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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」  仁左衛門丈が「文化功労者」を受賞されたので調べてみたい。

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 写真のポスターは、2014年7月  松竹座にて





 

 

 

 
 さらに古典を掘り下げたい 文化功労者に片岡仁左衛門さん





 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」




 気がつけば、乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱が多いことに気づく。
 だいたいはわかる。感覚ではわかる。
 だが、その実、しっかりと内容を把握せず、日常的に使っている言葉。
 そういった言葉に気づいた時点で、これからも取り上げていこうと思う。


「文化功労者」と「文化勲章」

「文化功労者」
 文化功労者(ぶんかこうろうしゃ)とは、日本において、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者をいう。
 文化功労者年金法[1](昭和26年法律第125号)に定められる。
 文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化勲章に次ぐ栄誉となっている。
 文化勲章受章者は、すでに亡くなっている人物を除いては、文化功労者にあわせて決定される。

 選考基準
 文部科学大臣が候補者の選考を文化審議会に諮問し、その選考した者のうちから文部科学大臣がこれを決定する(文化功労者法第2条)。
 文化功労者には、終身、政令で定める額の年金(年額350万円・平成21年度予算計約8億円)が支給される(同法第3条)。
 なお選考に国籍要件はなく、2014年(平成26年)末現在で、1978年(昭和53年)の南部陽一郎(物理学者])、1999年(平成11年)のマリウス・バーサス・ジャンセン(日本研究家)、2002年(平成14年)のドナルド・キーン(日本文学者)、2010年(平成22年)の王貞治(野球選手・監督)の4人の外国国籍者が選ばれている(南部陽一郎とドナルド・キーンは文化勲章も受章)。
 1989年(昭和64年/平成元年)に服飾デザインの森英恵、1990年(平成2年)に将棋の大山康晴・水泳の兵藤秀子、1991年(平成3年)にグラフィックデザインの亀倉雄策、1992年(平成4年)に囲碁の坂田栄男・野球の川上哲治、1994年(平成6年)に漫画の横山隆一、2012年(平成24年)にサッカーの岡野俊一郎、2012年(平成24年)にアニメーションの宮崎駿が選ばれるなど平成時代に入ってから対象ジャンルの拡大が顕著である。
 2009年(平成21年)には元横綱の大鵬幸喜が選ばれている。

 年金・褒賞金について
 日本国憲法第14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、文化勲章受章者に年金や褒賞金を支給することができなかった。
 このため1951年(昭和26年)に勲章とは別制度として「文化功労者」を設け、これに年金を支給することで実質的に文化勲章年金の機能を持たせた。
 なお、憲法の趣旨を潜脱する目的で文化勲章と別の名称にした経緯があり、一時の褒賞金に留まらず、掛金なしで高額の終身年金を与えることは特権であるとして憲法違反であるとする説もある。
 年金支給額は文化功労者年金法施行令(昭和26年政令第147号)で定められ、現在の額は1982年(昭和57年)に規定された年間350万円である。


 文化功労者との関係
 文化勲章には金品等の副賞は伴わない。
 これは日本国憲法第14条の規定(勲章への特権付与の禁止)によるものであるが、文化の発展向上への貢献者に報いたいとの意図により、文化勲章とは別制度として1951年(昭和26年)に文化功労者顕彰制度が創設され、前年度までの文化勲章受章者で存命者を一斉に文化功労者として顕彰するとともに、以後も文化勲章受章者は同時に文化功労者でもあるように運用することとした。これにより、文化勲章受章者は、文化功労者年金法に基づく終身年金(現在は年額350万円)が支給される。
 制度上は別のものであるとの制度設計であっても、実際の運用上において文化勲章受章者と文化功労者とを完全に同一にすると憲法の規定に抵触するおそれがあるため、文化勲章受章者とは別に、文化勲章受章者以外にも文化功労者として顕彰する者を選定する運用が行われてきた。
 1979年(昭和54年)度以降は、文化勲章受章者は原則として前年度までに文化功労者として顕彰を受けた者の中から選考するように改められた。



「文化勲章」
 文化勲章(ぶんかくんしょう)は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。
 当時の内閣総理大臣・廣田弘毅の発案により[1]、1937年の文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)を以て制定された。

 勲章のデザイン
 文化勲章の場合、制式と図様も1937年の「文化勲章令」(昭和12年2月11日勅令第9号)により定められている。
 賞勲局及び造幣局の嘱託で東京高等工芸学校教授の畑正吉がデザインした[2]。意匠案と昭和天皇との関係は別項を参照のこと。
 文化勲章は、章、鈕、環、綬の各部から構成されている。

 章
 勲章は橘の五弁の花の中心に三つ巴の曲玉を配する。鈕にも橘の実と葉が用いられる。綬の織地は淡紫色。

 授与
 2000年11月3日、皇居にて明仁天皇(手前左)から文化勲章を授与される筑波大学名誉教授白川英樹
 親授式が毎年11月3日の文化の日に皇居宮殿松の間で行われ、天皇から直接授与(親授)される。
 1997年(平成9年)から現行の天皇親授に切り替えられたが、それまでは宮中で天皇臨席のもとに内閣総理大臣が勲記と勲章を手交する伝達式の形式で行われていた。
 そのため、以前は同じく宮中伝達式により授与される旧勲二等と同位に位置づけられていたが、現在では同じく天皇親授により授与される大綬章(旧勲一等)と同位に位置づけられている。

 受章者選考手続き
 文化庁文化審議会に置かれる文化功労者選考分科会の意見を聞いて文部科学大臣が推薦し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議で決定する[4]。文化勲章受章候補者推薦要綱(平成2年12月12日内閣総理大臣決定、平成2年12月14日閣議報告)によると、文部科学大臣は、“文化の発達に関し勲績卓絶な者”を文化功労者のうちから選考し、毎年度おおむね5名を内閣総理大臣に推薦する。文化功労者以外の者でも必要と認められる場合には選ばれることがある(この場合、併せて文化功労者になる)。
 慣例として、当年のノーベル賞受賞者が文化勲章未受章の場合にも授けられてきた。
 この慣例は、未受章者であった江崎玲於奈が1973年(昭和48年)に物理学賞を受賞した際翌年受章することになったことに端を発し、それ以降のケースではノーベル賞と同年となった(これが“ノーベル賞受賞で政府が慌てて文化勲章を授ける”ように見える一因である。
 江崎以前のノーベル賞受賞者は全員が先に文化勲章を受章していた。
 但し1974年(昭和49年)に平和賞を受賞した佐藤栄作は「文化に直結しない」として授与されておらず[5]、1994年(平成6年)に文学賞を受賞した大江健三郎は辞退している)。
 しかし2017年(平成29年)に文学賞を受賞したカズオ・イシグロは文化勲章が贈られず、この慣例は破られた[5]。幼年期に母国日本を離れており作品を英語で書いているイシグロが、日本文化への貢献が顕著かどうか解釈が分かれるため、慣例通り文化勲章が授与されるかは注目された。
 なお、文部科学省はイシグロが文化勲章の選考から漏れた理由をコメントしていない。
 イシグロは翌2018年(平成30年)4月29日付の春の叙勲で文化勲章や大綬章よりも一つ下の旧勲二等格である旭日重光章に叙されている。

 

 
               (ウィキペディア)


 



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