『通し狂言 壽三升景清』(ことほいでみますかげきよ)
三省堂 大辞林
【三枡・三升】(み ます )
枡紋の一。三つの枡を入れ子にしたさまをかたどったもの。歌舞伎俳優市川団十郎の紋。みますがた。
壽三升
普通にそういう意味だったのね^^v
それにしても、三升、三益、観ます…って、縁起がいいわね。
『通し狂言 壽三升景清』は色々な芝居が集められて、歌舞伎の醍醐味を取り入れた上で新作歌舞伎らしい舞台を作り上げているようね。
今日のうちに『観世流謡曲百番集』でも、読んでおこうかしらん^^
『景清』(かげきよ)とは
歌舞伎十八番のひとつ。
あらすじ Wikipedia▼
平家滅亡後、悪七兵衛景清は捕らえられ、鎌倉問注所にある土牢に押し込められている
その景清を源氏の味方につけるため、また平家の重宝である青山の琵琶と青葉の笛の行方を尋ねるために、秩父重忠と岩永宗連が土牢を訪れるが景清は相手にしない。
そこで岩永が景清の妻である阿古屋と娘の人丸、さらに平敦盛の遺児である保童丸も引き出して脅すが、「取り所の無いうつけ」と罵るばかりである。
それを見ていた重忠が箏と胡弓を用意し、阿古屋に箏を、人丸に胡弓を演奏させる。妻や娘の手になる音曲を聞かせて、心情を和らげようという作戦であった。
すると箏と胡弓からそれぞれ雲気が立ちのぼる。重忠はこの雲気の行く先にこそ青山の琵琶と青葉の笛があると断じるが、岩永は重忠のすることは手ぬるいと、人丸を責めようとするのでついに景清は怒りを爆発させ大暴れし、牢を破って阿古屋たちを逃がす。
それをやらじとする岩永を、頼朝公より三度までは見逃せとの仰せであると重忠がとどめ、景清は再会を約して去っていった。
解説
この芝居は『牢破りの景清』とも呼ばれる。
景清が牢を破るという荒事芸を見せるものであるが、『勧進帳』や『矢の根』のように終始音曲が入る。
また阿古屋と人丸がそれぞれ箏と胡弓を演奏するのは、享保17年(1732年)の9月に大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃の『壇浦兜軍記』の影響があるのではないかといわれる。
初演は享保17年中村座、二代目市川團十郎の景清とされるが、この時上演された内容が牢破りであったかどうかは不明であり、牢破りをする景清で間違いないのは元文4年(1739年)7月の市村座、『初髻通曽我』(はつもとゆいかよいそが)の四番目に『菊重栄景清』(きくがさねさかえかげきよ)の外題で上演されたものだという。
この時の景清は市川海老蔵(二代目團十郎)で外記節を使った。牢を破るという趣向の景清は團十郎以外の役者も演じていたが、二代目團十郎が演じて以来『牢破りの景清』は市川家のお家芸となった。
のちに天保13年(1842年)3月、河原崎座で五代目市川海老蔵が景清を演じたとき、それまで外記節や大薩摩節を使っていたのを改めて常磐津節とした。
ところがこの興行中に海老蔵は幕府からお咎めを受け、興行は即刻中止、海老蔵本人は手鎖ののち江戸十里四方追放の処分となり、「景清は牢を破って手錠食い」と世の人から言われるに至った。
景清の衣裳に本物の鎧を着込んでいたのが処罰の理由になったという。
この事により九代目市川團十郎は、市川家にとっては縁起の悪い芝居であるとしてこの『景清』を演じることは無かった。
そののち明治41年(1908年)の歌舞伎座で、九代目團十郎の弟子だった七代目松本幸四郎の景清で上演された。
そして昭和48年(1973年)には海老蔵時代の十二代目市川團十郎が上演し、およそ百年ぶりに市川家の役者が景清を演じたが、この時常磐津をやめて大薩摩に戻した。
團十郎はその後2回ほど演じている。
なお現行の舞台は、舞台正面および左右が全て黒い岩組で中央の洞(ほら)に牢格子がはまるという大道具であるが、古くは『勧進帳』のように能舞台を模した舞台の中央に、土牢の作り物が置かれるというものだったようである。
歌舞伎十八番に描かれた悪七兵衛景清の世界 データーは松竹株式会社歌舞伎美人HPよりお借りしました。
―『関羽』『鎌髭』『景清』―
悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、壇の浦の合戦の後、源氏全盛の世を恨み、無敵の英雄として活躍する夢を見ます――。魏の武将の館に関羽は、ただ一騎で攻め入り兵を蹴散らして立ち去ります。この関羽こそ無敵の英雄となった景清なのでした。
ところは変わり、大山崎にある鍛冶屋。この家の主として身を窶(やつ)す三保谷四郎や猪熊入道をはじめ、源氏の侍たちが景清を討ち取る計略を練っています。そこへ、六部姿の景清が姿を現します。三保谷は、髭を剃ると言って大鎌で景清の首を掻こうとしますが、刃物が身体に通りません。景清は、自ら縄にかかり、意気揚々と猪熊入道に引かれていきます。
一方、景清の妻である阿古屋は、秩父庄司重忠の説得により、牢に捕えられている景清のもとへ向かいます。阿古屋に危機が迫るところ、重忠が現れ…。
景清は、“反逆の英雄”として数々の伝説的なエピソードが語り継がれ、その謎に満ちた波乱の生涯は魅力的な題材として幅広いジャンルで取り上げられ、歌舞伎でもいわゆる「景清物」として多くの作品が創作されています。七世市川團十郎が撰定した「歌舞伎十八番」には、二世團十郎が初演した『関羽』『景清』、四世團十郎が初演した『鎌髭』『解脱』の四演目で景清が登場します。今初春、市川海老蔵が新たな構想のもと通し狂言として本作品を手掛け大きな話題となりました。9月に満を持して南座での初上演となります。「歌舞伎十八番」ならではの荒事の魅力が満載の『壽三升景清』のようです。