イラン国立博物館「アイスマン」(テヘラン)
アラン【Alain】『幸福論』6 言葉memo ストア派(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)
アラン『幸福論』P.220-225 memo
ストア派
以前にもこのブログで取り上げたが、もう一度書き留めて置きたい。
ストア派(ストアは、希: Στωικισμός、英: Stoicism、ストイシズム)
ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。
自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。
例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている。
当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。
20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つ。
プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている。」
物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。
タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。
例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。
また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという。
意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ・引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンド、T・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける一方、初期の猥褻裁判をはじめとする数多くの反発と詮索とをも呼び起こした。
ストア派
紀元前301年の初めごろ、キティオンのゼノンがストア・ポイキレ(すなわち彩飾柱廊)で哲学を説き、ここからその名声を得た。
エピクロス派のような他の学派とは異なり、ゼノンはアテナイのアゴラ(中央広場)を見晴らすコロネードのような公共的な場所で哲学を説くことを選んだ。
ゼノンの思想はソクラテスの弟子アンティステネスを始祖とするキュニコス学派の思想から発展した。
ゼノンの弟子のうち最も影響力があったのはクリュシッポスで、彼は今日ストア主義と呼ばれているものを成型した。
後のローマ時代のストア主義は、何者によっても直接制御されていない世界と調和する生き方を喧伝した。
研究者は大抵ストア派の歴史を三相に分ける: 前期ストア派、ゼノンによる学派の創設からアンティパトロスまで。
中期ストア派パナイティオスやポセイドニオスを含む。
後期ストア派、ムソニウス・ルフス、ルキウス・アンナエウス・セネカ、エピクテトス、そしてマルクス・アウレリウス・アントニヌスらを含む。
アルバート・アーサー・ロングが述べているように、前二相のストア主義者の著作で完全な形で現存するものは全く無い。
後期ストア派のローマ人たちの著作のみが現存している。
ヘレニズム哲学
何度も書いているが、私には難しく覚えられないので、もう一度。
ヘレニズム哲学 (Hellenistic philosophy) は西洋哲学の一時代。
ヘレニズムの時代にアリストテレスに続いて発展し、ネオプラトニズムの始まる時期に終わりを迎えた。
ヘレニズム
ヘレニズム時代とはアレクサンドロス3世(大王)の死後からローマ帝国による地中海世界統一までの、ヘレニズム諸国が存続した期間を指す。
まず、「自然に即した生」を実践するキュニコス学派、徹底的な現象主義と刹那的快楽主義を説くキュレネ派、論理的な正しさを追求したメガラ学派といった常識を攻撃するような思想を持つ学派がヘレニズム時代初めの混乱期に興隆した(いずれも始祖はソクラテスの弟子である)。
しかしその後長きにわたって栄えることになるのはそれらより穏健なプラトン学派、エピクロス派、ストア派の三学派であった(ペリパトス派はヘレニズム時代末期まで振るわなかった)
これら三学派の根城、つまりプラトン学派のアカデメイア、エピクロス派のエピクロスの園、ストア派のストア・ポイキレは全てアテナイに存在し、紀元前3世紀のアテナイは諸国から哲学を志す者が集まる哲学の最大の中心地であった。
一方、アレクサンドリアでは数学や天文学、医学、文献学といった分科された学問が発展した。
紀元前2世紀以降はローマの勢力が拡大するとともに哲学の拠点が拡大し、アテナイはかつてほどの求心力を持たなくなった。
ストア派
ストア派は紀元前3世紀にキティオンのゼノンが創始した。
キュニコス学派の倫理思想に基盤を置いており、人生の目的は自然との調和のうちに生きることだと説いた。
また、破壊的な欲望に打ち勝つための手段としての自制心・不屈の精神を主張した。
紀元後3世紀に滅びるまでは最も栄えた学派であった。
始祖ゼノンの提示した学説は大まかなものにすぎないものであって、後代の学徒たちがアカデメイアからの批判や学派内での相互批判を経て、キケロを驚嘆せしめた精緻な体系を生み出した。
キティオンのゼノン (紀元前333年-紀元前263年)
クレアンテス (紀元前331年-紀元前232年)
クリュシッポス (紀元前280年-紀元前207年)
パナイティオス (紀元前185年-紀元前110年)
ポセイドニオス (紀元前135年-紀元前51年)
小セネカ (紀元前4年-紀元後65年)
エピクテトス (紀元後55年-135年)
マルクス・アウレリウス・アントニヌス (紀元後121年-180年)
アラン『幸福論』
岩波文庫
1998
アラン (著), Alain (原著)
神谷 幹夫 (翻訳)
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