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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 31  合本(がっぽん)とは

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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 31 合本(がっぽん)とは


曲亭馬琴
曲亭 馬琴(きょくてい ばきん、明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。
本名は滝沢興邦(たきざわ おきくに、旧字体:瀧澤興邦)で、後に解(とく)と改める。
号に著作堂主人(ちょさどうしゅじん)など(#名前について参照)。

曲亭馬琴 合巻[編集]
『青砥藤綱摸稜案』(あおとふじつなもりょうあん)1812年 画:北斎-『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の原作
『傾城水滸伝』(けいせいすいこでん)1825年(文政8年)第1集発行(未完)、画:歌川豊国、歌川国安
『風俗金魚伝』(ふうぞくきんぎょでん)1839年(文政12年)上編発行、1840年(文政13年)二編(一・二巻)発行、1831年(天保2年)二編(三・四巻)発行、1832年(天保3年)下編下発行。画:歌川国安
『新編金瓶梅』(しんぺんきんぺいばい)1831年(天保2年)-1847年(弘化4年)画:歌川国安、国貞(二代豊国)

合本とは
合本(ガッポン)

[名](スル)   (大辞泉)
1 数冊の本や雑誌などをまとめ、1冊として製本すること。また、その本。合冊(がっさつ)。「合本された雑誌」
2 分冊して発行した図書を、新たに1冊にまとめて発行したもの。合冊。

( 名 ) スル  (大辞林)
数冊の本を合わせて、一冊の本として製本すること。また、その本。合冊。

〘名〙     (精選版 日本国語大辞典)
数冊の本や雑誌などを綴じ合わせて一冊に製本すること。また、その本。合冊。
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一八「絵入新聞の読殻(よみがら)は、奇麗に綴合せて、歌舞伎新報の合本(ガッポン)と重なり」





乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1「引歌」と「本歌取り」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3丈(じょう )と 丈(たけ)
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7「文化功労者」と「文化勲章」 
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13「全集とは」                       
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19合巻とは (そして、合本、合冊とは)
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 20『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 21『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 22『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」を探るために、「歌仙」について
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 23『掘川波鼓』(2019年南座顔見世)を見る為に『名作歌舞伎全集』『近松全集』を読むに当たって  「姦通 
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 24AEDとは(AED,人工呼吸、人工マッサージ法を習いました)
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 25江戸時代の句読点  「区切りなく、そのまま文が続けられる」と「、」と「・」と「。」
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 26「377」はどう読むの? 「7777」なら、どう読むの?
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 27書く程でも無いが、3/3(雛祭り)に、ふと芥川の『雛』の表現の一部思い出す。
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 28「ミングる」と「ミングル」の違い。N●Kニュースが 「ミングる」事を避けるように警告。
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 29能惠法師について 
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 30法師 ←→ 暗証の禅師とは
乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 31合本(がっぽん)とは 

『古今集遠鏡 巻一』 1  序一オ、序一ウ、序二オ 本居宣長 

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 『古今集遠鏡 巻一』 1 序一オ、序一ウ、序二オ 本居宣長 


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。



序一オ
遠鏡序
この遠鏡はおのれはやくよりこひ聞えしまゞに
師のものしてあたへたまへるなり、この集はしも
よゝの注釈あまたあれとも、ちうさくハかきりありて
いかにくハしくとき、さとしたる
こゝちのするを、まことに書の名のたとひのことく
ちとせをへたてゝとをきの世のこゝろふかき
言の葉をいまの世のうつゝの人のかゝるを

ちうさく(注釈)
かきり(限り)

序一ウ、
むかひて聞たらむやうにこゝろのおくのくまも
あらハにはたらく詞のいきほひをさへに近くうつして
ちかくたしかに聞とらるゝ、この鏡のうつし詞は
おほろけの人のなしうへきわさにあらす、そのかミの
世のこゝろことはを、おのかものと手のうちににきりかへ
たる己の師のしわさならてハ、かゝるいろしき
よのたからを、おのれひとり、こゝろせはく

いきほ日(勢い)
おぼろけ(朧げ)
なしうへきわさ(なす技のこと)
せはく(狭く)

序二オ
わたくしものにひめおきて、やミなむことのねしけ
かましくあたらしくおほゆるまゝに、さくらの花の
えならぬ色をひろく人にも見せまひしく、松かえの
千代とほく世にもつたへまほしくて、名におふ
その植松の有信にあつらへつけて、桜の板にゑら
しむるなむ、かくいふハ木綿苑の千秋



映画『 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY チャーリーとチョコレート工場』   ジョニー・デップ X ティム・バートン

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写真は、東大寺


 映画『 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY チャーリーとチョコレート工場』


 以前にも何度か見た映画『 CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY チャーリーとチョコレート工場』 を見た。
 現実社会の問題点と、非現実的寓話及びファンタジーなどと云ったしらけたことは書きますまいぞ^^
 ただただ、ジョニー・デップ X ティム・バートンの世界にのめり込み、ハラハラドキドキグフグフワッハッハと楽しんでおりました。

 サイケデリックな色調や構成、ロックな音楽にものめり込みましたとさ^^ めでたしめでたし ワッハッハ




2005年 アメリカ
ジョニー・デップ X ティム・バートン 最強タッグが贈るファンタジー・アドベンチャーの傑作!
ウィリー・ウォンカのチョコレート工場では、どんな驚きがあなたを待っているのでしょう?チョコレートの部屋ではミント風味の砂糖で出来た草のフィールドを探検し、チョコレートの川を砂糖菓子のボートでセーリング。発明室では食べても減らないキャンディーを体験し、ナッツの部屋では賢いリスたちを観察、そしてガラスのエレベーターでテレビの部屋へ。それはすごく楽しくて、ちょっぴり不思議、そしてウォンカ特製のチョコレート・バーみたいに、とっても美味しい大冒険。ロアルド・ダールの古典的児童書を、監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップ&フレディ・ハイモアで映画化。この目も眩むばかりに素晴らしい映画
(wb公式ホームページ公式ホームページ)

『古今集遠鏡 巻一』 2 古今集遠鏡 はしがき はし一オ  本居宣長 

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 『古今集遠鏡 巻一』 2 古今集遠鏡 はしがき 本居宣長   はし(がき)一オ


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。



はし一オ
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も



ちうさく(注釈)
あらざなる(あらンなざる)
あやめ(菖蒲)
つま木(妻き)



『古今集遠鏡 巻一』 3 古今集遠鏡 はし(がき)一ウ 本居宣長   

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 『古今集遠鏡 巻一』 3 古今集遠鏡   はし(がき)一ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。



はし一ウ
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋


もはら(ママ もはや か)




はしがき一オ
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

『古今集遠鏡 巻一』 4 古今集遠鏡   はし(がき)二オ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 4 古今集遠鏡   はし(がき)二オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はしがき二オ
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、

◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり



ねぎこと(祈り事のこと)
しりうごつ(後言つ)
 陰口を言う。
 出典源氏物語 紅梅
 「『見所少なくやならまし』など、しりうごちて」
 [訳] 「見所が少なくなってしまうだろうに」などと、陰口を言って。
有べかめれど(有べかんめれど)
ちうさくハ(小さくは)


はしがき一オ
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、

◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

『古今集遠鏡 巻一』 5 古今集遠鏡   はし(がき)二ウ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 5 古今集遠鏡   はし(がき)二ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はしがき二ウ
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、

◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、


雅事(〘名〙 みやびやかな事柄。風流なこと。ねぎこと(祈り事のこと))  精選版 日本国語大辞典

俗言(サトビゴト)
【俗言】ぞくげん
 1.世俗に用いられる言葉。みやびやかでない言葉。俗語。
 2.世間のとりざた。世の中のうわさ。
【俚び言】さとびごと
 世俗の言葉。俚言 (りげん) 。俗言。また、田舎びた言葉。方言。
 「手足のたゆきを、―にだるいと言ふ」〈玉勝間・八〉

かたよれる(偏れる)
ゐなか(田舎)
ことばゝ(言葉は)

よも 【四方】名詞
 ①東西南北。前後左右。四方(しほう)。
 ②あたり一帯。いたるところ。






はしがき一オ
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

『新版・舌切雀』 八月納涼歌舞伎・第二部 歌舞伎座 2007-08-19 渡辺えり脚本・編集

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写真は、法隆寺
バスガイド、研修中(2014)


『新版・舌切雀』
八月納涼歌舞伎・第二部 
歌舞伎座 
2007-08-19


『新版・舌切雀』を見た。
 歌舞伎の形や言い回しを守りながらも、新しい舞台を作り上げた渡辺えりや役者たちに拍手。
 勘三郎と三津五郎の舞踊は見もの。
 新歌舞伎だが、この舞台ならもう一度見たい。

 それにしても、今から考えると豪華な歌舞伎役者の面々と、懐かしむ乱鳥。
 今年の松竹座の七月大歌舞伎の演目はかなり良いと思っていたが、先頃正式に休演と発表された。
 (コロナのため、興行されても怖がりの私は行かなかったかも)
 
 今できることをやろう。
 可能なことで目一杯楽しもうと、心に誓った。



雀の舌を切り落とした意地悪で強欲なおばあさんは、十八代目勘三郎。
豪華キャストによる昔話「舌切雀」を渡辺えりがアレンジ。

配役
玉婆=十八代目 勘三郎 
与太郎/森の小人=三津五郎
森彦=勘太郎 お夏=七之助
村長=秀調  蚊ヨ=扇雀
孔雀王=孝太郎 鶴姫=芝のぶ
すみれ丸/蓮の精=福助 芥子丸=松也
雉=高麗蔵 鷹蔵=彌十郎 ひばり=新悟
梟の局=亀蔵 鷲丸=市蔵 ほか



『古今集遠鏡 巻一』 6 古今集遠鏡   はし(がき)三オ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 6 古今集遠鏡   はし(がき)三オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はしがき三オ
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ


情(こゝろ 心)
より(ラ行五段活用の動詞「よる」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの。)



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ



ささたべずして千鳥足の私ですが、頼りなくも前進を試みる自分に対し、千鳥模様の扇子というささやかなご褒美を^^

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万葉植物園 こどもの日



 ささたべずして千鳥足の私ですが、頼りなくも全身を試みる自分に対し、千鳥模様の扇子というささやかなご褒美を^^

 毎日毎日秋も背で、一生懸命コロコロと遊んでおります。
 日々の何気ない時間に感謝して、乱鳥ぴよぴよと過ごしております。
 笹食べずして千鳥足の私ですが、頼りなくも全身を試みる自分に対し、
 扇子というささやかなご褒美をやりました^^
 色は違えど、前回と同じく千鳥文様の同店で購入した京扇子です。

 千鳥紋を見ると、先斗町を思い浮かべます。
 千鳥柄の扇子を持つと、生まれ育った京都が近くなった気がします。
 扇子で風を仰ぐと、鴨川の涼しさと、町屋が並び鱧が焼かれるムシっと暑さが同時に感じられます。
 今年の夏は、ことに暑くなりそうな気がしますが、このセンスがあれば乗り切れそうです。
 千鳥が、風とともに、京の思い出を運んでくれそうな気がします。

 よっしゃ!
 明日も、できることから機嫌よく、チャキチャキと遊ぼう!
 
 
 
 

 ささたべずして(酒を飲んでもいないのに)

『古今集遠鏡 巻一』 7 古今集遠鏡   はし(がき)三ウ  本居宣長

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イラン バンダレ・アーダーリー






 『古今集遠鏡 巻一』 7 古今集遠鏡   はし(がき)三ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、

◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はし(がき)三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

『お祭り』仁左衛門 『女殺油地獄』仁左衛門(一部) 『伊勢音頭恋寝刃』愛之助(一部)

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 写真は、イラン ナクシェ・ロスタム)


『お祭り』仁左衛門 『女殺油地獄』仁左衛門(一部) 『伊勢音頭恋寝刃』愛之助(一部)



『お祭り』仁左衛門 (他の名高い役者さんは無し)

「待ってました。」
「高兄(たかにぃ)、待っていたとは、ありがたい!」(高兄(たかにぃは高橋秀樹)

あまりの仁左衛門丈のかっこよさに、ニコニコにこにこして観ていました。


『お祭り』
二世 桜田治助:作詞
清元斎兵衛:作曲
(浄瑠璃)清元 延寿太夫、(浄瑠璃)清元 清栄太夫、(浄瑠璃)清元 一太夫、(浄瑠璃)清元 國惠太夫、
(三味線)清元 菊輔、(三味線)清元 斎寿、(三味線(上調子))清元 美一郎、
(囃子)田中 長十郎、(囃子)田中 傳八郎、(囃子)田中 佐英、(囃子)望月 左京、(囃子)鳳聲 晴由
(18分15秒)


『女殺油地獄』(一部)仁左衛門

 仁左衛門丈の『女殺油地獄』、かっこいいわぁ!とTVを見て、あほ、ニタリ。

 仁左衛門丈の一世一代『女殺油地獄』は興行されたけれど、その前に海老蔵が怪我された代役で、松竹座で三回見ているんだ^^
 観ておいてよかった、仁左与兵衛^^


『伊勢音頭恋寝刃』(一部)愛之助

 愛之助の『伊勢音頭恋寝刃』も松竹座で見たが、心に残っている舞台の一つ^^  
 

『パンクざむらい斬られて候』2018年 石井岳龍監督 宮藤官九郎脚本 綾野剛を筆頭に、國村隼、北川景子、浅野忠信、豊川悦司、染谷将太、他

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 『パンクざむらい斬られて候』2018年 石井岳龍監督 宮藤官九郎脚本 綾野剛を筆頭に、國村隼、北川景子、浅野忠信、豊川悦司、染谷将太、他

 『パンクざむらい斬られて候』を楽しむ。
 言葉遣いと役者の形が心地よく、アウウプ店舗でノリも良いが、どことなく1970年代を思い浮かべるアングラ的な部分も面白い。
 役者の面々も素晴らしく、このコロナ騒動の中、通じる台詞も多々あり。
 最後の場面で、『パンクざむらい斬られて候』だが、『パンクざむらい世間を斬って候』であった。

 この映画は好きだな^^




監督
石井岳龍
脚本
宮藤官九郎
撮影
松本ヨシユキ
音楽
森俊之

制作年/2018
制作国/日本
内容時間/131分


 以下は、wowow公式HP
 ▼
石井岳龍  
高校大パニック(1976年)
1/880000の孤独(1977年)
突撃!博多愚連隊(1978年)
高校大パニック(1978年) ※1976年の同名自主映画を澤田幸弘との共同監督で商業リメイク。
神の堕ちてきた日(1979年、アクション監督)
狂い咲きサンダーロード(1980年)
シャッフル (1981年の映画)(1981年)
爆裂都市 BURST CITY(1982年)[7]
アジアの逆襲(1983年)
逆噴射家族(1984年)
半分人間 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(英語版)(1985年)
THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者(1989年)
TOKYO BLOOD(1993年)
エンジェル・ダスト(1994年)
水の中の八月(1995年)
ユメノ銀河(1997年)
五条霊戦記 GOJOE(2000年)
ELECTRIC DRAGON 80000V(2001年)
DEAD END RUN(2002年)
鏡心・3Dサウンド完全版(2005年)
生きてるものはいないのか(2012年)[8]
シャニダールの花(2013年)
ソレダケ / that’s it(2015年)[9]
蜜のあわれ(2016年)[10][11]
パンク侍、斬られて候(2018年)[12]
箱男 BOXMAN(未公開)

 綾野剛を筆頭に、國村隼 北川景子、浅野忠信、豊川悦司、染谷将太、東出昌大等々、超豪華キャストが集結してアナーキーなバトルを繰り広げる、前代未聞の異色の娯楽時代劇大作。

元パンクロッカーで芥川賞作家の町田康が2004年に発表した異色の同名小説を、かつて「爆裂都市 BURST CITY」で協働して以来の旧知の仲である石井岳龍監督が、パンクスピリット全開で映画化。「シャニダールの花」などでも石井監督と組んだ綾野剛を筆頭に、北川景子、東出昌大、染谷将太、等々、当代きっての人気実力派俳優たちが豪華に集結してアナーキーでハチャメチャな演技合戦を披露。そして脚本を、あの宮藤官九郎が担当。時代劇とはとうてい思えない奇想天外な物語世界は、ぜひ見てのお楽しみ。

映画『長いお別れ』 2019年 中野量太監督・脚本 大野敏哉脚本   山崎努 竹内結子 蒼井優 松原智恵子 北村有起哉

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映画『長いお別れ』 2019年 中野量太監督・脚本 大野敏哉脚本   山崎努 竹内結子 蒼井優 松原智恵子 北村有起哉



 映画『長いお別れ』を楽しむ。
 若干、テーマが分散しすぎのきらいは否めないが、筋書きが素晴らしく良く、また役者もそれぞれが個性を出し、安定した映画だと感じる。
 ことに山崎努と竹内結子のお二人は、一コマ一コマの表情や立ち振る舞いや感情移入が素晴らしく、画面から目を話すことができない。
 また孫役の蒲田優惟人と杉田雷麟もアクセント役として、輝いていた。

 父(山崎努)が深刻な状態に陥り、空港に行くという自宅前での竹内結子と北村有起哉のやりとりで、金銭が切れる。
 竹内結子と北村有起哉のやりとりに、涙が溢れ出た。




制作年/2019
制作国/日本
内容時間/128分

監督
中野量太
脚本
中野量太
脚本
大野敏哉
撮影
月永雄太
音楽
渡邊崇

出演
役名 役者名
東昇平 山崎努
今村麻里 竹内結子
東芙美 蒼井優
東曜子 松原智恵子
今村新 北村有起哉
磐田道彦 中村倫也
今村崇 杉田雷麟
少年期の今村崇 蒲田優惟人

 山崎努、竹内結子、蒼井優、松原智恵子、北村有起哉等が出演。
 認知症を患う父親とその妻や娘2人がたどる7年間を描いた。

『古今集遠鏡 巻一』 8 古今集遠鏡   はし(がき)四オ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 8 古今集遠鏡   はし(がき)四オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、

◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、

◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう





せどうか(旋頭歌)  (ウィキペディア)
 奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。
 五七七を2回繰り返した6句からなる。
 上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。
 頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。
 五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている。
 国文学者の久松潜一は『上代日本文学の研究』において、旋頭歌の本質は問答的に口誦するところにあるとの考えを示し、他の研究者もこれを支持している。
 一人で詠作する歌体もあるが、これは柿本人麻呂によって創造されたとの説がある。
   
 例)古今和歌集 巻第十九 雑体から旋頭歌
 1007
 題しらず                  よみ人しらず
 うちわたすをちかた人にもの申す われそのそこに しろくさけるはなにの花ぞも
 1008
 返 し
 春されば野辺にまずさく みれどあかぬ花 まひなしに ただなのるべきはなのななれや

たハふ(ム)れ(戯れ)

 



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

『古今集遠鏡 巻一』 9 古今集遠鏡   はし(がき)四ウ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 9 古今集遠鏡   はし(がき)四ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、

◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ






はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ


『古今集遠鏡 巻一』 10 古今集遠鏡   はしがき 五オ  本居宣長

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 『古今集遠鏡 巻一』 10 古今集遠鏡   はしがき五オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)五オ 10
今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、

◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ




わぶ(学研全訳古語辞典)
わ・ぶ 【侘ぶ】
[一]自動詞バ行上二段活用
{語幹〈わ〉}
①気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。
出典伊勢物語 九
「限りなく遠くも来にけるものかなと、わびあへるに」
[訳] この上もなく遠くまでもまあ来てしまったものだなあと、互いに嘆き合っていると。
②困る。困惑する。当惑する。
出典源氏物語 花宴
「いといたう強(し)ひられて、わびにて侍(はべ)り」
[訳] まったくたいそう(酒を)無理強いされて、困っております。
③つらく思う。せつなく思う。寂しく思う。
出典古今集 雑下
「わくらばに問ふ人あらば須磨(すま)の浦に藻塩(もしほ)たれつつわぶと答へよ」
[訳] たまたまに(私のことを)尋ねる人があったなら、須磨の浦で藻塩草に潮水をかけながら(涙を流して)せつなく思っていると答えてください。
④落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。
出典古今集 仮名序
「あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび」
[訳] ある場合には、昨日(まで)は栄えて思い上がっていたのに、(今日は)時の流れに合わないで勢力がなくなり、世間で落ちぶれて。
⑤わびる。謝る。
出典宇治拾遺 一一・三
「『ただ許し給(たま)はらむ』とわびければ」
[訳] 「ともかく許しをいただきたい」と謝ったので。◇「詫ぶ」とも書く。
⑥静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。
出典松風 謡曲
「ことさらこの須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ」
[訳] 特にこの須磨の海岸では、情趣のわかる人は、わざとでもわび住まいをして住みつくであろう。
[二]補助動詞バ行上二段活用
活用{び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ}
〔動詞の連用形に付いて〕…しづらくなる。…しかねる。…しきれない。
出典伊勢物語 七
「京にありわびて東(あづま)に行きけるに」
[訳] (ある男が)都に住みづらくなって東国へ行ったが。

ガにかふ(画に合わすこと)




はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10
今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ



『古今集遠鏡 巻一』 11 古今集遠鏡  はしがき五ウ  本居宣長  

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 『古今集遠鏡 巻一』 11 古今集遠鏡  はしがき五ウ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

 

はしがき五ウ

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

 

------------

 

郭公(ほととぎす)

ちくさ(ちくさなり 千種なり)種類が多い。いろいろだ。さまざまだ。「ちぐさなり」とも。伊勢物語 八一「紅葉のちくさに見ゆるをり」[訳] 紅葉の(色が)さまざまに見えるころ。

 

 

-------------

はしがき一オ 2

古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

 

 

 

 

映画『シン・ゴジラ』総監督・脚本:庵野秀明 監督:樋口真嗣 長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 國村隼 他

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  映画『シン・ゴジラ』総監督・脚本:庵野秀明 監督:樋口真嗣 長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 國村隼 他

 

 映画『シン・ゴジラ』を見たが、現在の我々が直面している『シン・コロナ』(新型コロナウイルス)と変わらず、リアルで怖かった。大問題が生じての政府の取り組みや言葉のやり取りが深くそして興味深く感じた。ただ、映画の方が、政府の決断が善良で早い。一日間違うと大問題が生じかねない決断を、政府はやり遂げる。そして、最後の言葉で、〆、幕を下ろす。

 この映画は好きだな^^

 

 

 

 

以下はwowow公式HP▼

総監督・脚本:庵野秀明

監督:樋口真嗣
音楽:鷺巣詩郎
出演:
長谷川博己
竹野内豊
石原さとみ
高良健吾
松尾諭
市川実日子
余貴美子
國村隼
平泉成
柄本明
大杉漣
ほか

 

 

2016年夏に公開され、日本映画として年間第2位の大ヒットを記録。庵野秀明総監督と樋口真嗣監督が首都圏を舞台に怪獣ゴジラVS日本政府&自衛隊の激闘を描いた大作!

日本が誇る世界的人気怪獣ゴジラを日本映画として約12年ぶりに復活させ、「新世紀エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)」シリーズで知られる庵野秀明総監督と、樋口真嗣監督という、いずれも特撮に造詣が深いコンビが組み、今までに見たことがないゴジラ映画が誕生。ゴジラの大暴れをリアルかつ迫力たっぷりに描くだけでなく、もしもゴジラが出現したら政府はどう対応するかをもリアルに描き、人気俳優多数の豪華共演も魅力的。大人が楽しめる娯楽大作に仕立てた。第40回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞。

5/12からgooブログの使い勝手がおかしいのですが…。不都合なところは二つ。

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 (写真は東大寺にて)

 

 

 昨日からgooブログの調子が悪い。不都合なところは二つ。

 

1) 新規で書き込んで他のページに移ると、昔のgooブログのように、書き込んだ内容が消えてしまい、復活できない。

1) 改行すると、下のように一段飛ばしになり、使い物にならない。

  アイウエオ

  カキクケコ

  サシスセソ

  上のように間延びして、これはいただけない。

 

 

私だけなのでしょうか?

元に戻るのでしょうか?

困ったものと、思案しています。

 

 

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