写真は、ビルの窓
『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、 歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著 宮崎嶺雄訳
夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかしRが行ってみると、病人は寝台の外に乗り出して、片手を腹に、もう一方を首に手を当て、ひどくしゃくりあげながら、薔薇色がかった液汁を汚物溜め最中に吐いていた。 P.21
小説『ペスト』はリアルである。
例えば一、二例をあげると、、
二安倍マスク(布製)。
マスクが不足し庶民の手に入らない時は、挙句の果てマスコミや政治家や専門家やコメンテェーターは、
「マスクには効果はない。」
と強調する。
安倍マスクを配られ、間も無く庶民の手に市販の不織布製マスクが手に入るようになれば、マスコミや政治家や専門家やコメンテェーターは、
「マスクの必要性」
「布マスクの効果の薄さ」
を訴える。
そして一年以上経った現在、やはりマスクはある程度有効であるという事で落ち着いている。
半ば、強制的に、、、である。
(その実私は、コロナが始まった当初から、不織布マスクを2重あるいは、中に不織布を織り込むマスクを付け、タオルなどで覆って重要箇所以外は行かぬように心がけていたが、それは別問題である)
小説でも、【夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。】とあるが【しかしながら、、、】と続く。
ある問題が起こった場合、二転三転するマスコミや国の言い分を鵜呑みにせず、自分の身は自分で守る覚悟を持たなければならない。気をつけ気をつけ取り掛かり、それでも流行病にかかってしまった場合、運が悪いと諦めなければならないのだろう、、、
現在の日本では医療崩壊が現実で、こうなることは以前からわかっていたはずだが、国は利権に目を向け、オリンピックやパラリンピックを強行している。
国の言い分は、
「始まってしまえば、国民はみんな重大さを忘れ、スポーツ観戦を楽しむ。」
である。
そうは問屋がもおろすまい!と言った国民も、少なからずいる。
そう云った国民(実は日本好き)を、国は非国民と宣う。
大臣は
「全ての国民に、素早いワクチン接種を」
「ワクチンは十分足ります。」
「日本は早い確率でワクチンが打たれている」
とおっしゃっていたが、現実はどうだろうか。
現実は、語るまでもない。
歴史は繰り返される。
しかし、歴史は繰り返される、、、で済む問題であろうか、、、
医療崩壊が起きている、買っては先進国、今や、自称先進国の日本の 只今2021年の現実問題である事が恐ろしい。
夕刊の呼売り
呼売り(YOBIURI)は明らかに、言葉遊びであり、或る意味も含まれている。
ここでも、訳者である宮崎嶺雄氏の考えとユーモアが見て取れる。
宮崎嶺雄氏はセンスの良い方である。
『ペスト』カミュ作 (全体像) 『ペスト』 1 カミュ著 宮崎嶺雄訳 昭和54年18版 『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著 宮崎嶺雄訳 昭和54年18版 『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著 宮崎嶺雄訳 『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著 宮崎嶺雄訳 『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、 歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著 宮崎嶺雄訳