歌舞伎『お江戸みやげ』歌舞伎座
中村芝翫 中村富十郎 中村歌江 中村吉之亟 中村梅玉 中村福助 他
昭和三十六年(1961年)初演。
作者は川口松太郎
七代目中村芝翫丈の『お江戸みやげ』を見た。
歌舞伎チャンネルやら衛星劇場やらで、中村芝翫さんと中村富十郎さんの『お江戸みやげ』を何度見たことであろう。
面白いやら切ないやら、可愛らしいやら、熱中ぶりやら、多少の後悔やら、もう、女心が入り見られ咲の『お江戸みやげ』は、役者の片袖を胸に複雑かつ純粋な気持ちを抱く。
これぞ一世一代の大仕事、ならず、片道実らぬ恋心。
笑ってばかりはいられない。
女の複雑でもありひたむきなる気持ちを切り取った、名作。
故中村芝翫さんと故中村富十郎さんの『お江戸みやげ』は、絶品で、何度見ても見飽きない。
あっぱれじゃ!!!
今回も見たという簡単な記録のみにて、失礼致します。
感情高くムダ遣いをしないお辻(七代目芝翫丈)が行商の帰りに、ひょんなことから宮地芝居の花形役者に惚れ込んだ。
宮地芝居とは
みやちしばい(みやじしばい)、また宮芝居ともいう。
名称は神社境内ないし門前の地に小屋掛けする小芝居に由来。
祭礼、勧進、開帳などの名目で臨時に認可された。
恒常的な興行を許された大芝居との間にさまざまな格差があり,支配系統も,寺社奉行の下に統括された。
宮地芝居とは
江戸時代の小芝居。
江戸では官許の三座以外の芝居小屋は原則として認められず、見世物の名目で湯島天神など寺社の境内に、むしろ張りや粗末な小屋を立て、下級俳優による興行が行われた。
これを宮地芝居といい、短期間の興行が寺社奉行に黙許されていた。
三座とは
江戸三座(えど さんざ)は、江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋。
官許三座(かんきょ さんざ)
公許三座(こうきょ さんざ)
三座(さんざ)
ともいう。
江戸には当初数多くの芝居小屋があったが、次第に整理されて四座になり、最終的に三座となった。
三座は江戸時代を通じて日本独自の伝統芸能である歌舞伎を醸成、明治以降も歌舞伎の殿堂として大正末年頃まで日本の演劇界を牽引した。