『枕草子』九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 四巻の前に 『新日本古典文学大系』解説を読む。 【1】
『新日本古典文学大系』解説 渡辺実
作者の素質と環境 (367)
『清少納言枕草子』
『清少納言』と大するものが多い。
これは『枕草子』が普通名詞的で、作者が清少納言と同時に示す。
清少納言については、あまりわかっていない。
清少納言は歌人、清原元輔の娘
生年不詳
「宮に始まりてまゐりたるころ」で始まる草子(177段)が正暦四年(993)なので、三十歳の頃書かれたと推定される。
清原元輔とは (ウィキペディア)
清原 元輔(きよはら の もとすけ)は、平安時代中期の貴族・歌人。
内蔵允・清原深養父の孫で]、下総守・清原春光の子。
官位は従五位上・肥後守。
娘に清少納言がいる。
三十六歌仙の一人。
清原 元輔(きよはらのもとすけ。908年~990年) (http://mie-ict.sakura.ne.jp/100n1s/kajin/k042.html)
36番・清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫で、62番・清少納言の父にあたります。
官位には恵まれず、62歳の時に従五位下、河内(かわち)権守・周防(すおう)守などを経て、従五位上・肥後守(ひごのかみ)として赴任し、任地で990年6月に83歳で亡くなりました。
平安中期に活躍した「梨壺(なしつぼ)の五人」の一人として有名です。
漢学の知識もあり、5人で「万葉集」を現在のような20巻本の形に整えた訓点打ちの作業や、村上天皇の命による「後撰集」の編纂(へんさん)を行っています。
高官の邸に出入りして祝いの歌などを詠んだり、歌合にも多くの歌を詠んで評判になっています。
三十六歌仙の一人で、勅撰集には105首も採られました。
元輔は、頭の回転が速く、天才的な即吟タイプ、多作の人でした。
家集に「元輔集」があります。
かたくるしい学者タイプではなく、ウイットに富んだ、明るい人物だったようで逸話が残っています。
元輔の性格や才能は、清少納言に受け継がれ「をかし」の文学を開花させたといえます。
清原 元輔 山吹を書いた屏風を見て
物も言はで ながめてぞふる山吹の
花に心ぞ うつろひぬらん 『拾遺集』
清少納言は「元輔が後」と言われ、和歌には自信がなかった。 (368)
素早い機転の効く頭脳と、その機転の乗って即した抜群の効果を上げる豊かな知識に恵まれ、それが宮仕えの世界での彼女の存在を、極めて輝かしものにした。
(私もそう感じる)
『枕草子』は、そうした彼女の知識と頭脳が、宮仕えという絶好の土壌を得て、この上なく見事に開花した幸運の産物ということができる。
つゞく
早稲田大学蔵書
二条通(京都) : 沢田庄左衛門,
慶安2[1649]
4冊 ; 25.6×18.5cm
早稲田大学図書館
早稲田大学蔵書 請求番号 文庫30_e0091
参考
『枕草子』九曜文庫 慶安2年
『日本古典文学大系』
『新日本古典文学大系』
『枕草子解環 四』
『枕草子 一』
(一から三十六 総合)
『枕草子』25 『枕草子』一巻読了(1〜36段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]
『枕草子 二』
(三十七から五十総合) 『枕草子 二』51 『枕草子』二巻(26〜50段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 『枕草子 二』 『枕草子』二巻(51〜68段 まとめ) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]『枕草子 三』
『枕草子 三』 三巻 まとめ (岩波古典文学大系では119-205) 九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649]『枕草子 四』
『枕草子 その他』
『枕草子』関係総合 (日本古典文学大系) 『枕草子解環』を見つけた、、、 枕草子解環 著者 萩谷朴 出版社 同朋舎 刊行年 1981 冊数 5冊(↑ 『枕草子解環 』五巻購入)
『枕草子』九曜文庫 二条通(京都) : 沢田庄左衛門 慶安2[1649] 四巻の前に 『新日本古典文学大系』解説を読む。 【1】
みなさま、
いつもお越しくださいまして、誠にありがとうございます。