ちょっと、一息
大人のお勉強ごっこ 一時間目 地理の時間
シチリア島(Sicilia Sicìlia)
図はシチリ図ア自治州の州旗
シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島。地中海最大の島である。
周辺の島を含めてシチリア自治州を構成している。
この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。
州都はパレルモ。
典型的な地中海性気候となっている。
夏は乾燥して暑く、冬は穏やかで降水量が増える。
シチリア島周辺には小島嶼が散在している。
シチリア周辺の島々の多くは、火山活動によって形成された火山島。
ギリシア・カルタゴによる支配
紀元前11世紀には、
西部にエリミ人(エリュミア人、エリモイ人)(古代ギリシア語: Ἔλυμοι)、
中部にシカニ人(シカノス人)(古代ギリシア語: Σικανοί)、
東部にシケル人(シケロイ人)(古代ギリシア語: Σικελοί)
が原住民として住んでいた。
紀元前8世紀からギリシア人の植民が開始された。
古典ギリシア語ではシケロイ人の名を取ってシケリアと呼ばれた。
紀元前734年頃、シケリア最大の植民市となったシュラクサイ(現在のシラクサ)の他、ゲラ(現ジェーラ)、アクラガス(現アグリジェント)、セリヌス、ヒメラ(現在のテルミニ・イメレーゼの東12キロメートル)、ザンクル(現メッシーナ)、レオンティノイ(現レンティーニ)などの植民都市が建設された。これらの都市は、古代ギリシアの重要な一部となっていた。ギリシャの学者として有名なエンペドクレスやアルキメデスはこの島の出身である。
紀元前480年、シュラクサイの僭主ゲロンとカルタゴの間で戦争が起き、第一次ヒメラの戦い (紀元前480年)でゲロンが勝利を収めた。
紀元前431年にペロポネソス戦争が起こると、イオニア系植民市とドーリア系植民市の抗争が激化し、アテナイがこれに介入を図った。これに対しシケリアの全都市の代表は紀元前424年ゲラに会合し、シケリア以外からのいかなる干渉をも排することを盟約した。
だが、敵国であるコリントスとの経済断交を求めてアテナイはシケリア遠征(紀元前415年 - 紀元前413年)を試み、紀元前415年シュラクサイ(コリントス系植民都市)を包囲したが、スパルタからの援軍によって紀元前413年アテナイ軍は撃退された。
その後、ヘレニズム期において、ディオニュシオス1世ら僭主に率いられたシケリアのギリシア人はカルタゴと戦争状態に入った。
カルタゴは、シチリア島の南西のそれほど遠くないアフリカ本土にあり、シチリア島に植民都市もあった。紀元前409年に再びカルタゴと戦争状態となり、第二次ヒメラの戦い (紀元前409年)において、カルタゴはシチリア島からギリシア人勢力を駆逐しようとし、両軍が多大な犠牲を払った。紀元前311年のヒメラ川の戦いで、カルタゴはシラクサとメッシーナが支配する島の東部を除いた他の領域を支配下においた。
紀元前280年からは、カルタゴが支配していたシチリアの奪還及び共和政ローマへの牽制を目的として、エピロス王ピュロスがシチリアへ攻め込んだものの、失敗に終わった。
伝説
伝説では、シチリア島はオリンポス神と巨人族の戦いのときに、アテナが巨人の一人エンケラドスを封じて投げつけたとされる。
(データーはウィキペディアより)