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Sush(イラン写真17景) 朝TVの事、日本で難民資格が認められず不法滞在の立場で語学などを真面目に学ぶ 国を持たない民族、クルド人の苦悩を見ました。

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   Sush(イラン写真17景)
  朝TVの事、日本で難民資格が認められず不法滞在の立場で語学などを真面目に学ぶ 国を持たない民族、クルド人の苦悩を見ました。




 イランは何度か訪れましたが、私はペルシャ語がわかりません。
 したがって、布に書かれた文字は、全く読めませんことをお詫び申し上げます。

 写真は、 Sush(シュシュ)
 一見いかつく見えますがみなさん、殿方は紳士的、女性は親切な方々ばかり。
 異質な日本人の私たち夫婦二人に親切にしてくださり、お料理をくださいました。

 イランのお料理は美味しいものが多く、今でもイラン風料理をいくつか、作ります。
 マトンの塊やミンチなどは常備しており、お肉ではステーキやキャバブや煮込み、ミンチはクビデや パプリカや丸ナスにミンチを下準備して詰め、トマト風か 多種大量香辛料野菜のお味で煮込みます。
 ヨーグルトで臭い消しをしても良いのですが、私はイランの田舎で食べたきゃバブやステーキやクビデやスープなどのように、マトンの香りがしつつも多種大量の香辛料やお野菜で少しマトンの匂いが消えている感じが好きです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 イランでは施しの精神が息づいています。
 夕刻にはお金持ちの方が味付きの暖かなサフィランライスの上に大きなチキンやお野菜のトマト煮込みをタッパーに詰めて配られます日があります。

 トルコやエジプトでもこういったことには出くわしました。
 個人旅行で行くと、日本人に対してチップばかりを苗だるエジプトでさえ、モスクではハンバーガーが配られており、頂戴したことを覚えています。

 よくわかりませんが、イスラム教の教えの一つなのでしょうか?

 写真に写る方々は、イラン人です。
 
 イランや、トルコなどには、国を持たないクルド人の方柄が住んでおられます。
 私が何度か行ったイランなどでも、多くのクルド人たちに出会いました。
 
 今朝早く目が覚めてしまい、テレビをつけました。
 元トルコに住んでおられたクルド人の方の苦悩が伝えられていました。
 難民資格が得られず日本で不法滞在人として取り扱え荒れる青年でした。
 日本の高校までは出て、日本語は堪能。
 日本語の資格も持ち、英語なども学ぶ。
 そういった前向きな青年が、専門学校にも受け入れられず、気持ちは萎えそうになられているそうです。
 日本としてもこういった真面目に生きようとする青年に対しても日本滞在者には強制帰国を強化する方向らしいそうです。

 だからどうなんだ、何を書きたいのでしょうか。
 幼稚な私には言葉を持ちませんが、こう行ったテレビを見て、イランやトルコで出会った方がのことを思い出し、心を痛めました。
 なぜなら国を持たないクルド人たちは、イランやトルコの中でも、差別を受ける対象なのですから。
 一見警戒心の強い彼らは写真を取らすことも嫌う方が多かったですが、一旦心が打ち解けると大変明るく楽しい方々であったことを覚えています。
 
 
 

 

菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念する羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。

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 イラン バザールの近くで


 

 『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』

 

 菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念する羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。

 

 昨日、漢文の講習の日であったが、情けないことにお寝坊をする。

 ありゃ!ま! 9時だわ!と飛び起きたが、その日の漢文は泣く泣く諦めることにした。

 見かねた夫が、
「『北野天満宮展』に行こうか?!」
と誘ってくれた。

 私たちは10時半を目処に家を飛び出し、京都に向かう。

 おおよそ4時間でそそくさと絵巻物や貴重な道眞(道真 菅丞相)の資料と格闘して読んでいた。

 夫は疲れた様子で、時々、会場においてあるベンチでほっこりとした表情をしていた。



 急な話で慌てており、カメラや博物館用の双眼鏡を忘れてしまった。

 菅原道真は好きなので『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』は是非とも見たかった。

 せっかく丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館に行くことができ、満足した。


 帰りは京都駅、アピタの田ごとでなすの田楽や鯖寿司やそばをいただいた。

 手頃な今日のお味^^こちらも肩を張らず、心地よく満足した。


 


 菅原道眞 (道真)
 菅原道眞1 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
 菅原道眞2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

 菅原道眞3 東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』

 菅原道眞4 メモ

 菅原道眞 5 大宰権帥に左遷。「日本三代実録葉」完成を報告したのは、時平と大蔵善行(901年)

 菅原道眞6 菅原道真は ろ号券 五圓紙幣にも登場していた。

 菅原道眞7 手向山八幡宮 このたびはぬさもとりあへずたむけ山 紅葉の錦神のまにまに

 菅原道眞8 北野天満宮 梅花祭(御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典) 2月28日

 菅原道眞9 北野神社 2014年2月28日 北野梅園 梅!只今五分咲きです。(4景)

 菅原道眞10『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)と、 絵馬堂の絵馬 

 菅原道真11 『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)「牛が動かなくなった場面」や「雷となった道真さんから歌を教えられる場面」など

 菅原道眞12 北野天満宮 2014年2月 宝物殿 『北野天神縁起(光信本)』「長谷川等伯の大型絵馬」

 菅原道眞13 神戸 北野天満宮神社では展望台では異人館「風見鶏の館」と神戸港を見る事ができます。

 菅原道眞14 八坂神社・石見神楽『天神』 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 菅原道眞 15 天神祭  花火と船能 『翁』『羽衣』『土蜘蛛』観世流   2014年7月15日

 菅原道眞 16  菅原道真 16 名がわからない天満宮と、「菅原道真公」の絵馬  「稲葉そよびて秋風のふく」  (5景)

 菅原道眞 17 太宰府「梅ヶ枝餅」 元は梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れたらしい。 (5景)

 菅原道眞 18 仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)成功祈願

 菅原道眞 19 仁左衛門丈が菅丞相 通し狂言『菅原伝授手習鑑』 三月歌舞伎座 チラシあり

 菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房

 菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹

 菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん)  445頁から454頁(10枚)

 菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

 菅原道眞24 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化 を御観覧いただいた方が昨日だけで70名を超えておりましたので、再度記録いたします。

 菅原道眞25 一月一日の初詣は散歩がてら。家から程なく近い天満宮家から程なく近い村の鎮守の天満宮に参り、菅原道眞様に祈願する。(4景)

 菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。





   ☆ ☆ ☆
 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻1


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻2


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻3


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻4


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻5


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻6


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻7


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻8


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描

  

『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』(7枚)

 日本絵巻大成 21 昭和54年 中央公論社より ▼



 



 データーは京都文化博物館公式HPより ▼

北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―

開催趣旨
 平安時代の政治家・漢学者・漢詩人・歌人であった菅原道真公は、死後、天満大自在天神として崇められて、現在に至るまで「天神さん」「天神さま」として親しまれています。全国で1万数千社の天神社(道真公を祀る神社)が存在しますが、京都の北野天満宮は総本社として知られています。
 天神信仰に関する展覧会はこれまでにも行われてきましたが、北野天満宮そのものを取り上げたものは多くありません。北野天満宮が培った長い歴史は、人々の崇敬の歴史といえるでしょう。時代ごとのさまざまな願いを反映し、北野天満宮には複雑・多様な信仰世界が構築されました。
 本展覧会では、北野天満宮が所蔵する神宝を中心に、ゆかりある美術工芸品、歴史資料を一堂に集め、そこから浮かび上がる神社とその信仰のあり方を展観いたします。


会  期:2019年2月23日(土)〜4月14日(日)

乱鳥徒然  空模様が不安定で、動きが取りにくい。

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 写真は大神神社(三神神社) 『鵜飼』






 今朝は一旦四時半ごろ目が覚めたが、二時間ほど起きていたのちに、またもや一眠り。

 ここのところ、睡眠リズムがずれにずれている。

 しばらく眠り、また起床。

 
 午前中にお夕食の仕込みを終え、語学で遊ぶ。

 うしゃしゃ うひょひょ

 今日はすこぶる進みが良い。


 スポーツジムに行こうかと思ったが、あいにく今日は雨模様。

 夫は一人でジムに行く。


 ガラガラ、ピッシャン ガラガラ、バッジャン

 夫が歩いているであろう途中に、雷様のお出ましだ。


 これこれこれぞ

 菅丞相のお出ましか?!

 昨日見た図は、現実なるや…


 いとぞ、不思議な物語

 いとぞ、不思議な物語…


 霧雨、豪雨、晴れるや雨や

 雷二度鳴り空あれ渡り

 右往左往の鳥心

 
 夜楽しむやなんとしょう

 空に惑いつ外眺め

 外出したやの 籠の鳥

 
 



 

長年楽しんだそのジャンルの全て中でこれまでに無い様な最高峰に触れた時、人は幸福を通り越す。これまでの人生を振り返って、趣味の中の一つが正道であったと確信し、生きてきた自分の人生に喜びを覚える。

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 世の中には色々なジャンルの世界があり、特色がある。

 そのジャンルはあまりにも多く、全く関わりなく通り過ごすことが多い。

 しかし、仮に或るジャンルに触れ親し向き感が訪れ、好きなジャンルの一つとなったとしよう。

 そして長年楽しんだそのジャンルの全て中でこれまでに無い様な最高峰に触れた時、人は幸福を通り越す。

 これまでの人生を振り返って、趣味の中の一つが正道であったと確信し、生きてきた自分の人生に喜びを覚える。

 そんな経験をさせていただいたことに感謝する。

家族とはありがたいものである。

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 二日間の外出で長時間の薄着をしていたせいか、

 はたまたここ二、三日の間気温が下がり雨模様さったせいか、

 筋肉と喉が痛い。

 午前中は用があり、医者に行くことができないと困り果てていると、

 夫が、とりあえず薬屋さんに走ってくれた。

 家族とはありがたいものである。

 

風邪を引く。少し起きては眠り続けている。時間はたっぷり、気分は上々。今日も愉快で吉日なり。

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 芝能 『田村』




 風邪を引く。

 昨日夕刻に病院に行くと、インフィリエンザの検査をしてくださる。

 結果は、陰性。

 一般的な風邪薬に加え、抗生物質などを処方していただく。

 
 本日休業日。

 少し起きては眠り続けている。

 乱鳥も休養が必要である。

 起きている時間はすこぶる気持ちが良い。


 今から何かまとまったVTRを見るか、あるいは本で遊ぼう。

 ただいま夕刻六時。

 時間はたっぷり、気分は上々。

 今日も愉快で吉日なり。




 

『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』  体も動かせて好きな曲も聴ける、これって素敵じゃない?

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    『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』  
     体も動かせて好きな曲も聴ける、これって素敵じゃない?




 wowowでクイーン特集あった様だが知らなかった><

 かろうじて録画しておいた『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』を見る。

『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』は5月にリピート放送予定!があるとのことなので、ほかの2本も期待しておこう。

 5月は必ずや!録画するよ。


『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』も楽しくノリノリで、四六時中

    ロック鑑賞風やら、ディスコ風やら、ズンバ風やら、ラジオ体操風やら、ストレッチ風で(かっこ悪く 笑)

踊り、そして歌いながら見ていたよ。

 それでも、可愛い?!乱鳥は、バラード風な曲の場合はたしなみを持って、左右に体をスイングさせていたよ。
 (単に疲れただけという声もちらほらあり^^)


 私の中ではフレディちゃんは健在。

 楽しい時間を過ごせたことに感謝だよ。


 体も動かせて好きな曲も聴ける、これって素敵じゃない?

楽曲情報
One Vision
Tie Your Mother Down
In the Lap of the Gods... Revisited
Seven Seas of Rhye
A Kind of Magic
Under Pressure
Another One Bites the Dust
Who Wants to Live Forever
I Want to Break Free
Is This The World We Created...?
Tutti Frutti
Bohemian Rhapsody
Hammer to Fall
Crazy Little Thing Called Love
Radio Ga Ga
We Will Rock You
Friends Will Be Friends
We Are the Champions

 
 Queen - Friends Will Be Friends - Subtitulado Español & Inglés  
VideoKas Subtitulados
さん

 
 以下のデーターは全てwowow公式HPより

音楽
クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986
クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986

5月にリピート放送予定!
最高のライブ・バンド、クイーンのすべてがここにある。魂を焦がすフレディ・マーキュリー、ロンドン最後の雄姿、オリジナル・メンバーでのラストツアー。


放送内容
最高のライブ・バンド、クイーンのすべてがここにある。魂を焦がすフレディ・マーキュリー、ロンドン最後の雄姿、オリジナル・メンバーでのラストツアー。
数あるクイーンのライブ映像の中でも最も高い人気を誇る1986年のウェンブリー・スタジアム公演を放送。メディアからの酷評を覆し、高度な音楽性とフレディのカリスマ的人気でロック・シーンの頂点にまで上り詰めた1970年代に比べ、やや陰りがうかがえた1980年代前半のクイーンだったが、1985年7月に出演したライブ・エイドでの圧巻のパフォーマンスでみごと復活する。再び世界をとりこにし、翌1986年に発表したアルバム『カインド・オブ・マジック』を携え行なった“マジック・ツアー”は、200万人以上を動員する大成功となった。
その中でも、ハイライトであるロンドン、ウェンブリー・スタジアム2デイズでは計15万人が熱狂した。その2日目の演奏の模様をお届けする。これ以降、フレディがAIDSに罹患したため、これが4人そろって行なった最後のツアーとなってしまっただけに、やはり見逃せない!
収録日・収録場所
1986年7月12日/イギリス・ロンドン ウェンブリー・スタジアム
楽曲情報
One Vision
Tie Your Mother Down
In the Lap of the Gods... Revisited
Seven Seas of Rhye
A Kind of Magic
Under Pressure
Another One Bites the Dust
Who Wants to Live Forever
I Want to Break Free
Is This The World We Created...?
Tutti Frutti
Bohemian Rhapsody
Hammer to Fall
Crazy Little Thing Called Love
Radio Ga Ga
We Will Rock You
Friends Will Be Friends
We Are the Champions

ミュージカル「日本の歴史」 5★ 作・演出 三谷幸喜 音楽 荻野清子 2018年12月 世田谷パブリックシアター 中井貴一、新納慎也、秋元才加

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 四天王寺 本坊にて



 ミュージカル「日本の歴史」 5★ 作・演出 三谷幸喜 音楽 荻野清子 2018年12月 世田谷パブリックシアター 中井貴一、新納慎也、秋元才加




 おとといのこと。

 クイーン(86)を見る前に、三谷幸喜 作・演出のミュージカル「日本の歴史」を見て、大変満足した。

 中井貴一さんの魅力を改めて感じ釣ることのできる舞台であった。

 他にも多くの歌の上手い方達が面白おかしく演じ歌い、こんな舞台なら劇場で見たかったと感じた。

 もう一度見たいと思い、録画は消去せず。

 出演者も良かったが、三谷幸喜さんの演出はミュージカル恩来の歌のリピートが心地よく心に響く。

 もっと多くの作品を楽しみたいと思った。
 
 


  (以下のデーターは、wowow公式HP&ウィキペディアより、引用  ▼)

 中井貴一、香取慎吾、新納慎也、川平慈英、シルビア・グラブ、宮澤エマ、秋元才加が60以上の役を担い、卑弥呼から始まる1700年の歴史を綴る斬新なミュージカル。

 卑弥呼、織田信長、西郷隆盛など誰もが知る歴史上の人物から、三谷幸喜がシンパシーを感じる歴史の表舞台から消えた人物。さらに歴史上の人物と同じ運命に直面した人物が登場し、これまでにない角度から日本史に切り込んだ三谷流「歴史の教科書」をお送りする。



 中井貴一、香取慎吾、新納慎也、川平慈英、シルビア・グラブ、宮澤エマ、秋元才加が60以上の役を担い、卑弥呼から始まる1700年の歴史を綴る斬新なミュージカル。
 三谷幸喜作・演出で、1700年にわたる壮大な日本の歴史をミュージカルで描き出し新たな切り口で魅せる舞台を放送する。
 音楽は、舞台「ホロヴィッツとの対話」や映画『ザ・マジックアワー』など、数々の三谷作品の音楽を手掛け“音楽で伏線が張れる希有な才能”と三谷が信頼する荻野清子。
 出演は、2019年公開の映画『記憶にございません!』主演をはじめ、三谷作品に数多く登場している中井貴一。
 大河ドラマ「新選組!」で主演した香取慎吾は、舞台「burst!~危険なふたり」以来となる。ほか三谷作品常連の川平慈英、新納慎也、シルビア・グラブ、秋元才加、そして三谷作品初出演となる宮澤エマを加えた7人が、60以上の役を演じる。主役級の役者たちが、アンサンブルから装置転換まで7人でこなす様子を含め、一瞬たりとも目を離すことのできない超ぜいたくな舞台だ。
 今回の舞台化の理由を三谷は、「歴史には自分が直面している問題や悩みから解放されるヒントが隠されている。
 それを知ることで勇気が湧いてくることを伝えたかった」とコメント。
 歴史を追いつつも自分もその歴史の一部だとハッとさせられ、「人間とは」と問い掛けられる壮大なドラマ、大きな感動が待っている。

 収録日・収録場所
 2018年12月19日/東京 世田谷パブリックシアター

 
 三谷幸喜オリジナル・ミュージカル「日本の歴史」より楽曲2曲をひと足先にお届け!  SISチャンネルさん


出演
出演
中井貴一
出演
香取慎吾
出演
新納慎也
 新納 慎也(にいろ しんや、1975年4月21日 - )は、日本の俳優である。兵庫県神戸市出身。オスカープロモーション所属
 略歴
 16歳の時にスカウトされ、モデルとして芸能界入り。
 俳優を志して大阪芸術大学舞台芸術学科演劇コースに入学するも、2年生終了後自主退学し、20歳のとき上京。1994年より舞台俳優として活動を開始する。
 1997年から2年間 NHK-BS2「にこにこぷんがやってきた!」の「うたのおにいさん」として出演した。
 2000年のミュージカル「エリザベート」で初代トートダンサー(黒天使)として出演し、2002年、ROCKミュージカル『GODSPELL』では主役のジーザス役を演じる。
 2003年12月から、芸名の「NIRO(ニイロ)」を改め、本名で活動する。
 2005年に、Studio-Lifeの公演「OZ」、2007年には、三谷幸喜作の『恐れを知らぬ川上音二郎一座』で野口精一役を演じるなどストレイトプレイでの活躍も目立つ。
 2008年、『仮面ライダーキバ』にキング役でレギュラー出演し、2009年には、再び三谷幸喜から出演依頼を受け、香取慎吾主演の『TALK LIKE SINGING』でオフ・ブロードウェイデビューを果たす。
 また、『LILIES』に主演客演するなど、演技力を確固たるものにする。
 2015年11月26日、Victor Entertainmentよりメジャーデビュー。
 2018年1月、NHK正月時代劇『風雲児たち〜蘭学革命篇〜』(三谷幸喜脚本)で主役の1人杉田玄白役を好演。
 島津氏庶流の新納忠元の末裔でもあり、その個性的な存在感に「ミュージカル界の異端児」と称される
 
 ミュージカル『パジャマゲーム』公開ゲネプロ  ランラン編集部さん
出演
川平慈英
出演
シルビア・グラブ
出演
宮澤エマ
出演
秋元才加
 秋元 才加(あきもと さやか、1988年7月26日 - )は、日本の女優、タレント。
 女性アイドルグループAKB48及びその派生ユニットDiVAの元メンバー。千葉県出身。フレイヴ エンターテインメント所属。
 
 繊月~光と闇の傍で~ (秋元才加)   必殺牙狼AKBさん
演奏
荻野清子(ピアノ)
演奏
阿部寛(ギター・バンジョー・マンドリン・ウクレレ)
演奏
古本大志(チューバ・ベース)
演奏
稲増優乙(チューバ・ベース)
演奏
萱谷亮一(ドラム・パーカッション)
演奏
BUN Imai(ドラム・パーカッション)
スタッフ
作・演出
三谷幸喜
音楽
荻野清子

乱鳥徒然  3月22日心構え

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 写真は、京大名物であった、立て看板。今は規制が厳しく、姿を見せない……。




 昨日夕刻に帰宅し、久々にスポーツジムに行く。

 実に7日ぶりであった。

 記録ノートを見れば、今月は ジム5回、プール3回、合計5日しか利用してないことに気づく。

 どうりで体が鈍っているはずだとほくそ笑む。


 今日は日常の大半の雑用はこなした。

 あとは掃除とお夕食の仕込み。

 久々に家にいるので、洗面所の整理と、大掃除をしよう。

 昼からは久々だが、スポーツジムのスタジオ2つ行ってみようか。


 隙間の時間も多くあるので、読書や調べ物にも取り組めそうだ。

 今日も快適、吉日になりそうだ。

 いや!充実下1日にしてみせよう。

 満足感を味わうために。


 

 




 

乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱12 一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし。交差点内が見えねど、停止線を通り越して視界の良きところで止まれば、違反となる。

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 法隆寺にて



  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱12 一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  交差点内が見えねど、停止線を通り越して視界の良きところで止まれば、違反となる。
  しからば、交通規則のために無駄に一回一旦停止をし、身の安全のために交差点手前で、今一度停止するのかと自問してみた。
  答えは、YES.
  世の中には理不尽ながらも守るべき建前と、身を守るための行動を行うべきなのだと努努思い知った。

  正確には、
    交差点が見づらくても一時停止線では必ず止まる。
    そのあと安全を確保しながら徐行する。  のが良いそうですが^^

 



 指定場所における一時停止


 第43条 車両等は、交通整理が行なわれていない交差点又はその手前の直近において、道路標識等により一時停止すべきことが指定されているときは、道路標識等による停止線の直前(道路標識等による停止線が設けられていない場合にあつては、交差点の直前)で一時停止しなければならない。

 この場合において、当該車両等は、第36条第2項の規定に該当する場合のほか、交差道路を通行する車両等の進行妨害をしてはならない。


 このように法律で定められています。
 もし、警察官が交通整理を行っている場合は、一時停止より交通整理を優先しましょう。


 2-2 停止線が手前すぎる!構造上おかしな一時停止

 停止線の直前でしっかり止まったにもかかわらず、全く交差点の様子が見えない場所があります。
『ここで停止しても確認が不十分で、安全を確保するにはもう少し前に出ないとムリ!』というような交差点です。

 ●停止線のラインが交差点に対して手前すぎる
 ●障害物があって見えない
 ●右方向は見えるが、逆が見えない

 あきらかに構造上おかしいと思われるスポットは、日本各地にあります。
 また普段は見通しが良いが、たまたま駐車しているクルマがあったり、大きな荷物や障害物がジャマをしたりという状況もあるでしょう。

 このようなときに、自分の判断で一時停止線を止まらず、左右が目視できるところまで進んではいけません。たとえ確認できないとしても、きっちり停止線で止まり、それから少しづつ前に出て安全を確認するようにしましょう。

 このケースでドライバーと警察官がよく論争に発展しますが、まず勝てません。確実に切符をきられます。

 交差点が見づらくても一時停止線では必ず止まる。
 そのあと安全を確保しながら徐行する。


 
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3 丈(じょう )と 丈(たけ)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7「文化功労者」と「文化勲章」 
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱11 東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱12 一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし 交差点内が見えねど、停止線を通り越して視界の良きところで止まれば、違反となる。

劇団四季『Le Passe-muraille 壁抜け男』2000年1月 福岡シティ劇場 石丸幹二 井料瑠美 他 マルセル・エイメ(1943年 作)

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  写真は、劇団四季公式HPよりお借りしました。


    劇団四季『Le Passe-muraille 壁抜け男』   石丸幹二主演 マルセル・エイメ(1943年 作)

    2000年1月 福岡シティ劇場
    CAST 石丸幹二・井料瑠美・光枝明彦・丹靖子・青山明・喜納兼徳・川原洋一郎・渋谷智也・佐和由梨・横山幸江・千野昌保・有賀光一

 

 石丸幹二主演の劇団四季『Le Passe-muraille 壁抜け男』を楽しんだ。

 みている間中スイングし、最後には一緒になって熱唱。

 楽しい舞台を拝見させていただいたことに感謝。

 
 今回も記録のみにて、失礼申し上げます。

 

 以下のデーターは全て、ウィキペディアより ▼

 小粋でチョッとエッチなフレンチ・ミュージカル。

 マルセル・エイメの原作に1964年公開の映画「シェルブールの雨傘」で世界の注目を集めたミシェル・ルグランの音楽。「壁抜け男」は全編が直ぐ口ずさみたくなるようなメロディーで紡がれている。「オペラ座の怪人」「キャッツ」などロンドン・ブロードウエイ発大型ミュージカルも良いが、四季のフランス物には独特の風合いが籠っているようだ。

 

 真面目な役人デュティュル(石丸幹二)
 劇団四季のプリンス石丸幹二は、同僚に馬鹿にされながら熱心にタイプを打っている小役人デュティュルでも、「壁抜け」怪盗ガルーガルーになっても格好がいい。横暴な検事の夫に自由を奪われ自由奔放な怪盗にあこがれるイザベルの坂本理咲が、上品な高級官僚夫人から恋する奔放な女に変身してセクシー。これほどの妻なら世間から隔離しておきたいという悪徳検事の男心に同情できるほどだ。

 ユトリロを目指しながら町の似顔絵画家に落ちぶれ、ひそかに慕うイザベルの似顔絵を描く哀愁を秘めた渋谷智也。モーパッサンの「脂肪の塊」の娼婦のように丸々した丹靖子は、昼は八百屋で野菜を売り夜は娼婦業に精を出す。この二人がモンマルトルの丘の芸術的でしかも猥雑な雰囲気を良く出している。

 そう。役者12人、演奏3人(ピアノ、リード、パーカッション) 、合計15人の小品ミュージカルには適者適役、劇団四季の最高タレントが贅沢に詰まっている。フランスパンの一切れに同じ厚さのフォアグラのパテを盛り上げて豪快に口にするような、一見、庶民的だが、実は「四季向き」の贅沢な味だ。

 

 ストーリー
 第二次世界大戦の痛手からようやく回復しつつあるパリの郵政省で働く苦情処理係のデュティュルは、バラの手入れが趣味の地味な独身男で、同僚たちは彼を馬鹿にしている。

 定時に仕事を終えて帰宅する先はモンマルトル。画家や娼婦が自由に暮らしている。ところがいつもの停電。電気がつくとドアを開けてもいないのに部屋の中に入っている。
気が狂ったのかと精神科医のもとに駆け込むが、アル中気味の医者は「壁を抜けるのに疲れたら飲め。但し女はダメ」と薬ビンを渡すだけ。

「怪盗ガルーガルー」の釈放を求めてデモする町の人々
普通の人間、平凡な役人に戻りたいと願う彼も、軍人上がりの新任上司に罵倒されて怒り、壁から頭を突き出して部長を錯乱させ辞任に追い込む。

 自信をつけた彼はパン屋の壁を抜けてパンを盗み、宝石店では高価な首飾りを盗んで義賊よろしく娼婦の首にかけてやる。壁抜け「怪盗ガルーガルー」として新聞紙上を騒がす彼の唯一手に入らないのが、近所に住む薄幸の人妻イザベルの心。彼女は検事の夫から買い物以外には外出さえも許されていない。

 もっとデカイ事件を起こし彼女の注目を集めようと銀行の貸金庫を襲った彼は、駆けつけた警官に「自分が怪盗ガルーガルー」と名乗りマスコミを呼べと要求する。

 さて、刑務所に入れられたデュティュルには援軍が現れる。怪盗ガルーガルーの正体を知った隣人たちと同僚が彼の釈放を求めてデモをかける。この騒ぎに乗じて鉄格子をすり抜けた彼はイザベルの許に駆けつけるが、怪盗に憧れていたイザベルもいざとなると尻込する。一計を案じた彼は、刑務所に戻り裁判を受けることにする。

 


映画『残菊物語』1939年版 監督 溝口健二(溝口監督作品の『芸道三部作』の一つ) 花柳章太郎 森赫子

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 写真は  『御迎船人形図絵』のうちの「三番叟」 高島幸次  翻刻・解説 東方出版(大阪) 1996年




 映画『残菊物語』1939年版 監督 溝口健二(溝口監督作品の『芸道三部作』の一つ) 花柳章太郎 森赫子



 ほぼ実話に基づいた名門歌舞伎役者菊之助と義弟の乳母との悲恋と言われているが、二人にとって悲恋というにはあまりにも深い愛情で、お得は夜の船乗り込みの賑わいを感じ取りながら、実際には満足感に満ちた息の引き取り方をしたのではないであろうか。


 上にも書いた船乗り込みは当時健在であった大阪角座の興行で、映画で見る限りでは、当時は夜に行われたものと考えられる。

 現在では七月、松竹座の七月大歌舞伎で船乗り込みが行われているが、昼間である。


 二代目尾上菊之助は、菊五郎の傘下にあり、周りからは萌え生やされていたが、裏では大根役者と陰口を叩かれていた。

 放蕩息子の菊之助をを、子守のお徳が諌める。

 民俗学の本には度々出てくるが、昔、子守という立場は差別されるほどに身分が低く見られていた時代もある。子守と関係を持った村の若人は、村八分にされたという事実のあるとのこと。そういった時代とは時代や地域が異なるのかもしれないが、身分違いという問題は私たちが想像をする以上に酷いものであったに違いないであろうと思われる。  

 だが、心底菊之助の芸のことを重い愛情を持って忠告下たった一人の人間であるお得に、菊之助は愛情を抱く。


 子守を解雇され、奉公先を追い出された彼女を追う菊之助。

 追ってきたのは雑な長屋。それでも菊之助の愛はお得に一途であった。


 その後色々と話は展開。

 病気になってでも菊之助の晴れ舞台を望み、秒針に鞭打ち福助にお願いにあがる姿は、女の鏡とも言える。

 福助の行為で役代わりをしてもらい、『薄墨の桜』の主役を張らせてもらった菊之助は、見事にいい芝居を演じる。

 皆に認められ、船乗り込みという大役があっても音羽屋は実力が伴った菊五郎に対して好意的で、
「女房のところに行ってやれ、こんなに立派な役者のしてくれて、礼を言っていたと伝えてくれ。」
と、促してくれる。

 菊之助はお得のところに駆け込んだが、息絶え絶えに
「役者はご贔屓筋を大切になさらなくちゃなりませんわ。早く、船乗り込みに行ってください。私とはあとで会えるのですもの…」
と、健気に役者としての菊之助を大切に思い、船乗り込みに向かわせ、船乗り込みの賑わいを感じながら、幸せに息を引き取る。

 芝居の好きな私にはたまらなく興味深い映画であった。


 話は劇中劇に飛ぶが、映画に劇中劇が多く、例えば松羽目物の音楽が鳴り始めると
鳥「石橋(しゃっきょう)だわ。」
夫「うん。」
鳥「最後の演出構成が違うね。」
夫「そう だね。」

 また、『薄墨の桜』では
鳥「これって芝翫で浮世絵持ってるよね。」
夫「うん。」
鳥「ここで着物広げて見得を切るよね。」
夫「そう だね。」

鳥『あなたは、うん そう 屋か!』
 と、内心、夫に突っ込んでいた。


 ところで、話は「石橋(しゃっきょう)」に戻るが、映画では今と違って、花道の73, 64を通り越して、一人は花道のかなり真ん中までかけずり走って、見得を切る。

 今の演出とは全く違う舞台に面白みを感じた。


 また旅芝居、あるいは小芝居というのであろうか?

 興行先では劇団長がドロンして劇団員がドロンをしたり、同じ劇場で女力士の興行が貼られたりと、舞台好きの私にとっては大変楽しい場面が多くあった。


 映画『残菊物語』は、あれこれ楽しい時間を過ごすことができる秀作だと感じます。








 残菊物語(以下のデーターは、Wikipediaより ▼)

『残菊物語』(ざんぎくものがたり)は、村松梢風による日本の短編小説、および同作を原作とする新派の戯曲、日本の映画、日本のテレビ映画である。

 1937年(昭和12年)9月、「サンデー毎日」増刊号に掲載され、翌年に同題の小説集が刊行された。
 1937年10月には、巌谷慎一の脚本により新派劇となり、明治座で上演されている。
 さらに1939年(昭和14年)に溝口健二監督、1956年(昭和31年)に島耕二監督、1963年(昭和38年)に大庭秀雄監督が映画化、1967年(昭和42年)には塚田圭一がテレビ映画化している。


 あらすじ
 歌舞伎役者・二代目尾上菊之助の悲恋の物語。
 身分違いの恋を全うして芸の道に励み、妻は悲しい結末を迎えるが、菊之助は素直で誠実で情愛のこもった人物として描かれている。


 映画『残菊物語』 1939年版

 監督 溝口健二
 脚本 依田義賢
 構成 川口松太郎
 原作 村松梢風
 製作総指揮 総監督 白井信太郎
 出演者 花柳章太郎
     森赫子
 音楽 深井史郎
 撮影 三木滋人
     藤洋三
 編集 河東與志
 製作会社 松竹京都撮影所
 配給 日本の旗 松竹
 公開 日本の旗 1939年10月10日
 上映時間 146分
 製作国 日本の旗 日本

『殘菊物語』は、溝口作品の中でも評価されている戦前の映画であり、1939年のキネマ旬報邦画ベスト・テン第2位に入賞した。
 溝口の監督作品の『芸道三部作』の一つとして知られている(ただし、他の『浪花女』、『芸道一代男』は現存しない)。
 本作は、溝口作品の中で、ほぼ全てが現存する数少ない戦前作品となった(146分中143分現存)。
映像と音声をデジタル修復した版が制作されており、2015年にカンヌ映画祭でプレミア上映されて好評を博した。ブルーレイでも発売されている。


 溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、日本の映画監督。
 女性映画の巨匠と呼ばれ、一貫して虐げられた女性の姿を冷徹なリアリズムで描いている。
 サイレント期は下町情緒を下敷きとした作品で声価を高め、戦中・戦後は芸道ものや文芸映画でも独自の境地を作り出した。
 完璧主義ゆえの妥協を許さない演出と、長回しの手法を用いた撮影が特徴的である。黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らと共に国際的に高い評価を受けた監督であり、ヴェネツィア国際映画祭では作品が3年連続で受賞している。
 また、ジャン=リュック・ゴダールを始めヌーベルバーグの若い映画作家を中心に、国内外の映画人に影響を与えた。
 代表作に『祇園の姉妹』『西鶴一代女』『雨月物語』など。日本映画監督協会会員。

 来歴
 生い立ち
 1898年(明治31年)5月16日、東京市本郷区湯島新花町11番地(現在の東京都文京区)に、父・善太郎と母・まさの長男として生まれる。
 3姉弟の2番目で、3歳上の姉に寿々、7歳下の弟に善男がいる。
 父の善太郎は大工(屋根葺き職人、請負業とする説もある)で、日露戦争時に軍隊用雨合羽の製造をしていたが、戦争終結により事業は失敗。
 差押えを受けて、一家は浅草玉姫町に引っ越すことになった。

 1905年(明治38年)、私塾の田川学校に入学。
 一家の窮乏の口減らしのため、姉の寿々は養女に出される。
 寿々は養家から日本橋の芸者屋「三河屋」に奉公に出せられ、半玉となり、客の松平忠正子爵に落籍(後に正式に結婚し松平寿々となる)され一家の家計を助けた。
 1907年(明治40年)、同年開校の石浜小学校に入学。同級生には後年に仕事を共にする川口松太郎がいた。
 6年生の時、盛岡で薬剤師をしている親戚に預けられ、そこで小学校を卒業した。
 1912年(大正元年)、東京に戻ったが、リウマチに罹り1年間闘病していた。

 1913年(大正2年)満15歳の時、浴衣の図案屋に弟子入り。同じ図案屋仲間の弟子に大久保忠素がいた。
 その後浜町の模様絵師に弟子入りし、1916年(大正5年)、赤坂溜池の葵橋洋画研究所(黒田清輝主宰・和田三造塾頭)に入って、洋画の基礎を学んだ。
 この時、研究所近くのローヤル館でジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーがオペラを上演しており、その背景画を研究所が引き受けていたので、溝口もそれを手伝ううちに浅草オペラに夢中になった[2]。また、この頃から落語や講。。
 1917年(大正6年)、姉の計らいで名古屋の陶器会社の図案部に入ることになるが、働く気にはなれず、入社翌日には東京に戻った。
 1918年(大正7年)、神戸又新日報社広告部の図案係に就職するが、僅か1年で退職した。

 日活時代
 1920年(大正9年)、友人の琵琶の弟子だった日活の俳優・富岡正と親しくなり、日活向島撮影所に出入りするうち、若山治の知遇を得、同撮影所に入社した。
 俳優志願で入社したが、小口忠の助監督に就くことになり、やがて田中栄三の助監督として、彼の代表作である『京屋襟店』などの作品を担当した。
 
 1923年(大正12年)2月、若山のオリジナル脚本による『愛に甦る日』で24歳にして映画監督デビューを果たしたが、貧乏生活の描写が余りにも写実的過ぎたため検閲で大幅にカットされ、やむなくつなぎで琵琶劇を入れて公開したという。
 同年だけでも11本の監督作を発表しており、漁村を舞台としたメロドラマ『敗残の唄は悲し』や、ルパンを翻案した探偵劇『813』、表現主義風の『血と霊』など様々なジャンルの作品を作っている。
 同年9月1日、関東大震災が発生。その影響で京都の日活大将軍撮影所に移り、『峠の唄』『大地は微笑む 第一篇』などの佳作を手がけた。
 
 1925年(大正14年)5月、痴話喧嘩のもつれから、同棲中の一条百合子(別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で切られるという事件が起きる。
 丁度『赤い夕日に照らされて』の撮影中の出来事であり、この事件で作品の監督を降ろされ、しばらく謹慎処分となる。しかし、9月には撮影所に復帰した。
 1926年(大正15年)、『紙人形春の囁き』『狂恋の女師匠』などで下町情緒を描き、女性映画で独特の感覚を発揮していった。1927年(昭和2年)、ダンサーの嵯峨千枝子と結婚。

 1929年(昭和4年)には、左翼思想の高揚に乗じて『都会交響楽』などの傾向映画を作って、リアリズム追求に邁進し、翌1930年(昭和5年)製作の『唐人お吉』は大ヒットした。
 同年にはパートトーキーの『藤原義江のふるさと』を発表するが、技術的に拙く失敗作となった。

 新興キネマ・松竹時代
 1932年(昭和7年)、日活を辞めて新興キネマに入社。
 同社第1作は入江ぷろだくしょんと提携した『満蒙建国の黎明』で、満州で2カ月間ロケーション撮影を行った国策映画だが、興行的には大失敗した。
 1933年(昭和8年)、『日本橋』に続く泉鏡花作品の映画化となる『瀧の白糸』がキネマ旬報ベストテン第2位にランクインされ、興行的にも成功、溝口のサイレント期の傑作となった。
 1934年(昭和9年)の『神風連』を最後に新興キネマを退社して日活多摩川撮影所で『愛憎峠』を撮るが、日活多摩川での作品はこの1作のみとなった。

 同年9月、日活を退社した永田雅一が設立した第一映画社に参加。
 山田五十鈴主演・泉鏡花原作の『折鶴お千』などを経て1936年(昭和11年)、依田義賢とはじめてコンビを組んだ『浪華悲歌』そして、祇園を舞台に対称的な性格の芸者姉妹をリアリズムに徹して描いた『祇園の姉妹』を発表し、戦前の代表作となった。
 同年、永田の新興キネマ入りによって第一映画社は解散、溝口も首脳部や他のスタッフと共に新興キネマに入った。

 1937年(昭和12年)、日本映画監督協会の2代目理事長に就任し、1955年(昭和30年)まで務めた(1943年(昭和18年)に一旦解散し、1949年(昭和24年)に再結成されている)。

 新興キネマでは山路ふみ子主演の『愛怨峡』など3本を撮り、後松竹下加茂撮影所に移って村松梢風原作の『残菊物語』、田中絹代を初めて自作に迎えた『浪花女』、川口松太郎原作の『芸道一代男』といった芸道ものを製作。
 この3作は「芸道三部作」と呼ばれ、長回しのショットを基調とした演出スタイルをここで完成させていった。

 1941年(昭和16年)から真山青果原作の『元禄忠臣蔵』前後編を製作する。
 同作では厳密な時代考証を行ったり、松の廊下を原寸大に再現するなど完璧主義による映画製作が行われ、結果長い撮影期間と破格の費用をかけて完成された。
 作品は文部大臣特別賞を受けたものの興行的には大失敗するという苦汁を嘗め、これを機に溝口は長いスランプ期を経験することになる。

 戦後
 1946年(昭和21年)、絹代出演の民主主義的映画『女性の勝利』で復帰したが、不調が続き、翌1947年(昭和22年)に作った『女優須磨子の恋』も競作になった『女優』(衣笠貞之助監督)に評価が集中し、大惨敗した。
 1948年(昭和23年)、戦争で夫を亡くし敗戦後の生活苦から娼婦に堕していく女性をシビアに描いた『夜の女たち』で長きスランプから復調。その後に『雪夫人絵図』(舟橋聖一原作)、『お遊さま』(谷崎潤一郎原作)、『武蔵野夫人』(大岡昇平原作)などの文芸映画を作るが、これも低迷した。
 1952年(昭和27年)、井原西鶴の『好色一代女』を基に、溝口同様スランプ状態に遭っていた絹代主演で『西鶴一代女』を製作。当初国内ではキネマ旬報ベストテン第9位の評価だったが、ヴェネツィア国際映画祭に出品されるや海外の映画関係者から絶賛され、国際賞を受賞。
 海外で一躍注目され、国内でも溝口の評価が変り、彼は長いスランプをようやく脱することが出来たのである。

 1953年(昭和28年)、上田秋成の原作を幽玄な美で表現した自信作『雨月物語』が同映画祭でサン・マルコ銀獅子賞を獲得 (この年は金獅子賞の該当作がなく、本作が実質の最高位であった)。
 翌1954年(昭和29年)の『山椒大夫』でも同映画祭サン・マルコ銀獅子賞を受賞。
 3年連続で同映画祭の入賞を果たすという快挙を成し遂げ、一躍国際的に認知される映画監督となった。3年連続の同映画祭での入賞は、日本国内では他に類を見ない功績である。
 ほか『祇園囃子』『近松物語』等の秀作を生み出した。

 1955年(昭和30年)、大映の取締役の欠員1名の補充で衣笠貞之助と候補に挙がるが、衣笠が辞退したため、9月の株主総会で正式に大映取締役に就任、重役監督となった。
 11月3日には映画監督として初の紫綬褒章を受章。
 この年にカラー映画に取り組み、『楊貴妃』『新・平家物語』の歴史大作を製作した。

 1956年(昭和31年)、売春防止法成立前の吉原の女たちを描いた『赤線地帯』製作後、次回作『大阪物語』の準備中に体調を崩し、5月に京都府立病院の特別病棟1号室に入院し。
 病名は単球性白血病で、本人には病名を知らせなかった。
 また、白血病は当時の医学では手の施しようがなかったため、そのまま回復に向かうことなく、同年8月24日午前1時55分にこの世を去った。享年58。

 同年8月に青山斎場で大映による社葬が営まれ、池上本門寺に付属する大坊本行寺に墓が建てられた(隣には溝口の友人の花柳章太郎の墓がある)。
 京都の満願寺にも分骨されており、そこには記念碑も建てられている。
 没後、勲四等瑞宝章を受章。1957年(昭和32年)、未完成の『大阪物語』の製作を吉村公三郎監督が引き継いで完成させた。

 受賞歴
個人
 1954年:ブルーリボン賞監督賞『近松物語』
 1954年:芸術選奨
 1955年:紫綬褒章
 1956年:毎日映画コンクール特別賞
 1956年:勲四等瑞宝章
作品
 ヴェネツィア国際映画祭
 『西鶴一代女』:国際賞
 『雨月物語』:サン・マルコ銀獅子賞
 『山椒大夫』:サン・マルコ銀獅子賞
 『新・平家物語』:出品
 『楊貴妃』:出品
 『赤線地帯』:出品
その他
 『西鶴一代女』:BBC選出「21世紀に残したい映画100本」
 『雨月物語』:アカデミー賞アカデミー衣裳デザイン賞ノミネート、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞経歴賞
 『近松物語』:第8回カンヌ国際映画祭出品



  映画『残菊物語』
配役
二代目尾上菊之助:花柳章太郎
中村福助:高田浩吉
栄寿太夫:川浪良太郎
尾上松助:高松錦之助
守田勘弥:葉山純之輔
尾上多見蔵:尾上多見太郎
待合の客:結城一朗
新富座の頭取:南光明
小仲:伏見信子
茶店の婆:中川芳江
五代目尾上菊五郎:河原崎権十郎
お徳:森赫子
尾上多見二郎:花柳喜章
按摩元俊:志賀廼家辨慶
若い者:磯野秋雄
中村芝翫:嵐徳三郎
里:梅村蓉子

1956年版
残菊物語
Zangiku monogatari 1956 poster.jpg
『残菊物語』 1956年
監督 島耕二
脚本 依田義賢
原作 村松梢風
製作 永田雅一
出演者 長谷川一夫
淡島千景
音楽 大森盛太郎
撮影 長井信一
編集 西田重雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 日本の旗 大映
公開 日本の旗 1956年4月23日
上映時間 112分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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配役
二代目尾上菊之助:長谷川一夫
お徳:淡島千景
五代目尾上菊五郎:沢村訥升
里:吉川満子
中村福助:伊沢一郎
中村芝翫:市川小太夫
栄寿太郎:黒川弥太郎
尾上松助:尾上栄五郎

1963年版
残菊物語
監督 大庭秀雄
脚本 依田義賢
原作 村松梢風
製作 白井昌夫
桑田良太郎
出演者 市川猿之助
岡田茉莉子
音楽 黛敏郎
撮影 厚田雄春
編集 相良久
製作会社 松竹京都撮影所
配給 日本の旗 松竹
公開 日本の旗 1963年10月17日
上映時間 105分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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配役
二代目尾上菊之助:市川猿之助
お徳:岡田茉莉子
五代目尾上菊五郎:嵐寛寿郎
里:中村芳子
中村福助:津川雅彦
中村芝翫:市川小太夫
栄寿太郎:北上弥太郎
尾上松助:織田政雄

テレビドラマ
1967年12月14日 - 12月28日『シオノギテレビ劇場』(フジテレビ)にて放映。
監督:塚田圭一
出演:市川門之助、柳永二郎、池内淳子、市川翠扇、大矢市次郎、山茶花究、市川たか志、美田園子
音楽:渡辺岳夫

映画『雨月物語』1953年 大映 96分 溝口健二監督 川口松太郎脚本 京マチ子 森雅之 水戸光子 田中絹代 上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編にモーパッサンの『勲章』脚色

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 写真は『化物草子』 ボストン美術館 角川



 映画『雨月物語』1953年 大映 96分 溝口健二監督 川口松太郎脚本 上田秋成原作 京マチ子 森雅之 水戸光子 田中絹代
 上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色





   映画『雨月物語』

 何度か見たことのある映画『雨月物語』を楽しむ。

 見事な出来栄えで、御伽草子や芝居を見て楽しんでいるような錯覚に陥る。


 滋賀県の雰囲気は京都の隣であり、なるかしい感じがする。

 戦国時代に思いを馳せ、このような物語もあったのではないかと夢見心地に楽しむこんな自分がいてもいいのではないか。


 大映京都撮影所政策の本映画も、近しい親戚が重要なスタッフとして携わっている。

 大映映画については子供の頃から幾度となく聞かされていたので、親しみを覚える。


 そして、溝口健二監督の印象深い場面の展開の連続と美しい映像、田中絹代さんの言い回し(語り口調)と京マチ子の妖艶な美しさに拍手を送りたい。



 今回は記録のみにて失礼申し上げます。



  以下のデーターは全てウォキペディアより ▼

監督 溝口健二
脚本 川口松太郎
依田義賢
製作 永田雅一
出演者 京マチ子
森雅之
水戸光子
田中絹代
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
編集 宮田味津三
製作会社 大映京都撮影所
配給 日本の旗 大映
公開 日本の旗 1953年3月26日
イタリアの旗 1953年8月20日
アメリカ合衆国の旗 1954年9月7日
上映時間 96分


『雨月物語』(うげつものがたり)は、1953年(昭和28年)3月26日公開の日本映画である。
 大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は森雅之、京マチ子。モノクロ、スタンダード、96分。
 上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色した。
 戦乱と欲望に翻弄される人々を、幽玄な映像美の中に描いている。
 第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。


 村にて
 近江の国琵琶湖北岸の村に暮らす貧農の源十郎は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っていた。賤ヶ岳の戦いの前に長浜が羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かった。義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行する。源十郎は大銭をもって村へ帰ってきた。藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込むが、具足と槍を持って来いとあしらわれる。
 源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組むが、宮木は親子3人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやく。源十郎と藤兵衛は焼物を窯へ入れ、火を付けるが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来た。男は人足として徴用され、女は乱暴される、と村の人々は山へと逃げだす。窯の火は消えていたが、焼物は綺麗に焼けていた。

 離散
 皆は裏道を使い湖畔に出て、そこから捨て船で対岸の丹羽氏の城下・大溝へ向かうが、海賊に襲われたという瀕死の男が乗る船と出会い、宮木と子はやはり村へと返すことにする。大溝で源十郎の焼物は飛ぶように売れる。分け前を手にした藤兵衛は、今度こそ侍になるのだと、阿浜を振り切って逃げ出し、具足と槍を買って兵の列に紛れる。探し疲れた阿浜は兵の集団に捕まり、強姦された。兵から代金だと銭を投げ捨てられた阿浜は、藤兵衛を呪う。
 市で焼物を届けるように頼まれた源十郎は、若狭という上臈風の女の屋敷へ向かうが、座敷へ上げられ、饗しを受けた。織田信長に滅ぼされた朽木氏の生き残りであるという若狭に惹かれ、源十郎はこの家に居つく。
 そのころ、湖岸で別れた宮木と子は落武者勢に見つかり、宮木は槍で一突きされ殺されていた。いっぽう、藤兵衛は戦に敗れ切腹した敵大将の首を拾い、手柄を立てた。馬に乗り家来を連れて村へと凱旋しようとする途中で寄った宿で、遊女に成り下がった阿浜に出会い、許しを乞う。
 町の着物屋で源十郎は買い物をするが、朽木屋敷へ届けるよう言うと、店の主は恐れ代金も受け取ろうとしない。帰り道では神官から死相が浮かんでいる、家族の元へと帰りなさいと諭され、死霊が触れられぬように呪文を体に書いてもらう。家族の元へと帰りたいと切り出した源十郎を若狭は引きとめようとするが、呪文のために触れることができない。源十郎は倒れ、気を失う。

 帰還
 翌朝、源十郎は気が付くと朽木家の屋敷跡だという野原の中で目を覚ます。金も侍に奪われた源十郎は村へ戻るが、家々は荒らされ、家族の姿もなかった。源十郎は囲炉裏で飯の用意をする妻の宮木の幻を見て、自らの過ちを悟る。阿浜と村へ帰った藤兵衛が畑を、源十郎は焼物作りに取り組んでいるシーンで映画は幕を閉じる。


スタッフ
監督:溝口健二
製作:永田雅一
企画:辻久一
原作:上田秋成
脚本:川口松太郎(「オール讀物」所載)、依田義賢
作詞:吉井勇
撮影:宮川一夫
録音:大谷巌
照明:岡本健一
美術監督:伊藤熹朔
音楽監督:早坂文雄
音楽補佐:斎藤一郎
風俗考証:甲斐庄楠音
能楽按舞:小寺金七
陶技指導:永楽善五郎
和楽:望月太明吉社中
琵琶:梅原旭濤
編集:宮田味津三
助監督:田中徳三

キャスト
若狭:京マチ子
阿浜(映画の出演者紹介では「阿濱」):水戸光子
宮木:田中絹代
源十郎:森雅之
藤兵衛:小沢栄(俳優座)
老僧:青山杉作(俳優座)
丹羽方の部将:羅門光三郎
村名主:香川良介
衣服店主人:上田吉二郎
右近:毛利菊枝
神官:南部彰三
自害する武将:光岡龍三郎
梅津の船頭:天野一郎
武将:尾上栄五郎
家臣:伊達三郎
目代:横山文彦
村の男:玉置一恵
源市:澤村市三郎
具足商人:村田宏三
鎧武者:堀北幸夫、清水明、玉村俊太郎、大崎史郎、千葉登四男
遊女屋の鎧武者:大國八郎
遊女屋の客:三浦志郎、越川一、三上哲
敗残兵:藤川準、福井隆次、石倉英治、武田徳倫、神田耕二
徴発の兵:菊野昌代士、由利道夫、船上爽
徴発される男:長谷川茂
遊女:大美輝子、小柳圭子、戸村昌子
待女:三田登喜子、上田徳子
余吾川の老婆:相馬幸子
遊女宿の老女:金剛麗子

映画『近松物語』(近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』を下敷き『おさん茂兵衛』でも知られる)1954  溝口健二監督 依田義賢脚本 長谷川一夫 香川京子 南田洋子

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  写真は、『俵藤太物語絵巻―チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵』 (甦る絵巻・絵本) 影印




 映画『近松物語』(近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』を下敷き 『おさん茂兵衛でも知られる)』
 1954 溝口健二監督  依田義賢脚本 長谷川一夫 香川京子 南田洋子

 *(近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)を下敷きにして川口松太郎が書いた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化した作品)
 *(脚本は、近松の『大経師昔暦』と、西鶴の『好色五人女』の「おさん茂右衛門」の二つを合体させたものである



   溝口健二監督の映画作品を三日連続みたよ





 この映画も何度か見たが、印象が強く初めから最後まで楽しむことができた。

 溝口健二監督の映画は見始めると、次々と見たくなって困ったものだ。

 映画の一部が芝居長であったり、構図が大きくインパクトが強い。

 まるで劇場で上質の芝居を楽しませていただいているようにも思え、見ている間にのめり込む。

 かといって、芝居とは違った映画の店舗や光の使い方も魅力的で、どこを切り崩しても、
「私満足あっぱれじゃ!」
というより仕方がない。

 日本には溝口健二監督を初め多くの映画監督の巨匠がいらっしゃり、素晴らしい映画の多くの残されている。

 時間が許されるなら、そしてこういった映画が好みであるのであらば、一作品でも多く見ておきたいと見るたびに痛感する。


 この映画も好きであったので、ほぼ覚えていたが、良いものは何度見ても新たな発見があり一層深みにはまり込む。

 溝口健二監督の作品を少しでも多く見ておきたい。



 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。


 以下のデーターは全て、ウィキペディア ▼

映画『近松物語』

監督 溝口健二
脚本 依田義賢
製作 永田雅一
出演者 長谷川一夫
香川京子
南田洋子
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
編集 菅沼完二
配給 大映
公開 日本の旗 1954年11月23日
上映時間 102分

『近松物語』(ちかまつものがたり)は、1954年(昭和29年)の日本映画。溝口健二監督作品。


 近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)を下敷きにして川口松太郎が書いた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化した作品である。
 脚本は、近松の『大経師昔暦』と、西鶴の『好色五人女』の「おさん茂右衛門」の二つを合体させたものである。
 スター嫌いだった溝口健二監督は、大映社長の永田雅一の強い要請で長谷川一夫を起用した。
 キネマ旬報ベストテン第5位にランクインされた。1999年にキネマ旬報社が発表した「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では第49位にランクインされた(同じ順位に『隠し砦の三悪人』『もののけ姫』など)。*


[編集]
監督:溝口健二
製作:永田雅一
企画:辻久一
原作:近松門左衛門
劇化:川口松太郎
脚本:依田義賢
撮影:宮川一夫
録音:大谷巌
照明:岡本健一
美術:水谷浩
音楽:早坂文雄(東宝)
編集:菅沼完二
和楽:望月太明蔵、豊沢猿二郎
装置:山本卯一郎
結髪:花井りつ
助監督:田中徳三
進行:小澤宏


茂兵衛:長谷川一夫
おさん:香川京子
お玉:南田洋子
大経師以春:進藤英太郎(東映)
助右衛門:小沢栄太郎
源兵衛:菅井一郎
岐阜屋道喜:田中春男(東宝)
院の経師以三:石黒達也
おこう:浪花千栄子
鞠小路侍従:十朱久雄
公卿の諸太夫:荒木忍
赤松梅龍:東良之助
僧侶:葛木香一
黒木大納言:水野浩(東映)
検校:天野一郎
お蝶:橘公子
船宿の女中:金剛麗子
茶店の老婆:小松みどり
おたつ:小林加奈枝
おその:仲上小夜子
おかや:小柳圭子
堅田の役人:伊達三郎
宿の番頭:石原須磨男
切戸の庄屋:横山文彦
村役人:藤川準
梅垣重四郎:玉置一恵
ほか。
 

日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』より『冥途の飛脚』 近松門左衛門作

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     日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』より『冥途の飛脚』




 以前にも何度も読んだ日本古典文学大系(赤)『近松浄瑠璃集上』より『冥途の飛脚』を読む。

 今回は、劇団☆新感線の演出を手掛けておられるいのうえひでのり氏のシス・カンパニー公演『近松心中物語』の筋書き([作]秋元松代)と演出において、後味悪く心に残り続け、日にちが経った今も気になっているからである。

 所蔵の近松全集や名作歌舞伎全集でも確かめようとは思ったが、そこまでの気力はない(笑)

 とりあえず、日本古典文学大系(赤)のみを読むことにした。


『冥途の飛脚』(めいどのひきゃく)とは、人形浄瑠璃の演目のひとつ。全三段、大坂竹本座にて初演。近松門左衛門作。(ウィキペディア引用)

 話は、歌舞伎ではあまりにも馴染みすぎていて、人によっては、あれこれ好きな役者で見立てた芝居が、封印切や道行などをこの演出と決め込んで見てみたいと感じることもあるであろう。

 また、そういった芝居好きも、『冥途の飛脚』はあれこれ違った演出や志で見てみたいと願う、それほどまでに名作の一つと言える。


 日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』を読み終えて、ほぼ歌舞伎に近いが、歌舞伎は美しく膨らましてあったことに気づく。

 シス・カンパニー公演『近松心中物語』のように、近松作品を別の芝居に仕立てて演出するのは自由であり勝手である。

 古典を軸に新しい芝居が演じられるのもいいことだと感じる。

 ただし、原作や伝統芸能である文楽や歌舞伎の出来を上回った素晴らしい作品を望む。

 今回、原作を読み直し、芝居知らずの阿呆がこのように感じた次第である。








 
 


 

 

『西鶴一代女』(井原西鶴原作『好色一代女』より) 1952年 148分 溝口健二監督 依田義賢脚本 井上八千代(振り付け) 田中絹代 三船敏郎

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 京都 顔見世の季節に  改装前
 改装後の南座 顔見世
 






     『西鶴一代女』(井原西鶴原作『好色一代女』より) 1952年 148分 溝口健二監督 依田義賢脚本 
                              井上八千代(振り付け) 田中絹代 三船敏郎



 四夜連続、溝口健二監督作品をみる。

 今回は、井原西鶴原作『好色一代女』、脚本は今回も依田義賢の『西鶴一代女』

『西鶴一代女』も以前に見たことがある映画だが、印象深い強烈な場面が多い。

 何度見ても面白いと思える映画の一つ。

 良い作品は良いとしか言いようがないくらいに、良い映画の一つだと感じる。


 しかし女は、波乱に満ちた人生だ。

 琵琶の音色が心に響く。


    諸行無常
    是生滅法
    生滅滅已
    寂滅為楽





 今回も記録のみにて失礼申し上げます。








 以下のデーターは全てウィキペディア ▼

『西鶴一代女』(さいかくいちだいおんな)は、1952年(昭和27年)4月17日公開の日本映画である。
 児井プロダクション・新東宝製作、東宝配給。監督は溝口健二、主演は田中絹代。モノクロ、スタンダード、148分。
 原作は井原西鶴の浮世草子『好色一代女』で、依田義賢が脚色した。封建制度下の江戸時代を舞台に、男に弄ばれ悲劇的流転の人生を歩んだ女性・お春の一生を描き、溝口が得意とするワンシーン・ワンカットの長回しや流麗なカメラワークが随所で効果をあげた。
 海外では特に作品を高く評価しており、後のフランスヌーヴェルヴァーグの映画作家にも大きな影響を与え、ヨーロッパ映画界では長回しの流行を生じさせることとなった。ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞している。
 当時、溝口と主演の田中はそれぞれスランプにあっていたが、溝口は『羅生門』(黒澤明監督)のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞に刺激を受けて、本作を並々ならぬ熱意を込めて作った結果、作品は海外で賞を受賞し、田中も一世一代の名演を披露。この作品で両者はスランプを脱することに成功した。


あらすじ
 奈良の街外れの荒寺に老醜を厚化粧で隠した娼婦のお春がいた。
 羅漢堂に入ったお春はさまざまな仏像を見ていくうちに、今までに関わってきた男たちの顔を思い出すのだった。

 御所に勤めていた十代のお春は、以前からお春に想いを寄せていた公卿の若党、勝之介に宿に連れ込まれたところを役人に見つかってしまう。
 お春は両親ともども洛外追放となり、勝之介は斬首となった。
 都を追われ、両親とともに息をひそめるように生きていたお春だが、いまだ世継ぎのない主君の側室を探していた松平家の家中に見出され、同家に輿入れすることになる。
 殿様との間にめでたく嗣子をもうけたお春だが、奥方の妬みにあい、用済みとばかりに実家へ返されてしまった。

 お春は金策に詰まった父親に島原の郭に売られ、太夫となる。
 ある日、郭で金をばら撒いていた田舎大尽が彼女を見初め、身請けしたいと言い出した。
 自分を思ってくれるならと心を決めかけたお春だが、実は彼は贋金作りで、踏み込んできた役人に捕らえられてしまう。
 廓を出て笹屋嘉兵衛の住み込み女中となったお春だが、今度は笹屋の客の菱屋太三郎によって彼女の前身が分かったことから、嘉兵衛の妻のお和佐に嫉妬され、追い出されてしまう。

 実家に戻ったお春は、善良で働き者である扇屋の弥吉のもとへ嫁入りし、やっとささやかだが幸福な暮らしを手に入れたかにみえたが、外出先で弥吉が物盗りに襲われて殺され、無一物で店を出ることになる。世をはかなみ、老尼の妙海の世話になることにしたお春は、借金の取り立てに来た笹屋の大番頭治平に犯されそうになったところを妙海に見られてしまい、寺を追い出されてしまった。
 嘉兵衛の番頭だった文吉と出会ったお春は、彼と行動を共にするが、文吉はお春のために店の品を盗んだことが分かり、桑名で捕らえられてしまう。
 そうしていつしかお春は三味線を弾きながら物乞いをする女になっていた。
 空腹の余り倒れたところを介抱してくれた二人の夜鷹に誘われ、ついにお春は街娼にまで身を落すことになるが、長年の過労がたたって倒れてしまう。
 そこへお春を探していた母のともが現れ、松平家の殿が亡くなり若殿が後を継ぐので、共に暮らせることになったと知らせるが、その喜びもつかの間だった。
 お春が娼婦に身を落していたことを問題視した重役たちは、お春には息子である若殿の顔を遠くから一目見ることしか許さず、そのまま彼女を幽閉しようとする。
 隙をみて逃げ出したお春はただ一人、孤独な巡礼の旅に出るのだった。


スタッフ
監督:溝口健二
脚本:依田義賢
製作:児井英生
原作:井原西鶴『好色一代女』より
撮影:平野好美
音楽:斎藤一郎
美術:水谷浩
照明:藤林甲
録音:神谷正和
監修:吉井勇
編集:後藤敏男
助監督:内川清一郎
振付:井上八千代

キャスト
お春:田中絹代
奥方:山根寿子
勝之介:三船敏郎
扇屋弥吉:宇野重吉
お春の父新左衛門:菅井一郎
笹屋嘉兵衛:進藤英太郎
笹屋番頭文吉:大泉滉
菊小路:清水将夫
菱屋太三郎:加東大介
磯部弥太衛門:小川虎之助
田舎大尽:柳永二郎
お局吉岡:浜田百合子
待女岩橋:市川春代
お局葛井:原駒子
老尼妙海:毛利菊枝
笹屋女房お和佐:沢村貞子
松平晴隆:近衛敏明
重役真鍋金右衛門:荒木忍
重役田代甚左衛門:上代勇吉
丸屋主人七左衛門:高松錦之助
用人篠崎久門:水野浩
笹屋の大番頭治平:志賀廼家辨慶
所司代役人:坂内永三郎
老人:玉島愛造
丸屋の番頭:石原須磨男
貸衣装屋:横山運平
お熊:出雲八重子
お杉:平井岐代子
お仙:金剛麗子
待女柚垣:草島競子
中宿の女将:津路清子
扇屋の客:国友和歌子
女乞食:衣笠淳子
丸屋の仲居おきん:林喜美枝
丸屋の仲居おたま:大和久乃
お春の母とも:松浦築枝

日本古典文学大系『近松浄瑠璃集 上』より 『大経師昔暦』近松門左衛門(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)近松作品本来の面白みに触れることができる作品のうちの一つ。

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  大神神社(三輪神社)  『三輪』




     日本古典文学大系『近松浄瑠璃集 上』より 『大経師昔暦』近松門左衛門(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)
     近松作品本来の面白みに触れることができる作品のうちの一つ。 



 先日溝口健二監督 依田義賢脚本の 映画『近松物語』を楽しんだ。

 映画『近松物語』は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『大経師昔暦』を下敷きに作られ、一般的には『おさん茂兵衛』でも知られる。


【大経師】だいきょうじとは、

   ① 経巻・仏画などを表装する職人の長。朝廷の用を受け、また奈良の幸徳氏・賀茂氏より翌年の新暦を受けて大経師暦を発行する権利を有した。
   ② 経師屋。表具師。(大辞林 第三版)

 また、

   1 昔、朝廷御用の、経巻・仏画などを表装した職人の長。造暦にあたった賀茂・幸徳井両家から新暦を受け、大経師暦を発行する権利を与えられた。
   2 表具師。  (大辞泉)
と記されている。また、

【大経師昔暦】だいきょうじむかしごよみとは、大辞泉によれば、次のようにある。

   浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。正徳5年(1715)大坂竹本座初演。
   京都の大経師の妻おさんと手代茂兵衛との密通事件を脚色したもの。
   近松三姦通物(かんつうもの)の一。
   通称「おさん茂兵衛」。



 近松の「おさん茂兵衛」で名高い『大経師昔暦』は、『曽根崎心中』など近松作品本来の姿と同様、芝居のように最後は悲恋で美しく二人で死ぬなどといった安直な話ではない。

 もう少し近松作品を読み進めていきたいが、近松門左衛門はそういったことを表現していない。

 ところが、歌舞伎などでは、最後は美しく描かれる。

 それはそれで、演劇の味わいがあり面白いと思う。

 だが、できれば、作品本来の意図を踏まえた上で、芝居を味わいたいものだと、齢を重ねた今の私は思うのである。


 ところで、日本古典文学大系(赤)で読んだ『大経師昔暦』は、最後の最後でどんでん返し。

 黒谷のお坊さんが着物の裾をまくしたて駆け寄り、あれやこれやとまくしたてておさんを救う。

 見事なまでに近松の面白みを描き出している。

 これを芝居にすれば収集がつかなくなるであろうことを考えると、やはり、芝居は芝居、原作は原作の良さがあり、両方楽しめれば一層良いと感じた。


 かわいそうなのが、お玉。

 首掻っ切られ、差し出される。

 部分的に『すし屋』の女房子供を思い浮かべた。

 当時どこまで忠義が重んじられたかは定かではないが、芝居や読み本によれば、忠義忠義と口やかましいくらいに出てくる演目や作品がある。

 今では考えられない忠義に、現在人の私は作品として面白みを覚えるのである。

   


 

『加藤清正に朝鮮出兵を…秀吉「朱印状」見つかる 愛知の旧家』 【去九日之書状、今日廿三日到来、加披見候。  云々】(愛知県刈谷市歴史博物館)

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   『加藤清正に朝鮮出兵を…秀吉「朱印状」見つかる 愛知の旧家』 【去九日之書状、今日廿三日到来、加披見候。  云々】(愛知県刈谷市歴史博物館)




 2019年3月28日00時00分
 朝日新聞朝刊の第一面に次のような記事が載る。






 先日早朝に目がさ覚めたので、新聞第一面にに堂々と載せられていた『加藤清正に朝鮮出兵を…秀吉「朱印状」見つかる 愛知の旧家』という豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、重臣だった加藤清正(1562~1611)に出兵を命じた「朱印状」を読んでみた。

 新聞の記事の周りにメモ書きで書き込んで楽しんでいたものをブログに写しましたので、読み間違いがあれば、お許し下さい。





 
 写真は全て、朝日新聞公式HPよりお借りしました。


 

 去九日之書状、今日
 (猿九日の書状、こん日)

 廿三日到来、加披見候。
 (二十三日に到来、加え見られ候)

 先書ニ如被仰遣候、対馬守・摂津守高麗ヘ定に
 (まず書くに仰ぎ使わされる如く、対馬守り、摂津守り高麗へ定めるに)

 可相越候条、其方も
 (あい越えるべき候条、そなたも)

 至高麗船付令着
 (高麗に至り船を付け、((岸))につかされ

 取固候て早々注進
 (取り固め候いて、早々に注意して進み)

 可申候。異国者手ぬるく候
 (申すべく候。異国者は、手ぬるく候)

 

 とて、少も不可由断候。
 (とて、少しも油断するべからず候。)

 九州・四国・中国衆
 (九州・四国・中国の衆は)

 何茂高麗ヘ渡海之
 (いずれも高麗へ渡り、海の((儀))を)

 儀、被仰遣候。御先勢
 (仰せ使わされ候。御まず勢いで)

 路次つかへ候ニ付而、廿
 ( ((海))路を次につかえ候に付けて、二十((五日)) )

 五日御動座候。猶以
 (御動座候。なお、(城々かたく相こしらえ)を以って
 城々堅相拵、皆々(談を)申
 (皆々申す)

 談無卒尓様可成
 そつ無く((其の意を))成すべきよう

 其意候也
 (候なり)

 
   三月廿三日(朱印)
  (三月二十三日(印))

                       加藤主計頭とのへ
                       (加藤主計頭殿へ)
  




 以下の説明は朝日新聞 3/25朝刊  ▼

 文書の左端に秀吉の朱印が押されている
   (愛知県刈谷市歴史博物館で2019年3月27日午後5時半、亀井和真撮影)
   (朝日新聞 3/28 朝刊 一面)
 戦国武将の豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、重臣だった加藤清正(1562~1611)に出兵を命じた「朱印状」が愛知県刈谷市の寺で見つかる。
 27日、報道陣に公開された。

 市歴史博物館によると、朱印状は縦21・5センチ、横125・5センチ。江戸時代に旧刈谷藩士だった旧家の菩提(ぼだい)寺で発見され、昨秋に同館に寄贈された古文書数百点の一つで軸装されていた。

 朝鮮出兵の1592(文禄元)年3月23日、主計頭(かずえのかみ)に任じられていた加藤清正への書状で、「高麗に出陣して陣を固めたら早々に知らせること」と命じている。「異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断はしないように」と念を押しているほか、先に出兵を命じた九州や四国、中国地方の大名と相談し「城の守りを固めて、つつがなく進めるように」と戦いの展開を見通すような言葉が並んでいる。
 秀吉の命令を筆記する書記役「右筆(ゆうひつ)」が記し、秀吉の朱印(直径3・8センチ)が押されている。

 朱印状は当時京都の聚楽第にいた秀吉が、熊本にいた清正に出兵を命じたもの。
 同館によると、朝鮮出兵した黒田長政の家譜で清正らに出兵を命じた文書の存在は知られていたが、実物は見つかっていなかった。
 加藤家が江戸時代初期に改易され、散逸したとみられる。

 豊臣秀吉の古文書に詳しい名古屋市蓬左文庫の鳥居和之文庫長は「(朱印状は)他の大名に広く出されていたものと考えられるが、1次史料はなかった。清正は有名な武将だが家が断絶して資料が散逸している。発見は大変喜ばしい」とコメントしている。【亀井和真】

元号『令和』に決定。梅花歌卅二首 并序 烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛 少貳小野大夫

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 令和

   元号『令和』に決定。
   梅花歌卅二首 并序 烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛 少貳小野大夫
  『令和』を『万葉集』及び、「令」「和」の感じの意味からゆる〜りと、考えてみる。
   


 新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初


 菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ、首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表した。
 典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。
 日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。
 元号を改める政令は即日公布され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行される。 (朝日新聞 デジタルニュースより)



(以下、大辞泉より ▼)
しむ[助動]

[助動][しめ|しめ|しむ|しむる|しむれ|しめよ(しめ)]
 動詞および一部の助動詞の未然形に付く。

 1 使役の意を表す。…せる。…させる。
 「人を感動せしむること、真なるかな」〈去来抄・先師評〉
 2 (多く「たまう」などの尊敬の意を表す語を伴って)尊敬の意を強める。…なさる。…あそばす。
 「やがて山崎にて出家せしめ給ひて」〈大鏡・時平〉
 3 (謙譲の動詞とともに用いて)謙譲の意を強める。→さす →させる →す →せる
 「家貧ならむ折は御寺に申し文を奉らしめむとなむ」〈大鏡・道長上〉
 [補説]上代は1の用法だけで、2・3は平安時代に入って生じた。
 平安時代以降は、漢文訓読文に多く用いられる。
 中世では、「見る」「得る」などには「見せしむ」「得せしむ」の形をとる。口語形「しめる」。
しむ[助動]
[助動][〇|しむ|しむ|しむ|しめ|〇]
 《助動詞「しも」の音変化。室町時代語》四段・ナ変動詞の未然形に付く。軽い尊敬の意を表す。なさる。→しも[助動詞]
 「かまいて火ばしとぼさしむな」〈四河入海・三〉

 (以下、漢字ペディアより▼)

 ①やわらぐ。おだやか。のどか。
 「和気」「温和」「柔和」
 ②なかよくする。争いをおさめる。「和解」「和議」「平和」
 ③合わせる。合う。ととのう。
 「和音」「唱和」「調和」 ④あえる。まぜる。「混和」「中和」
 ⑤二つ以上の数を加えたもの。「総和」
 ⑥日本。日本語。「和服」「和文」「和洋」類倭(ワ)
 ⑦「大和(やまと)の国」の略。「和州」
 「和」の草書体の旁(つくり)が片仮名の「ワ」に、草書体が平仮名の「わ」になった。

 (以下、故事辞典より▼)
和を以て貴しとなす
 【読み】 わをもってとうとしとなす
 【意味】 和を以て貴しとなすとは、何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。

 【和を以て貴しとなすの解説】
  注釈  人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え。
      聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉。

     『礼記』には「礼は之和を以て貴しと為す」とある。
     「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質ではなかろうか。

      例
     「あなたの言い分もわかるが、相手の言い分にも聞き耳を立ててみてはどうか。
      お互いに認め合う気持ちを持ち、正しいところは正しい、間違いは間違いだと素直に認められるような議論をするべきだ。
      和を以て貴しとなすだよ」



 令和
 和をせしむ。
 この場合、しむではなく、セシムが適当であろう)


     へいせいふ してやったりとほくそ笑む   怯鳥



 かなり深い意味合いが含まれていることがうかがえるのでは。

 
 これを、『万葉集梅花の歌 三十二種を併せたり』(巻五巻 816)でのどけき意味に広げたり。

 
『万葉集梅花の歌 三十二種を併せたり』(巻五巻 816)  新日本古典文学大系(緑)『万葉集一』

    梅花歌卅二首 并序

    烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛    少貳小野大夫  
    うめのはな いまさけるごと ちりすぎず わがへのそのに ありこせぬかも   (しょうにおのだいふ) 

    梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 吾が家の園に ありこせぬかも       少貳小野大夫

 少貳小野大夫(しょうにおのだいふ)とは 太宰府次官



 (以下、三省堂 大辞林より▼)
【令】
 りょう りやう
 古代、国家制度全般について定めた法典。
 律とともに中国で秦・漢時代に発達、隋・唐時代に大成。
 日本では唐令を模して、天智朝期の近江令から持統朝期の「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりよう)」を経て701年律を加えて「大宝律令」として制定。
 718年改定して「養老律令」とした。

 (以下、漢字ペディアより▼)
 ①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」
 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」
  ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」


(以下、大辞泉より ▼)
【令】とは  
 [音]レイ(漢) リョウ(リャウ)(呉) [訓]しむ せしむ

【令】れい
 1 命令。布告。また、法令。「令を下す」「解放令」
 2 古代中国の官制で、地方長官。特に、郡県制における県の長官。
 3 明治初期、府・県の長官。知事の旧称。
 4 鎌倉時代、政所(まんどころ)の次官。
 5 律令制で、京の四坊ごとに置かれた責任者。坊令。
 6 ⇒りょう(令)

【令】
〈レイ〉
 1 言いつける。命ずる。言いつけ。お達し。「令状/禁令・訓令・号令・司令・指令・辞令・勅令・伝令・発令・布令(ふれい)・命令」
 2 おきて。のり。「条令・法令」
 3 長官。「県令」
 4 よい。りっぱな。「令色・令名」
 5 相手の親族に対する敬称。「令兄・令嬢・令息・令夫人」

〈リョウ〉
 1 言いつけ。「令旨(りょうじ)」
 2 おきて。「令外(りょうげ)/律令」
 [名のり]おさ・なり・のり・はる・よし
 [難読]御布令(おふれ)・令史(さかん)・仮令(たとい・たとえ)・縦令(たとい・たとえ)

りょう〔リヤウ〕
 古代、中国を中心とする東アジア諸国の法典。
 律とともに国家の基本法典で、のちの行政法・訴訟法・民法などにあたるすべての規定を含む。
 日本では飛鳥浄御原(きよみはら)令・大宝令・養老令などが順次に制定された。実際に全国的に実施されたのは大宝令。→律令

りょう【令/霊】
 〈令〉⇒れい
 〈霊〉⇒れい





 出典
 令和の出典は、出典は万葉集巻五の「梅花の歌三十二首、并せて序」にある以下の文章。

    于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
     時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

映画「のみとり侍」2018年 東宝 小松重男原作 鶴橋康夫監督・脚本 阿部寛 寺島しのぶ 豊川悦司 風間杜夫 大竹しのぶ 他

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 東京国立博物館所蔵 ペルシャのリュトン



    映画「のみとり侍」R15+  2018年
    2018年 東宝 小松重男原作 鶴橋康夫監督・脚本 
    阿部寛 寺島しのぶ 豊川悦司 風間杜夫 大竹しのぶ 他





 家族と「のみとり侍」をみる。

 この映画も今回で二度目。

 超コメディだがインパクトが強く、また役者さんたちも個性的でそれぞれにいい持ち味を出しておやれるので、映画の隅々まで覚えていた。

 こういった娯楽に徹したお腹の底から笑える映画もいいものだと感じた。



 

【ストーリー】
越後長岡藩藩士の小林寛之進(阿部寛)は藩主の気分を害してしまい、表向きは猫ののみとりを商売にしつつ、実態は床で女性の相手をする裏稼業「のみとり」を命じられる。長屋で暮らす人々の助けを借りながら新たな生活を始めて、間もなく出会ったおみね(寺島しのぶ)が、最初の「のみとり」の相手となる。亡き妻にそっくりな彼女にときめく寛之進だったが「下手くそ!」とののしられ、伊達男の清兵衛(豊川悦司)から女の喜ばせ方を学んで腕を磨いていく。

作家・小松重男の時代小説「蚤とり侍」を、『後妻業の女』などの鶴橋康夫監督が映画化した時代劇。裏稼業である「のみとり」を命じられた武士が、人々に助けられながら奮闘するさまを描く。エリート藩士から「のみとり」になってしまう主人公に阿部寛がふんするほか、寺島しのぶ、豊川悦司、斎藤工、風間杜夫、大竹しのぶ、前田敦子、落語家の桂文枝らが出演。
【公開日】 2018年5月18日
【製作年】 2018年
【製作国】 日本
【映倫情報】 R15+
【上映時間】 109分
【製作】 毎日放送 / ABCテレビ / テレビ大阪 / 関西テレビ放送 / 読売テレビ放送 / 電通 / WOWOW / 東急エージェンシー / 時代劇専門チャンネル / 朝日新聞社 / 毎日新聞社 / 読売新聞社 / 光文社 / ひかりTV / GYAO
【製作・制作プロダクション】 ROBOT
【製作・配給】 東宝
【製作プロダクション】 東宝映画
【原作】 小松重男
【監督・脚本】 鶴橋康夫
【音楽】 羽岡佳
【製作】 市川南
【共同製作】 竹田青滋 / 山田裕之 / 井口佳和 / 岡田美穂 / 谷和男 / 吉崎圭一 / 大村英治 / 林誠 / 杉田成道 / 宮崎伸夫 / 広田勝己 / 安部順一 / 加太孝明 / 丹下伸彦 / 板東浩二 / 荒波修
【プロデューサー】 秦祐子 / 臼井央
【ラインプロデューサー】 梶原富治 / 柴田和明
【プロダクション統括】 山内章弘 / 佐藤毅
【撮影】 江崎朋生
【照明】 高屋齋
【録音】 白取貢
【美術】 近藤成之
【装飾】 極並浩史
【VFX】 大澤宏二郎
【衣装デザイン】 小川久美子
【衣装】 松田和夫
【メイク・床山】 山下みどり
【結髪】 北川真樹子
【スクリプター】 永倉美香
【助監督】 木ノ本浩平
【制作担当】 百々勲
【音楽プロデューサー】 杉田寿宏
【出演】
阿部寛
寺島しのぶ
豊川悦司
斎藤工
風間杜夫
大竹しのぶ
前田敦子
桂文枝

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