『枕草子』九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 四巻の前に 『新日本古典文学大系』解説を読む。 【2】
『新日本古典文学大系』解説 渡辺実
(前回のつゞき)
清少納言
官使いの前に、結婚の経験あり
一人目の夫 (P.368)
橘則光 天元五年(982)
子清少納言と橘則光の子 橘則長
則光は草子の七十八段に登場
七十八段初めを写す
【頭中将の、すゞろなるそらごとを聞きて、いみじういひおとし、「なに氏にこの人は思ひほめけん」など、殿上にていみじうなんも給、と聞くにもはづかしけれどまことならこそあらめ、、、、、、、】
八十段
橘則光は遠江介となって、蔵人になり縁が途絶えた。
二人目の夫 (橘則光(遠江介)と別れた5年後) (P.368)
藤原棟世 長保元年(999)
摂津守として任国に下がる
そのまもない頃、結婚
清少納言と藤原棟世の子 女:小馬命婦
小馬命婦とは (ウィキペディア)
上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)
平安時代の女流歌人。
円融朝の歌人で、家集『小馬命婦集』で知られる同名の小馬命婦とは別人。
『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『範永朝臣集』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。
『後拾遺和歌集』に以下の一首が採られている。
為家朝臣、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける
小馬命婦
その色の 草ともみえず 枯れにしを
いかに言ひてか 今日はかくべき
『後拾遺集』908番
清少納言は官中の中では身分は低かったが、容姿なり才能なりの聞こえが上流の耳に達して、宮使えをすることにより、一段と磨きをかけられる。(P.368-7)
清少納言は貴族階級の水準となる。
一条天皇の中宮、藤原定子のところであったことが、決定的幸運をもたらした。(P.367)
藤原定子とは (日本大百科全書)
藤原定子 ふじわらのていし (976―1000)
一条(いちじょう)天皇の皇后、藤原道隆(みちたか)の女(むすめ)。
母は高階貴子(たかしなのきし)。
990年(正暦1)2月女御(にょうご)、10月中宮となる。996年(長徳2)兄伊周(これちか)、隆家が花山(かざん)法皇をおどし射(う)ちする事件によりいったん出家したが、ふたたび参内、脩子(しゅうし)内親王、敦康(あつやす)親王が生まれた。
1000年(長保2)道長の女彰子(しょうし)が中宮にたったため皇后となり、一天皇に二后併立の例を開いた。
この年12月15日、媄子(びし)内親王を産み、翌日亡くなった。
定子皇后には清少納言が仕えており、『枕草子(まくらのそうし)』には定子の身辺について詳しく記している。
だが、定子の不遇に関しては、ほとんど触れていないのが特徴である。 [山中 裕]
つゞく
早稲田大学蔵書
二条通(京都) : 沢田庄左衛門,
慶安2[1649]
4冊 ; 25.6×18.5cm
早稲田大学図書館
早稲田大学蔵書 請求番号 文庫30_e0091
参考
『枕草子』九曜文庫 慶安2年
『日本古典文学大系』
『新日本古典文学大系』
『枕草子解環 四』
『枕草子 一』
(一から三十六 総合)
『枕草子』25 『枕草子』一巻読了(1〜36段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]
『枕草子 二』
(三十七から五十総合) 『枕草子 二』51 『枕草子』二巻(26〜50段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 『枕草子 二』 『枕草子』二巻(51〜68段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]『枕草子 三』
『枕草子 三』 三巻 まとめ (岩波古典文学大系では119-205) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]『枕草子 四』
『枕草子 その他』
『枕草子』関係総合 (日本古典文学大系) 『枕草子解環』を見つけた、、、 枕草子解環 著者 萩谷朴 出版社 同朋舎 刊行年 1981 冊数 5冊(↑ 『枕草子解環 』五巻購入)
『枕草子』九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 四巻の前に 『新日本古典文学大系』解説を読む。 【1】 『枕草子』九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 四巻の前に 『新日本古典文学大系』解説を読む。 【2】
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