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 延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より

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  延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より




 延年(えんねん)とは  (ブリタニカ国際大百科事典 引用)
 平安時代中期から室町時代にかけて,興福寺や東大寺,長谷寺,延暦寺,園城寺など畿内の大寺院で,法会のあとや貴族接待などに行なわれた遊宴歌舞。
 長寿を意味する遐齢延年(かれいえんねん)から名づけられたともいわれる。
 その担い手は,のちに僧兵とも呼ばれるようになる寺院内新興勢力の衆徒で,武力蜂起の際と同様の作法で延年を催すことも多かった。
 その芸能には,滑稽なことばで一山をほめ,仏をたたえて開会を告げる開口(かいこう),やはり滑稽なことばのやりとりで機知を競う答弁(とうべん),稚児による白拍子,若音(わかね),糸綸(いとより),舞楽などの歌舞や,僧による夫催(ぶもよおし),大衆舞,倶舎(ぐしゃ),連事,風流,猿楽,田楽などの演劇的所作がある。
 これらの芸能は,同時代に流行していた猿楽の芸を取り入れたと考えられているが,寺院の声明などの影響も認められる。
 室町時代後期以降,畿内の寺院ではしだいに行なわれなくなったが,地方寺院において,正月の修正会の行事として延年の芸能が行なわれるようになった。
 今日でも,岩手県平泉の毛越寺の延年や,栃木県の日光輪王寺,岐阜県の長滝白山神社(→六日祭)などで見ることができる。
 かつての延年の詞章は,多武峰延年(→多武峰)にまとまったものが残っており,興福寺には元文4(1739)年の『興福寺延年舞式』がある。

 延年(えんねん)とは (大辞泉引用)
 1 寿命を延ばすこと。長生きすること。
 2 「延年舞」の略。


 
 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院で、法会のあと僧侶・稚児たちが行った遊宴の歌舞。平安中期に起こり、鎌倉・室町時代に盛行。曲目は多彩で、現在は数か所でその面影を伝えるものが行われている。
 延年の舞。

 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院芸能の一。平安中期に興り、鎌倉・室町時代に最も栄えた。
 延暦寺・興福寺などの寺院で、大法会のあとの大衆(だいしゆ)の猿楽や稚児の舞などによる遊宴歌舞の総称。
 のちに遊僧と呼ばれる専業者が出現し、中国の故事に題材をとる風流(ふりゆう)や連事(れんじ)などは能楽の形式に影響を与えたといわれる。
 現在も地方の寺院にわずかに残っている。
 延年。

 延年舞(えんねんまい)とは (精選版 日本国語大辞典 引用)
 寺院芸能の一つ。
 僧侶、稚児たちが行なった歌舞。
 平安中期に起こり、鎌倉、室町時代に盛んに行なわれた。
 比叡山の延暦寺、奈良の東大寺・興福寺その他の大寺で、大法会(だいほうえ)のあとの遊宴の席で、余興として演じられたもの。
 伴奏楽器は銅鈸子(どうばっし)、鼓など。その種類は多く、のちには遊僧(ゆそう)という専門家も現われた。
 能楽中にもとり入れられている。延年。延年の舞。〔随筆・遠碧軒記(1675)〕



『天狗草子』という絵巻物があり、このブログでも何度か紹介させていただいているが、その中に、延年舞(えんねんまい)の場面が出てくる。

 僧兵たちが延年舞を円になって取り囲み、見てとなし無様子が細やかに描かれている。

『天狗草子』も好きな絵巻物の一つなので、その場面は覚えている。

 蔵書の絵巻物大成(上)の中には生憎『天狗草子』はないので、写真を載せられないのが残念。


 延年の後半には風流(ふりゆう)が行われたと、安田次郎著の『自社と芸能の中世』には記されている。


 維摩会の延年は、興福寺最大の法会の、藤原氏の祖である鎌足の忌日に合わせて十月の行われていた。

 こちらの様子はやはり馴染みのある絵巻物『春日権現験記絵巻』の維摩会の場面で絵が出てくる。


 延年の面子の問題などにも注目したい。


     当門跡に限り、代々に延年これあり。一乗院当職にはこれなし。
     (興福寺十二大会のししゅうえ(興福寺の法会のひとつ) 尋尊)
     (文明十五年十二月五日条)



 この跡、猿楽などに移るが、延年について調べたかったので記録はここにとどめたい。

 

 


 

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