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Channel: 乱鳥の書きなぐり
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お芝居☆「直参魂」「夜鴉仁義」など、合計五演目楽しみました。

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 四月は某劇団を何度か楽しませて頂いた。
 劇団員のみなさまが一丸となって、舞台づくりに専念されていた。
 見た演目は芝居「芸者の誠」、「瞼の母」「三人芝居」に加え、「直参魂」「夜鴉仁義」
 それぞれに芝居の中に笑いを取り入れて工夫が施され、最後は感動させるといった芝居の文法に忠実な筋書き。
 今回五演目楽しませて頂いたが、この劇団演じる「瞼の母」は名舞台と言えるであろうと感じるものまで登場した。

   【直参 じきさん】とは デジタル大辞泉引用
  1 主君に直接仕えること。また、その人。⇔陪臣(ばいしん)。
  2 江戸幕府に直属した1万石以下の武士。
   御目見(おめみえ)以上の旗本と以下の御家人とに分かれる。
  3 華族の名門から出た僧で、規定の順序を越えて、勅会(ちょくえ)の最勝講の聴衆となった人。
 
 舞踊「藤娘」はずいぶんアレンジされており、視覚的に美しかった。
「藤娘」は役者によって藤の大きさを変えるのが常だが、今回の舞台背景には影向松。松葉目物と合わされた藤娘もまた趣きあるものだと感心する。
 舞踊が場学独り舞台なので何かとたいへんだろうが、最後までこなされる姿に息をのむ。
 大衆演劇は数えるほどしか見たことが無いが、舞踊を長時間踊る役者さんは他にもおられるのだろうか…。


「瞼の母」のように構成と演技においてとてつもなく印象深い芝居があった。
 吹雪の中 云々…。あの余韻に浸る表現と母女たちの吹雪に紛れた声(風)は素晴らしかった。
 わたくしは個人的には花道沿い五番目くらいの競り上がりを見上げる席が好きなのだが、雪や桜が散る演目の場合はもっと後方を選ぶことにしている。
 だが、大衆演劇に暗いわたくしは前から三番目能勢気に鎮座ししてしまったから、さあたいへん。
 頭の中で全体像をとらえながら、芝居を心の中で描き上げた。
 あまりに素晴らしい舞台だったので、後方から見てみたかった。しかしそこはわたくしとて主婦であり大人。夜の部も見たいという一念を押さえる。

 かくして、「瞼の母」のあとも三演目を拝見させて頂いた。

 わたしは芝居知らずで言葉を持たないが、裾(すそ)さばきに気をつけられていた芝居があり、なかなかやるなぁと感じた。
 わたくしがここ一年の間で遅ればせながら知った嵐寛寿郎の裾さばきは見事だが、役者さんはこういった部分にも気遣いされていることを知った。

「夜鴉仁義」では涙があふれでた。
 大詰めの一幕前のこと。
 花道の場面では傘を使われ、シルエットで見ると小粋な助六が急いでいるように見える。
 また( 七三「スッポン」のあたり)「かさね」(「色彩間苅豆」 いろもようちょっとかりまめの「連理引」)のような仕草が一回。
 こういった風に歌舞伎のパロディをさりげなく取り入れられる某劇団さんを見ることができたことを喜んでいる。

 今回の劇団の前に大衆演劇を見たのは 2009年12月に一回。(その前はすごーーーく昔。)
 ちょうどイランに一ヶ月間ほどいかねばならないという前日前後に見たと記憶している。
 言葉が通じず文字もわたくしには模様にしか見えないイラン。
 イラン人は頭が良いので、廟などでは絶えず詩などを歌うように聞かせて下さる。
 コーランの響きも芸術的で長時間聞くこともある。
 映画館にも何度か入って、コメディなどのイラン映画を見た。
 しかし、芝居はアーシュラーの時にイランの方の御好意で拝見させて頂いた宗教色の強い『タズィエ』一回のみ。
 芝居の禁断症状?^^?が出ること間違い無し。

 舞台の好きなわたくしは大慌てでイラン行き直前に芝居小屋に駆けつけた。
 その時の劇団さんも運良く芝居はお上手だった。
 初めての芝居を見るのは観客にとってひとつのかけ的要素がある。
 こればかりは好みかこのみでないか、そして何より上手いか下手か、間や表現力が大きく左右する。
 知らない劇団を見て途中で捨てる(帰る、席を離れる)よりは、他のジャンルだが、花組芝居のように かって知ったる舞台を見ておこう〜などといった守りの体制に出てしまう。
 その点で、今のところわたくしは大衆演劇において恵まれていたと思えることが喜ばしい。

 


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