺二丁裏

らくさい

もろ/\と

いほりの

たちへいり

けれ□□るの

とん八ハいつ

しんに本を

よみいたりし

ゆへ、らくさいの

かへりたるをもしらず

こん八とよばれて、はつと

おどろき、へいふくして申けるハ

わたくしハちるごろのあたりへ

ひきこしたる

きつねにて候が

そこもとのはくがく

たさいなるを

うらやましく

わたくしも

ちくせうにハ

うまれたれ

ども、せん

ねんのよわひ

をたもち、ふるぎ

つねのことしまでも

ついにしりをく人に

見られず、かへつて

人をばかさんと

にんげんのかたちと

なるつゞり

 

今昔狐夜噺三丁表

わきじざいのみのうえでも

ちくせうの

あさましさ

いちもんもんめ

のこのみなれバ

てんとうを

しらずして

ふぢゆんの

みちにまよい

せうがいくらき

よりくらき

をたどるこゝち

して、ついにあ

かるきみちへ

いですして

くちはつる

こと、くち

おしく、なに

とぞ、ほん

せんのみち

をまなび

たく、さて

こそにん

げんのすがたと

なりて、御ほうこう

いた□□(欠け)さゆふに

□(欠け)ちをまなび

今こそめいとくを

あきらめにするの

こゝちをあきらめ▲

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

   ▲候ゆへ、あらうれしやとぞん

   じおもわず、われをわすれて

   ほん  せうをあらわし

       もはや

       にんげんの

       まじ

       わりも

       いなわず

       おなごり

       おしけれ

       ども、御

       いとま申

       たるへし

       と、楽斎

       へ

       ねがひ

       ける

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

茶を点てる楽斎と対座し、

楽斎に指を指す、こん八

   「これハわた

    くしがしいじ  

    のせうねだま

    でござり

    ます

    ぞ

性根玉を挟んで

    もちてが

    もちてゆへ、今

    までハひかりも

    でませなんだが、みちを

    あきらめましたら

    たちまち

    このとうりで

 

 「ハヽア、おれハ

  また、とりの

  まちのみや

  げるとおもつ

  たら、しんがく

     心学

  性根玉ハ

   そのたま

   のことじや

       の

 

 

     さて/\

     よくひかる

     たまだ

     イヨ、たまや

     と、いひたい

     よふだ

 

今昔狐夜噺二丁裏

楽斎

諸々と

庵の

館へ入り

ければ、居るの

こん八は、一心

に本を

読み至りし

故、楽斎の

帰りたるをも知らず

こん八と呼ばれて、「はっ」と

驚き、平伏して申けるは

私達はちるごろの辺りへ

引っ越したる

狐にて候が

其処もと(そこもと)の博学

多才なるを

羨ましく

私も

畜生には

生まれたれ

ども、千年

の齢

を保ち、古狐

の事、し(知る)までも

ついに知り置く人に

見られず、却って

人を化かさんと

人間の形と

なる綴り

 

今昔狐夜噺三丁表

わき、自在の身の上でも

畜生の

浅ましさ

一文、匁

のこの身なれば

天道を

知らずして

不純の

道に迷い

生涯暗き

より暗き

を辿る心地

して、ついに明るき

道へ

出でずして

朽ち果つる

事、口

惜しく、何卒

、本線

の道

を学び

たく、扨こそ、

人間の姿と

成りて、御奉公

致したさ故に

道を学び

今こそ 明徳を

諦めにするの

心地を諦め▲

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

▲候故、あら嬉しやと存知、

   思わず、我を忘れて

   本性を現し

       もはや

       人間の

       交わりも

       否わず

       御名残

       惜しけれ

       ども、御

       暇 申し

       たるべし

       と、楽斎

       へ

       願い

       ける

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

茶を点てる楽斎と対座し、

楽斎に指を指す、こん八

   「これは私

    が しいじ  

    の

    でござり

    ます

    ぞ

性根玉を挟んで

    持ち手が

    持ち手故、今

    までは光も

    出ませなんだが、道を

    諦めましたら

    たちまち

    この通りで

 

今昔狐夜噺三丁表

 「はぁぁ、俺は

  又、鳥の

  まちの見上げる(みやげる)

  と思っ

  たら、心学(しんがく)

  性根玉は

   その玉

   の事じゃ

       の

 

今昔狐夜噺三丁表

     扨々

     よく光る

     玉だ

     「いよ!玉屋!」

     と、言いたい

     ようだ

 

 

けれ□□るの

 □は、欠け 

   庵の

   館へ入り

   けれバ、いる  (か?)

 楽斎が囲炉裏の庵に入ると、こん八が居たと云う意味。

 

平伏(へいふく)

《名・ス自》ひれふすこと。両手をつき、頭を地や畳につけて礼をすること。

 

ちるごろのあたり(ちるごろの辺り)

 ちるごろ(固有名詞) 土地名

 

いた□□(欠け)さゆふに

 いたしたさゆうに(致したさ、ゆうに)

□(欠け)ちをまなび

 みちをまなび(道を学び)

 

くちはつる

こと、くち

おしく

 掛詞 口、朽ち

 今昔狐夜噺でも上のような掛詞が多く使われている。

 

 性根玉を花火に見立てる。

      ↓

     さて/\

     よくひかる

     たまだ

     イヨ、たまや

     と、いひたい

     よふだ

 

心学(しんがく)

 中国

 宗明理学の学派のひとつ。陸王心学、陸王学派、心学派とも。

 日本

 陽明学の異称。上記参照。

 

 石門心学

 石門心学(せきもんしんがく)は、日本の江戸時代中期の思想家・石田梅岩(1685年 - 1744年)を開祖とする倫理学の一派。

 平民のための平易で実践的な道徳教のことである。

 

 

今昔狐夜噺 5 (いまハむかし きつねのよばなし) 三丁裏 四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 5 (いまハむかし きつねのよばなし) 三丁裏 四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺三丁裏

かのこん八

ぎつねハ、らく

さいに、い

と□□(欠け)

もと□□(欠け)

これまでの

御おんなが/\

ふねくるまにも

つまれねほどの

ありがたさ、おん

れいにハふくを

さづけてあげ

たくても、そんな

事ハおきらい也、

きつねとせうで

あらわし(まま)うへハ

うまいものをあげ

ても、うまのふん

かとおぼしめす

であろふこのうへハ

何もおなぐさみ

せんねんにてみしが、わうい

とき見ました げんへいの

うつせんいちのたに、さか

おとし、ゆしまのさかいの

よふすを、今このおゆわ

さきにていたく御らんににいれ

ませう、とゝんまれなる大どうぐ

 

今昔狐夜噺四丁表

まくなしにて

おめにかけま

せう、まづさい

しよが、いちの

たに、すまの

うら、へいけがた

ぢんちうの

ていをいたして

おめにかけんと

せうじを

ひらきみせ

けれバ、はるか

のむかふに

ぢんちうの

ありさま

いちのたにの

やまにより、なみうち

ぎわまでさくゆいわたし

あかはた、てんにふき

なびきと、

ふたバぐんきの

もんくのとふ

りてにとる

ど□□(欠け)へ

□□□(欠け)らく

□(欠け)い大きに

かんしんして

 みとれいる、

 

今昔狐夜噺三丁裏 中

   「さいしよ

    御らんに

    いれまする

    が、いちの

    たに、す

    まのだ

    いりの

    けいしよく

    これも

    これ

    よに

    いります

    れば

    てう

    ちんたい

    まつひ

    をとも

    して

    おめ

    にかけ

    ます、

 

今昔狐夜噺三丁裏 下

     「まだ

      /″\はい

      ふきより

      じやをいだ

      しする

      ほんに、ことき

      をつくして

      おめにかけ

      ませふ、

 

今昔狐夜噺四丁表 下

    「いや

     はや

      おそろかし

      さまご ことし

      のさまごにや

      ゆだんが

      なら

      ぬ

      

 

今昔狐夜噺三丁裏

かの こん八狐は、

楽斎に、い

と□□(欠け)

もと□□(欠け)

これまでの

御女が、御女が、

船来る間にも

積まれね程の

有難たさ、御礼

には福を

授けて

上げたくても、そんな

事はお嫌い也、

狐と性で(性根を)

現す(あらわし ママ)上は

美味い物をあげ

ても、馬の糞

かと思し召す

であろふうこの上は

何も御慰み、

千年にて見しが、多い(わうい)

時見ました 源平の

討つ 戦、一の谷、逆(さか)落とし

湯島の境の

様子を、今この、おゆわ

さきにていたく御覧に入れ

ましょうと、とんと(とん)稀なる大道具

 

今昔狐夜噺四丁表

幕無しにて

お目にかけま

しょう、先ず最初が、

一の谷

須磨の浦

平家方

尋常の

程を致して

お目に掛けんと

障子を

開き見せ

ければ、遥か

の向こうに

尋常の

有様

一の谷の

山により、波打ち際

まで索ゆ 言い渡し(いわたし)

赤旗、天に吹き

靡きと、

双葉軍記の

文句の通り

てに、とる

ど□□(欠け)へ

□□□(欠け)らく

□(欠け)い大きに

感心して

 見とれいる、

 

今昔狐夜噺三丁裏 中

   「最初

    御覧に

    入れまする

    が、一の谷

    須磨の

    内裏の

    けいしょく

    此れも

    此れ

    世に

    入ります

    れば、

    提灯

    松明

    を灯して

    お目

    に掛け

    ます、

 

今昔狐夜噺三丁裏 下

     「まだ

      まだ、はい

      ふきより

      じやを出(いだ)

      しする

      ほんに、事、気

      を尽くして

      お目に掛け

      ましょう、

 

今昔狐夜噺四丁表 下

    「いや

     はや

      恐ろ(おそろ)かし

      さまご、 ことし

      のさまごにや

      油断が

      なら

      ぬ

      

 

 

さまご

 ?

 

一の谷   (ウィキペディア)

 一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8(1118)年2月に摂津国福原および須磨で行われた戦い。(源平合戦)における戦いの一つ。

 

逆(さか)落とし   (ウィキペディア)

 精兵70騎を率いて、一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は戦機と見て坂を駆け下る決断をする。

 

 

 

 

今昔狐夜噺 6 (いまハむかし きつねのよばなし) 四丁裏 五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 6 (いまハむかし きつねのよばなし) 四丁裏 五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺四丁裏

よのなかに、ふしぎな□□(欠け)

□(欠け)うろしも、たねのない

□(欠け)なざまハできぬもの

にて、きつねがつうりき

も□□(欠け)とくいちのたに

へいけのちんどりおほくと

見へたるそのたねハと

いへバ、このゑのごとく

やくらと見へしハ、ところ/″\の

なるこなわ、しゝごやハしろと

見へ、いなむらかざしをよろい

むしや、とちゆう つうせし

きつねのつうりきなれぼ

はくがくのらくさいさま

でも、こんな事ハ

御ぞんじ

あるまい、

きつねも

いまハ

たねを

見せて

ばかす

やふに

なり

やた、

 

今昔狐夜噺五丁表

きつねが

こう

ぜうに

あたがい

どん/″\

ちやん/″\の

おとに

つれて、つ

かいが

三年ひよ

どり、ご人

のてい

さい

せう

よし、

つねをはじ

め、あまたの

ぐんびやう

さりおとしの

ありさま

ふきやてうの

かしへだし

ても、はづかし

からぬきつねの

□□(欠け)き、まことに

 おそれいつた

 ものなり

 

今昔狐夜噺四丁裏

  「これから又

   てつかいが

   みねの

   せりさけ

   が大じかけ、

   とか/\

   とう/\

    でなけれバ

    おちが とれ

        ませぬ

 

今昔狐夜噺五丁表

  「ありや

    /\

    /\

 

今昔狐夜噺五丁表 

   「ゑい/\わい

       /\

    どん/″\

     どた/″\

     □□(欠け)チキ

           チャン

 

今昔狐夜噺四丁裏

世の中に、不思議な□□(欠け)

□(欠け)うろしも、種の無い

□(欠け)な樣(ざま)は出来ぬ物

にて、狐が通力

も□□(欠け)とくいちの他に

平家の珍鳥多くと

見へたる その種はと

云えば、この絵の如く

櫓と見えしは、所々の

鳴子縄、獅子小屋は しろと

見へ、稲村翳し(かざし)を鎧

むしや、途中 写せし

狐の通力なれぼ

博学の楽斎様

でも、こんな事は

御存知

有るまい、

狐も

今は

種を

見せて

化かす

様に

成り

やた、

 

今昔狐夜噺五丁表

狐が

口上に

与えがい

どんどん

ちゃんぢゃんの

音に

つれて、使いが

三年鵯(ひよどり)

御人

の体裁、

良し、

常を初め

頭の

軍兵

去り落としの

有様

ふきや町の

貸しへだし

ても、恥ずかし

からぬ狐の

□□(欠け)き、誠に

 恐れいった

 物也

 

今昔狐夜噺四丁裏

  「これから又

   手番が

   峰の

   芹酒

   が大仕掛け、

   とかとか

   とうとう

    でなければ

    おちが とれ

        ませぬ

 

今昔狐夜噺五丁表

  「ありや

    ありや

    ありや

 

今昔狐夜噺五丁表 

   「えいえい、わい

       わい

    どんどん

     どたどた どたどた

     □□(欠け)チキ

           チャン

 

獅子村だの口上だの、

『仮名手本忠臣蔵』の二つ玉の段を思い浮かべる。

 定九郎役は何と言っても、片岡仁左衛門丈で見たい。

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

こうぜう(口上)

 

 

 

 

 


今昔狐夜噺 7 (いまハむかし きつねのよばなし) 五丁裏 六丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 7 (いまハむかし きつねのよばなし) 五丁裏 六丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺五丁裏

ひよ

どりごへ

さかおとし

のよろい

むしや

とみへ

たるハ

かきみ

かんの

たぐひなり

まのきつね

すけにきたり、

さかおとしの

てつだいをする

なんきんあやつりの▲

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  ▲かくにて木のゑだへ

   あがつてつかうきねの

   うちでも よつほと

   きゆふ えだのてやいが

       つうつて

       いる   

 

今昔狐夜噺六丁表

よせだいこのどん/″\と

きこへしハ、いなり

さまのたいこのおと

ちやん/\ハ、わにぐち

にて、きつねの

うちにても

いたみ、

でやいが

より あつ

まり、

おもい/\に

おちを

とらんと

しやかうしける

ひるなかにおい

だしたる き

つねや うまに

のせたる きつねハ

なんのやくにたゝ

ねども、よるのき

つねハ、なか/\

わかしゆをも

わかしかねぬ

い□□□(欠け)

 よつぷど

 きのきいた

  ものなり

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  「よろひ

   むしゃが

   ひとやま四もんと

    わるくちをいうこなしき

 

今昔狐夜噺五丁裏 下

     「ももくり

      三ぜんかきハ

      せんあうしせて

        いちまん

        よきばら

        り/\とやま

        かぜにおちちる

        ごとく、すさまじし

        このところの りじの

            もんくなり

 

今昔狐夜噺六丁表 下

        「ちつとむまの

         ほねのしんと  

         きらつせへ

 

今昔狐夜噺六丁表 中

  「せりだしの

    あなハいゝかの

    いし

    ぢぞうの

    せりあげ

 

今昔狐夜噺五丁裏

鵯(ひよどり)子(ご)へ

逆(さか)落とし

の鎧

武者

と見え

たるは、

柿、蜜柑の

類也、

魔の狐助(固有名詞)

に来たり、

逆落としの

手伝いをする

南京操りの▲

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  ▲かくにて木の枝へ

   上がって遣う杵の

   うちでも よっぽど

   きよう、枝の手やいが

       通(つぅ)って

       いる   

 

今昔狐夜噺六丁表

寄せ太鼓のどんどんと

聞こえしは、稲荷様

の太鼓の音

チャンちゃんは、鰐口

にて、狐の

うちにても

痛み、

出会い(でやい)が

より 集まり、

思い思いに

オチを

取らんと

しゃこうしける

昼中に追い出したる

狐や馬に

乗せたる 狐ハ

何の役に立た

ねども、夜の狐

は、なかなか

若衆をも

沸かしかねぬ

い□□□(欠け)

 よっぽど

 気の利いた

  者なり

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  「鎧

   武者が

   一山四文と

    悪口を言う子、無しき

 

今昔狐夜噺五丁裏 下

     「桃栗

      三千、柿八千

      合わせて(あうしせて)

        一万

        良き腹り、良き腹り

        と山風に落ち散る

        如く、凄まじし、

        この処の りじの

            文句也

 

今昔狐夜噺六丁表 下

        「ちっと、馬の

         骨のしんと  

         斬らっせえ

 

今昔狐夜噺六丁表 中

  「迫り出しの

    穴はいいかの

    石地蔵の

    迫り上げ

 

 

 

わかしゆ(若衆)

よつぷど(よっぽど)

合うしせて(合わせて)

 

迫り出し、迫り上げ

  「迫り出しの

    穴はいいかの

    石地蔵の

    迫り上げ

  乱鳥、歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

  

今昔狐夜噺 8 (いまハむかし きつねのよばなし) 六丁裏 七丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 8 (いまハむかし きつねのよばなし) 六丁裏 七丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺六丁裏

さてもへいけがたにハ

かなわじとやおもい

けん、われも/\と

ひ□□(欠け)せんにとり

のり□(欠け)にをさし

て、こきいだすを

のがさじと、げん

じのつわもの

おつかけ/\

たくかいけるに

はるかのふねに、

ひのまるかいたる

あふぎをおしたて

玉むしといふ

くわん女へ、さきに

い出て、ひなたぼこを

していたりける、この

たまむし、うつくしい

やりとおもいのほか

とんだ あはたづら

なり、どうりこそ

よく/\見れば

いしぢぞう也

ぜんざい/″\いうに

げんじのやり ばら

このあふぎの

 

今昔狐夜噺七丁表

まとをいる

べし、「われハこれ、玉むしと

いふ うつくしい

くわん女のつもり

なり、ゆめ/\うた

がふことなかれ」と、かきけす

や、ふでハなく、やつはり

さつくりとたつていたり

けるに、なすのよいちハ

とり おどしにて、もち

まへのゆみや おつとり

かのおふだのまと

ねらつてハいれども

いつきつて はなす

ともしれず

されども きつね

つうりきにて

どこぞのはづみ

にむつちりと

おふぎにわたつて

とびちりければ

ゐたりや/\

あつはれ ハだしの

ゆ□□□(欠け)やと

□(欠け)んずる こへハ

□(欠け)らましいほど

       きこへる

 

今昔狐夜噺六丁裏 中

  「おのゝ

   こまちが

   なれのはて

   やまだのうじと

   うたわれた

   おとこだァ〜

     つがも

     わへ

 

今昔狐夜噺六丁裏 下

     すゞ

     がもり

     からの

     くだり、らう

     そくハ また

     かくべつ

 

今昔狐夜噺七丁表 下

    「よその

     かたしハ

     まとに

     なるが

       このかゝしハ

       あちら

       こちらだ

 

今昔狐夜噺六丁裏

扨も平家方には

叶わじとや思い

けん、我も我もと

ひ□□(欠け)せんに、とり

のり□(欠け)にを差し

て、扱(こ)き出だすを

逃さじと、源氏

の兵(つわもの)

追っかけ追っかけ

たく、(船を)かいけるに

遥かの船に、

日の丸描いたる

扇を押し立て

玉虫と云う

官女へ、先に

い出て、日向ぼこ(ひなたぼこ)を

していたりける、この

玉虫、美しい

槍と思いの外

とんだ 粟田面(あわたづら)

也、道理こそ

よくよく見れば

石地蔵也

善哉善哉 云うに

源氏の槍 ばら

この扇の

 

今昔狐夜噺七丁表

的を射る

べし、「我はこれ、玉虫と

云う 美しい

官女のつもり

也、夢夢疑う

事なかれ」と、搔き消す

や、筆は無く、やつぱり

さっくりと立って居たり

けるに、那須与一は

鳥脅しにて、持ち前

の弓矢 押っ取り

かのお札の的

狙ってはいれども

粋って 話す

共知れず

されども 狐

通力にて

どこぞのはづみ

に むっちりと

扇に渡って

飛び散りければ

いたりゃ、いたりゃ

あつぱれ 裸足の

ゆ□□□(欠け)やと

□(欠け)んずる 声は

□(欠け)らましい程

       聞こえる

 

今昔狐夜噺六丁裏 中

  「小野小町が

   なれの果て

   山田の氏と

   うたわれた

   男だァ〜

     つがも

     わへ

 

今昔狐夜噺六丁裏 下

     鈴ヶ森

     からの

     下り、蝋燭は 又

     格別

 

今昔狐夜噺七丁表 下

    「よその

     かたしは

     的に

     なるが

       この案山子は

       あちら

       こちらだ

 

 

くわん女

 官女

 

なすのよいち(那須与一公)

 源氏と平家の「屋島の戦い」にて、平家が立てた扇の的を、見事射落としたことで有名な源氏方の武士。

 

扇の的

 平家物語

 屋島の戦い

 

かく

 (船を)かいける と 日の丸描いたる

  掛詞

 

 

 

鈴ヶ森のくだり

     すゞ

     がもり

     からの

     くだり、らう

     そくハ また

     かくべつ

 そうそう、鈴ヶ森のくだりを、出来る事なら今一度、故中村富十郎などで、 見てみたい。

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

七月末日

$
0
0

 

 七月末日

 天神祭も祇園祭も、七月大歌舞伎も見ることができなかった2020年

 山東京伝の『仮名手本胸之鏡』、十返舎一九の『今昔狐夜噺』と云う様に芝居を思い浮かべられる黄表紙を読んで、気を紛らせて居る。

 

 そう云えば、昨年の七月大歌舞伎の昼夜の感想も、我當さんの感動など、二演目だけしか入れてなかった。

 ま、途中で息切れするのは、芝居や旅行や読書など、今に始まったこっちゃ無いが。

 好きな演目の『葛の葉』も入れてなかったことを思い出す。

『葛の葉』も他の芝居と同様、役者によって随分舞台の味わいが変わる演目のひとつだ。

 私が見た中では、私の見た日の中村翫雀の『葛の葉』は完璧に近かった。

 中村翫雀の『葛の葉』は色々な場面をかなり鮮明に覚えて居る。

『今昔狐夜噺』を読んでいて、内容こそ大きく変わるが、中村翫雀の『葛の葉』をふと思い出した。

 

 

 写真は、大阪の天神祭

 帝国ホテル、船能の『猩々』

 

 

 

 

 

今昔狐夜噺 9 (いまハむかし きつねのよばなし) 七丁裏 八丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 9 (いまハむかし きつねのよばなし) 七丁裏 八丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺七丁裏

だんじのかたより

このおやの四郎と

そのつていでたりハ

ゆつ□□(欠け)きつね

にて、これまで

かいてうばの

つくりもの

見るやふな

おもいつき

ばかりして

いてもおも

しろく

もない

とみへ

てめい

/\に

やゝわり

をなし、

それ/″\に

けんげんを

するつもり

にて きて

こそ、お

せう

じきの

くわん

けと

 

今昔狐夜噺八丁表

やらかし

たるなり、

あくも

びやうへ

かげきよも

むしろ、おど

しのよろひに、

ねりまだいこんの

なぎなたをよこたへ

みをのがやきたる

しやれかうべの

かぶとのしころ

をとらへ、「ゑいや」とハ

いわず、うしろへ

そつとひきける

みをの やも、みを

のがれんと、そつと

ひく、たがいに そつと

ひくちからに ふつつりと

きれたるも、どうり、いけの

もをかぶりいたるなり

くびのほね もうででの

ほ□□(欠け)つよくもなん

ともないと わらつて

さゆふへ、ひきしりぞ

 

今昔狐夜噺七丁裏 中央

こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、

右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。  

  「とをからんものハ

   おとにもきけ

   ちかくハよつて

   みをのやが

   しころを

   つかんで、ぐつ

   とひき、「どふだ

   はなぢハ」と

   まつやしたる

 

今昔狐夜噺七丁裏 下

     「なぎなたも

      ふるく

      なる

      と

      けが

      はへる

      そうだ

 

今昔狐夜噺八丁表 下

     「なむさん、かたなを

      へしおつて、とげを

      たてたかげきよ、

      けぬきがあらバ

      かさりやへ

      

今昔狐夜噺七丁裏

男児の偏り

この親の四郎と

その伝手(つて)出でたる(り)は

ゆつ□□(欠け)狐

にて、是迄

開帳場の

作り物

見る様な

思い付き

ばかりして

いても面白く

も無い、

富へ

てめい

てめいに

ややわり

をなし、

それぞれに

権限を

するつもり

にて、来て

こそ、和尚

次期の

関係と

 

今昔狐夜噺八丁表

やらかし

たる也、

悪も

びょうへ

景清も

むしろ、脅し

の鎧に、

練馬大根の

薙刀を横たえ

身を逃や 来たる

髑髏の

兜のしころ

を捉え、「えいや!」とは

言わず、後ろへ

そっと引きける

みおの やも、身を

逃れんと、そっと

引く、互いに そっと

引く力に ふっつりと

切れたるも 道理、池の

藻を被り至る也、

首の骨詣での

ほ□□(欠け)強くも

何とも無いと 笑って

作用へ、退きぞ

 

今昔狐夜噺七丁裏 中央

こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、

右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。  

  「遠からんものは

   音にも聞け

   近くは寄って

   身をのやが

   し頃を

   掴んで、ぐっ!

   と引き、「どふだ、

   鼻血は」と

   待つや、したる

 

今昔狐夜噺七丁裏 下

     「薙刀も

      古く

      なる

      と、

      怪我

      は減る

      そうだ

 

今昔狐夜噺八丁表 下

     「南無三、刀を

      圧し折って、棘を

      たてた景清、

      毛抜きが有らば

      飾り屋へ

   

かげきよ(景清)  宝生流謡曲

 ●あらすじ
 平家没落の後、日向に流された悪七部衛景清を慕って、幼い頃別れた娘の人丸が訪ねてくる。景清は盲目となり老残の身、それを恥じて娘を立ち去らせるが、里人の計らいで対面することになる。 景清は武将としての栄光の日々を追懐し、娘の所望により屋島の錣引きの武勇譚を語る。 父娘の情愛に心惹かれつつも、それを断ち切り、わが跡を弔うようにと言い含めて、永遠の決別をする。

 ●宝生流謡本 (参考)   内九巻の二    四番目  (太鼓なし) 
  季節=不定 場所=日向国宮崎  稽古順=奥伝  素謡時間65分(松門節が有名)
  素謡座席順    ツレ=従者
              ツレ=人丸
              シテ=景清
              ワキ=里人

『景清』は歌舞伎十八番では馴染みがあるが、残念なことに能楽では見た事が無い。又、『出世景清』もまだ読んでない。

 南座では市川海老蔵の『寿三升景清』を見た事があるが、歌舞伎の形式美に則った歌舞伎の醍醐味が感じられる、台詞が少なめの芝居であった。

 

練馬大根

大根役者

 演技力のない役者、芸のまずい役者をあざけっていう語。大根。

 [補説]語源については、大根の根の白いことを素人 (しろうと) に寄せていったもの、へたな役者を意味する「馬の脚」の脚から連想していったもの。  大根はどのように食べても腹を壊さないので、へたなことと掛けて「当たらない」の意でいったもの、など諸説がある。    練馬大根

 おぉお〜、まさしく(江戸時代から)

 大根役者か(^^)

けぬき 『毛抜』の歌舞伎十八番。

  「なむさん、かたなを

   へしおつて、とげを

   たてたかげきよ、

   けぬきがあらバ

   かさりやへ

『毛抜』と云う芝居も何度見た事でしょう。

 テレビも含めて十代から考えると少なくとも30回以上は見たと思うが、故市川團十郎の『毛抜』の台詞のアクセントが、今も耳に残って離れない。

 江戸時代からこういったコメディ色の強いしゃれた舞台があったのかと思うと、日本の芝居も捨てたものじゃ無いなと感じる。

 って云うか!!!

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

映画『Chronicle of a Blood Merchant いつか家族に』 韓国 2015 124分

$
0
0

 写真は、イラン

 

 

 

  映画『Chronicle of a Blood Merchant いつか家族に』韓国

 

 

 久々に、映画を見た。

 ラストに近い子供と父の再会場面で、乱鳥 大泣き。涙が止まらなかった。

 この映画は好きだな。

 

 今回も記録のみにて失礼いたします。

 

 

制作年/2015 制作国/韓国 内容時間(字幕版)/124分 ジャンル/ドラマ

 

監督 ハ・ジョンウ 脚本 ハ・ジョンウ 脚本 キム・ジュホ 撮影 ソ・ジュノ 音楽 キム・ジョンボム

 1950~60年代の韓国の地方都市を舞台に、ある家族の複雑な運命とそこで浮かび上がる家族愛を、ハ・ジョンウ、ハ・ジウォンら人気スター陣の共演で描いた家族ドラマ。

 中国の作家、ユイ・ホア(余華)による小説「血を売る男」を、かつての韓国に舞台を置き換えて映画化。ある夫婦の子どもの1人が、実は父親が異なり……というシリアスな物語ながら当事者たちの反応は予想外にコミカルで、いつしか家族の絆に感動を誘われるユニークな作品。さらに物語当時の韓国を知る人なら、ノスタルジーを誘われるはずだ。人気も実力もあるハ・ジョンウとハ・ジウォンの共演も見もの。監督は「チェイサー(2008)」「哀しき獣」など俳優として活躍し、本作が監督2本目となったハ・ジョンウ。

今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作 

$
0
0

 

今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺八丁裏

くまがへのか郎になり、きつねハ

よきてきもあらバと、うろつき(欠け)

ながら、あつもりをみつけ

き□□□(欠け)もてきにしつぽ

をみせたもふもの かな

久したまへとあふ

ぎをもつてまねきけれバ

こゝろへたりとむくりんの

さゆふあつまり、くまがへに

わたり、あいついにうち

まけたりけるに、くまがへ

いたわしくおもひ

たすけんとひき

おこしけるとき

うしろかたの

やまてより

ひらやまのむしや

どころ、くまがへこそハ

ふたごゝろひとつ

あなのきつね也と

よばわりけるゆへ

ぜひなく くまがへ

あつもりをうちて

そのみは しゆつけ

せしとなり

このきつねよく

 

今昔狐夜噺九丁表

人をだまして

ぼうすにせし

むくい

にて

ついに

ぼうす

なり

ける

 

今昔狐夜噺九丁表 

   「二ぢう五さいのその

    うちでも いつ ちせう

    くわんとよばれたる

    かぼちやのごまじるハ

    ひらやまのむ

    しやどころとう

    なすつた、こう

    まいつたといゝ

    ぬけたくても

    ぬけさせね

    なんきんめ

    がねにみつけ

    たれバ、うぬら

    がいのちの

    あさつけ

    なますで

   おさらバ/\とハ

   イヤ、ふてい

   やつらだ

   アヽ、くちが

   すく

   なつた

 

今昔狐夜噺九丁表 下

  「あつもりになりたるき

   つねハこのつぎにもゆくが

   あるゆへ、はやがわりにて

   ちゆつと

 

今昔狐夜噺九丁表 下

   いしほとけ

   とすりかわり

   こゝらが

   よつほど

     あんばいもの也

      

今昔狐夜噺八丁裏

熊谷の家老になり、狐は

良き敵も有らと、うろつき

ながら、敦盛を見つけ

き(つね)□□□(欠け)も的に尻尾

を見せ給う物哉

久し給えと扇

を持って招きければ

「心得たり」と、むくりんの

さゆう集まり、熊谷に

渡り、相次いに打ち負け

たりけるに、熊谷

労しく思い、

助けんと引き

起こしける時

後ろ方の

山手より

平山のむしや

どころ、熊谷こそは

二心ひとつ

穴の狐也と

呼ばわりける故

是非無く 熊谷

敦盛を討ちて

その身は 出家

せしとなり

この狐よく

 

今昔狐夜噺九丁表

人をだまして

坊主にせし

報い

にて

ついに

坊主

成り

ける

 

今昔狐夜噺九丁表 

   「二十五歳のその

    内でも 何時 馳走

    食わんと呼ばれたる

    南瓜の胡麻汁は

    平山のむ

    しやどころと

    うなすった、こう

    まいったと 言い

    抜けたくても

    けさせね

    南京眼鏡に

    見つけ

    たれば、うぬ等

    が命の

    浅漬け膾で

   おさらば、おさらばとは

   いや!不貞

   奴らだ

   ああ! 口が

   酢く

   成った

 

今昔狐夜噺九丁表 下

  「敦盛に成りたる狐は

   この次にも行くが

   有る故、早変わりにて

   ちゅっと

 

今昔狐夜噺九丁表 下

   石 仏

   と摩り替わり

   此処らが

   よっほど

     塩梅物也

くまがへ (熊谷直実)

 歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』熊谷陣屋

「一枝を伐らば、一子を斬る」の台詞は、あまりにも有名^^

 この芝居も、私的には 片岡仁左衛門丈で見たい。

 

あつもり (平敦盛)   (ウィキペディア)

 平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安末期の武将。

 平清盛の弟・経盛の末子。

 位階は従五位以下。

 官職にはついておらず、無冠大夫と称された。

 笛の名手。

 歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』「敦盛最後」

「汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも、首とって、人に問へ。見知らうずるぞ」の台詞は、あまりにも有名^^

 

  「あつもりになりたるき

   つねハこのつぎにもゆくが

   あるゆへ、はやがわりにて

 芝居が見たい。早変わりの有る歌舞伎も見たい。

 

   ちゆつと

   いしほとけ

   とすりかわり

   こゝらが

   よつほど

     あんばいもの也

 上に書かれている様に地蔵ではないのですが

『菅原伝授手習鑑 』菅丞相と木像菅丞相の場面を、今一度片岡仁左衛門丈で見たい!

 歌舞伎が見たいワイ!

 

今昔狐夜噺 11 (いまハむかし きつねのよばなし) 九丁裏 十丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 11 (いまハむかし きつねのよばなし) 九丁裏 十丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺九丁裏

いつ

ちはじ

□(欠け)にこゝに

み□□□(欠け)

へんにと

かきだし

たるハこゝて

このとりゐ

をだそふ

ばかりなり

よしつねの

はつそふとび(ママ)ハ

よくとりゐを

とびこしたる

きつねのやく

にて、なんのくも

なく ひよい/\と

とびこゆる

のとのかみ

のりつね(ママ)に

なりたる き

つね、おなじと

つゝいてとび

けるが、ふみ

はづして、まつ

 

今昔狐夜噺十丁表

さかさまに

おつこちたり、

のとのかみも

ついにはじゆ

すいせう事

あれハけつく

きつねの

おちたるも

もつけの

さいわいなり、

 

「よしつねに

なりたる

きつねハ

きのきいた

やつにて

うぬがしる、

ぷをおつた

てゝ たちの

うわさやと

見せるおもい

つき、これらか

めのつけ

  ところなり

 

今昔狐夜噺九丁裏 中

  「とんだり

   はねたり

   十万

   もんが

   きいて

   あきれ

   らあ

 

今昔狐夜噺九丁裏 下

     「これさ

      いつしよに

      こばりせへ

      つきやいを

      しらぬ へ

      おとこ

      だ

 

今昔狐夜噺十丁表 中

  「はつそう

   つゞけて

   とぶものハ

   ほかにハ

   おそらく

   あるめへ

      と

   おもつた

      に

   うたいの

   てやいハ

   おいろ、より

   いつそう

   よけい

   とぶと

     いふ事だ

 

今昔狐夜噺九丁裏

いつ

ちはじ

□(欠け)に、此処に

み□□□(欠け)

へんに、と

書き出し

たるは、此処で

この鳥居

を出そう

ばかり也、

義経の

八方飛び(ママ 飛び六法)は

よく鳥居を

飛び越したる

狐の役に

にて、何の苦も

無く ひょいひょい!と

飛び来ゆる

能登守

宣常(ママ)に

成りたる 狐

同じと

突くいて飛び

けるが、踏み外して

真っ逆さまに 今昔狐夜噺十丁表

落っこちたり、

能登守も

ついには じゅ

すいしょう事

あれば、気づく

狐の

落ちたるも

もっけの幸い也、

 

「義経に

成りたる

狐は

気の利いた

奴にて

うぬ が知る、

尾をおった

父達の

噂やと

見せる思い

付き、これらが

目の付け

  どころ也

 

今昔狐夜噺九丁裏 中

  「飛んだり

   跳ねたり

   十万文が

   聞いて

   呆れ

   らあ

 

今昔狐夜噺九丁裏 下

     「これさ

      一緒に

      こばりせへ

      つきあいを

      知らぬ屁男

      だ

 

今昔狐夜噺十丁表 中

  「発想

   続けて

   飛ぶものは

   他には

   おそらく

   有るめぇ

      と

   思った

      に

   謡の

   手合いは

   お色より

   一層

   よけい

   飛ぶと

     云う事だ

 

ぷをおつたて

 ぷ(尾っぽ)

 尾をおっ立てて

 

よしつねの

はつそふとび

 八方飛び(ママ)

 飛び六法の事

 花道で義経に扮した狐が六法を振って帰って行くのは、狐六法と呼んでいる。

『義経千本桜』を通しで見たい。

 

よくとりゐを

とびこしたる

 江戸時代は、こう云った演出だったと、感心する。

 江戸時代の狂言は、薄暗い蝋燭と明かり窓の芝居小屋で上演されたという。

   よくとりゐを

   とびこしたる

 江戸時代の狂言に触れることができ、『今昔狐夜噺』の

   きつねの

   おちたるも

   もつけの

   さいわいなり、

では無いが、江戸時代の演出を感じられ、これぞ乱鳥にとっては、もっけの幸いである。

 

 兎に角、狐であろうと鳥であろうと、今回も叫ぶ信天翁。

                 歌舞伎が見たいワイ!

 


今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十丁裏

ぜんてへこの

いくさハゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)よしつね

ゆみをとり

おとして

これをとり

あげんと

てきのふね

まちかく

きたりて

めのまへの

てきをハ うち

とらずりのふみ

をとり あけんとす

てきがたもよしつね

にハかまわずたつた

いつてうの三、四人

がよつてかゝつて

かのやみをばい

やつている、ゆみもひきかた

あつちへひつぱり、こつちへ

ひつぱりしていたところが

とふじひがくれてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

くまでをもつて

かのゆみをかきよせる

とみえしハ、よなべ

しごとのから

さほ、うちなり

うつたびごとに

ほこりたちて

おのづから

なみのたつ

やふにみゆる、

「これもちよつ

くらちよちと

このてやいを

かうならべて

ゆみながし

とハ、どで

ごんす」

と、き

つねの

ほうでハ

しやれて

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  く

  まで

  ござ

  れ

  あま

  ざけ

  しハ

  じよ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  くひき

  あげ

  てあ

  つぱ

  れ

  の

  とん

  とい

  わ

  れ

  たい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「おもてきたのに

  おさんどのハ

  ねむるよウ

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャ/\

   とつさんハ

   よい/\

   になつた

   そふ

   だ

 

今昔狐夜噺十丁裏

全体この

戦は、ゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)義経

弓を取り

落として

これを取り上げんと

敵の船

真近く

来たりて

目の前の

敵をば 討ち取らずりの文

を取り上げんとす、

敵方も義経

には構わず、たった

一丁の三、四人

が寄ってかかって

かの闇をばい

やっている、弓も引き方

あっちへひっぱり、こつちへ

ひっぱりしていた所が

当時、日が暮れてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

熊手を持って

かの弓を掻き寄せる

と見えしは、夜なべ仕事のから竿

打ち鳴り

打つ度毎に

埃立ちて

自から

波の立つ

様に見ゆる、

「これもちよっくらちょっと(ちょち)と

このてやいを

こう並べて

弓流し

とは、どうで(どで)

ごんす」

と、狐の

方では

洒落て

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  熊手

  ござ

  れ

  甘酒

  しわじょ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  食い気(くひき)

  上げて、

  あっぱれ

  の

  とんと

  言われたい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「思て来たのに

  おさんどのは

  眠るよう

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャキャ!

   とっさんは

   よいよい

   に成った

   そふ

   だ

 

てやい (てやい、てあい) (方言)

 そんな人、連中、やつ

よいよい

 手足がしびれたり、口や舌がもつれたりする病気の俗称。

 

 

 今回も本文に義経の名が出てきた事だし

 たいそう、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

あふてハ

今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十一丁裏

かくてけん

たい、たがいに

いり

□□(欠け)

きつね

火にひば

なをちら

して

たゝかい

しが、ついに

へいけがた、うちまけ、

いまハこれまでなりと

あんとくてんわうを

はじめにゐのつぼね

さんみのつぼね、あまた

のいちもん、われも/\と

うみのなかへとび

こみ、/\、むなし

くなりたもふと

みへたるハみな

たり すいくわに

大いしにいたし

てにあたる

もの、なんでも

かでも、かハの

なかへどぶり

/\とうち

こみける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

ちうしんくら

ならバ十一段目の

ようちといふところ

にてそうざちう

のこらずいでゝ

くげになるきつねもあり

おもい/\の

あんじを

つけて、いろ/\に

おちをとる

そのほかハ

みなてどり

かわなかへ

うちこむ

ゆくにて

いたつて

いそがしき

ところなり

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「よろい

    むしやが水に

    あふてハたり、な

    すびのな

    がれる

    やふに

    どん

    ぶり

    こ

    と

    むかし

    ばなし□□(欠け)くを

    かきいれける事もねへす

今昔狐夜噺十一丁裏

かくて献体、

互いに

入り

□□(欠け)

狐火

に火花

を散らして

大海

しが、ついに

平家方、打ち負け、

今は是迄也と

安徳天皇を

初めに位の局

三位(さんみ)の局、頭

の一文、我も我もと

海の中へ飛び込み、飛び込み、

虚しく

成給うと

見えたるは皆たり

遂行に

大石に致し、

手に当たる

物、何でも

かでも、川の

なかへ どぶりどぶり

と打ち

込みける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

忠臣蔵

ならば、十一段目の

様、ちと(ちょっと)言うところ

にて、そうざちゅう

残らず出でて

公家に成る狐も有り

思い思いの

暗示を

付けて、色々に

おちを取る、

その他は

皆手取り

川中へ

打ち込む

行くにて

至って

忙しき

所也

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「鎧

    武者が水に

    合うて渡り、茄子の

    流れる

    様に

    どんぶりこ

    と

    昔話□□(欠け)くを

    書き入れる事も無へす

あんとくてんわう(安徳天皇)(1178~1185)

 第八一代天皇(在位1180~1185)。

 高倉天皇の皇子。名は言仁ときひと。

 母は平清盛の娘建礼門院徳子。二歳で即位。

 平宗盛に擁せられて、西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。

 

ちうしんくら

ならバ十一段目

 忠臣蔵ならば、十一段目 吉良邸(きらてい)

 高家表門討入/ 高家奥庭泉水/高家炭部屋本懐/両国橋引揚

 数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ち当日がやって来る。

 高家の門前に集合した塩冶浪人たちは、一人一人姓名を名乗り、由良之助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。

 目指すは、高師直ただ一人である。激しい争闘ののち、夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良之助は判官形見の短刀で、敵師直の首を取った。

 無事目的を達成した浪士たちはエイエイオーと勝鬨をあげ、両国橋をわたって主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。(歌舞伎美人 松竹株式会社引用)

 本文では、高家奥庭泉水の場。

『仮名手本忠臣蔵』を片岡仁左衛門を頭に、通しで見たい!

 

かきいれける事もねへす(掻き入れることも 無ぇす!)

 ねへす この「無えす」強いては「・・・す」全般はTVを見ていると、関東圏のタレントなどが多様している感が強い。

「・・・す」江戸時代から使われていたわり合いにぞんざいな言葉だと知った。

 

それにつけても、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十二丁裏

さて、いくさもふかく

おさまりければ、かの

こん八ぎつねら、いふやう

たゞ□(欠け)つまで、わたくしの

おせわになりし事なりま

のものどもまで、大きに

よろこびどふぞ、うち

そろつて、おめにかゝり、

なにかのおれいも 申

たしさい、わいのこう

ず、よろいむしやに

ばけたるまゝにて

おめみへいたすも

いつけうならん

そのかわり、あなたを

たいせうとなし、

てきがた、くひじつ

けんのやふすをおめに

かけんとらくさいを

せうざになをし

めん/\にうちとり

そなへける、へいけのいち

もん、のこらずくびばかり

となりて、どれがどれやら

わからねども、かぶとのひもの、

だらりとしたるハ、ゑつちうのぜんじ、

 

今昔狐夜噺十三丁表

もりとし、ならび、きりくちに

すじのみゆるハ、さつまのかみ、

なかにもこうちうはなはだしく

にほいあるのハ、なんばの次郎

二八ばかりにみへたるハ

あつもりがくびに

ちがいなし、せのをの

たろふハきのふの

たるとき、こ

ゆるゆへ

じゆくし

くさい

くびなるべし

しゆめの

はんぐわん

ハくめの

せんにん、

とき、こ

ゆるゆへ、

さなから

おつこちたぼた

もちのごとく

あばたづら也

そのほかいくびハ

いの□□(欠け)むしやはなの

あなのつまつたのハ、がんくびさんかくなる

おほくびと、いち/\そつくびひつつかみ、くび

とりて、うへしるしつゝ、□□□(欠け)、らくさいが

まへゝおちいでひろふして、ひき、しりぞく、

 

今昔狐夜噺十二丁裏 中

   「くびとおもへど

    なければふじゆう

    なものだ、しまつを

    してつかへば、いつ

    せう つかわれる

    ものゝじやに、

    さりとハむふんべつ/\

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

      くび曰

     「ほかにこゝろ

      のこりハないが

      われ/\が

      ちぎやうの

      ありたけ

      そくいに

今昔狐夜噺十三丁表 下

      して、このくびが

      ついでみたいが

      いかゞでござ

      ろふ

 

今昔狐夜噺十三丁表 中

   「くびハないもの

    つらいものも

    ひさしい

    もんだ

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「それ

      がしも

      なにぞ

      や、たゞ

      てのどが

      くび/\

      いたし

      ます

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「しからバ

      おさきへ

      申そふ

      へいけハ

      ほろびて

      いゝくび

        /\

      

 

今昔狐夜噺十二丁裏

扨、戦も深く

収まりければ、かの

こん八狐ら、言う様、

只 □(欠け)つまで、私の

お世話に成りし事なりま

の者共まで、大きに

喜び、「どうぞ、打ち揃って

お目に掛かり、

何かのお礼も 申した司祭、

わいのこうず、

鎧武者に

化けたるままにて

お目見え致すも

一興ならん

その変わり、貴方を

大将となし、

敵方、首実検

の様子をお目に

かけん」と楽斎を

正座に直し

面々に討ち取り

供えける、平家の一門

残らず首ばかり

と成りて、どれがどれやら

分らねども、兜の紐の、

だらりとしたるは、越中島越中の禅寺、

 

今昔狐夜噺十三丁表

守とし、並び、切り口に

筋の見ゆるは、薩摩守、

中にもこうちゅう 甚だしく

臭いあるのは、難波の次郎

二八ばかりに見へたるは

敦盛が首に

違いなし、瀬尾の

太郎は、昨日の

たる時、こゆる故

熟し

臭い

首成る可し

主目の

半官

は、久米の仙人、

時、越ゆる故

宛(さなが)ら

落っこちた

ぼた餅の如く

痘痕面(あばたづら)也

その他幾日は

いの□□(欠け)武者鼻の

穴の詰まったのは、雁首、三角なる

大首と、いちいち そっ首 ひっ掴み、首

獲りて、上印つつ、□□□(欠け)、楽斎が

前へ落出で、ひれ伏して、ひき、退く、

 

今昔狐夜噺十二丁裏 中

   「首と思えへど

    なければ不自由

    な物だ、始末を

    して使えば、一生

    使われる

    物のじゃに、

    さりとは、無分別、無分別

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

      くび曰く、

     「他に心

      残りは無いが

      我々が

      知行の

      有り丈

      即位に

今昔狐夜噺十三丁表 下

      して、この首が

      継いでみたいが

      いかがでござ

      ろふ

 

今昔狐夜噺十三丁表 中

   「首は無い物

    つらいも物

    久しい

    もんだ

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「某も

      何ぞ

      や、ただ

      手、喉が

      首首

      致し

      ます

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「しからば

      お先へ

      申そう、

      平家は

      滅びて

      いい首

        いい首

      

くひじつ

けんのやふすをおめに

かけん

 歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』「寺子屋」

 首実検の場は面白おかしいが、「寺子屋」の筋書きは、はかなく切ない。

 涙無くしてはみられない芝居である。

 私としては、片岡仁左衛門丈の「寺子屋」で、楽しみ、涙を流したい。 

   くひじつ

   けんのやふすをおめに

   かけん

 今昔狐夜噺 14のさしえでは武者頭での首実検になっている。

 

いっけう

 一興 

 

こうちう(こうちゅう)

 甲虫から、兜のことか

 鞘翅(しょうし)目に属する昆虫の総称。前翅(ぜんし)が厚く堅くなって体を覆っている。例、かぶとむし・こがねむし・ほたる。    

      へいけハ

      ほろびて

      いゝくび

        /\

 平家は滅びて、いい首いい首(いい気味いい気味)と、著者は書いている。

   

 それでは、いつもの一言^^

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

今昔狐夜噺 15 (いまハむかし きつねのよばなし) 十三丁裏 十四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 15 (いまハむかし きつねのよばなし) 十三丁裏 十四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十二丁裏

らくさいハくびじつけんをめい

わくながら、しまいてみな

ごたいぎ/\、おつげでめづら

しい事を見ましたと、いち

れいいべけれバ、「はつ」といふて

そのさにいならびたる

よろいむしゃ、あとかた

もなくきへ失せけれバ、

よハ ほの/″\と

あけにける、

さて、へいけ

がたのくび

なりと

いち/\

じつけんに

そなへたる

くびどのを

みなはき

だめへとり

すてさせ

けるをおもひ

いだし、いかなる

ものをくびと

なづけて

われにみせ

しやがてん

ゆかずとかの

 

今昔狐夜噺十三丁表

はきだめへ

ゆきてみれバ

とり、すいくわ

とうぐわん

ふたべひやう

たんが、ぼちや

おびたゞしく

うちすて

ありたり、

さてハくびと

みへしハ

これなるべし、

どふりてかぼ

ちやがとう

なすだと

大わらい

をぞ

たり

ける

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「とももりこれもり

   などといふけうだいのくびと

   見へし□(欠け)どふりこ、そうりが

   ふたつ

   じや

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「こうした

   ところハ

   べちゃアねへ

   おくやまの

   まめぞうと

   いふみぶり

       だ

 

今昔狐夜噺十三丁表

  「さきぼふ

   のからす

   どの、ちた

   やすんで

   とばつ

   せへ

    な

 

今昔狐夜噺十三丁表

   からす

  「かあ/\

   あのとりが

   つゝいてみたい

 

      

 

今昔狐夜噺十二丁裏

楽斎は首実検を迷惑

ながら、終いて皆

ご大義ご大義、お告げで珍しい

事を見ましたと、一例

いべければ、「はっ!」と言うて

そのさに居並びたる

鎧武者、跡形

も無く消え失せければ、

世は ほのぼのと

明けにける、

さて、平家方

の首

なりと

いちいち

実験に

備えたる

首殿を

皆掃きだめへ

取り捨てさせ

けるを思い

出だし、如何なる

物を首と

名付けて

我に見せしや

合点ゆかずとかの

 

今昔狐夜噺十三丁表

掃き溜めへ

行きてみれば、

取り、西瓜、

冬瓜、

ふたべ瓢箪、

がぼちゃ

夥(おびただ)しく

打ち捨て

有りたり、

扨は首と

見えしは

これ成る可し、

どうりて、

南瓜が唐茄子だと

大笑い

をぞ

たり

ける

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「知盛、維盛

   等と言う兄弟の首と

   見へし□(欠け)どうりこ、そうりが

   ふたつ

   じや

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「こうした

   ところは

   べちゃア ねへ

   奥山の

   豆蔵と

   言う身振り

       だ

 

今昔狐夜噺十三丁表

  「先坊

   の烏

   殿、ちた

   やすんで

   とばつ

   せへ

    な

 

今昔狐夜噺十三丁表

   烏

  「かあかあ

   あの鳥が

   つついてみたい

 

 

さて、へいけ

がたのくび

なりと

いち/\

じつけんに

そなへたる

くびどのを

みなはき

  上の文を読み、『仮名手本忠臣蔵』では無いが、『御摂勧進帳』(『芋洗勧進帳』)を思い浮かべた。

  若干滑稽でそれでいて格好の良い弁慶が、次々と敵をなぎ倒し、首を引っこ抜く。

  弁慶が大井戸に登り、首を井戸で芋洗の様にザブザブ首を洗い、ポンポンと道端に放り投げる。

  道に転がった首を、二人の奴が

「お掃除お掃除・・・」

と言いながら首を履いていくコミカルな場面が思い出された^^

 

 歌舞伎、見た〜〜い。劇場に行きた〜〜い。

 

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

今昔狐夜噺 16 (いまハむかし きつねのよばなし) 十四丁裏 十五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

$
0
0

 

今昔狐夜噺 16 (いまハむかし きつねのよばなし) 十四丁裏 十五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十三丁裏

らくさいハ

かのせん

ざいものを

ふねにつ

ませほん

ぜうのあた

いちにだして

とりはらい

そのかねにて

ぢめんの

うちにひとつ

のこらす

たて、せういち

ゐのくわんい

をもらひ

いなりの

中ろと

すへのよ

までながく

まもりがみ

とあふぐ

べしと

しそんまで

も いゝおくり

ておこたら

ず、まつり

けるゆへ、かみも

 

今昔狐夜噺十四丁表

人のうやまふ

によつて、□(欠け)を

ましければ、

そのしそんも

かみのめぐみ

に、あいあたじ、

さいなんを

のぞきふく

とくそく

せうの

はるを

むかへて

行すゑ

ながく

ことぶき

けるとなり

「このさうしにハ

 さつぱり

 あいきやうが

 □(欠け)うつた

 □(欠け)へこゝで

 おのぞみ

 し□(欠け)いお目に

 かけます、

 

今昔狐夜噺十三丁裏 下

  「いつも はつ

   むまハ にぎ

   やかな事

   じや

 

今昔狐夜噺十四丁表 下

  「かへりにハ

   くさぞう

   をたんと

   かつてやりま

   せふ

 

   一 九 画 作

 

 

 

今昔狐夜噺十三丁裏

楽斎は

かの潜在物を

船に積ませ、

本庄のあたいちに

出して

取り払い、

その金にて

地面の

内に一つ

残らず

立て、せいいち

一(い)の官位

を貰い、

稲荷の

中ろと

末の世

まで永く

守り神

と仰ぐ

べしと

子孫まで

も 言い送りて、

怠らず、

奉りける故、

神も

 

今昔狐夜噺十四丁表

人の敬う

によつて、□(欠け)を

増しければ、

その子孫も

神の恵

に、相あたじ、

災難を

覗きふく

とくそく

しょうの

春を

迎えて

行き

末長く

寿けると成り

「この草子には

 さつぱり

 愛嬌が

 □(欠け)うつた

 □(欠け)へ此処で

 お望み

 し□(欠け)いお目に

 掛けます、

 

今昔狐夜噺十三丁裏 下

  「いつも 初午は

   賑やかな

   事

   じや

 

今昔狐夜噺十四丁表 下

  「帰りには

   草双(紙)

   をたんと

   買ってやりま

   しょう

 

   一 九 画 作

 

 

 

 

 「いつも はつ

   むまハ にぎ

   やかな事

   じや

初午

 二月になって最初の午(うま)の日。その日に行われる稲荷(いなり)神社の祭り。 

 2月最初の午(うま)の日(2020年は2月9日)。
 本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。

 711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。

 この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。

 また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされています。
 ※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています。

 稲荷大神のお使いとされているのがきつねです。初午の日には、その好物といわれている油揚げやお団子などをお供えします。

 餅まきが行われる地域もあります。

 

くさぞう

 草双紙

 江戸時代、大衆めあてに書かれた絵入り小説本の総称。

 文章は平仮名を多く用いる。

 赤本・青本・黒本・黄表紙・合巻(ごうかん)物など。

 

 

 とうとう、『今昔狐夜噺』の本文が終わってしまった。

 コロナが収束してほしい!

 劇場で、

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

 

 

Viewing all 5148 articles
Browse latest View live