菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。
天神信仰の広まった理由 (ウィキペディアより引用)
天神信仰(てんじんしんこう)は、日本における天神(雷神)に対する信仰のことである。特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。
本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん / にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)[1]などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。
天神信仰の発祥の地 (ウィキペディアより引用)
北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものであり、どちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。
そのため、北野天満宮では「総本社」、太宰府天満宮では「総本宮」と呼称し、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。
また、防府天満宮や與喜天満神社など最古の信仰発祥の地を称するところも複数ある。
ただし「日本三大天神」などと称する場合には、太宰府天満宮を外して北野天満宮を残す例がある。
各地の天神信仰 (ウィキペディアより引用)
城の守護神として本壇に天神さまを祀っている松山城天神櫓(愛媛県)
大名前田氏の家紋・加賀梅鉢
北陸
福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る。福井の一部地域では1月25日にカレイを供える風習がある。この掛軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、富山藩や加賀藩(石川県)など前田氏の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家は菅原氏の出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。
その他の地域の例
広島県北部
子供の初節句に、天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。
東京板橋区
関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。
天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか? (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
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ベストアンサー
天神信仰は怨霊信仰から徐々に農耕神、学問神、訴訟に勝つ神や正直な神、仏教守護神と変化します
菅原道真は「天満大自在天神(てんまんだじざいてんじん)」という神号が授けられますが、「天満」は「天魔」、「大自在天」はインド神話に登場する破壊と再生を司る神シヴァの漢訳名です
天魔とは仏教修行を妨げる他化自在天界に住む天人のことで、第六天魔ともいいます
他化自在天界に住む天人は自分より下層に住む天人や人間の快楽を、自分の快楽として受ける能力があるために、そこで快楽が減るの止めさせようと、修行者を妨げるとされます
大自在天と他化自在天は本来は別の存在ですが漢訳仏典では混同され、道真の畏怖と落雷という実害から、「天満(テンマン=”あまみつる”)」と「天魔(テンマ)」が掛けて「大自在天神」となります
またシヴァ(大自在天)の守護獣は牛なので、天神と牛は密接にかかわります
( 今もインドが牛を神聖視するのはシヴァとの関係からですね)
で、落雷から天候を司る、また牛は農作業にかかわるので農耕神として信仰されます
学問神としては和歌との関わりであり、中世日本では和歌は神仏の心に通じる神聖なものとされ、寺院や神社で盛んに奉納されます
そこで和歌の神として道真が信仰されます
特に室町時代には臨済宗の禅僧が好んで道真を禅画(禅の心を画いた絵)の題材とし、特に道真が唐に渡って禅の教えを受けたという「渡唐天神」という伝承までが生まれ、禅の隆盛も天神信仰の拡大に寄与します
道真は藤原氏の讒言で左遷されたことから、正直を尊ぶ神であり冤罪を晴らす神として信仰され、領主や武士にもその面が好まれ、当時は契約の際には神仏の名を列記して違約しないことを誓いましたが、天神はそこには必ずといっていいほど書かれます
仏教守護神としては道真は生前に比叡山と近い関係があり、生前に第三代天台座主、円仁(慈覚大師)の『顕揚大戒論』の序文を書いています
天神伝説には、天台僧の尊意の前に道真の怨霊が現れて、藤原氏を守護する祈祷を引き受けないように願い出るという話があり、また大峰の金峰山(天台系修験が主力です)には天神が大峰の守護神の一つであり、また地獄の高官として醍醐天皇に懲罰を与えているという伝承があります
道真は生前に観音を深く信仰していたので、十一面観音の化身としても信仰されて、そこから極楽浄土へ導く神ともされます
また藤原氏も比叡山とも深く関係があったので、その面でも道真を恐れる気持ちから天神信仰と天台宗との関係性を一層に強める方向に進んでいったと思います
そして藤原氏との姻戚関係などもあって、中世の地方氏族は藤原氏との関係から建立する寺院は天台系が多くなったことも、天神信仰の拡大に寄与したと思います
また天台だけでなく真言宗側でも、道真は弘法大師の生まれ変わりという信仰が生まれ、このように仏教守護神として宗派の拡大と共に信仰が広まります
さらに強力な怨霊神ですから他の怨霊を降す力も期待され、非業の死を遂げた人がいる土地に、あえて天神を祀って怨霊を封じるということもあります
つまり他の怨霊信仰にはない、道真という人には個人の能力だけでなく、政治的・社会的・時代状況的関係性があったことで、他の怨霊信仰にはない様々な神格が生まれたんですね
ということらしいですが、まだ調べていません。
天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか?(Yahoo知恵袋)という質問に対して、さらに、こういうのがありました!!!
ZXさん (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
祟りの内容が凄いほど、神として祀れば凄いご利益があると思われたから。
現世利益と御霊信仰。
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菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房
菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹
菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん) 445頁から454頁(10枚)
菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞
菅原道眞24 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化 を御観覧いただいた方が昨日だけで70名を超えておりましたので、再度記録いたします。
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菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。
菅原道眞27 『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』 京都文化会館 2019年2月〜4月
菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について
菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。
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北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化
乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』
『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻1
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻2
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻3
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻4
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻5
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻6
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻7
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻8
北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描
『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』(7枚)
日本絵巻大成 21 昭和54年 中央公論社より ▼