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『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…。

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『西鶴俗つれづれ』  絵図の男性は吉田兼好であり、西鶴ともされている。






  『徒然草』序段
  つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。


  『西鶴俗つれづれ』
  つれ/\なるまゝに日暮らし。さかづきにむかひて。心のうつるまゝに。よくなし(ママ)。酒をそこはかとなくのみつくせば。あやしふこそ物くるおしけれ。(寛文七年刊)
  『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編

     



 海北友雪の「徒然草絵巻」(サントリー美術館蔵、全20巻)は、『徒然草』のほぼ全ての章段を絵画化


『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと評価されている。

 しかし、吉田兼好は時代方考えてずれが生じているため、実在人物ではないと云う学者もいらっしゃるようだ。



 父:藤原師尹
 母:藤原定方の娘

 兄弟
 弟:済時
 弟:定昭
 女:藤原芳子
 妻:源雅信の娘
 男子:実方
      藤原実方  伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)
 男子:実光
 女子:鈴木重実室

痛い痛いと云うことなかれ!と、自戒の乱鳥。だが、痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。

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   痛い痛いと云うことなかれ!と、自戒の乱鳥
   だが、痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。
   これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。
  「心に太陽を」と痛みを笑いでごまかす。




 先日から左肩に激痛が走る。

 キリで突き刺したような痛みではない。

 火箸で突き刺したようなそんな痛み。


 昨年の暮れにバイクでこけた際に痛めた右肩と首がまだ治らないと云うのに。

 左肩までとはこれいかに。

 そう言えば左足のふくらはぎは治ったようだ。よしよし、これで良い。


 それにしても左肩の痛み方は尋常ではない。

 肩のみでなく、肘と指先複数本まで痺れをきたしている。

 家族は、病院に行きなさいと言う。


 この痛みはいつぞ始まる?この痛みは九日の夜ぞ知る。

 冷えからか寝違いかか、はたまた五十肩か。

 重要な見当違いならば、いかにせむ。


 温めようが、マッサージをかけようが、激痛は止まぬ。

 痛み止め膏薬は日に日に量をます。

 いよいよ痛み止め服用の出番かと一層肩を落とす。


 痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。

 これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。

「心に太陽を」と痛みを笑いでごまかす。

 

 

 

『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』「於毛ハくちがひ農酒樽」 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

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    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかたる)」 
     花田富二夫編 
    (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)
     上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きだ。


 

 

 

 




 「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかたる)」



 「大阪の問屋より進物なるべし(云々)」


  蓋を開ければ さのみ形かはらず

  うまい酒が送られてきたと思いきや、息子の死体がさかだるに酒塩漬(さかしほづけ)にしてつけ届けられた。

    さかやきをすりすまして跡下りのあとさがり
    紋羅(もんら 文様を織りだした薄絹)に紅裏付(もみうらづけ)
    女郎と若衆との二つ紋に、鹿の子の紫帯

    木工之介(もくのすけ)
    美男
    廿一(歳)
    妻あり

  やつして、朝から酒を飲み、遊びすぎていたようだ。

  上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きだ。
    



 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

 伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)

 『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかだる)」 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書き。



 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」

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    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」 
     花田富二夫編 
    (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)
     歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きが多い。
     衣装であったり、鬢であったり、亡くなった方の運び方まで、江戸時代の芝居的な風習風内容が面白おかしく描かれている。
     ただし、あまりにも芝居掛かっているので、真実かどうかは私にはわからない。
   


 

 

 

 

 




 一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」 


 諸々の話(古典)を思い浮かべる。
 未だ読んでない古典は多くあるので、わからないパロディも多いのであろうが、知っているものはニタリと笑う。
 知らない話でも、これもパロディであろうと予測するのも楽しいものだ。

 これまでに見た芝居の数々を思い起こし、ここはあそ芝居のあの場面とほくそ笑む。
 古典はこれだから、やめられない。
 歌舞伎が先か読み物が先か。
 江戸時代の物書きは博学で、感心することしきりなし。
『西鶴俗つれづれ』の巻の二の一まで読んだが、古典などの元本は多く描かれているが、この作品に関して、ここまでは能楽に関連した内容は少ない。
 ただし「井筒」などの「伊勢物語」とも能楽の「井筒」とも関連した、そういった単語は多用されている。
 とはいえ、能楽も「伊勢物語」を元にして作られているのだが。

 本書には業平を思わせる内容も複数回出てくる。
 江戸時代の物書きは西鶴にせよ誰にせよ、業平には一目置いていたようだと駄想する。

『西鶴俗つれづれ』では芝居掛かった江戸時代の風習が多く出てくる。

 衣装であったり、鬢であったり、亡くなった方の運び方まで、江戸時代の芝居的な風習が面白おかしく描かれている。
 ただし、上にも書いたが、あまりにも芝居掛かっているので、真実かどうかは私にはわからない。




     『西鶴俗つれづれ』(底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

 伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)

 『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかだる)」 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書き。

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」江戸時代の芝居的な風習風内容が面白おかしく描かれている。



乱鳥徒然   まずはコーヒーを飲んで参りまする。

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 かれこれ半時間前に目が覚めた。

 最近は相当眠いと感じる子(?)なので、もう一度、床につこうかとも思ったが、

 思い切って起きることにした。

 欠伸が出る。

 お、欠伸とは、「伸びが欠ける」と書くのだったな。

 確かに、伸びをして体を伸ばすと、欠伸以上の効果が期待できるというものだと、早朝から阿呆なことを考える。



 今はちょうど5時。

 just 5 オフクロック の私である。


 オフクロックはなんとしょう。

 スイングしながら掃除しょう。

 そのあとバラの花がらを摘もぅ。

 それよろ何より、コーヒー飲もう。

 朝だ、夜明けだ、コーヒーがうまい。

 ワンコも夫も眠ってる。


 さてさて今日は掃除の日。

 それから料理の仕込みして、散歩だ散歩。ワンコの散歩。

 ワンコ起こして眠い子の散歩。

 遠くでスズメが鳴いている。

 空飛ぶカラスもアホウと鳴いて、乱鳥ここで席を立つ。

       ちーーん


 

乱鳥徒然  今日も朝から、時間が美味い。

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  大神神社(三輪神社)にて   『天鼓』(てんこ)







 掃除完了。

 庭の手入れ完了。

 夕食の下準備は未だ手付かず。

 ワンコとの戯れ、続行。


 バラやゼラニュームに、大量のゲジゲジが発生。

 こりゃりゃ、困った。

 百匹ほどは退治したが、残りがきになる。

 夫にお願いして消毒してもらった。

 成敗覿面。これでよし。これで良いとも。

 今日は雨が降らないように祈っておこう。


 時間を見ればもう十時半。

 思いの外時間がかかっているなと苦笑する。

 
 今からワンコとの戯れの続きを楽しみ、その後、机に向かおう。

 本日は読書よりもまず、資料と格闘。

 時間は自分で見つけ、充実させるべし。

 遊ぶための努力は、思いの外楽しい時を過ごせるものだ。

 今日も朝から、時間が美味い。






 


乱鳥徒然   一仕事を終え、只今、コーヒーを飲んでいます。ブラックではなく、久しぶりにミルク入りの甘いコーヒー。これも又美味しいですね。

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 みなさま、おはようございます。

 今日も早朝に起き、一時間半もタンスの整理に費やしました。

 おからとお野菜と豚肉のおやき と 果物 を朝食とし、食後のコーヒーを飲んでいるところです。


 一仕事を終えた後のコーヒーは美味しいですね。

 庭を見下ろしながら、パソコンで遊ぶ。

 只今、本日一度目の休憩です。


 昨日はぼんやりとしたいちにちを過ごしてしまいました。

 庭の整理はやり遂げたものの、机に向かうことなく時間は過ぎてゆきました。

 そんな火も又良し。本日は昨日のぶんまで取り戻し、愉快に過ごす予定です。


 予定は未定。計画は心構え。

 あれやらこれやらと考えてはいますが、平々凡々。

 お気楽にマイペースで過ごしましょうと思っています。


 みなさまもお健やかな一日をお過ごしくださいませ。

 


 


 

享保という時代   『江戸時代の小文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知って起きたいこと。

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        京都の某大学の博物館にて




    享保という時代   『江戸時代の小文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知って起きたいこと。


 享保

 享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。
 正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。
 この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。
 江戸幕府将軍は徳川吉宗


 享保の改革(きょうほうのかいかく)
 享保の改革(きょうほうのかいかく)は、江戸時代中期に第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革。
 名称は吉宗が将軍位を継いだ時の年号である享保に由来する。
 開始に関しては享保元年(1716年)で一致しているが、終わりに関しては享保20年(1735年)や延享2年(1745年)とするなど複数説がある。
 主としては幕府財政の再建が目的であったが、先例格式に捉われない政策が行われ、文教政策の変更、法典の整備による司法改革、江戸市中の行政改革など、内容は多岐に渡る。
 江戸時代後期には享保の改革に倣って、寛政の改革や天保の改革が行われ、これら3つを指して「江戸時代の三大改革」と呼ぶのが史学上の慣例となっている。


 幕府権力の確立と都市政策
 徳川吉宗
 人事面では6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継時代に正徳の治を主導した新井白石や間部詮房らを解任し、紀州藩の人材を多く幕臣に登用。
 本家ではない吉宗の指導力の確立を図り、紀州藩士による御庭番を創設し、江戸の都市政策を行う一方で庶民の要求や不満の声を直接訴願の形で募るための目安箱を設置。
 また、廃止されていた鷹狩を復活させる。
 江戸の都市政策は南町奉行の大岡忠相が主導し、町奉行所や町役人の機構改革を行う。
 火事対策は町火消し組合の創設に留まらず、防火建築の奨励や火除地の設定、町代の廃止や町名主の減員など、町政改革を伴うもので税金の収入などがあった。
 米価や物価の安定政策、貨幣政策も行った。
 下層民対策では、目安箱の投書から貧病民救済を目的とした小石川養生所を設置し、諸藩にも踏襲された。
 私娼や賭事、心中など風俗取締りや出版統制も行った。


 国家政策・公共政策
 倹約と増税による財政再建を目指し、農政の安定政策として年貢を強化して五公五民に引き上げて、検見法に代わり豊凶に関わらず一定の額を徴収する定免法を採用して財政の安定化を図る。
 治水や、越後紫雲寺潟新田や淀川河口の新田などの新田開発、助郷制度の整備を行う。
 米価の調整は不振に終わった。
 青木昆陽に飢饉対策作物としての甘藷(サツマイモ)栽培研究を命じ、朝鮮人参やなたね油などの商品作物を奨励、薬草の栽培も行った。
 日本絵図作製、人口調査。国民教育、孝行者や善行者に対する褒章政策。サクラやモモなどの植林。

 (朝鮮人参は薬用人参として、『江戸時代の小文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)に載っていた。)


 足高の制
 各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給された。

 公事方御定書
 松平乗邑を主任に寺社奉行、町奉行、勘定奉行を中心に編纂させた幕府の基本法典。
 判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集。

 目安箱の設置
 堂島米市場の公認
 キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和

 上米の制
 諸藩に1万石につき100石の割合で一時的に課した献上米。代償に参勤交代の際の江戸在府期間を1年から半年に緩和する。

 相対済令
 金銭貸借についての訴訟(金公事)を認めず当事者間の話し合い(相対)による解決を命じた(ただし、金利の付かない貸借や同法を利用した踏み倒し行為は例外とされた)。
 これには、金銭絡みの訴訟の急増によって、他の訴訟や刑事裁判までが停滞したことによる。

 元文の改鋳
 新田開発の奨励



 略年譜
 享保2年(1717年) - 新金銀交換を強制(享保小判金)
 享保4年(1719年) - 相対済令(11年後に実質廃止)
 享保5年(1720年)
 江戸大火を受け、江戸町火消しいろは四十八組(翌年、深川に十六組)を設置
 キリスト教に関係のない洋書輸入を解禁
 享保6年(1721年)
 目安箱を設置
 享保7年(1722年)
 足高の制を導入
 小石川養生所設置
 上米の制(9年後廃止)
 三分一米納令
 定免法を導入
 江戸町方公役銀納令
 江戸の六上水のうち本所上水、青山上水、三田上水、千川上水を廃止。
 新田開発奨励の高札を日本橋に掲げる。
 流地禁止令(翌年廃止)
 享保10年(1725年) - 口米永代蔵令
 享保13年(1728年) - 「五公五民制」を導入(幕府創設以来の「四公六民制」の放棄)
 享保15年(1730年) - 諸大名に対して買米令を出す(翌年には大坂商人達にも同様の命令を出す)
 享保20年(1735年) - 田方勝手作仕法(田畑勝手作禁止令の事実上の見直し)
 元文元年(1736年) - 再度の改鋳(元文改鋳、享保の改鋳政策の放棄)
 寛保2年(1742年) - 公事方御定書制定
 延享元年(1744年) - 神田に天文台設置



 8代将軍徳川吉宗による享保の改革。
 7年 : 12月21日 - 目安箱の投書をきっかけとして、徳川吉宗の命により小石川養生所を開設。
 9年 : 4月14日 - 享保の大火(妙知焼け)、大坂。
 15年 : 8月3日 - 享保の大火(西陣焼け)、京都。
 17年 : 享保の大飢饉


 誕生
 4年 : 田沼意次(側用人・老中 遠江国相良藩初代藩主)
 8年 : 池大雅(絵師)
 13年 : 平賀源内
 15年 : 本居宣長(医師)    
    『玉あられ』本居宣長著 5巻 『玉あられ』寛政四年壬子春発行 勢州書林 京都書林(資料1枚 + 『玉あられ』表紙 + 他) 写真全十六枚


 死去
 4年 : 安藤東野(享年37)
 5年 : 間部詮房(享年53)
 9年 : 近松門左衛門(享年72)
 10年 : 新井白石(享年69)
 13年 : 荻生徂徠(享年62)
 15年 : 徳川継友(尾張藩主 享年39)
 19年 : 紀伊国屋文左衛門(享年66)

 




『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠

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      『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠
      農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。
      水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。



 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 財団法人徳川黎明会
 徳川政史研究所
 東京出版社。
 2004年



 目次   
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革
     
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革   
     公園政策
 享保の改革と江戸
     渡来象の道中
 享保の渡来象始末記
     尾張藩主徳川宗春の動静
 徳川宗春の実像と治政
     御庭番の職務などに関する史料を読む。
 御庭番の隠密活動
     八代将軍徳川吉宗の時代の雰囲気と種々の改革の実際
 付録

     印のついた上の五項目を古文書で読む。
     今回は青色の文字

        八代将軍徳川吉宗と享保の改革
        八代将軍徳川吉宗と享保の改革

              を楽しむ。
        
     


 今回は『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠を読む。

 江戸時代の吉宗における都市計画の中でも桜をはじめとした植樹における名称づくりなど、興味深い内容である。

 また、江戸時代の風習や人々の暮らしの様子、制作に携わった方々の行動など、興味は尽きない。

 中でも隅田川における桜の名所作りにおけるご苦労やほのぼのとした多くの話には和みを感じた。

 人々が静かに花見し、或いは花見でどんちゃん騒ぎをし、楽しむ。

 浮世絵には花見の様子を描いたものが残っているが、花見は芝居見物と同様、江戸の人々の心が浮き立っていたのであろう。

 
 花見でどんちゃん騒ぎをする民衆。

 かわらけでフィーバーする人々。

 酔った勢いでかわらけを飛ばし、おのず力が入ったかわらけは、近くの畑の中にとび入る。

 かわらけは素焼きのわっれて良いように作られた茶碗なので、田畑に入ったかけた茶碗はいつまでも固まりとなったま祭りの中で作物の邪魔をする。

 農業に支障をきたすと農民は訴える。

 そこで次に考え出されたのが、水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 江戸時代は優れた技術が考えられていたと、多くの先生方がおっしゃっていたが、まさしくその一例である。


 現代における我々のペットボトル問題は、解決の方向に向かえ様にと事を進められているという。

 子供の頃にはタケカワや紙類で代用されていたものが、今は何につけてもタッパー。

 それらは土に還らぬポリエチレンかプラスチックか塩化ビニルか何かである。

 日々買い物をしながら、上の様にす前に戻らない皿やタッパーの多さに、違和感を感じているのは私だけか…

 
 農民の邪魔にならぬ様、かわらけを土に返す。

 江戸時代は上の様なことにさで気遣っていた時代であったのだと、感心した。

 古文書とはこういった今まさに考えるべき内容も書かれていることに驚きを感じ、面白いものだなと思った。

 


 
 有徳院殿御実記付録(国会公文書内閣文庫所蔵) 

 
 有徳院殿御実記付録(国会公文書内閣文庫所蔵) 



 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

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 写真は、『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』(片岡仁左衛門様)(真山青果作)    2018年7月 松竹座
 




 
 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 財団法人徳川黎明会
 徳川政史研究所
 東京出版社。
 2004年



 
 
 八代将軍徳川吉宗について 1

    綱豊卿は後の家宣
          ↓
 家光ー家綱=綱吉ー家宣ー家継ー吉宗 
   ー宗部          ↑
   ー宗伊          ↑
                ↑
(紀伊の)           ↑
 頼宣ーーーーーーーーーーーーー吉宗





      『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏
      綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。
      吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。




『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」(太田尚宏著)を楽しむ。

 吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入したという。

 桜を植えたり象を輸入したり、大層精力的な方だ。

 吉宗は直接の血は繋がってない様だが、紀伊の頼宣を貰い受けた。

 お爺様は、綱豊卿だという。

 真山青果の話とはいえ、綱豊卿といえば『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』を思い浮かべ、綱豊卿といえばまさに能楽を舞いに行こうとされる場面の片岡仁左衛門丈を思い浮かべてしまう。


 ところで、吉宗が輸入したという象を長崎から運ぶにあたり、宿場や街道で象を見た民衆や川渡りなど、大層大変であった。

 また、象を運び終えた後の飼育にあたり、餌の多さや手間に相当な金額と時間を費やしたことが、「享保の渡来象始末記」や太田尚宏氏の記述で想像できる。

 あまりにも大変であったが、象は芝の浜御殿で飼育されることになる。(綱豊卿も、まっさお! 綱豊卿の想像だに、しなかったことであろろう)

 それが、想像をはるかに超えた大変さ。面白すぎる内容を太田尚宏氏は紹介されているところが心憎い。洒落た学者である。


 想像を絶する像の飼育であり浪費であるので、吉宗は民衆の誰かに飼育をは払い下げたく考えていあたが、なかなか、うまくいかない。

 そのうちに、当時も流行ったとされる疱瘡や麻疹に効くという薬を造るため、象を譲り受けたいという人物が現れ、芝の浜御殿を後にした。


 象小屋を新たに造るのに大変な動力と金額が膨れ上がった。

 象の小屋を建てるにあたっては幕府が金を出したという。


 上にも書いた通り象は疱瘡や麻疹に効くという薬を造るために譲受けられた。

 私は赤鍾馗様や薮薬師の『竹斎』を思い浮かべて想像して、ほくそ笑んでいた。


「享保の渡来象始末記」には「象洞(ぞうほら)」という名が何度も繰り返されたが、疱瘡や麻疹に効くという薬のこと。


 象洞とは、何からできているのか?私だけが知らないのかしらん?と心配になっていたが、太田尚宏氏の解説を読んで爆笑した。

 象洞という薬は、像の大便で造られていた。

          オヨヨ、赤鍾馗様や『竹斎』と思いうかべても、遠からずであった^^



 疱瘡、麻疹の薬
 象洞 (ぞうほら)

 像の飼育 飼料代(年間200両以上)
 象洞代金 (ぞうほら)

   像の便を黒焼きにして用いる。(黒焼御薬)
    3匁目(11g)  銭10文
   像の便を焼数粉末      (黒焼ニ不仕粉末)
    5匁目(19g)  銭10文
    
 


「享保の渡来象始末記」及び解説は、大変楽しく笑いまで起こる内容であった。

 次は「徳川宗春の実像と治政」を読む予定。

 また同時進行で、『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』の「享保の改革と江戸」と「享保の渡来象始末記」は面白すぎるくらい興味深い話であったので、本文を筆ペンまたは毛筆で書き写したい。

 

 


 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。





 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 目次   
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革
     
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革   
     公園政策
 享保の改革と江戸
     渡来象の道中
 享保の渡来象始末記
     尾張藩主徳川宗春の動静
 徳川宗春の実像と治政
     御庭番の職務などに関する史料を読む。
 御庭番の隠密活動
     八代将軍徳川吉宗の時代の雰囲気と種々の改革の実際
 付録

     印のついた上の五項目を古文書で読む。
     今回は青色の文字

        八代将軍徳川吉宗と享保の改革
        八代将軍徳川吉宗と享保の改革

              を楽しむ。


        

徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」を読むにあたって、知っておきたいこと。

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 イラン  ナクシェ・ロスタムにて


    徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」を読むにあたって、知っておきたいこと。



 徳川 宗春(とくがわ むねはる)とは
 徳川 宗春(とくがわ むねはる)は、江戸時代中期の大名。
 尾張徳川家第7代当主・第7代尾張藩主。
 尾張藩主前は御連枝である大久保松平家当主(陸奥梁川藩主)。


  以下のデーターはウィキペディアによる。
  (私が本日読んだ『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』の「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」の内容にあたる部分を載せさせていただいた。)


 尾張藩主就任時に規制緩和政策をとった宗春は、質素倹約策とも言われているが一方では象まで飼育して楽しみ(苦しんでいた)8代将軍徳川吉宗とよく対比されるが、幕府が元文の改鋳で金融緩和をした際には、尾張藩では引き締め政策を行っており、単純な規制緩和ではなかった。
 歴代藩主と同様、尾張藩主就任後に吉宗からの偏諱を授かって「宗春」と改名した。
 改名前の諱は兄徳川吉通の「通」の字を得て通春。



 元禄9年10月28日(1696年11月22日)、尾張藩第3代藩主徳川綱誠の二十男として名古屋で生まれた。萬五郎と名付けられる。母は側室の梅津(宣揚院、遠州掛川横須賀浪人三浦太次兵衛嘉重[注釈 3]の長女)。元禄11年(1698年)に祖母の千代姫、翌元禄12年(1699年)に父の綱誠、元禄13年(1700年)に祖父の徳川光友が相次いで没した。

 翌正徳3年(1713年)4月に江戸へ移り、星野藤馬を小姓とする。
 閏5月、江戸に下向した際に同道した尾張藩士2人が吐血頓死・割腹自害する事件が起きる。
 同月に尾張藩御連枝梁川藩主松平義昌が逝去し、7月には尾張藩4代藩主の兄・吉通が薨去する。
 さらに10月には、甥で吉通の跡を継いだ5代藩主五郎太が逝去し、兄・通顕が継友と改名して6代藩主となる。

 12月に元服し、求馬通春と名乗る(通称を「求馬」に改めた)。
 正徳6年(1716年)2月に第7代将軍徳川家継に御目見し、3月に譜代衆となり松平求馬通春を名乗る。
 同年改元後、享保元年(1716年)7月に第8代将軍徳川吉宗当時の幕府の奏請により従五位下主計頭に叙任される。

 享保3年(1718年)4月、疱瘡に罹るが、まもなく回復する。
 同月、兄・通温が名古屋城下に蟄居謹慎となる。
 12月、従四位下に叙任する。
 吉宗から特別に鷹狩の獲物を数度賜り、吉宗お気に入りの譜代衆と共に紅葉山東照宮の予参を命じられるなど、御家門衆として将軍吉宗に大切にされる。
 享保13年(1728年)、実母の宣揚院を見舞うため名古屋へ下向する。


 享保15年(1730年)9月、日光社参。11月27日に兄・尾張藩6代藩主徳川継友が没し、翌日継友の遺言ということで尾張徳川宗家を相続し、第7代当主徳川通春となる。
 享保16年(1731年)正月、公儀の法度・代々の法規を守るべきこと・藩邸内での歌舞音曲の許可・夜の外出の許可・本寿院の蟄居を解く令を出す。
 同月に正四位下左近衛権少将に叙任する。続けて従三位左近衛権中将に叙任する。
 将軍吉宗より偏諱を授かり、徳川宗春を名乗る。
 3月、従三位参議(宰相)・左近衛権中将に叙任する。
 同月、政治宣言の著述『温知政要』を著す。

 同年4月、名古屋城へ入る。
 名古屋入府の際の宗春一行は、華麗な衣装を纏い、また自身も鼈甲製の唐人笠と足袋まで黒尽くめの衣装(金縁・内側は赤)と漆黒の馬に騎乗していたという。

 宗春は名古屋に戻ると、4代藩主吉通の御簾中瑞祥院(九条輔子)の実家の九条家に3千両を寄付し、朝廷との関係を大切にした。
 名古屋城下では、東照宮祭・尾張祇園祭(若宮祭・三之丸天王祭)・1ヶ月半にも及ぶ盆踊り等の祭りを奨励した。
 また、女性や子供が夜でも歩ける町にするために、提灯を城下に数多く置いた。

 継友時代に廃れていた御下屋敷(名古屋城下、藩主の隠居所)を建て直し、そのお披露目の際に城下の女性と子供を呼んで踊りの大会を丸2日間行わせ、その際に奉行以上の重職たちにも閲覧させている。
 藩士に城下の芝居などの見物も許可した。

 当時の幕府は享保の改革を推進する将軍徳川吉宗のもと、老中松平乗邑の主導で質素倹約規制強化が徹底しており、祭りや芝居などは縮小・廃止されていた。
 それと全く逆を行く宗春は、規制緩和をして民の楽しみを第一に政策を進めていく。
 緊縮財政・法規制の強化をする幕府に対し、開放政策・規制緩和(消費奨励ではない)の尾張藩となっていった。
 ただし規制緩和のみではなく、神社仏閣への公式参拝には束帯騎馬の正装で赴き、幕府の法令も先回りするなど、宗春は幕府に対立する姿勢は全く見せていない。
 むしろ幕府の法令を遵守するように命じて、大切な形式はしっかりと守っている。
 一方、巡視などでは朝鮮通信使の姿・歌舞伎・能の派手な衣装で出向いたり、時には白い牛に乗って町に出たり、民衆が喜ぶ服装を工夫した。
 名古屋城下郊外に芝居小屋や遊郭等の遊興施設を許可するなど規制緩和政策は、商人たちに受け入れられ、名古屋の町は賑わっていった。


 享保17年(1732年)正月、自身の著書『温知政要』(21箇条)を藩士に配布した。
 3月には『條々二十一箇條』を発布した。
 その中で「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げた。これらの政策には、質素倹約を基本方針とする幕府の享保の改革による緊縮政策が経済停滞を生み、蝗害による不作も重なり、各地で暴動が頻発していたことへの反発があると言われている。なお、幕府の倹約経済政策に自由経済政策理論をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけである。
 この結果、継友時代の倹約令で停滞していた名古屋の町は活気を得て、その繁栄ぶりは「名古屋の繁華に京(興)がさめた」とまで言われた。
 また宗春の治世の間、尾張藩では一人の死刑も行われなかった。宗春は、犯罪者を処分する政策ではなく、犯罪を起こさない町造りを目指し、藩士による表立った巡回をさせている(密偵は使わなかった)。
 また犯罪者が増えると、死刑ではなく別の処分(髪や眉毛などを剃る等)も行われた。
 さらに、心中しようとした者を、野ざらしの刑にはしたが、結果的には夫婦として普通に生活することを許可した(闇森心中事件:当時の幕府の令では「心中未遂の場合は非人あるいは死罪」)。
 岐阜への巡視では奴振りをさせ、知多への巡視では徒歩で移動するなど、当時としては斬新な行動をいくつも行なっている。
 こうしたことで、当時としては珍しく、生存中の大名が浄瑠璃や歌舞伎の題材となった。


 享保17年(1732年)には参勤交代で江戸へ下る。
 先代継友時代、享保10年(1725年)に火事で焼失した江戸上屋敷市谷邸が新築再建され、嫡子の萬五郎と共に中屋敷麹町邸から移る。5月5日、東照権現徳川家康から藩祖徳川義直が拝領した幟旗並びに嫡男萬五郎の武者飾りを見てもらうために、市谷邸を江戸町民に開放した。これは新築された市谷邸の披露も含まれている。
 通説ではその後、5月または9月に将軍吉宗から使者を介して詰問されたといわれる。その内容は、
   国元ならともかく江戸においても遊興にふけっている
   嫡子の初節句の時、江戸藩邸に町人たちを呼び入れ、尾張家が家康から拝領した幟まで飾った
   倹約令を守っていない
というものだった。これに対し宗春も、一応上意として受けるも、

   他の大名のように国元で遊興にふけり、江戸では倹約するという表裏ある行動は取れない。
   第一、領民に迷惑をかけていない
   初節句の時、江戸藩邸に町人たちを呼び入れ、家康から拝領した幟まで飾ったのがけしからぬと言うが、そのような禁令はいつ出たのか
   お上は倹約令を守っていないと言うが、私なりに倹約に努めているつもりだ。
   ただお上は倹約の根本をご存じないので、おわかりにならないのだろう
と一歩も引かず反論した、と通説では言われる。


 遊廓・芝居の縮小へ
 このように積極的に町を活気づける政策をとってきた宗春も、やがてみずからの路線を変更せざるを得なくなる。
 宗春によって突然無制限に与えられることになった芝居や遊廓の楽しみは、一方では町の繁栄を推進するものであったが、他方で、それに溺れて武芸・家業をおろそかにし、争いごとを起こしたり、困窮におちいったりする人々を生み出し、風俗の悪化を招いた。
 その上、宗春のはなはだしい浪費は、藩の財政を破綻させつつあった。
 宗春が発足させた独自の政策は、行き詰まりをみせてきた。政策変更のきざしは、享保19年(1734年)4月、藩士に対して遊行(興)所徘徊を慎しむことを命じた(『御日記頭書』、ただし『遊女濃安都』はこの仰出を享保20年とする)ときからみえ始めた。

 翌享保20年(1735年)3月28日には、家臣に対して遊所見物所、すなわち遊廓や芝居場所を徘徊することを、はっきりと禁止した。
 以前から宗春は、遊興は、あくまでも武芸・家業に励んだのちの楽しみとして認めるのだと「御咄書」などで諭していたし、膝だけ白い紺股引をはいた側組足軽二人に町中を巡回させて、人々が逸脱しないよう気を配っていたのであったが、そういったことでは間に合わなくなってきたの である。

 さらに翌享保21年(1736年)三月には、家中・寺社・百姓・町人に対して、「遊所見物所を免許して風俗も温和になるかと期待したが、過分の金銀を使い捨て、奉公の勤めを欠く者が多い。他の批判ももだしがたいので、遊女や茶屋女を置くことを禁止すべきかと思う程である」と警告した上で、同月、「西小路・冨士見原・葛町の三廓を廃止する。しかし突然のことで難儀をする者も多いであろうから、憐愍の上、右三か所のうち、いずれか一か所につぼめて営業することを許す。芝居は、古来あった分はそのままでよいが、新規の芝居小屋は取り払うように」との法令を発した。
 そして追い打ちをかけるように同じ月に「京都大坂伊勢から招き寄せた遊女茶屋女を、4月中旬までに残らず送り返すように」との命令を出したのであった。

 ところが期限切れ2日前の4月18日、西小路から火災が起こり、遊廓の多くを焼いた。このため西小路はもちろん冨士見原・町の茶屋も撤退し、三廓の地はもとの空地になってしまった。撤退した業者の多くは、橘町・門前町・日置村などに引っ越して、料理茶屋の名目で密かに遊女を置いていたのである。なお享保20年(1735年)9月、将軍吉宗から宗春に薬用人参(いわゆる御種人参)七本と甘草一〇本の苗が下賜された。ちょうど宗春が政策転換をはかった時期のことである。藩ではこれを御下屋敷薬園に植えて大切に育て、やがて栽培に成功する。栽培が宗春の意志によるものか、藩の重臣の意志によるものかさだかではないが、宗春が好んで住居とした下屋敷に植えたことからみて、やはり宗春自身が将軍と融和してゆく方向に政策を転換したことの一つのあらわれとみてよいであろう。


  
  芝居、『夢の跡』
  徳川宗春を演じた役者を描いたらしいが、私は見たことがない。

  https://books.google.co.jp/books?id=wpkA8VD1tnMC&pg=PA87&lpg=PA87&dq=夢の跡%E3%80%80歌舞伎&source=bl&ots=2lReOFsfvJ&sig=ACfU3U0yJSnCWNzotepWTVfv7J01DAAkCg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiqoM7T_r3jAhWCUN4KHeC8DNwQ6AEwA3oECAgQAQ#v=onepage&q=夢の跡%E3%80%80歌舞伎&f=false
 『夢の跡』
  お名残狂言として 大正七年に明治座で興行されたことがあるようだ。



 
 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。


映画『不能犯』監督:白石晃士 脚本:山岡潤平・白石晃士  松坂桃李 沢尻エリ 小林稔侍 安田顕 矢田亜希子 新田真剣佑 間宮祥太朗 2018年

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  映画『不能犯』監督:白石晃士 脚本:山岡潤平・白石晃士  松坂桃李 沢尻エリ 小林稔侍 安田顕 矢田亜希子 新田真剣佑 間宮祥太朗 2018年



監督
白石晃士
脚本
山岡潤平
脚本
白石晃士
撮影
高木風太
音楽
富貴晴美


役名 役者名
宇相吹正 松坂桃李
多田友子 沢尻エリカ
百々瀬麻雄 新田真剣佑
川端タケル 間宮祥太朗
夜目美冬 矢田亜希子
河津村宏 安田顕
鳥森広志 小林稔侍


 映画『不能犯』をみた。

 まぁまぁ、面白かった。

 エリカ様の美しさと好感度は健在。且つ、年齢を重ねられるごとに、女優としての良さが増してきているように思う。


 松坂桃李さんが主演のこの映画。

 怖い表情の笑みがなんともいえず惹かれる。

 緒形拳さんという役者は怖い表情の中に、ふと色気のある笑みを浮かべられていた。

 片岡仁左衛門丈も、また然り。

 お二人は、悪の美学を舞台や作品で全うしておられた。

 緒形拳さんや仁左衛門丈とはまた違う、ストレートの中の怖い笑みだが、松坂桃李さんの今回の映画のような表情も(多少わざとらしさは拭えないが)またいいものだと感心した。


 映画にはチーム・ナックスのメンバーの一人である安田顕さんが主tルエンされていた。

 あの役者さんがあんなにもっさりとした役柄をこなされ、最後は無様な死に方をされるとは…とはいえ、重要な役であったのでよしとする。

 個人的には、安田兼さんの活躍をもっとみたかったと、好き放題書いている。

 彼の舞台や映画が見たい。


 小林稔侍さんのどんでん返しは、心を痛めた。

 大変気の毒な亡くなり方の小林稔侍さんはさらりとされていたが、重厚であった。


 映画『不能犯』はこれまた漫画が原作だという。

 筋書きは凝ったものではないが、各出演者の魅力によってナチ立っている映画だと感じた。




 

徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

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   宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』(けいせいつまこいさくら)にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 

    享保十六亥年
 ……………………………………………………………
 ……………………………………………………………
 ……………………………………………………………
 ……………………………………………………………四月
 十二日ニ 御入部被遊候此節浅黄之御頭巾鼈甲の
 丸笠の縁り二方巻煎餅之如く上へ巻
 上がり唐人笠の如く黒御衣服御足袋共黒
 色御馬に被 為召


          上へ巻
 上がり唐人笠の如く
  
 上の言葉(緑部分)が「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」の解説では抜かされている。

 
 歌舞伎『傾城夫恋桜』(けいせいつまこいさくら)

 図は歌舞伎『傾城夫恋桜』の一場面。宗春をモデルにしている。

    この時代「夫」は「つま」と読む。  現在では「夫(おっと)」
    現在でも歌舞伎で割合に位の高い場合が多いが、妻が夫に対して、
   「わがつまさま。」
   と呼ぶ演目は多い。

 


 
 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

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       「上」 は、「たてまつる」と読む。




    『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。


『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」の文字は大変読みやすい。
 だが、「候由」(そうろうよし)などの接続詞で、長々と文章が続く。
 声に出して読むと、ブレスまでが長く、腹式呼吸しながら心して音読せねば息が絶え絶えとなりそうだった。


「御庭番の隠密活動」には薬の話や女の話など、諸々と出てくる。

 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。
 将軍が現実問題外出することは少なく、老中が手足となっていたが為暴走しないよう、宗悦が諸事情を把握する必要があった為。



 ところで言葉の問題ですが、
    
        「上」 は、「たてまつる」

                 と、読む。
                 日々精進。知らないことが多い。

 
 


 
  享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。




乱鳥徒然。財布がない!&危険が多い。物理的に改善しようとしない村人、役人が怖い。今は2019年である。だが、江戸時代の対策の素晴らしさに感心し現実の生活に心が痛む。

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   乱鳥徒然。
   財布がない!
     &
   危険が多い。物理的に改善しようとしない村人、役人が怖い。

   今は2019年である。だが、江戸時代の対策の素晴らしさに感心し現実の生活に心が痛む。


    一 我が町の怖い図書館 (暴力さえ起こる図書館)
    一 財布が無くなる騒動 (結論は勘違い)




 一 我が町の怖い図書館 (暴力さえ起こる図書館)


 あまり宜しからぬ話で恐縮ですが、人間、とある空間に一歩足を踏み入れると、ことごとく悪いことが起こる場合がある。

 そしてこの二十年というもの、そういった事柄が起こり続ける。

 人は単純にそういった身に置かれる場所を、自己流の言葉でブラックホールとか、あるいは悪書とか呼ぶ場合がある。

 言葉の意味は正しくないのだが、そう思い、また思い込みによって一層悪い方向に向かう場合がある。

 水が合わない、空気が合わないと片付けるのは簡単だが、当のご本人にとっては不愉快を通り越してたいそう辛いものがある。


 言霊という言葉があつ。

 口から発した言葉が、悪夢のように尾をひき、悪いことが現実となる。

 また先日見た映画『不能犯』のように思い込みや暗示が現実かされる場合がある。

 今日もそうだった。


 近隣の図書館に行くと、複数回そこの図書館や県立の図書館のカードが紛失する。

 真面目に読書すると、うるさいご老人が、暴力を振るう。

 さらにまた違う輩が、
「赤信号で渡った。」
といちゃもんをつけ、表で待っているからと怖い表情でのたまう。

 恐ろしいので図書館員に助けを乞うと、互いに顔を見合わせ、無言である。


 図書館の係員は、始終おしゃべりに夢中で、男性との会話を楽しまれている。

 そんなことをしているから、その図書館員に注意すれば、その男性に、
「表で待っているから」
と、怖い言葉を投げかけられる。


 その図書館員は守秘義務という言葉を理解しておらず、やれ
「あの本は障害者の云々」
「その本は素敵な男性が読んでた。」「私たちにちょうど合うくらいの年齢の人です。」
と色気付き、図書館員らしからぬ服と化粧。おまけに館内がカンカンと鳴り響く細いピンヒールで男と戯れる。

 その人は歌手の沢田研二さんが好きらしく大声で、
「今日、ジュリーのコンサートに行きますねん。」
とノーテンキなことを大声で、しかも館内のカウンター近くで話してくてる。
 スーパーでたまたま出会い話したのではない。
 図書館の中で嬉々とした大声を鳴り響かせるのである。

 どこぞのおじいさんが私のことその職員に
「難しいの読んだはるわ。」
と、指を指し大声でのたまう。
 すると例の図書館員が、
「あの人は、いつも難しいのを読んではります。」
とまだまだ話を続ける。
 こう云った会話は公務員にはふさわしくないということすらわからない職員。
 町長の代理の部下は、こう云ったことは守秘義務には当たらないと 酢ボケたことを言い逃れる。あるいは、力のある超関係者に近しい女職員の傷を舐め、かばう。
 身内の天下であると、古くからの町民は口々におっしゃる。
 結果、図書館員は、図書館に来る人の個人情報を広げ、障害者の男性のことまで言いのける。差別用語もあれこれ出てくるわ出てくるわ!が現実である。


 他所者は差別しよう。
 自分たちと違いを持つ人々は差別して当然と行った始末。
 私のように個性的な趣味を持つものは異端者である。
 夫が働いていた頃に、人並みには税金は支払ってきたのだが、口は出すなの一点張りである。


 近隣の災いが起こる図書館に務める他の図書館員曰く
「同じ職場で、しがらみがあるので、私たちからは言えないんです。」
と。

 さらに町の関係者でなを馳せている関係者が多いため、町職員は言えないともいう。
 町住民の方々がおっしゃるとおりである。
 町民だよりを見れば阿呆な図書館員の関係者がご大層な職場に身を馳せられている。


 図書館は引っ越し当初は静かであった。
 それがどうして、あの愚かなる図書館員が配属され、図書館を憩いの場として無駄口を話し始めたことから、近隣図書館の雰囲気はいっっぺんし、うるさいのが当たり前となる。

 
 昼に紺のスーツ姿で寝に来る関係者は、大いびきをかき眠るが注意はしない。

 大声で長い携帯電話、子供は館内を走り回り大声で話規制をははっするが、職員はお構いない。

 図書館内でペットボトルを飲み、大声で話、新聞はカチャカチャと鳴らす。

 それを推奨するかのような阿呆の図書館員と、その輩に注意もできない町の体質、および責任者。


 今はその図書館員はふれあいの場に転属されたので、ご年配の方々とお戯れになればちょうどその方にあっていて酔うと胸をなでおろす。
 ただし、その女性が言っていたような背丈の高い男前でかっこいいちょうど私たちに合う年齢の、そう云った条件が揃う男性とはお話しできないであろうが。
 無駄話は得意な方だったので、お寂しい方々にお優しく接することを願うのみである。


 しかし、恐ろしい。誠怖い図書館である。

 図書館カードは二枚もなくなる。

 うるさいおじいさんに言いがかりをつけられて、あるいは後ろから押され、ある日は暴力を振るわれ警察沙汰となる。
 また、女職員と話していた女性職員のいう男前らしい(?)男性は、女職員が配置換えになっていこう、いちゃもんをつけ、表で待っているとステゼルフ。

 そんな図書館でも毎日来られていらっしゃる常連男性が、二度とも助け舟を出してくださった。世の中悪い人ばかりではない。


 出来る限りその図書館には行かずにいたいが、他の図書館の本を借りたい時と返したい時には近隣の図書館に行かざるを得ない。
 他の図書館ではことを得ないのである。
 そしてたまたま用があり不吉な行くと、何かしらの問題が起こる。必ずと言って良いほど起こる。
 スムーズに帰れたことが少ないと思えるほどに、悪いことがこの身にのしかかる。





 一 財布が無くなる騒動 (結論は勘違い)


 私の方も近隣の図書館に行くと何かしら起こるので、身構える。

 悪い予想は渦をなして私に災いをもたらし、実際に悪い方向に向かう。

 上にも書いたように言霊、あるいは映画『不能犯』のように私の不吉な予感は実現化する。


 今日も今日とで、色々なことの終いには財布がなくなる。

 カバンの中をセベ手を取り出して十度以上も確かめたが、無い。

 カバンの中になければここしかないと目ぼしい室にあるはずの財布は姿を消している。何度その部屋を見てもない。

 私は、職員に様子を聞き、職員お二人の前でカバンの中の全てを取り出し中を見てもらったが、やはりない。


 帰宅後、免許証やカードやチケットやそこそこの現金の入った、お気に入りの財布をなくしたと夫に伝える。

 夫も何度もカバンの中を見て確かめてくれる。

 私も何度も確かめたがなかった。


 気が動転していた私を夫は助けてくれた。

 カード会社の電話番号福祉いを調べてくれたり警察署の電話番号を検索してくれ私に手渡してくれた。

 そのうち、財布をなくした時の最後の私がとった行動の様子を明確に思い出した。

 カバンの中にないのであれば、あの時の2,3分の間に盗まれたのかもしれないと。


 私は夫の目も借りて、さらにカバンを探す。

 そして財布に入れていたカードやピタパやスマートイコカなどの停止、再発行、また解約の電話をし続けた。

 そのあと念のためもう一度カバンの中にないかを確かめ、警察署に電話をした。


「落としたのですか?取られたのですか?」
「その状態なら、置き引きですね。」
と言って、図書館に向かうように促してくださった。


 警察の方が一通りの事情を聞き、カバンを探してくださると、
「ここに硬いものがありますよ。」
とおっしゃり、財布はもののみごとにカバンの中に在った。

「警察案は、在ってよかったですね。」
と笑みを浮かべてくださった。


 私のとった行動は、警察官の方や図書館の方やカード会社の方に多大な迷惑をかけた喜ばしからぬ行動であった。

 しかしながら、心理学者の友人や多くの友人知人、夫はいう。

「おそらく、その財布には手で触れていたであろう。」と。

 ただ、思い込みや不吉な予感が私を盲目にし、映画『不能犯』の置き換えのような現実をもたらしたのであろうと。


 痴呆症になった場合に、盗られた盗まれたと言い張るご老人がいらっしゃるという。

 今回の行動は、カバンの中にないというのが、一つのキーポイントではあったが、実際には何度丹念に探しても探し出せなかった。

 これを痴呆症で済ませるのは簡単ではあるが、もう一つの大きな要素としては、「近隣の図書館に行くたびに災いが起こる。」ということである。

 しかしながら、こう言った実態が起こったのも事実。

 できるだけ漫然の注意をきし、近隣の図書館には近づかないかあるいは自体を克服すべく入り浸るか、そのようなことを漠然と考えている。


 最近では、県の図書館以外では隣町の図書館に出向くかあるいは自分の家で読書や調べ物をしている。

 だが、自分の町の図書館でしかできないことがあるのも事実である。

 困ったものだ!!!

 近隣の図書館に行けな災いが起こるというジンクスを克服すべく、私は不吉な図書館を利用しようと心に誓った。


 秋には文化的な町に行くことができるも。

 また冬にはこことは違う場に身を置ける時間が保たれる。

 気を取り直し、今の不幸から打破し、自分の身を良い場に起きたい。

 そのためにも、この町、そしてここの図書館には毅然と態度でのぞみ生きていこうと強く感じた。


 悲しきかなこの町を歩くと、雑草は生え、歩道は街路樹や私物や駐車やゴミで占拠され、車椅子は通るどころではない。

 昨今免許書を返上するお年寄りが増え、スズキなどの電動車椅子風の乗り物を利用する方が多いとニュースで放映されていた。

 そういった電動車椅子風の乗り物は歩行者扱いで、歩道の走行となるらしい。

 だが現実には障害物が多く、ひどいところでは乗り上げた車がある場合、その外側、つまり車道のど真ん中を走らせねばならない。

 図書館だけではなく、これだけ空き地が多いのに危険な町なのである。

 しかし、誰も中を促さない。

 某市内の真ん中に住んでいた頃は、粗油行ったことは考えられないことであったのが事実である。

 危険が多い。物理的に改善しようとしない村人(役人が自分たちのことを村人といい、自分たちの街を田舎と呼んでいる)、役人が怖い。

 そんな所に住んでいる。


 今は2019年である。だが、江戸時代の対策の素晴らしさに感心し現実の生活に心が痛む。

  

乱鳥徒然  私は確実の 吾ガ道 を歩んでいる。

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 昨日は色々なことがあったが、気を取り直して今日は前に進もう。

 幸い、一晩眠れば、本日の気分はすこぶるよし。


 色々なジャンルや事柄をコツコツと重ね前進しておられる、努力家の方は多い。

 私もその方達の少しでも見習って、自分の時間を充実させようと思う。

 
 自分の部屋の掃除。

 お出かけ用の買い物。

 お夕食の下準備。

 カメラの充電。


 そして

 読書。

 一週間に一冊以上は資料の丹念なと見込みをしているので、私なりに力がついてきたように感じる。

 古典や絵巻物を取り出すと、昔の文字が読みやすい。

 ありがたいことだ。

 私は確実の 吾ガ道 を歩んでいる。




 

映画『東京喰種【S】』  原作「東京喰種 トーキョーグール」監督:川崎拓也 平牧和彦   松田翔太 窪田正孝 山本舞香 村井國夫 坂東巳之助 大泉洋 3★/5★

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  写真は十年以上前に見た映画『オネーギンの恋文』を、当時、加工したもの
  プーシキンは好きで随分多くの作品を読んだ。




        映画『東京喰種【S】』  
        原作「東京喰種 トーキョーグール」監督:川崎拓也 平牧和彦   
        松田翔太 窪田正孝 山本舞香 村井國夫 坂東巳之助 大泉洋 
        音楽:小田朋美 菊地成孔
        音楽プロデューサー:茂木英興 宮地洋佑
        3★/5★


 映画『東京喰種【S】』
 2019年7月19日公開
 2019年7月21日
 原作「東京喰種 トーキョーグール」は、全世界累計発行部数3700万部を誇る人気コミックス。
 「週刊ヤングジャンプ」で連載された石田スイによる人気コミックを原作に、窪田正孝主演で実写映画化された「東京喰種トーキョーグール」のシリーズ第2作。人間社会に紛れ込み、食物連鎖の頂点とされる人間を食らう種族「喰種(グール)」が潜む東京。あることをきっかけに半喰種になってしまった大学生のカネキは、人間と喰種の狭間で葛藤しながらも、喰種たちの駆け込み寺でもある喫茶店「あんていく」に身を寄せ、トーカらとともに生活をしている。そんな中、「美食家(グルメ)」と呼ばれる喰種・月山が「あんていく」にやってくる。半喰種というカネキの特殊なにおいに目をつけた月山は、カネキを「グールレストラン」へと招き入れる。窪田が前作に引き続き主人公カネキを演じ、本作から登場する月山役を松田翔太、ヒロインのトーカ役を新たに山本舞香がそれぞれ演じる。

 スタッフ
 監督:川崎拓也 平牧和彦

 音楽:小田朋美 菊地成孔
 音楽プロデューサー:茂木英興 宮地洋佑
 音楽四人のうちどなたが手がけられたかはわからないは。松田翔太さんがパイプオルガンを弾かれ
「ベートーベンはお好き?」
と笑みを浮かべられた時の、広がりのある場面が好きであった。

 原作:石田スイ
 脚本:御笠ノ忠次
 製作総指:揮大角正

 キャスト
 松田翔太
 窪田正孝
 山本舞香
 村井國夫
 坂東巳之助
 鈴木伸之亜
 小笠原海
 白石隼也

 配給 松竹


 ただいま劇場にて、松田翔太さんと窪田正孝さん主演の、映画『東京喰種【S】』を楽しんできました。

 この映画を観るにあたって、二日前に『花より男子F直前(?)』『花より男子F』を見ておいた。

 想像通り、松田翔太さんは花より男子の様な雰囲気で出てこられた。

 あの色気のある所作や台詞回しが展開されると、にやけてしまい、テレの笑いがこみ上げてくるから、あら!大変。

 怖い場面でこの笑いが起こると、それこそ映画での松田翔太さんではないが、変態で有る。


 映画全体を通して、まぁ、こんなものか程度には楽しめた。

 この映画は松田翔太さんのかっこよさと窪田正孝さんの独特の表情と山本舞香さんのきっぱりとした美しさと動きでもっていると言っていい。

 逆に言えば、それしか観る部分はないかもしれない。

 先日激唱で見た映画『Diner ダイナー』(監督蜷川実花 原作平山夢明 脚本後藤ひろひと 5★ 藤原竜也 玉城ティナ 小栗旬 土屋アンナ 窪田正孝 本郷奏多 真矢ミキ 奥田瑛二)の出来が良すぎたので、多少の空虚感を感じながら映画館を後にした。


 映画の途中で、宮沢賢治作の『注文の多い料理店』さながらの場面があったが、あれはベタすぎていただけない。

 そのあとの「人を喰わねば死ぬが、喰う喰わないの倫理観での説教くさい台詞」が展開されたが、あれもいただけない。

 そう、この映画は、花男を思わせる気品に満ちた所作や言い回しをされる色っぽい人喰いグルメな松田翔太さんを目で味わう、ただそれだけの映画であったのだ。

 いわば松田翔太さんが異質の最たるグルメを演じながら、観客は悪気なくお金を払って松田翔太さんを鑑賞し味わっているのであった。

 ここがこの映画のパロディなのではないかという錯覚に陥る、一番評価して良い部分で有るのではないかと考える。


 とは言え、夫も私も、多少の欲求不満を感じながら、映画館の出口に置かれている今日の映画の予定時間表を眺めてため息をついた。

 アラジンの字幕版で口直しををしようと思ったが、小一時間前に始まり映画の真っ最中であった。

 
 夫と一緒に
「散歩できたから、いいね。」
と顔を見合わせた。

 そして、映画『Diner ダイナー』をもう一度見ればよかったと後悔した。

 まぁ、こんな日もあるわね^^v

 


 

乱鳥徒然   や〜〜〜

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 早朝から本を読み続けていた。

 休憩時間は気分転換に朝食を時間をかけて作る。

 8時頃起き上がってきた夫は嬉しそうに全ての種類を平らげてくれた。

 ありがたや〜〜〜


 昼食に添えるいちごバナナヨーグルトジュースの下準備をして、またまた読書。

 横でワンコがくつろぐ。

 すり寄ってくるワンコを撫でながら、片手で本を持ち、ほんの続きに目を泳がせる。

 あたたかりし〜〜


 またまた読書の休憩に、熱地で本の検索に時間を割く。

 貸出中のほんの多さに驚く。

 世の中、努力して楽しまれる方は山ほどいりゃっしゃるようだ。

 そんけいや〜〜〜
 

 読書の続きの前にそろそろ冷えひえのジュースを楽しもう。

 昼食にと思っていたが、家族はまだお腹は満腹に近いかもしれない。

 本日は遅めの昼食ということで、お庭でジュースを楽しみたい。

 たのしみや〜〜〜




 
 

 本日の予定は本三冊程度は読了

 天神祭を明日のまわし、今日はトイレと洗面所位を丹念に磨こう。

 できればお家で映画化舞台。

 何事もマイペースで歩みたい。



『古文書はこんなに魅力的』  油井宏子著 柏書房 2006年 288ページ 「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛 店を抜け出した六六兵衛」(4枚)

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   『古文書はこんなに魅力的』 油井宏子著  柏書房  2006年  288ページ
   「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛 店を抜け出した六六兵衛」(4枚)



『古文書はこんなに魅力的』 

 油井宏子著  

 柏書房

 2006年

 288ページ

       

 

 

 

 

 『そうだったのか江戸時代 古文書が語る意外な真実(油井 宏子 著 柏書房 2010年 236ページ)の中で、『古文書はこんなに魅力的』の紹介を複数回されていたので、読んでみた。

 文字も危ういものがいくつかあり、再読してよかったと感じる。

 油井宏子著の古文書本は 『こんなにおもしろい古文書』など幾冊かある。

 読む度に忘れている部分や新たな知識に気づき、ハッとさせられる。

 こういった本は定期的に読み直し、自分の思い込みに修正を聞かせる必要があると感じる。


 さてさて、最近は古文書関係の本を読んでいる時間が長いような気がする。例えば最近この本の前には 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』 (東京堂出版)であった。


 歴史嫌いの私が、古文書がおもしろいと感じるようになり、また読むことに喜びを感じるようになり始めてきた。


『古文書はこんなに魅力的』を完読したので、趣味である古典の続き『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』を読みたいと思う。

      

 

 古典を多少ならば影印で読むことができる喜びは、私にとっては天にも昇る喜びである。

 長年細々ではあるが、大変力のある先生に教えを請い、古い文字を読み続ける訓練ができたことは幸運であったと痛感する。

 おそらく、健康状態が続く限り、この技術が向上させて恩返ししたいと思う。


 話は戻るが、油井宏子氏の書物はわかりやすく、また、順をおい歴史を追って説明されていて素晴らしいと思う。

 古文書を始めたい方や古文書を少し楽しまれている方にはお薦めいたします。

 

        写真部分は「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛  店を抜け出した六六兵衛」 ▼
 
 
  「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛  店を抜け出した六六兵衛」

 
  「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛  店を抜け出した六六兵衛」

 
  「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛  店を抜け出した六六兵衛」

 
  「白木屋日本橋店奉公人の古田六兵衛  店を抜け出した六六兵衛」


『探検!東京国立博物館 藤森照信×山口晃』(3,5★) 『東京マニアック博物館 おもしろ珍ミュージアム案内』町田忍 監修(5★) 『てくてく歩き 東京』

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 『探検!東京国立博物館 藤森照信×山口晃』『東京マニアック博物館 おもしろ珍ミュージアム案内』町田忍 監修(5★) 『てくてく歩き 東京』





 『探検!東京国立博物館 藤森照信×山口晃』 3,5★/5★
  藤森照信×山口晃 著
  旺文社
  2018年
  1700円+税

  茶室の写真に興味を持った。にじり口から入らせていただく茶室でお茶や季節や空間や小さな窓から見える風のせせらぎを味わいたい。

  数少ない展示品の写真だが、以前見たことのあるペルシャ茶碗が載せられていたのには、納得した。
  藤森照信氏の
 「なぜイスラム風建築なのかと、日本人なら思うだろう(要約)」
 という言葉は、私にとっては不思議に感じる言葉であったことを付け加えておきたい。

  東博に行けば最低二日は常設展に入り浸るであろう。
  日程的に考え、時間の配分に工夫が必要だ。

    
 
 『東京マニアック博物館 おもしろ珍ミュージアム案内』 5★/5★
  町田忍 監修
  メイツ出版
  2014年
  1480円+税

  珍ミュージアム案内の中で実際に訪れたのは目黒にある「寄生虫博物館」だけであった。
  選ばれた博物館や本の構成が面白い。好奇心をそそられながら書物の表面をスイスイと泳ぐ快感は楽しいものだ。
  手に取っても損のない、個性的な一冊。
  
  

 『てくてく歩き 東京』
  実業の日本社
  980円+税
  2011年


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