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『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4

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  『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4

 

 『風流 妖化役者附』上 三ウ
    第一ばんめじよひらき中将はの北門と  いふばけ
    もの○ぼうもんのさいぜうの    役を
    こじつけるかゝる所へ
    むかうゟ市川團十
    のう(ママ)といへる実(じつ)
    あく事のばけ
    もの、しのづ
         か
         の

    やくにてし
        ばら/\
         のでは古
         今の  大手け
         ばけ

 物 な 
 クま
  へおち

    のくる
    事春風   のことし

『風流 妖化役者附』上 四オ

      神輿入道ハ   古風のばけ
              のせんせいなり
              ことにこの芝居
◆とりたてにつき○金ものとしてつかわしけ
 れハ二座のもて印とて太夫さじきの一を
 いんきよ貞といふはりぶたにて御
 そう申
◆「いよ/\たのむに十のう殿とハ
 かミすきのもん くあ つはれ
 大  でけ
     /\  とて


 はなを いだす犬
 あたま ハとうどう
 なれ バカづ
 ら のミす
 さ じき
  を かけ
  取てち
     かづき
        を
   あやなす

 『風流 妖化役者附』上 三ウ

      六
      蛮(ばん)
      九夷(い) 
      我子を  たれうし
      らさらん や新田(にった)
         ぎ 
      よし貞(さだ) が家臣(くしん)
      鹿塚(しのづか)いがの  当とな
      のる仕内、そ のまくの
      成田や三殊 とミへ
      けり

 『風流 妖化役者附』上 四オ

     「とうげの
      嵐(あらし)おと 鉢(はち)
      とて 上下す
      がたのば
      けもの
       もん
       さく
       いふ
       心ハ
        鉢
        と
        で
        お
        け
        ば
        お
        し
        が
        す
        る
     ゆへ
       おと
         鉢と
           申
  
 
 

 しのづかのやくにて、しばらく
   = 篠塚の役にて、
    「しばらくぅ〜、しばらくぅう!」

   篠塚 =鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ) 
      『暫』では、 賀茂次郎義綱家来、史実の鎌倉景正に相当
   『暫』= 歌舞伎十八番 『暫』
        荒事
        成田屋
        市川團十郎がが花道で舞台正面に向かって言う台詞。
       「しばらくぅ〜、しばらくぅう!」
    
 十のう殿 = 十郎殿(曽我十郎)のことか

 かミすきのもん くあ つはれ
      = 髪すきの文句、あっぱれ
       『髪結新三』か
  新三:こんな出合いも其の内に、てっきり有ろうと浄瑠璃の
     に掛けて懐に、隠しておいた此の匕首
     刃が有れば鬼に金棒、どれ血塗(ちまぶ)れ仕事に掛かろうか。
  源七:如何に所が寺町とて、未だ盂蘭盆も来ねぇのに
     聞きたくも無ぇ地獄の云い立て、無常を告ぐる八幡の
     死出の山鐘三途の川端、辺りに見る目嗅ぐ鼻の
     人の来ぬ間にちっとも早く、冥途の先駆けさしてやろう。
 上の引用で、本書の 
      大  でけ
          /\  とて
               につながっているのかもしれない。

 はなを いだす犬
 あたま ハとうどう
 なれ バカづ
 ら のミす
 さ じき
  を かけ
  取てち
     かづき
        を
   あやなす
  = 鼻を出だす犬、頭は藤堂なれば、
    葛(カズラ くずの事)の御簾(みす)
    桟敷をかけ取りて、かずきをあやなす。

 六
 蛮(ばん)
 九夷(い)

 六蛮= 四海与九夷、八狄、七戎、六蛮  (http://blog.sina.com.cn/s/blog_48fa33d90100m938.html 中国人の方のブログ 中国語のため、内容はわかりません)
 九夷= 昔、中国の漢民族が東方にあると考えた九つの野蛮国。畎夷(けんい)・于夷(うい)・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷をいう。
 夷 =
 えびす 【夷・戎・蝦夷】名詞   (学研古語辞典)
  ①「えみし」に同じ。
  ②未開の外国人。また、その国。
  ③情趣を解さない田舎者。荒々しく粗野な人。▽多く、東国の男・武士をさす。
 中国の漢文(古典)にも、日本の事を「夷国」と記されたものがある。(本の題は忘れた) 

 成田や三殊 =成田屋三殊
    三殊 =地名(みたま)    (ブリタニカ百科事典)
        山梨県中部,市川三郷町東部の旧町域。
        御坂山地西部にあり,笛吹川の支流芦川の流域を占める。
        1954年上野村,大塚村と下九一色村の一部が合体し町制施行。地名は3村を珠にたとえてつけられた。
         2005年市川大門町,六郷町と合体して市川三郷町となった。
        主産業は農林業で,北部の笛吹川沿いの低地では米作のほか早出しトウモロコシが栽培されている
        御坂山地に続く曾根丘陵はニンジン,ゴボウの産地であったが,果樹栽培への転換が進んでいる。

     「とうげの
      嵐(あらし)おと 鉢(はち)
      とて 上下す
      がたのば
      けもの
       もん
       さく
       いふ
       心ハ
        鉢
        と
        で
        お
        け
        ば
        お
        し
        が
        す
        る
     ゆへ
       おと
         鉢と
           申
 = 峠の嵐、音、鉢とて(峠の嵐の音は鉢の音がするので)  
   上下姿の化け物、もんさく言う心は、
   鉢とでお化けおし(音)がするゆへ、
   音鉢(固有名詞)と申す。

 『暫』= 歌舞伎十八番 『暫』
        荒事
        成田屋
        市川團十郎がが花道で舞台正面に向かって言う台詞。
       「しばらくぅ〜、しばらくぅう!」
    
    知られざる歌舞伎座の名画 尾形月山「暫」 山種美術館
    InternetMuseum様からお借りしました。
   
 

 (読み間違いはお許しください。)
         
 


 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 二オ 三ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 


 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



 上
 

 

 

 

 

 

 下
 

 

 

 

 

 

 
 

乱鳥徒然  舞台は楽し (本日、井上芳雄さんのミュージカル『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ 』のチケットをゲット。)

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 本日、井上芳雄さんのミュージカル『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ 』のチケットをゲット。

 
 これで、

     山口祐一郎さんの『ダンス オブ バンパイヤ』
     井上芳雄さんの 『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ 』
     片岡仁左衛門丈の『堀川波の鼓』他、南座顔見世夜の部全般


                 を見ることができると、喜ぶ乱鳥。
     
     

乱鳥徒然  絵巻物が好きになったきっかけは、尊敬する民俗学者の宮田登氏のおかげであったか…

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 時間がかかるのは承知の上で、本ブログのカテゴリーの分類をしてみた。

 欲しかった書物を手に入れることができたので、思い切って整理したというわけだ。


 2006年から始めたブログだが、本日たまたま4950日目に当たる。

 今年中には五千日を迎え、新春には祝いの門出を迎えるという、誠喜ばしいブログである。


 ブログを作った当初は、半ばパン作りと雑多な記録で、毎日飽きもせで、おかずパンや菓子パンや食パンを焼いていた。

 焼いては写真を突りブログにアップしては家族に食べさせる。

 共同作業の賜物のようなブログであった。

 何年かして、パンの生地じゃ全て消去させていただいた。

 が、今でもお料理は家事の中心的イベントというくらいに好きな青遊ぶなので、毎日機嫌よく料理をこなしている。


 その頃は今よりも盛んに歌舞伎や能楽を見ていたが、芝居ファンや舞台のファンの中傷を避けて、カタカナや抜け落とし文字で題名と出演者のみ程度の記録をつけていたことが懐かしい。

 ただ、カタカナやローマ字で書いても、検索すればヒットする場合があるということを、のちになって知ることになったのだが‥‥‥。


 本ブログのカテゴリーの分類に当たって、過去を振り返り、当時のことを鮮明に思い浮かべる生地のタイトルも多くあった。

 また、その時期により、読書の好みが集中している傾向にあり、何時頃には何に関心があったかを改めて把握できた。


 読書一つを取り上げてもその変化は面白い。

 この十数年を通して、中国、イラン、民俗学、心理学、健康、経済、詩歌、和歌、昔読んだ懐かしい小説、木木高太郎、古典、歌舞伎浄瑠璃、謡曲、説経節、古文書、絵巻物、和本(陰影本含む)
と、私の読書歴を感じる。

 面白いのは民俗学関係の赤松啓介氏、彼の全集(全六巻)は全て読了したが、記録を省いていること注目したい。私も、ブログの半ば頃は、心は乙女であったのか?(笑)

 齢を重ねた今や、カテゴリーにさへ柳田國男氏と肩を並べて書いているというのに、である。


 面白いことを発見した、

 私の絵巻物が好きと言った原点は、もちろん古典や絵画が好きと言ったことを基本としているが、大きな影響を受けた本が民俗学者である、私の尊敬する宮田登氏(共著)の一冊がきっかけとなった。

『日本異界絵巻』という本だが、今回整理したカテゴリーの「絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸」分野では、一番初めに記録されていた。

 『日本異界絵巻』宮田登 小松和彦 鎌田東二 三人による共筆
 「絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸 」カテゴリー一覧
古い順




 今年も余すところ五十日前後となった。

 毎年書いているかもしれないが、11月12月は私にとって重要な予備の期間である。

 1月から10月までのように自分の時間を目一杯楽しむと言ったスタイルを保ちつつ、新たな心地良い年を迎えるため準備と努力の怠らず準備をするという、予備とはいえ大変に忙しいやりがいのある日々を過ごすことになる。

 昨年の12月には多少無理が生じ、原付ミニバイクでこけ、今も多少の後遺症は残るが、今年は安全第一をモットーに頑張りすぎず全力で満足のいく日々を過ごそうと思う。

 
 ブログにより十数年の過去の志向や生活の一部を振り返ることができ、新たに前に進むことができよう。

 今考える、これからの人生ややりたいことを見つめる上で、大変参考になった。


 日々可被精進為遊楽也
     

 

 

『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  3

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 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

 

 『風流 妖化役者附』上 二ウ

 此芝居、初日はじまりハ夜の
 八ツ時丑三ツとて、ばけものがでる
 時分のよし、申つたふる一座
 のかしらの大あたま
 後見(くわけん=こうけん)となり、とうざ
 いくと扇をひらき
 。やくわんばけて茶うり
 なり、口よりつぎかける
 。ああやおこしばけてわ が
 でにうつはこかす ●中う り
 のふしめ、酒ばけてのミくいしな
 いはやく、北の木、つい大入だ
 出街につめ
 もたし
 ぬりし
 ハらかん
 へでも
 いかう
 か

「き  つ印  そ  の 


    ばん
    づけも
     とう
      り
      た
      い
   「 ばん
     よう
     まづ
    あ心さ
    ぎやの
      あ
      か
      □
      も
      ま
      い
      れ
      さ

『風流 妖化役者附』上 三オ

     さてに口上やくハま。御さだま
    まり。ついだてのがぼミせ座
    付口上に罷出△たろうハで
    たり  ますれど これより 申
 上
 まする
 ばけも
 の芝
 居ゟ
 とりたてと
 あつて夜の
 九ツゟ御出被
 下まするさん越座
        中
 べつしてたいけいにぞんし奉りまする
 さそ 何がな御地走(ちそう)のためぢくちばけ物
 と だいして役者の名に によふ
 まし たるばけ物ニ仕内を
 致させ御三急と入まする、さた
 めて御めだるいがちに
 ごさりませうが御よう
 しやのほどねがい奉り
 ます、まずハばけものきやうげん
  はじ まり、さやうにおほし めし
             ませう



 やくわん =(湯を沸かす)ヤカン
        夜間とヤカンの掛詞

 ついだてのがぼミせ座付口上に罷出
      = ついたての顔見世座付き口上罷(まか)り出で

 たろうハで
    たり  ますれど これより 申
 上
 まする
   = 太郎は(芝居に)出たりますれど、これより申し上げまする。

    夜の
 九ツゟ御出被
 下まするさん越座
 中
  = 夜の九つ(時間)よりおんいで下されまする、さんこし座中
    さんこし座中(三越座中か  )

 江戸時代の時間   (『大江戸ものしり図鑑』)
 午前
 0時-夜九ツ(子ノ刻)
 1時-九ツ半
 2時-夜八ツ(丑ノ刻)
 3時-八ツ半
 4時-暁七ツ(寅ノ刻)
 5時-七ツ半
 6時-明け六ツ(卯ノ刻)*日の出の30分前
 7時-六ツ半
 8時-朝五ツ(辰ノ刻)
 9時-五ツ半
 10時-昼四ツ(巳ノ刻) 
 11時-四ツ半
 午後
 12時-昼九ツ(午ノ刻)
 13時-九ツ半
 14時-昼八ツ(未ノ刻)
 15時-八ツ半
 16時-夕七ツ(申ノ刻)
 17時-七ツ半
 18時-暮れ六ツ(酉ノ刻)*日没の30分前
 19時-六ツ半
 20時-宵五ツ(戌ノ刻)
 21時-五ツ半
 22時-夜四ツ(亥ノ刻)
 23時-四ツ半

 べつしてたいけいにぞんし奉りまする
      = 別して大計(或いは、大慶)に存知たてまつりまする
  別して =    (古語辞典)
       《多くはあとに打消しを伴って》 《副ノ》とりわけて。ことに。特別に。
  大計  =    (三省堂 大辞林 第三版 )
        大きな計画。遠大なはかりごと。 「国家百年の-」
  大慶  = 大いに喜ぶこと

 さそ   = さぞ

 さそ 何がな御地走(ちそう)のためぢくちばけ物
 と だいして役者の名に によふ
 まし たるばけ物ニ仕内を
 致させ御三急と入まする、
   = さぞ、何がな、ご馳走のため、熟知、化け物
     と題して、役者の何によふまじ(にあった、見合った)
     たる(の)化け物に仕打ちを致させ、御さん休と入りまする。

         さた
 めて御めだるいがちに
 ごさりませうが御よう
 しやのほどねがい奉り
 ます、まずハばけものきやうげん
  はじ まり、さやうにおほし めし
             ませう
    =定めて御めだるいがちにござりましょうが、
     ご容赦の程ねがい奉ります。
     まずは化け物狂言、始まり
     さ様に思し召しましょう。
 めだるい = 【目怠い】( 形 ) めだる・し   
        1  見ていてもどかしい感じだ。まだるい。 「そんな-・いことはしてられない」
        2 目が疲れた感じだ。  
      上の「見ていてもどかしい感じ」から考えて、芝居がつまらない様と考えられる。
      昔は芝居が長く、捨て芝居というものも織り込まれていたらしいが、この芝居が捨て芝居か否かは定かではない。

 

 (読み間違いはお許しください。)
         
 



 話の続き方
 1
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1
    ↓

 2
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2
    ↓

 3
 ((今回の記録))
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

    ↓

 4
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 
    ↓

 5 6








 
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3 

 
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 


 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



 上
 

 

 

 

 

 

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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)

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 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)



 合巻(ごうかん)とは    (ウィキペディア)
 合巻(ごうかん)は、寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。
 それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。


 合巻(ごうかん)の歴史
 赤本・黒本・青本・黄表紙と時代を下った挿画入り娯楽本草双紙は、左右1ページずつ木版摺りした和紙を2つに折り、その5枚(5丁)10ページ分に表紙・裏表紙を付けて1冊に綴じるのが原則。
 それの数冊で1編の絵物語になっていた。
 大きさは、美濃紙半裁二つ折りの中本(約14×20㎝)が普通だった。現在のB6よりやや大きい。

 古典を下敷きに、洒落・滑稽・諧謔を交えて風俗・世相を諷刺的に描き綴って売れていた黄表紙類が、松平定信の寛政の改革期に、相次いで発禁にされ、業界は当座の厄除けに、黄表紙を勧善懲悪の仇討話に方向転換し、仇討話は筋が複雑で長編化して、10ページ1冊の冊数が増えた。
 そこで数冊を纏めて綴じてしまう工夫が生まれ、それを『合巻』と呼んだ。

 1804年(文化元年)の、春水亭元好作・歌川豊国画『東海道松之白浪』が、表紙に『全部十冊合巻』とうたっている。

 1806年の式亭三馬の『雷太郎強悪物語』が合巻の始まりとの説は、三馬の自己宣伝に発すると言う。

 読者の好みと世相の変遷に従い、内容は、仇討・お家騒動・古典の翻案・歌舞伎・教訓・変態・猟奇などに変遷した。

 作者には、
     山東京伝、
     十返舎一九
     曲亭馬琴、
     山東京山、
     式亭三馬、
     柳亭種彦、
     為永春水、
     一筆庵主人、
     墨川亭雪麿、
     笠亭仙果、   らがいた。

 絵師には、
     北尾重政、
     歌川豊国、
     勝川春扇、
     葛飾北嵩、
     二代目歌川豊国、
     歌川国貞、
     渓斎英泉、
     歌川国直、
     歌川国安、
     歌川貞秀、
     貞斎泉晁、
     歌川貞重、
     四代目歌川豊国、
     落合芳幾、    らがいた。

 装丁も派手になったが、水野忠邦の天保の改革(1841-1843年)で地味になる。
 そして又華美に戻ったものの、改革のあおりで為永春水と柳亭種彦は没す。
 作品の質はエログロの方向に低俗化して、明治に入り、大衆向けの小新聞の影響を受けて消滅した。


 主な合巻とその厚さ
 主な合巻を、年を下る順序に列記する。
 各行末の括弧内の、例えば(50×2)とは、50ページ(25丁)ずつ綴じた2冊、計100ページ、の意である。
 表紙・裏表紙・口絵・広告などは、数えていない。

 春水亭元好作、歌川豊国 画:『東海道松之白浪』、永寿堂 (1804)(50×2)
 式亭三馬、歌川豊国画:『雷太郎強悪物語』、西村新六 (1806)(50×2)
 山東京伝作、歌川豊国画:『糸車九尾狐』、永寿堂 (1808)(30×3)
 山東京伝作、歌川豊国画:『岩井櫛粂野仇討』、永寿堂 (1808)(30+40)
 山東京伝作、歌川豊国画:『累井筒紅葉打敷』、耕書堂 (1809)(80×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『志道軒往古講釈』、(1809)(60×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『男草履打』、甘泉堂 (1811)(30×2)
 山東京伝作、勝川春扇画:『暁傘時雨古手屋』、耕書堂 (1811)(60×1)
 柳亭種彦作、葛飾北嵩画:『鱸庖丁青砥切味』、永寿堂 (1811)(70×1)
 山東京伝作、歌川国貞画:『薄雲猫旧話』、岩戸屋 (1812)(60×2)
 山東京伝作、歌川豊国画:『娘清玄振袖日記』、永寿堂 (1815)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『正本製 初編 - 12編』、永寿堂 (1815 - 1831)(編により80×1、60×1、40×1)
 山東京伝作、歌川豊国画:『琴声美人伝』、丸屋甚八 (1816)(60×1)
 山東京伝没 (1816)
 山東京伝作、歌川国貞画:『長髦姿蛇柳』、東永堂 (1817)(30×1)
 十返舎一九作、歌川国直画:『糠三合有卦入聟』、鶴屋喜右衛門 (1820)(20×1)
 十返舎一九作、歌川国直画:『御あつらへ出来合女房』、鶴屋喜右衛門 (1820)(20×1)
 北尾重政没 (1820)
 為永春水作、歌川国直画:『総角結紫総糸』(1822)(50×1)
 式亭三馬没 (1822)
 曲亭馬琴作、歌川豊国画:『諸時雨紅葉合傘』、甘泉堂 (1823)(50×1)
 幽月庵元越作、十返舎一九校合、北尾美丸画:『附祭踊子新書』、伊藤与兵衛 (1823)(50×1)
 曲亭馬琴作、歌川豊国画:『膏油橋河原祭文』、仙鶴堂 (1823)(30×2)
 曲亭馬琴作、渓斎英泉画:『金毘羅舩利生纜』、和泉屋市兵衛 (1824)(30×2)
 曲亭馬琴作、二代目歌川豊国(初編)・歌川国安(2編以降)画:『傾城水滸伝 初編 - 13編上』、仙鶴堂 (1825 - 1835)。(編により、20×1か40×1)
 歌川豊国没 (1825)
 為永春水作、春川英笑画:『腹内窺機関』、永寿堂 (1826)(20×1)
 為永春水作、歌川国丸画:『浦島太郎珠家土産』、青林堂 (1828)(80×1)
 為永春水作、歌川国丸画:『風俗女西遊記』、青林堂 (1828)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『偐紫田舎源氏初編 - 38編(未完)』、仙鶴堂 (1829 - 1842)(各編とも、80×1)
 西来居未仏作、歌川国兼画:『忠臣合鏡 前 後編』、森屋治兵衛 (1829)(30×2)
 為永春水作、春川英笑画:『愚智太郎懲悪伝』、(1829)(60×1)
 為永春水作、渓斎英泉画:『繋馬七勇婦伝』、(1829)(50×2)
 曲亭馬琴作、歌川国安画:『新編金瓶梅 1 - 10集』、甘泉堂 (1831 - 1847)(各集とも、80×1)
 十返舎一九没:1831、歌川国安没:1832
 歌川雪麿作、貞斎泉晁画:『宇治拾遺煎茶友』、喜鶴堂 (1834)(60×1)
 柳亭種彦作、歌川国貞画:『邯鄲諸国物語 1 - 8編』、栄久堂 (1834 - 1841)(編により、20×1、40×1、60×1)
 墨川亭雪麿作、渓斎英泉画:『洗鹿子紫江戸染』、(1835)(60×1)
 為永春水作、歌川貞秀画:『笠松峠薊花恋苧車』、(1835)(40×1)
 二代目歌川豊国没 (1835)
 山東京山作、歌川国貞画:『廓花勝山話』、福川堂 (1840)(30×1)
 水野忠邦の天保の改革(1841 - 1843年)
 美濃屋甚三郎(初 -5編)・楓川市隠(6編)・柳下亭種員(13 - 39、41編)・柳水亭種清(37 - 40、42編)作、歌川国貞(初 - 15編)・一雄斎国輝(16 - 28編)・一竜斎国盛(29 -31編)・一寿斎国貞(32 - 35、42編)・一勇斎国芳(36 - 38編)・一恵斎芳幾(38 - 41編)画:『児雷也豪傑譚』、甘泉堂 (1841 - 1865)(各編とも80×1)
 為永春水没 (1841)、柳亭種彦没 (1842)
 一筆庵主人作、渓斎英泉画:『心学教訓誰身の小槌』、(1844)(40×1)
 一筆庵主人作、渓斎英泉画『絵本二十四孝』、(1844)(20×1)
 万亭応賀作、渓斎英泉画:『忠臣国性爺将棋合戦』、(1844)(40×1)
 万亭応賀作、渓斎英泉画:『教訓浮世眼鏡』、(1844)(60×1)
 墨川亭雪麿作、渓斎英泉画:『紅粉絵売昔風俗』、(1845)(60×1)
 半俗退士作、渓斎英泉画:『拍掌奇譚品玉匣』、(1845)(60×1)
 

 ついでに現代における合本と合冊についても記しておきたい。

 合本とは [名]     (大辞泉)
  1 数冊の本や雑誌などをまとめ、1冊として製本すること。また、その本。
   合冊(がっさつ)。「合本された雑誌」
  2 分冊して発行した図書を、新たに1冊にまとめて発行したもの。合冊。 
 合冊とは [名]     (大辞泉)
   「合本(がっぽん)」に同じ。ごうさつ。
 つまり   合本(がっぽん) = 合冊(がっさつ) である。


 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15 「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16  「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17  風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18  相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)






 トップの写真は、中国の刺繍  クリムトの絵画を題材に制作されている。
 手の込んだ詩集の中には、表から見ても裏から見ても別の絵に仕上げられている神戸の技術のものもある。

『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5

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 『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5

 

 『風流 妖化役者附』上 四ウ

 実事のしうさん坂田椀(わん)五郎鬼王(おにおう)新左衛門の役をつとめて
 はね  をとる竜王の女房に  芳沢綾(あや)の介両人
 両人             そがの身
                ひんなる
              子を かこち
                   て
             うれい のだん
              もて ます/\


「女房ども
 いかなれハ
 此ように
 曽我ハってひんしやぞ
 やいゑゝ、くちおしや
 なあと正月(むつき)やの(さん)枚 暁(きやう)をこじつけて はねる


    「せまじきも  のハうやづかへでござんす、こちの
     人と橘屋春水(たちばなやしゅんすい)  をそのままに


     うつす
     大でけ/\


 『風流 妖化役者附』上 五オ

 あずま洞藤(どうとう) 小佐川 舟(ふね)に今此しばい
 口上のぶ  つとりもの
 わん
 き
 事

 よし
 成屋の
 仕内いつれも
 互角(ごかく)の女方ばけもの

 なり田にて外二るいなし

 ●表具(ひやうぐ)やの藁枝(はんし)
 ●米屋の巨舟(こせん)
 とて、こなさんも
 わしも、ミんな御 そんじのわけで
  こざんす、女まからも手うちにせん
       おこされてハ、あいならぬわいな


      「いや、手がら
             ハ
       しがちそこ
      のいくとほしや
        ために
          なる
           まい
            ぞ




 『風流 妖化役者附』上 四ウ

 実事 =じつごと        (三省堂 大辞林 第三版)       
 ① 歌舞伎の演技・演出の一。判断力のある常識人を主役とした誠実さを性根とする演技。また、その役柄。 → 和事 ・荒事    
 ② 本当のこと。まじめなこと。 「そなたとわが身は-にて、口舌などする挨拶か/浄瑠璃・五十年忌 中」

 しうさん =集散か       (三省堂 大辞林 第三版) 
  集散  =集まることと散ること。また、集めることと散らすこと。聚散。


 坂田椀五郎 = 和事の坂田藤十郎に対しての、実事の坂田椀五郎として表現されているのか。
         或いは、 『二人椀久』のもじりか。

 初代坂田藤十郎 =正保4年(1647年) - 宝永6年11月1日(1709年12月1日))
          江戸時代の歌舞伎役者。俳号は冬貞、車漣。定紋は丸に外丸。
          元禄の時代を代表する名優で、上方歌舞伎の始祖の一人にかぞえられる。
         「役者道の開山」「希代の名人」などと呼ばれた。

          京、大阪で活躍近松門左衛門と提携
         『傾城仏の原』『けいせい壬生大念仏』『仏母摩耶山開帳』などの近松の作品を多く上演
          遊里を舞台とし恋愛をテーマとする傾城買い狂言を確立。
          やつし事、濡れ事、口説事などの役によって地位を固める

 『二人椀久』…この期の唄方には初世富士田吉次のほか,のちに遊里に進出して荻江風(おぎえふう)長唄(のちの荻江節)を創始した初世荻江露友,そのほか初世坂田仙四郎,初世湖出市十郎,三味線方に錦屋総治,西川億蔵,初世杵屋作十郎,2世杵屋六三郎,囃子方に宇野長七,3世田中伝左衛門などがいる。 安永・寛政期(1772‐1801)は長唄が上方依存から江戸趣味へと転向し,内容本位の唄浄瑠璃風の長唄から拍子本位の舞踊曲へと移行する,いわば過渡期であり,《二人椀久(ににんわんきゆう)》《蜘蛛拍子舞(くものひようしまい)》がその代表曲であった。また,1792年(寛政4)には舞台に演奏者が並ぶための雛壇が採用されて,歌舞伎舞踊の舞台をより豪華なものとした。…

 芳沢□の介の文字が付く江戸時代の歌舞伎役者 = 芳沢綾(あや)の介
 芳沢綾(あや)の介 (おんな型)(当時、初代藤十郎と組む)
  芳沢あやめ関連
  紀伊国の中津村(和歌山県日高川町)の生まれ。5歳の時に父を亡くし、その後道頓堀の芝居小屋で色子として抱えられ、吉澤綾之助を名乗った。
  はじめ三味線を仕込まれたが、丹波亀山の筋目正しい郷士で有徳の人として知られた橘屋五郎左衛門が贔屓となると。
  その強い勧めで女形としての修行を重ねた。 
  後年女形として大成したあやめは、この橘屋五郎左衛門の恩を一生忘れず、屋号の「橘屋」も彼にあやかって用いるようになったという。
  のち口上の名手・水島四郎兵衛方に身を置き、初代嵐三右衛門の取り立てで、若衆方として舞台を踏む。

  元禄5年(1692年)に京に上り、元禄8年(1695年)に太夫の号を取得して芳澤菊之丞と改名。  
  元禄11年(1698年)には『傾城浅間嶽』での傾城三浦役が演じ人気を博す。
  正徳 3年(1713年)11月江戸に下り、翌年11月に帰京。その2年後には役者評判記『三ヶ津惣芸頭』で高い評価を受ける。
  享保6年(1721年)には立役に転じて芳澤權七を名乗るが不評で女形に戻る。
  この前後に「吉澤あやめ」を名乗ったといわれているが、詳細は不明。

  享保13年(1728年)隠居、翌年死去した。
  初代あやめは、舞台だけでなく日常生活でも常に「女性」を意識していなければならないと門人に教えていた。
  たとえば、食事をするときはみなから離れて一人で食べなくてはいけない。
  食べている時に男になってしまったら相方の役者がどう思うか、そこまで考えなくてはいけない、という徹底したものだった。
  初代のこうした「芸談」は、それを直に見聞きしたという狂言作者の福岡彌五四郎が晩年に口述、この他にも数人の役者の芸談を加て『役者論語』という一冊の本にまとめられた。
  同書の「あやめ草」の章を参照されたい。


       両人     そがの身
                ひんなる
              子を かこち
                   て
             うれい のだん
             もて ます/\

      =両人 蘇我の身(蘇我十郎、曽我の五郎)
          貧なる子を囲いて
          憂の段を以って益々

 暁 =きやう(ギョウ)(角川新字源)
  意味①あかつき。よあけ。あけがた。「暁鐘」「暁天」「早暁」
    ②さとる。よく知っている。さとい。「暁習」「通暁」
   春暁(シュンギョウ)・早暁(ソウギョウ)・通暁(ツウギョウ)・払暁(フツギョウ) →ギョウ
   旧字は、形声。日と、音符堯(ゲウ)→(ケウ)とから成る。空が明るくなる、「あかつき」、あきらか、転じて、「さとる」意を表す。

 橘屋春水 = たちばなやしゅんすい
  芳澤あやめ (初代)
   上にも書いたが、
   初代 芳澤あやめ(しょだい よしざわ あやめ、1673年(延宝元年) - 1729年8月9日(享保14年7月15日))は元禄から享保にかけて大坂で活躍した女形の歌舞伎役者。
   屋号は橘屋。俳名に春水。
   本姓は斎藤。通名を橘屋 權七(たちばなや ごんしち)といった。


 『風流 妖化役者附』上 五オ

 藁枝(はんし) = 半紙
           藁紙(わら紙)

 こな(さん) = こ-な 【子な】
          名詞
          子供たち。
          恋人などを親しんでも呼ぶ。
         「こら」の上代の東国方言。「な」は接尾語。

 ミんな御 そんじ = 皆んなご存知

 女まからも手うちにせん
 おこされてハ、あいならぬわいな
   = 女ながらも手打ちにせん(と)
     起こされては、相ならぬわいな


 

 (読み間違いはお許しください。)
         
 


 話の続き方
 1
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1
    ↓

 2
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2
    ↓

 3
 ((今回の記録))
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

    ↓

 4
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 
    ↓

 5
  『風流 妖化役者附』上  四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  5 


    ↓
6








 
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3 

 
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 

 
  『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5 


 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



 上
 

 

 

 

 

 

 下
 

 

 

 

 

 

『風流 妖化役者附』上 読了   五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6

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 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6

 

 『風流 妖化役者附』上 五ウ

(絵図:暖簾に)
  はけ物や 

 大入名風呂治(ふろじ)と いふわか手の 実事師
 中村鋤(じゃく)五郎と  
 いふ実あく
 師両人


 のたて、濡れがミ長五郎は
 なれ駒の長吉の仕内
 まだ雪とゞかぬ
 取あれど仕内
 たろしゆ、まし
 てやんがて、くろ
 上二吉に 間も
 あるま いとばけ
 ものなか までのひ
 やうばん、すいほん/″\  せい出しかし
  ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
   といふせりふをしつかり
 

    ●おゝ、われも
         尺八の  
         へどく
       いふつらね
       を おほへ
       て 
         いる
           か


 

(絵図:暖簾に)
  はけ物や = 化物屋

 中村□(じゃく)五郎 = よくわからない。
          中村勝五郎  × (役者)          
          中村又五郎  × (役者)
          中村五郎   × (役者)
          中村鍵五郎  ×
          中村勝五郎  ×
   中村□(じゃく)五郎 = □(じゃく)の文字は、『「手偏」に「助」』か。

 濡れがミ長五郎 = 濡れ髪長五郎
   浄瑠璃「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の主人公の一人。
   大坂相撲の人気力士。義理ある人を助けるため侍を殺し、逃亡の果て、生母に一目逢おうと八幡の親里に現れる。
   歌舞伎「双蝶々曲輪日記」は、複数の役者で見たが、中村吉之助さんの舞台を一番んい思い浮かべる。
   母に会いに行き、母が戸を閉める場面とチキ師の髪を剃る場面。
   及び、役人で取り締まる立場にあるの兄が、長五郎のホクロをとる場面をは、心地よい。

 なれ駒の長吉 = 成駒の長吉

 くろ
  上二吉 = 黒髪二吉

 ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
  といふせりふをしつかり
    = ●これ、長五郎。ちと(ちょっと)待ってもろ米(もらいたい)、
      「消し炭の涙」と云う台詞を(もっと)しっかり(言いなさい)

    ●おゝ、われも
         尺八の  
         へどく
       いふつらね
       を おほへ
       て 
         いる
           か
   = ●これ長吉、ちとまつ てもろうべい、けしずミのなミだ
      といふせりふをしつかり
     と云うダメ出しに対しての反論

     おぉ、われ(お前)も尺八の屁毒をいう
     連ねを覚えているか!




 (読み間違いはお許しください。)
         
 




 話の続き方
 1
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1
    ↓

 2
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2
    ↓

 3
 ((今回の記録))
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3

    ↓

 4
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 
    ↓

 5
  『風流 妖化役者附』上  四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  5 


    ↓
 6
 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6 






 
 『風流 妖化役者附』上 一オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   1

 
 『風流 妖化役者附』上 一ウ 二オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   2

 
 『風流 妖化役者附』上 二ウ 三オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   3 

 
 『風流 妖化役者附』上 三ウ 四オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   4 

 
  『風流 妖化役者附』上 四ウ 五オ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]   5 

 
 『風流 妖化役者附』上 読了 五ウ(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ) 鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]  6 




 『風流 妖化役者附. 上』(ふうりゅう ばけものやくしゃづけ)
  鱗形屋孫兵衛, [江戸 明和6(1769)]
  19cm

 黒本
 書名は題簽による 版心書名:役しや 角書付書名:風流妖化役者附
 墨書入あり
 和装


 黒本(くろほん、くろぼん)とは
 江戸時代に書かれた挿絵が描かれた本、草双紙の一種。
 子供向けの赤い表紙の赤本が発展して、青少年向きの黒い表紙の黒本になった。
 題材は、浄瑠璃、歌舞伎、英雄伝、戦記が多い。草双紙 黒本



 上
 

 

 

 

 

 

 下
 

 

 

 

 

 

映画『こんな夜更けにバナナかよ』 大泉洋

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 ながら映画数本を見た。

 この忙しい11月に雑用をこなし、せかせかと動きながら映画を見ていると、数本見た映画も何を見たか忘れてしまっている。

 いやいや、これは危ない傾向かしらん。

 思い出せないのは、おボケのせいか知らん!と、若干、不安な私。

 そういえば、最近、固有名詞がとんと出ない。いやいやこれも、今に始まった事ではないかしらん、と、ほくそ笑む。

 
 一番最近見た映画は、大泉洋さん主演の、『こんな夜更けにバナナかよ』

 これは実話に基づいた作品らしいが、大泉洋さんの良さが引き出されていた感じがする。


 大泉洋さんといえば、チームナックスのメンバーのお一人。

 チームナックスと云えば、今期見ているドラマで『男の話は長い』に出演されておられる安田顕さんもメンバーのお一人。

 安田顕さんと生田斗真さんの絶妙な間の問答が面白い。

 他の役者さん達もそれぞれにいい味を出されていて、途中でやめることなく、機嫌よくドラマを見続けている。

 今期は『男の話は長い』&『ドクターX』で落ち着きそうな私。最近は一週間も待ち、ドラマも見るようになり、お利口さんの私である。


 乱鳥、それにしてもこんな阿呆なことばかりを書いていて、
『こんな夜更けにバカ〜かよ』
と粒たけば、
『こんな夜更けもババァだよ』
と満月闇夜がのたもうた。



能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1   稀書複製會

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 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑

 

 



 乱筆、読み間違いなどお許しください。

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1  稀書複製會


 
 奈良県立情報図書館所蔵   稀書複製會


 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。



 八文字屋本 

 八文字屋は京都の麩屋町にあった書林。

 八文字屋本はこの書林から出版されたもののほか、他の書店から出版されたものでも八文字屋のオーナーであった八文字自笑(はちもんじじしょう)および専属作家の江島其磧(えじまきせき)、自笑の子・其笑、さらにその子瑞笑の著作などは八文字屋本と呼ばれている。

 このページ(https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/)では、八文字屋から出版された草子のほか、他の書林から出版された自笑・其磧・其笑・瑞笑の著作物も八文字屋本として掲載しています。

 元禄時代(1688~1703)以前の京都の書林としては山本九兵衛、鶴屋吉右衛門が大手として君臨して浄瑠璃本などを出版しており、八文字屋も歌舞伎の筋書きなどを書いた本を出版していたがその規模は微々たるものだった。

 しかし(4代目?)八文字屋八左衛門(自笑)の代になってから、元禄12年(1699)に出版した歌舞伎役者の評判を書いた「役者口三味線」が大評判を得、さらに元禄14年(1701)に出版した「けいせい色三味線」が西鶴以来の浮世草子の傑作と評され、以降八文字屋はたちまちのうちに繁盛して他の書店を吸収するほどの力を得る。

 八文字は自笑の時代を見るに長けた商才と機敏な行動に加えて、執筆者に江島其磧、挿絵に浮世絵師・西川祐信およびその門弟を使ったことが評判を得た理由とされる。

 また、板下作者、彫師も名工をたのみ、本の体裁も他よりも立派に整えたことも理由の一つに挙げられている。

 八文字屋の専属作家であった江島其磧は通称を江島屋市郎左衛門といった。

 寛永7年(1630)京都京極通り、誓願寺の門前で大福餅(大仏餅)を売って巨万の富を蓄えた商家に生まれる。

 しかし西鶴の好色本の登場人物のごとくの放蕩を尽くして没落。浄瑠璃本を手始めに作家に転身し、自笑と組んで大成功を収める。

 ただし、当初の出版物の作者名には江島其磧ではなく八文字自笑の名が記されている。しかし

 しかし実際の作者は其磧で自笑はプロデューサーの役割であったようだ。

 其磧は当初は自分の名前を出すことを嫌っていた(?)らしいが、後になって、出版される本の評判が高まるにつれて利益配分などをめぐって自笑と対立。

 其磧は正徳4年(1714)に独立して江島書林を開業。

 そこで出版した本の中で其磧は八文字屋の本は全て自分が書いたもの(一部分については自笑が書いたことも認めている)であることを暴露。

 自笑は他に代筆者を雇ってこれに対抗する。

 江島其磧の暴露、作品の質は江島其磧の方が勝っていたにもかかわらず、また八文字屋の商売敵であった正本屋(山本九兵衛)や鶴屋が其磧に肩入れするも、多くの読者は引き続き八文字屋の本を購入。

 もともと資金力の乏しかった其磧は享保3年(1718)に力尽き、自笑と和解して再び八文字屋から出版することになる。
 
 ただし、これ以後の出版物の作者名には自笑のほかに其磧も連名して記載されることになった。

 なお、このサイトの掲載本で、文中で作者を自笑あるいは自笑と其磧の共同執筆と記載されているものでも其磧が書いたものと確認されている書籍は作者を江島其磧としています。

 専属作家であった江島其磧は享保21年(1736)に他界。代わって元文4年(1739)より多田南嶺(ただなんれい)が専属作家となり、自笑およびその子の其笑の代筆者となる。多田南嶺は神道・兵学の学者で寛延3年(1750)に死去するまでに20余りの作品を手掛けている。

 作品は才気に満ち、奇趣にあふれ、警告や皮肉が随所に織り込まれており「花楓剣本地」「鎌倉諸芸袖日記」などが代表作とされる(当サイトでは作者を自笑・其磧も連名して記載されることになった。

 なお、このサイトの掲載本で、文中で作者を自笑あるいは自笑と其磧の共同執筆と記載されているものでも其磧が書いたものと確認されている書籍は作者を江島其磧としています。

 専属作家であった江島其磧は享保21年(1736)に他界。代わって元文4年(1739)より多田南嶺(ただなんれい)が専属作家となり、自笑およびその子の其笑の代筆者となる。

 多田南嶺は神道・兵学の学者で寛延3年(1750)に死去するまでに20余りの作品を手掛けている。

 作品は才気に満ち、奇趣にあふれ、警告や皮肉が随所に織り込まれており「花楓剣本地」「鎌倉諸芸袖日記」などが代表作とされる(当サイトでは作者を自笑・其笑としています)。

 しかし代筆者として自身の名を記載しない気安さからか、浮世草子の執筆は余技としてあまり努力を払わなかったようである。

 其磧をしのぐ才能の持ち主ともいわれたが、もともと奔放でやま気の多い人物でもあったようで質的にむらが多く其磧没後の浮世草子作者の第一人者とはなりえなかったようである。

 自笑(一世)は延享2年(1745)に没し、南嶺も寛延3年(1750)に死去。多田南嶺没後は其笑の子”瑞笑(自笑二世)”が執筆者となり浮世草子を出版。ただし南嶺に代わる代筆者もいたようで、すべての執筆者を特定することが困難であるようだ。

 本サイトでは江島其磧以外の執筆者は全て書籍に記載された執筆者を作者としてしています。

 八文字屋は「役者口三味線」を出版して以降、約70年間にわたり京・大坂の出版界に君臨、中心的な役割を果たした。

 特に役者評判記は八文字屋が始めた形式が幕末まで踏襲されている。

 しかし作品が評価されているのは自笑・其磧の時代の出版物で、其笑・瑞笑の時代以降の出版物の評価は低いようだ。

 明和3年(1766)に瑞笑が没すると、八文字屋は板木の大部分を大坂の書林・升屋大蔵に売却。

 浮世草子出版の第一線から退くことになる。(https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/)


 絵入浄瑠璃本・絵入狂言本

 金時洛陽入
 作:   出版年:寛文4年(1664)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入浄瑠璃本 

 染殿后紀僧正恋衣
 作:  出版年:  版元:八文字屋八左衛門
 絵入浄瑠璃本

 福壽丸

 絵:
 作:白石彦兵衛   出版年:元禄9年(1696)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 あかつきの明星が茶屋
 作:   出版年:元禄10年(1697)  版元:八文字屋八左衛門 
 絵入狂言本

 阿弥陀池新寺町
 作:近松門左衛門   出版年:元禄12年(1699)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 けいせい富士見里
 作:近松門左衛門    出版年:元禄14年(1701)  版元:八文字屋八左衛門 
 絵入狂言本

 けいせい壬生大念仏
 作:近松門左衛門   出版年:元禄15年(1702)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 からさき八景屏風
 作:近松門左衛門   出版年:元禄16年(1703)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 傾城三の車

 絵:
 作:近松門左衛門    出版年:元禄16年(1703)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本  

 けいせい安養世界 
 作:  出版年:宝永3年(1706)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 大和大路陰陽泉
 作:   出版年:享保4年(1719)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 和州法隆寺江口美影
 作:佐渡島三郎左衛門   出版年:享保5年(1720)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 けいせい来満舎
 作:   出版年:享保6年(1721)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 

 津国女夫池
 作:近松門左衛門  出版年:享保6年(1721)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本

 大和歌伝授富蔵 
 作:  出版年:享保6年(1721)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本  

 平仮名今川状
 作:津打久平次 他   出版年:享保16年(1731)  版元:八文字屋八左衛門
 絵入狂言本 



 役者評判記

 役者金化粧
 作:八文字自笑・江島其磧   出版年:享保4年(1719)  版元:江嶋屋市郎左衛門
 芝居本(役者評判記) 1巻 

 役者若咲酒
 作:八文字自笑・江島其磧   出版年:享保6年(1721)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 舞台三津扇
 作:江島其磧  出版年:享保7年(1722)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 5巻

 役者春子満
 作:八文字自笑・江島其磧   出版年:享保17年(1732)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 1巻 

 役者大極舞
 作:八文字自笑   出版年:元文4年(1739)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者一會桜
 作:  出版年:元文5年(1740)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 役者披顔桜
 作:八文字自笑   出版年:寛保2年(1742)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者紋二色
 作:八文字自笑   出版年:延享2年(1745)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者三叶和
 作:八文字自笑  出版年:延享3年(1746)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 役者花双六
 作:八文字其笑・瑞笑  出版年:寛延2年(1749)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 役者千贔負位指 
 作:八文舎自笑  出版年:明和6年(1769)  版元:八文字八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者大通鑑
 作:八文舎自笑   出版年:安永5年(1776)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者大功記
 作:八文舎自笑   出版年:寛政13年(1801)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻 

 役者宝船
 作:  出版年:享和2年(1802)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 役者よしよし
 作:八文舎自笑  出版年:文化2年(1805)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

 役者真草行
 作:八文舎自笑  出版年:文化4年(1807)  版元:八文字屋八左衛門
 芝居本(役者評判記) 3巻

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 浮世草子(作:江島其磧)

 けいせい色三味線 
 作:江島其磧  出版年:元禄14年(1701)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻   

 野白内証鑑 
 作:江島其磧  出版年:宝永7年(1710)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 4巻(全5巻のうち第5巻が欠)

 頼朝三代鎌倉記 
 作:江島其磧  出版年:正徳2年(1712)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 5巻

 野傾咲分色孖 
 作:江島其磧  出版年:享保3年(1718)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻

 武道近江八景
 作:江島其磧    出版年:享保4年(1719)  版元:
 浮世草子 5巻 

 浮世親仁気質
 作:江島其磧   出版年:享保5年(1720)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 4巻(全5巻のうち第1巻が欠) 

 日本契情始 
 作:江島其磧  出版年:享保6年(1721)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 5巻

 出世握虎昔物語  
 作:江島其磧  出版年:享保11年(1726)  版元:八文字屋八左衛門  
 浮世草子 5巻

 本朝会稽山
 作:江島其磧    出版年:享保13年(1728)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻 

 世間手代気質
 作:江島其磧   出版年:享保15年(1730)  版元:菊屋喜兵衛
 浮世草子 5巻 

 富士浅間裾野桜
 作:江島其磧  出版年:享保15年(1730)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻

 傾城歌三味線
 作:江島其磧   出版年:享保17年(1732)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻 

 鬼一法眼虎の巻
 作:江島其磧   出版年:享保18年(1733)  版元:菊屋七郎兵衛
 浮世草子 7巻 

 高砂大嶋台 
 作:江島其磧  出版年:享保18年(1733)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 5巻 

 那智御山手管滝
 作:江島其磧   出版年:享保18年(1733) 版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻 

 風流友三味線 
 作:江島其磧   出版年:享保18年(1733)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 5巻

 咲分五人娘
 作:江島其磧   出版年:享保20年(1735)  版元:菱屋治兵衛
 浮世草子 5巻 

 渡世身持談義
 作:江島其磧   出版年:享保20年(1735)  版元:菊屋喜兵衛
 浮世草子 5巻 

 風流西海硯 
 作:江島其磧  出版年:享保20年(1735)  版元:八文字屋八左衛門 
 浮世草子 5巻

 愛護若一代記
 作:江島其磧   出版年:享保20年(1735)  版元:
 浮世草子 5巻 

 諸商人世帯形気
 作:江島其磧   出版年:享保21年(1736)  版元:菊屋七郎兵衛
 浮世草子 6巻 

 和漢遊女容気
 絵:西川祐信
 作:江島其磧   出版年:享和年間  版元:谷村清兵衛
 浮世草子 5巻 

 兼好一代記
 作:江島其磧   出版年:元文2年(1737)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻 

 御伽名題紙衣
 作:江島其磧   出版年:元文3年(1738)  版元:菊屋七郎兵衛
 浮世草子 5巻(全6巻のうち第5巻が欠) 

 忠孝寿門松
 作:八文字自笑    出版年:元文3年(1738)  版元:八文字屋八左衛門
 浮世草子 5巻 

 其磧諸国物語
 作:江島其磧   出版年:延享1年(1744)  版元:菊屋喜兵衛
 浮世草子 5巻 

 傾城情乃手枕
  作:江島其磧   出版年:延享1年(1744)  版元:川勝玉郎右衛門
 浮世草子 5巻 

 梅若丸一代記
 作:江島其磧  出版年:天明8年(1788)  版元:和泉屋卯兵衛
 浮世草子 5巻 再刻版

 俊徳丸一代記
 作:江島其磧  出版年;天明8年(1788)  版元:播磨屋新兵衛
 浮世草子 5巻 再刻版          (https://hamasakaba.sakura.ne.jp/033hatimonji/))


 
 

能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 2  稀書複製會

能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 3  稀書複製會

能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會

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 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑

 

 

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  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會






 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


八文文字屋本についてはこちら(乱鳥の書きなぐり)

能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 5 (絵図)  稀書複製會

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 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑


 

 
 
 文字の部分は、透明の柔らかな下敷きを使い、手書きの紙が移動しない方法をとって絵図を写真に写してみました。


 
 狂言『花子』(はなご)

 『花子』 = はなご
        狂言では『花子』
        歌舞伎ではいわゆる、『身替座禅』で、狂言を引いております。
        なので、この演目も「松羽目物」と言います。     
        歌舞伎の『身替御前』も多くの役者さんで見る機会が多かった馴染みの演目です。
        私の好きな組み合わせは、片岡仁左衛門丈と田之助さんでした。
  (これを書いた後、ウィキで『花子』を調べましたら、『身替座禅』という内容がダブりました。)

        狂言『花子』も、能楽を見に行けば度々見る機会に恵まれました。

 花子(はなご)は、狂言の演目。   (ウォキペディア)
 大蔵流と和泉流に伝えられる聟女狂言であり、披きに用いられる演目。
 明治時代になって歌舞伎にも松羽目物として取り込まれ、六代目尾上菊五郎・七代目坂東三津五郎・初代中村吉右衛門らによって『身替座禅』として演じられた。


 

 絵図は見開きです。
 
 

 

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  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1  稀書複製會

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  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會

   能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 5(絵図)稀書複製會




 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
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江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 9 稀書複製會

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 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑

 

 


 乱筆、読み間違いなどお許しください。


 

 

 

 

  下AB二枚の見開き

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  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 2  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 3  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會

   能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 5(絵図)稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 6 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 7 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 8 稀書複製會

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 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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 能狂言 七オ 六ウの見開き(部分)

 
 能狂言 六ウ
 
 能狂言 六ウ

 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑

 
 能狂言 六ウ
 
 能狂言 六ウ

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  下AB二枚の見開き

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 七オ 六ウの見開き(部分)

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 


  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 2  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 3  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會

   能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 5(絵図)稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 6 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 7 稀書複製會

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  能狂言 八文字屋八左衛門 早雲鑑 10(絵図) 稀書複製會

 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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能狂言 八文字屋八左衛門 早雲鑑 11(絵図) 稀書複製會

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 能狂言 七オ 六ウの見開き(部分)

 
 能狂言 七オ
 
 能狂言 七オ

 能狂言 八文字屋八左衛門 稀書複製會
 早雲鑑

 
 能狂言 七オ
 
 能狂言 七オ

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 七オ 六ウの見開き(部分)

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 1  稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 2  稀書複製會

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  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 4  稀書複製會

   能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 5(絵図)稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 6 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 7 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 8 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門  早雲鑑 9 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門 早雲鑑 10(絵図) 稀書複製會

  能狂言 八文字屋八左衛門 早雲鑑 11(絵図) 稀書複製會

 八文字屋八左衛門     (世界大百科事典 第2版)
 ?‐1745(延享2)
江戸中期の京
都の本屋。安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。80年代の末に家業を継ぎ,絵入狂言本の刊行をはじめ,江島其磧(きせき)を作者に99年刊《役者口三味線》以後役者評判記を,1701年刊《けいせい色三味線》以後浮世草子をと業務を拡張,評判記は幕末まで踏襲される形式を確立し,浮世草子は一時波乱はあったが20年ころより第一の出版元となる。


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乱鳥ちゃんぽれぽれ(乱鳥徒然)  乱鳥は毎日毎夜、楽しい時間を過ごすことができる幸せを噛み締めている。たぶん^^v

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 今日も資料室に出かけ、半日閉じこもっていた。

 おかげで、充実した楽しい時間を過ごすことができた。

 時間にしてちょうど、5時間。

 途中、小半時間の休憩を挟む。

 どんよりとした寒空の下、ベンチにすわち、少し緩くなったコーヒーを飲む。

 おやつに、食パン6枚切りの半分のチーズトーストと、みかんは、疲れた心と体を癒す。

 太りなさいまするとご心配するなかれ!

 お昼は早めで、鯵の団子とお野菜たっぷりの味噌汁のみ。

 おやつ、そして帰宅後、ヨーグルトのみ。

 おそらく、今日はダイエットになっていまする。

 
 ヨーグルトを食べ、いざ!運動教室へ。

 懸命に頑張った甲斐があって、汗をかき、帰宅。

 あらかたの夕食の用意の仕込みは用意できているので、今から、お風呂を楽しもう。


 少し遅めの夕食にして、今夜は何をしてくつろごう^^


 このようにして、乱鳥は毎日毎夜、楽しい時間を過ごすことができる幸せを噛み締めている。




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