写真は、サルヴェスターン(イランの塩湖の一つ)
『ソクラテスの弁明 クリトン』8 (「敬虔」にまつわる問答。最終的に議論が行き詰まり、ソクラテスが嘆くところで話は終わる。)
『エウテュプロン』とは
『エウテュプロン』(エウテュプローン、希: Εὐθύφρων、英: Euthyphro)
プラトンの初期対話篇の1つ。副題は「敬虔について」。
敬虔とは
深く敬って態度をつつしむさま。特に、神仏につつしんで仕えるさま。
ソクラテス - 最晩年、70歳。
エウテゥプロン - アテナイのプロスパルタ区出身の神学者。30-40代。
紀元前399年、アテナイのアゴラに面したプリュタネイオン(役所)周辺にて。
メレトスに「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴される。
その予審期間中の聴取のため、宗教犯罪の訴訟審理を行う役職アルコーン・バシレウスがいる、この場所を訪れていたソクラテス。
ここで エウテュプロンと出くわすところから、話は始まる。
2人はソクラテスの事情について会話を交わした後、話題はエウテュプロンの話に移る。
彼が植民地ナクソス島で農業を行っていた際、現地の日雇い人が自分たちの奴隷の一人を殺してしまったため、アテナイの聖法解釈者に扱いを尋ねるべく使いを出した。
その間、エウテュプロンの父親は日雇い人を縛って溝に放置していたが、まったく世話をしなかったため死なせてしまった、そのため、殺人罪で父親を訴えに来たのだという。
当人である父や、身内の者たちは、「父親は直接被害者を殺めたわけでもないし、被害者は人殺しでもあるのに、ましてや息子が父親を殺人罪で訴えるなど不敬虔だ」と怒っているらしい。
エウテュプロン本人は、彼らは敬虔・不敬虔に関する神々の法を知らないと、意に介さない。
ソクラテスはエウテュプロンが敬虔・不敬虔をそれほど正確に知っているのか尋ねると、エウテュプロンは当然だと応じる。
こうして「敬虔」にまつわる問答が開始されることになる。
最終的に議論が行き詰まり、ソクラテスが再度一からの問答を要請するも、エウテュプロンは用事があると帰ってしまい、ソクラテスが嘆くところで話は終わる。
参考
『ソクラテスの弁明 クリトン』
プラトン 著
久保 勉 翻訳
岩波文庫 青601-1
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