三流映画
『鞍馬天狗 黄金地獄』に出演されていた琴糸路さんを調べていると、三流映画という言葉にたどり着く。
三流映画
わたくしは三流映画の言葉の意味を、どうもはき違えていたようだ。
三流映画の詳しい内容は
ココ ▼
大都映画と三流映画の噺
尤も、「三流」という言葉を調べると次のように出てくるので、感覚的に勘違いするのは致し方が無いだろう。
【三流】とは 「デジタル大辞泉」より
1 三つの流派。三派。
2 その分野で3番目に位置する等級。
二流よりまた一段劣った、程度の低いものをいう。「―のホテル」
【大衆】 とは kotobankより
仏教儀式(法要)の出勤者全体を指す用語。また一山の構成員である僧侶集団の意味もある。法要の主宰者(導師など)の下で,声明(しようみよう)の斉唱,楽器を奏する役,進行役,随伴役など種々の役割を分担する。法要の出勤者を指す職衆(しきしゆう),衆僧,列僧などもほぼ同様の意味合いである。声明の斉唱者集団は,讃衆,散花(さんげ)衆,梵音(ぼんのん)衆,平(ひら)衆などと称することもある。衆徒大衆(しゅとだいしゅう)【高橋 美都】
たいしゅう【大衆 mass】
社会や集団のメンバーのうち,指導者やエリートを除いた残りの多数の人びと。したがって,いつの時代のどんな社会,どんな集団にも大衆はいる。仏教用語では,多数の僧侶,多数の僧兵,すべての人間,すべての生物を意味している(読みは,だいしゅ,だいす,たいしゅう)。大衆の概念は,一方では〈人民people〉という概念と同一視され,他方では〈愚民foule〉というマイナス・シンボルと同一視される。マルクス主義において大衆とは,価値の創造者,歴史の主体的存在としてみなされ,社会主義革命の担い手となる労働者,農民を意味する。
【三文】とは ウィキペディアより
江戸時代の通貨で一文銭三枚のわずかな金額のこと。安値やわずかな物事を指すのに用いられる。
【B級】とは ウィキペディアより
その物が上等でもなく、下等でもない、中程度のレベルにあることを指し示す。主に俗語である。
【Vシネマ】とは 日本語俗語辞典より
Vシネマとは英語の"video(ビデオ)"と"cinema(映画)"から成る造語で、劇場公開せず、ビデオ(DVD)商品用として製作された映画のことである。Vシネマは東映が1989年(平成1年)に日本映画の興行収益低迷に対する打開策として打ち立てた戦略商品で、劇場公開にかかる費用を制作費にあてることにより、低予算で高品質な作品制作を目的とした。しかし、ビデオ商品専用映画を製作する企業が増え、供給過多に陥ったことや、ビデオからDVDへ移行したことによる販売価格の低下が原因で、売上は年々減少している。Vシネマというと、ヤクザ物やギャンブル物、アダルト物といった作品が多い。これは先述の原因による製作コスト(品質)の低下があっても安定した売上が確保出来るためで、製作側が固定客のいるジャンルと見越し、多く作られているためである。また、劇場映画よりもVシネマを中心に活躍する役者をVシネマ俳優、Vシネマ女優ともいう。有名なところでは哀川翔、竹内力がいる。
V CINEMA(ブイシネマ)は東映ビデオ株式会社の登録商標で、本来他社が製作したものはオリジナルビデオというが、Vシネマ=オリジナルビデオというサランラップ同様(本来サランラップは旭化成株式会社の商品名である)の現象が起きている。
【娯楽】とは goo辞書
[名](スル)仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。「―施設一つない山間の地」「―映画」
「装飾は人の心目を―し」〈逍遥・小説神髄〉