真如堂(しんにょどう)にいく。ここは以前にも記録させて頂いた。
今回は外だけの記録。三重の塔が美しい。
前回は涅槃の庭 を楽しませて頂いた。借景、枯山水の涅槃の庭はすばらしく美しかったことを覚えている。
2012年、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』影印「清水寺縁起」上・中・下巻「解説」(7枚)を読んだが、『近世祭礼・月次風俗絵巻』「紀州和歌御祭礼絵巻」東方出版 2005 狩野博幸 山路興造 藤井健三の記録で私は、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』の「真如堂縁起」は文字が難しくお手上げだと書いていた。
あれから一年半たった今のわたくしは、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』の「真如堂縁起」は読めるだろうか……。
「真如堂縁起」
「真如堂縁起」とは、永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりといわれる。
本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある。
真如堂(しんにょどう)
正式には
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)
京都市左京区
天台宗の寺院
本尊は阿弥陀如来
紙本著色真如堂縁起・下巻
紙本著色真如堂縁起 - 3巻。
大永4年(1524年)。筆者は掃部助久国。上巻は、天台宗円仁ゆかりの本尊である阿弥陀如来像の由来、中巻は真如堂建立の由来や戒算・貞慶・法然などの逸話、下巻は応仁の乱以降の本尊の流転と再建の歴史が描かれている。詞書の起草者から筆者までの制作の事情がすべて明らかな稀有な絵巻物である。
木造阿弥陀如来立像 - 当寺の本尊。通称「うなずきの阿弥陀」と呼ばれる。像高108cm。様式検討から10世紀末、本堂創建当初からの像だと考えられ、平安中期まで坐像が多い阿弥陀如来像の立像としては現存最古例である。