近松作品を徹底的に読み、舞台を想像する。 私のライフワークの一つとしよう、、
ここのところ、歌舞伎『堀川波鼓』(片岡仁左衛門様と中村扇雀様)のお舞台が後世に残る歌舞伎作品の一つのように感じられたので、近松作品の『堀川波鼓』にハマりにハマっている。
『名作歌舞伎全集第一巻』も何度か読んだ。
『名作歌舞伎全集第一巻』の場合は『堀川波鼓』の場合は案外口調が悪いので、繰り返し読んでいたが、元となる『近松全集第四巻』の活字で読んでみた。
『近松全集第四巻』では活字で読んだり、義太夫特有の文字で一部を読んだりして遊んでいた。
『近松全集第四巻』では口調がよく、また、下には陰影も読める程度には大きく配分されているので楽しい。
流暢な言葉遊びが目をひき、『近松全集第四巻』でも繰り返し読むこととなる。
岩波古典にはないものかの探してみれば、新(緑)の方には『堀川波鼓』は取り上げられず、『日本古典文学大系』「近松浄瑠璃集 上」にあったので読み進めると、口調は良いわ、頭注はわかりやすいはで、楽しくてなんども飛んだ。
『日本古典文学大系』で読めば、近松の『堀川波鼓』の洗練された巧みな言葉の組み立てが把握しやすい。
そうこうしているいちに、私は色々な本やネットで挙げられているうつしや陰影ボンをつまみ食いしてどっぷりと『堀川波鼓』にハマっていた。
これもひとえに、松竹株式会社様の南座、松竹座における置いて取り上げられ、しかも今回は『堀川波鼓』を『祇園恋づくし』といった京都の祇園さんの黄瀬地を連動させた企画を添加されたことが、今日生まれで今日育ちの私には魅力的であったと言わざるおえない。
まして、今回はアクシデントが幸いし、『堀川波鼓』は中村勘九郎様と、仁左衛門丈の双方の演じてで派遣させていただくといた幸運に恵まれ、おまけに中村扇雀様の名演技を二度見られ、近松作品や『堀川波鼓』に対する気持ちは私にとっては深く掘り下げられた次第です。
ここのところブログをお休みさせていただいておりましたのは、歌舞伎の仁左衛門様と中村扇雀様の余韻が始終頭をもたげ、夢うつつに近松の『堀川波鼓』を読み込んでおりました。
歌舞伎では演じられてない『堀川波鼓』の三巻目がもし投資狂言として演じられればいかように演出されるのかを思い、遊んでおりました。
ここ数日は、家事と花の世話以外は、『堀川波鼓』一色と行った生活でございました^^
『堀川波鼓』は複数本であれだけ何度も読んだのですが、今度は能楽二曲が気になり始めました。
なので、『謡曲百番集』や岩波古典や天野先生の書物などを参考に、『堀川波鼓』に出てくる松風などの背景を考察して、『堀川波鼓』をより詳しく掘り下げて読みたいと思っています。
また、夫が所蔵しておりました『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選 富山房版)をくれましたので、これでも言葉を調べ、少なくとも8月中には『堀川波鼓』は私なりに読み込みを完成させたいと感じております。
ここのところ、近松作品に思いを寄せておりました。
近松は岩波(赤、緑)に4冊あります。
歌舞伎や読書の趣味が高じて随分前に近松全集や名作歌舞伎全集も所蔵しておりますので、好きな作品をまず近松全集の活字で読み、岩波(赤、緑)にあればそれも確かめ、最後に名作歌舞伎全集(近松2巻にあれば)読んで楽しみたいと思います。
その際、近松作品の山場や気に入ったとことを少しのページだけでも数行だけでも良いので陰影を自分の言葉で起こして読みんだ遊びたいと思っています。
私は一生を費やしても、近松全集を読み終えることはないかもしれません。
本を読み舞台企画演出や演じてを想像して遊びながら進める地下街にライフワークとして取り組んでいければようなと感じております。
こんなだ恐れたことをいけシャァシャァと書いておりますが、予定は未定。
志は大きいですが、乱鳥はやっぱり、、、云々と大きな目で見てやってくださいませ。
oh! しょうし(笑し)
写真は
『堀川波鼓』が乗っている全集の中の一冊と、近松語彙