写真は、『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』(片岡仁左衛門様)(真山青果作) 2018年7月 松竹座
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』
財団法人徳川黎明会
徳川政史研究所
東京出版社。
2004年
八代将軍徳川吉宗について 1
綱豊卿は後の家宣
↓
家光ー家綱=綱吉ー家宣ー家継ー吉宗
ー宗部 ↑
ー宗伊 ↑
↑
(紀伊の) ↑
頼宣ーーーーーーーーーーーーー吉宗
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏
綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。
吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」(太田尚宏著)を楽しむ。
吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入したという。
桜を植えたり象を輸入したり、大層精力的な方だ。
吉宗は直接の血は繋がってない様だが、紀伊の頼宣を貰い受けた。
お爺様は、綱豊卿だという。
真山青果の話とはいえ、綱豊卿といえば『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』を思い浮かべ、綱豊卿といえばまさに能楽を舞いに行こうとされる場面の片岡仁左衛門丈を思い浮かべてしまう。
ところで、吉宗が輸入したという象を長崎から運ぶにあたり、宿場や街道で象を見た民衆や川渡りなど、大層大変であった。
また、象を運び終えた後の飼育にあたり、餌の多さや手間に相当な金額と時間を費やしたことが、「享保の渡来象始末記」や太田尚宏氏の記述で想像できる。
あまりにも大変であったが、象は芝の浜御殿で飼育されることになる。(綱豊卿も、まっさお! 綱豊卿の想像だに、しなかったことであろろう)
それが、想像をはるかに超えた大変さ。面白すぎる内容を太田尚宏氏は紹介されているところが心憎い。洒落た学者である。
想像を絶する像の飼育であり浪費であるので、吉宗は民衆の誰かに飼育をは払い下げたく考えていあたが、なかなか、うまくいかない。
そのうちに、当時も流行ったとされる疱瘡や麻疹に効くという薬を造るため、象を譲り受けたいという人物が現れ、芝の浜御殿を後にした。
象小屋を新たに造るのに大変な動力と金額が膨れ上がった。
象の小屋を建てるにあたっては幕府が金を出したという。
上にも書いた通り象は疱瘡や麻疹に効くという薬を造るために譲受けられた。
私は赤鍾馗様や薮薬師の『竹斎』を思い浮かべて想像して、ほくそ笑んでいた。
「享保の渡来象始末記」には「象洞(ぞうほら)」という名が何度も繰り返されたが、疱瘡や麻疹に効くという薬のこと。
象洞とは、何からできているのか?私だけが知らないのかしらん?と心配になっていたが、太田尚宏氏の解説を読んで爆笑した。
象洞という薬は、像の大便で造られていた。
オヨヨ、赤鍾馗様や『竹斎』と思いうかべても、遠からずであった^^
疱瘡、麻疹の薬
象洞 (ぞうほら)
像の飼育 飼料代(年間200両以上)
象洞代金 (ぞうほら)
像の便を黒焼きにして用いる。(黒焼御薬)
3匁目(11g) 銭10文
像の便を焼数粉末 (黒焼ニ不仕粉末)
5匁目(19g) 銭10文
「享保の渡来象始末記」及び解説は、大変楽しく笑いまで起こる内容であった。
次は「徳川宗春の実像と治政」を読む予定。
また同時進行で、『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』の「享保の改革と江戸」と「享保の渡来象始末記」は面白すぎるくらい興味深い話であったので、本文を筆ペンまたは毛筆で書き写したい。
享保という時代 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠 農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏 綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』
目次
八代将軍徳川吉宗と享保の改革
八代将軍徳川吉宗と享保の改革
公園政策
享保の改革と江戸
渡来象の道中
享保の渡来象始末記
尾張藩主徳川宗春の動静
徳川宗春の実像と治政
御庭番の職務などに関する史料を読む。
御庭番の隠密活動
八代将軍徳川吉宗の時代の雰囲気と種々の改革の実際
付録
印のついた上の五項目を古文書で読む。
今回は青色の文字
八代将軍徳川吉宗と享保の改革
八代将軍徳川吉宗と享保の改革
を楽しむ。