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菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。

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  菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。


 天神信仰の広まった理由  (ウィキペディアより引用)
 天神信仰(てんじんしんこう)は、日本における天神(雷神)に対する信仰のことである。特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。
 本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん / にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)[1]などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。

 

 天神信仰の発祥の地   (ウィキペディアより引用)
 北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものであり、どちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。
 そのため、北野天満宮では「総本社」、太宰府天満宮では「総本宮」と呼称し、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。
 また、防府天満宮や與喜天満神社など最古の信仰発祥の地を称するところも複数ある。
 ただし「日本三大天神」などと称する場合には、太宰府天満宮を外して北野天満宮を残す例がある。

 

 各地の天神信仰   (ウィキペディアより引用)
 城の守護神として本壇に天神さまを祀っている松山城天神櫓(愛媛県)

 大名前田氏の家紋・加賀梅鉢
 北陸
 福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る。福井の一部地域では1月25日にカレイを供える風習がある。この掛軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、富山藩や加賀藩(石川県)など前田氏の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家は菅原氏の出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。

 その他の地域の例
 広島県北部
 子供の初節句に、天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。
 東京板橋区
 関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。

 

 天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか? (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
 ↓
 ベストアンサー
 
 天神信仰は怨霊信仰から徐々に農耕神、学問神、訴訟に勝つ神や正直な神、仏教守護神と変化します

 菅原道真は「天満大自在天神(てんまんだじざいてんじん)」という神号が授けられますが、「天満」は「天魔」、「大自在天」はインド神話に登場する破壊と再生を司る神シヴァの漢訳名です
 天魔とは仏教修行を妨げる他化自在天界に住む天人のことで、第六天魔ともいいます
 他化自在天界に住む天人は自分より下層に住む天人や人間の快楽を、自分の快楽として受ける能力があるために、そこで快楽が減るの止めさせようと、修行者を妨げるとされます
 大自在天と他化自在天は本来は別の存在ですが漢訳仏典では混同され、道真の畏怖と落雷という実害から、「天満(テンマン=”あまみつる”)」と「天魔(テンマ)」が掛けて「大自在天神」となります
 またシヴァ(大自在天)の守護獣は牛なので、天神と牛は密接にかかわります
( 今もインドが牛を神聖視するのはシヴァとの関係からですね)

 で、落雷から天候を司る、また牛は農作業にかかわるので農耕神として信仰されます

 学問神としては和歌との関わりであり、中世日本では和歌は神仏の心に通じる神聖なものとされ、寺院や神社で盛んに奉納されます
 そこで和歌の神として道真が信仰されます
 特に室町時代には臨済宗の禅僧が好んで道真を禅画(禅の心を画いた絵)の題材とし、特に道真が唐に渡って禅の教えを受けたという「渡唐天神」という伝承までが生まれ、禅の隆盛も天神信仰の拡大に寄与します

 道真は藤原氏の讒言で左遷されたことから、正直を尊ぶ神であり冤罪を晴らす神として信仰され、領主や武士にもその面が好まれ、当時は契約の際には神仏の名を列記して違約しないことを誓いましたが、天神はそこには必ずといっていいほど書かれます

 仏教守護神としては道真は生前に比叡山と近い関係があり、生前に第三代天台座主、円仁(慈覚大師)の『顕揚大戒論』の序文を書いています
 天神伝説には、天台僧の尊意の前に道真の怨霊が現れて、藤原氏を守護する祈祷を引き受けないように願い出るという話があり、また大峰の金峰山(天台系修験が主力です)には天神が大峰の守護神の一つであり、また地獄の高官として醍醐天皇に懲罰を与えているという伝承があります
 道真は生前に観音を深く信仰していたので、十一面観音の化身としても信仰されて、そこから極楽浄土へ導く神ともされます

 また藤原氏も比叡山とも深く関係があったので、その面でも道真を恐れる気持ちから天神信仰と天台宗との関係性を一層に強める方向に進んでいったと思います
 そして藤原氏との姻戚関係などもあって、中世の地方氏族は藤原氏との関係から建立する寺院は天台系が多くなったことも、天神信仰の拡大に寄与したと思います
 また天台だけでなく真言宗側でも、道真は弘法大師の生まれ変わりという信仰が生まれ、このように仏教守護神として宗派の拡大と共に信仰が広まります

 さらに強力な怨霊神ですから他の怨霊を降す力も期待され、非業の死を遂げた人がいる土地に、あえて天神を祀って怨霊を封じるということもあります

 つまり他の怨霊信仰にはない、道真という人には個人の能力だけでなく、政治的・社会的・時代状況的関係性があったことで、他の怨霊信仰にはない様々な神格が生まれたんですね

      ということらしいですが、まだ調べていません。

 

 天神信仰はなぜこれほどまでに広まったのでしょうか?(Yahoo知恵袋)という質問に対して、さらに、こういうのがありました!!!

 ZXさん   (Yahoo知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184326462)
 祟りの内容が凄いほど、神として祀れば凄いご利益があると思われたから。

 現世利益と御霊信仰。

 


 菅原道眞 (道真)
 菅原道眞1 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
 菅原道眞2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

 菅原道眞3 東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』

 菅原道眞4 メモ

 菅原道眞 5 大宰権帥に左遷。「日本三代実録葉」完成を報告したのは、時平と大蔵善行(901年)

 菅原道眞6 菅原道真は ろ号券 五圓紙幣にも登場していた。

 菅原道眞7 手向山八幡宮 このたびはぬさもとりあへずたむけ山 紅葉の錦神のまにまに

 菅原道眞8 北野天満宮 梅花祭(御祭神菅公の祥月命日に行われる祭典) 2月28日

 菅原道眞9 北野神社 2014年2月28日 北野梅園 梅!只今五分咲きです。(4景)

 菅原道眞10『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)と、 絵馬堂の絵馬 

 菅原道真11 『北野天神縁起(光信本)』(北野天神 宝物殿)「牛が動かなくなった場面」や「雷となった道真さんから歌を教えられる場面」など

 菅原道眞12 北野天満宮 2014年2月 宝物殿 『北野天神縁起(光信本)』「長谷川等伯の大型絵馬」

 菅原道眞13 神戸 北野天満宮神社では展望台では異人館「風見鶏の館」と神戸港を見る事ができます。

 菅原道眞14 八坂神社・石見神楽『天神』 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 菅原道眞 15 天神祭  花火と船能 『翁』『羽衣』『土蜘蛛』観世流   2014年7月15日

 菅原道眞 16  菅原道真 16 名がわからない天満宮と、「菅原道真公」の絵馬  「稲葉そよびて秋風のふく」  (5景)

 菅原道眞 17 太宰府「梅ヶ枝餅」 元は梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れたらしい。 (5景)

 菅原道眞 18 仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)成功祈願

 菅原道眞 19 仁左衛門丈が菅丞相 通し狂言『菅原伝授手習鑑』 三月歌舞伎座 チラシあり

 菅原道眞20 『決定版 番付集成』より「日本國中 天満宮鎮座」 青木美智男編 柏書房

 菅原道眞21 京都観世会9月例会〈其のニ〉 (能) 雷電 替装束 橋本忠樹

 菅原道眞22 『観世流謡曲続百番集』『雷電』(らいでん)  445頁から454頁(10枚)

 菅原道眞23(道真)菅原伝授手習鑑- 菅丞相 役も当たり役の十五世片岡仁左衛門丈が2018年、文化功労者賞を受賞

 菅原道眞24 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化 を御観覧いただいた方が昨日だけで70名を超えておりましたので、再度記録いたします。

 菅原道眞25 一月一日の初詣は散歩がてら。家から程なく近い天満宮家から程なく近い村の鎮守の天満宮に参り、菅原道眞様に祈願する。(4景)

 菅原道眞26 丹念に予習した漢文は断念っする羽目になったが、夫の配慮で京都文化博物館『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』に行くことができ、満足した。展示内容は後日記録したい。

 菅原道眞27 『北野天満宮 信仰と名宝 ―天神さんの源流―』 京都文化会館 2019年2月〜4月

 菅原道眞28 御霊信仰は私の好きな菅丞相(菅原道真)が関係有り。又、御霊会に関係部会田楽について

 菅原道眞29 天神信仰はなぜ全国に広まったか。その理由理由にはまだ確信が持てない。今後の課題として茶を濁す。



   ☆ ☆ ☆
 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻1


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻2


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻3


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻4


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻5


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻6


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻7


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻8


北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描

  

『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』(7枚)

 日本絵巻大成 21 昭和54年 中央公論社より ▼



 



 延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より

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  延年(えんねん)、延年舞(えんねんまい)について   安田次郎著の『自社と芸能の中世』(日本史リブレット 80)より




 延年(えんねん)とは  (ブリタニカ国際大百科事典 引用)
 平安時代中期から室町時代にかけて,興福寺や東大寺,長谷寺,延暦寺,園城寺など畿内の大寺院で,法会のあとや貴族接待などに行なわれた遊宴歌舞。
 長寿を意味する遐齢延年(かれいえんねん)から名づけられたともいわれる。
 その担い手は,のちに僧兵とも呼ばれるようになる寺院内新興勢力の衆徒で,武力蜂起の際と同様の作法で延年を催すことも多かった。
 その芸能には,滑稽なことばで一山をほめ,仏をたたえて開会を告げる開口(かいこう),やはり滑稽なことばのやりとりで機知を競う答弁(とうべん),稚児による白拍子,若音(わかね),糸綸(いとより),舞楽などの歌舞や,僧による夫催(ぶもよおし),大衆舞,倶舎(ぐしゃ),連事,風流,猿楽,田楽などの演劇的所作がある。
 これらの芸能は,同時代に流行していた猿楽の芸を取り入れたと考えられているが,寺院の声明などの影響も認められる。
 室町時代後期以降,畿内の寺院ではしだいに行なわれなくなったが,地方寺院において,正月の修正会の行事として延年の芸能が行なわれるようになった。
 今日でも,岩手県平泉の毛越寺の延年や,栃木県の日光輪王寺,岐阜県の長滝白山神社(→六日祭)などで見ることができる。
 かつての延年の詞章は,多武峰延年(→多武峰)にまとまったものが残っており,興福寺には元文4(1739)年の『興福寺延年舞式』がある。

 延年(えんねん)とは (大辞泉引用)
 1 寿命を延ばすこと。長生きすること。
 2 「延年舞」の略。


 
 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院で、法会のあと僧侶・稚児たちが行った遊宴の歌舞。平安中期に起こり、鎌倉・室町時代に盛行。曲目は多彩で、現在は数か所でその面影を伝えるものが行われている。
 延年の舞。

 延年舞(えんねんまい)とは (大辞泉引用)
 寺院芸能の一。平安中期に興り、鎌倉・室町時代に最も栄えた。
 延暦寺・興福寺などの寺院で、大法会のあとの大衆(だいしゆ)の猿楽や稚児の舞などによる遊宴歌舞の総称。
 のちに遊僧と呼ばれる専業者が出現し、中国の故事に題材をとる風流(ふりゆう)や連事(れんじ)などは能楽の形式に影響を与えたといわれる。
 現在も地方の寺院にわずかに残っている。
 延年。

 延年舞(えんねんまい)とは (精選版 日本国語大辞典 引用)
 寺院芸能の一つ。
 僧侶、稚児たちが行なった歌舞。
 平安中期に起こり、鎌倉、室町時代に盛んに行なわれた。
 比叡山の延暦寺、奈良の東大寺・興福寺その他の大寺で、大法会(だいほうえ)のあとの遊宴の席で、余興として演じられたもの。
 伴奏楽器は銅鈸子(どうばっし)、鼓など。その種類は多く、のちには遊僧(ゆそう)という専門家も現われた。
 能楽中にもとり入れられている。延年。延年の舞。〔随筆・遠碧軒記(1675)〕



『天狗草子』という絵巻物があり、このブログでも何度か紹介させていただいているが、その中に、延年舞(えんねんまい)の場面が出てくる。

 僧兵たちが延年舞を円になって取り囲み、見てとなし無様子が細やかに描かれている。

『天狗草子』も好きな絵巻物の一つなので、その場面は覚えている。

 蔵書の絵巻物大成(上)の中には生憎『天狗草子』はないので、写真を載せられないのが残念。


 延年の後半には風流(ふりゆう)が行われたと、安田次郎著の『自社と芸能の中世』には記されている。


 維摩会の延年は、興福寺最大の法会の、藤原氏の祖である鎌足の忌日に合わせて十月の行われていた。

 こちらの様子はやはり馴染みのある絵巻物『春日権現験記絵巻』の維摩会の場面で絵が出てくる。


 延年の面子の問題などにも注目したい。


     当門跡に限り、代々に延年これあり。一乗院当職にはこれなし。
     (興福寺十二大会のししゅうえ(興福寺の法会のひとつ) 尋尊)
     (文明十五年十二月五日条)



 この跡、猿楽などに移るが、延年について調べたかったので記録はここにとどめたい。

 

 


 

『太宰治全集 10 小説8』より「人間失格」p.367~514     筑摩書房

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 『太宰治全集 10 小説8』より「人間失格」p.367~514 筑摩書房


 
 はしがき

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 

 上は「はしがき」の出だしである。

「可愛い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辞を言っても、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
 この性格ともいうべき感覚は、子供の頃から入水して没するまでの間続き、自分でもうちなるところで悩みながらも大きな顔をして大堂を歩くふりをする。

 

「人間失格」は十代に読んだことがある。
 その後も読んだかどうかは覚えていないが、節々覚えている言い回しが複数箇所あった。

 

「人間失格」を読んでいる最中に、居眠りをしたことがあった。
 後生丁寧に分厚い思い全集本を左手で、大切そうに胸の上に立てかけて持ったまま、眠っていた。
 太宰を読んでいる途中だったせいか、夢を見た。
 昔、十代の頃時々みた懐かしい夢であった。
 目を冷ました私は
『小中高校生の頃は、こんんあ夢も見ていたんだ。』
と、フロイトでいうならば希望に満ち溢れた夢にはじかみながらほくそ笑む。
 その夢は、某作家の某作品のとある場面であった。
 夫に話すと、あまりにも有名なその場面を聞いて、一言で題名を言い当てた。
  
 

 太宰治作品は2011年頃に何作品か読み直したことがある。
 そして今回は「人間失格」
 蜷川実花監督の映画『人間失格 太宰治と三人の女たち』を見るにあたって、読んでおきたかったためだ。
 実際に「人間失格」は読了し、映画の封切りの9月13日に夫とともに劇場に向かい、泣きに泣いた。

 

 映画作品は最高の部類に値する素晴らしい内容であったので、映画に出てきた小説から中心に、草稿も照らし合わせながらイマイチと読んで見たい太宰作品が多くあった。
 また映画では、その周辺の作家とのやり取りや作家との関係も興味深くふふっと笑ってしまった。
 懐かしい小説家の名を連ねられ、私は刺激される。
 そのあたりの作家作品も再読し、十代の頃の感覚を読む戻したいと言った思いと、今齢を重ねた私が読めばどのようにかん地方が変わっているかも覗き見待機がする。
 小中高校に通っていた頃には好んで小説を読みに読んだが、今一度少しは時間を見つけて小説にも時間をとって見たいと思う。
 そんな風に感じる蜷川実花監督の映画であり、太宰の原作であった。

 

 映画の感想は次回続けたいと思います。

 


 

 

 

映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』 5,8★/5★(満点以上) 蜷川実花監督  小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 美術:Enzo 照明:藤井勇 2019

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 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』 5,8★/5★(満点以上) 蜷川実花監督  小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 美術:Enzo 照明:藤井勇 2019



 

 2019年9月13日

 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』の封切り日に、家族と二人で楽しむ。

 結露から言おう。今回の蜷川実花監督作品も、素晴らしい出来栄えであり、映画が終わってもしばらくはまともに歩く事ができないほど感動した。

 私は芝居や映画を見て腰が抜けたような状態というのか、感動のあまり立てなくなった作品というのは、片岡仁左衛門丈で二回、そして今回の映画プラス「α」くらいのものである。


 ここから下はしばらく私自身が印象深かったり、感動したり、涙を流した場面を記録したい。

 しかし、これから見ようと思われていらっしゃる方が多いので、ネタバレにならないように、箇条書きで記すことにした。

 

 [歌舞伎]
 随所随所に芝居が効果的に取り入れられている^^
 映画には『曽根崎心中』のような赤いリボンで結ばれた場面が二回、また、ちょうど中泥すぎで、おそらく三社祭りか神田祭だと思うが、『夏祭浪花鑑』の場面を思わせるような歌舞伎をふんだんに取り入れたれた素晴らしい映画であった。

 

 [色]
 色彩が美しい。

 一見モノクロームに近い色に見えるが、色という魔物の中にも多くの色が息を潜め、豊かで味わい深い。

 蜷川実花監督らしい色を散りばめたべやから、物静かに見えるが意思の強い色彩豊かな一見単色の色に移りゆき、その一見単色の豊かな色彩は、品の良い上質な小説を読むように話が展開する。

 
 赤はいつもどこかにい、時には小さく時には大きく、そして 時には大胆鮮やかに描かれている。

 その赤は、この作品の意思を引き継がせるようで、作品自体に流れが生じている。


 最後の紫の花の使い方も効果的だ。

 二人の女には、紫の花を使用。

 一人の女には思い出という名の作品の印税。この英開き方もうまい。

 
 
 [印象的な場面(登場順)]

 妻の
「お父さんはこれから傑作を生み出すのよ(要約)」
という言葉に、切なさを感じた。
 この言葉は、印象深い。

 カフェの二回を貸した壇蜜さんの、もの悲しい表情。

 心中相手の女性と花火の下での接吻中に、子供と妻が通りがかり、
「お父さんは傑作を生み出しているの?(要約)」
に家族の姿に築いた太宰が、追いかけ、子供達の後ろ姿を見て、臍を噬む臍を噬むような表情を浮かべた時。
 小栗旬さんはこの他にもたいそう素晴らしい表情を演じられていた。

 雪の真っ赤な血を吐かれ、白と赤のコントラストに、心中物の緊張感を感じた。

 心中し、水中で、こんなはずではなかったともが枯れた顔をなさった場面。

 沢尻エリカさんの自分の名が載った本をて看取り、ほくそ笑まれた時。

 幼いご病気を抱えられたあどけないご長男が墨をこぼし、ある程度物事のわかっていつ長女が徒党とと一緒になってこのれた墨で自分自身(長女)の涙を笑いに変えた。
 そんな二人を見た喪服姿の妻が、子供達と一緒になって、墨で涙を笑いに変えた。
 この時私の金銭はきれ、大泣きに泣いたのです。

 ラストの宮沢りえさんの
「これで(やっと?)終わったわ(要約)」
と言い、青空の元選択を広げ、記者たち(世間)が帰って行った時。

 
[シビアな映画なのに楽しい]
 作家仲間とのやり取りに心がワクワクした。
 な近しい名前がいっぱい。
 好きな作家もなだけでてきたり。
 私の心は小学生まで遡る。

 あまりに懐かしく嬉しくって、映画を見ている途中、
「ふふっ。」
と息が漏れる。

 翌日昼寝をして、小学生や中学生の頃に見ていた懐かしい夢うを久々に見た。
 それは、とある小説家の作品の本の一場面であった。
 この映画には出てこなかった作家だが、こういった若かりし頃の今は見ぬ夢を見させてくれると行った点でも、素晴らしい映画であった。

 

 [キャスト]
 これ以上は考えにくいであろう役柄に合った役者が出演されていた。

 この映画の主役である小栗旬さん。
 もし、彼ではない役者をとなると、体操難しい。

 太宰治という人物に合わせた顔や雰囲気を作り出せる役者でなければならない。
 この場合、丸顔はいただけないし、信解異質さを出せる役者でなければならない。
 何より、演技力。
 そして、ふっ!と力を抜いた時の、笑顔。(これをができる役者は数少ない)
 小栗旬さん以外に考えて見たが、いずれも少しご年齢が植えすぎた。
 よって、この役は彼のために作られたと行っても過言ではない映画とも感じた。


 また女優がそれぞれに良い。
 作家、坂口安吾や三島由紀夫も、印象深かった。


 

 [無題]
 感銘を受けた歌舞伎などの舞台や映画に触れると、それに関する元本を読みたくなる。
 この映画でも折を見て太宰作品(再読も含む)に触れたい気持ちが大きい。
 そのことを考えてもこの映画は素晴らしいと、私は思う。
 私の場合は、もう一度劇場で、見る席を変えて見てみたいと思う映画の一つであった。

 好みや感じ方は人それぞれなので、上に書いたことは、あくまでも私の感じ方です。
 よろしくお願いいたします。
 
     


 『人間失格 太宰治と3人の女たち』(にんげんしっかく だざいおさむとさんにんのおんなたち)とは、2019年9月13日に公開された日本映画。
 監督は蜷川実花、主演は小栗旬。
 太宰治の小説『人間失格』を原作としたものではなく、太宰治と3人の女性との関係における実話を基に描いたフィクション作品となっている。(ウィキペディア)

 

 スタッフ (ウィキペディア)
 監督:蜷川実花
 プロデューサー:池田史嗣
 脚本:早船歌江子
 音楽:三宅純
 主題歌:東京スカパラダイスオーケストラ「カナリヤ鳴く空 feat.チバユウスケ」(cutting edge / JUSTA RECORD)[5]
 製作総指揮:大角正、佐野真之
 製作代表:高橋敏弘、豊島雅郎、木下直哉、三宅容介、山本将綱、藤田浩幸、金谷英剛、宮崎伸夫
 エグゼクティブ・プロデューサー:吉田繁暁
 企画・プロデュース:池田史嗣
 プロデューサー:秋田周平、宇田充
 ラインプロデューサー:阿部智大
 撮影:近藤龍人
 美術:Enzo
 照明:藤井勇
 録音:松本昇和
 スタイリスト:長瀬哲朗
 ヘアメイクディレクション:稲垣亮弐
 編集:森下博昭
 VFXスーパーバイザー:オダイッセイ
 装飾:前田陽
 衣装:青木茂
 ヘアメイク:HAMA
 音響効果:伊藤瑞樹
 音楽プロデューサー:高石真美
 宣伝プロデューサー:笹部優子
 アソシエイトプロデューサー:秋吉朝子
 アシスタントプロデューサー:松田裕佑
 記録:松村陽子
 制作主任:後藤一郎
 制作担当:木村広志
 助監督:吉田亮
 ラインプロデューサー補:山田智也
 配給:松竹、アスミック・エース
 制作プロダクション:松竹撮影所
 制作協力:松竹映像センター
 ・制作:松竹
 :「人間失格」製作委員会(松竹、アスミック・エース、木下グループ、ポニーキャニオン、トライストーン・エンタテイメント、電通、ラッキースター、朝日新聞社)

 キャスト   (ウィキペディア)
 太宰治:小栗旬
 津島美知子:宮沢りえ
 太田静子 : 沢尻エリカ
 山崎富栄 : 二階堂ふみ
 来泉
 山谷花純
 片山友希
 宮下かな子
 山本浩司
 壇蜜
 木下隆行(TKO)
 近藤芳正
 佐倉潤一 : 成田凌
 太田薫 : 千葉雄大
 伊馬春部 : 瀬戸康史
 三島由紀夫 : 高良健吾
 坂口安吾 : 藤原竜也

    


 気分がいいので能楽『船弁慶』 2013年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『バタイユ 呪われた思想家』 江澤 健一郎 著 河出ブックス, 065) 河出書房新社, また途中で見失う。悔しいが、絵巻物を読むことにする。

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   『バタイユ 呪われた思想家』 江澤 健一郎 著 河出ブックス, 065) 河出書房新社, また途中で見失う。悔しいが、絵巻物を読むことにする。
          (P.7〜P.197まで)

 

 江澤 健一郎 著『バタイユ 呪われた思想家』は二、三年前にもいとど挑戦している。

 前回は/5くらいで、内容を見失ってしまい断念。

 齢を重ねて再挑戦して見たが、今度は2/3までで断念した。

 

 身体の一部がもたらす意味や洞窟壁画についての意味が、バタイユ独自の感覚(?)で説明されており、興味深い。

 しかし、文そのものの意味が見えてこない。

 一日中私から考えれば意味不明の書物と格闘している家族曰く、
「難しいの読んでるね。もうここまできたの?」
と笑う。

 

 労いかもと思ったが、二人の友人に相談をこうと、一人は、
「これは無理だわ。専門的喃語が連られられており、一文が見えてこない。」
といい、あと一人は、
「これ、翻訳がまずいんじゃない?!難しい専門用語ばっかりで、私たち、わからないよ。」
 私が
「はじめに1/3くらいまでは割合に読者を意識して書かれてるんだけど(と、自分の力足らずのアホさ加減をさらけ出す。)」
 しかし後者の友人が言うには、
「訳者が噛み砕いてかけないんじゃない?多分。」
で話は千木の話題に移った。

 

 ススキ囁く秋のひとひであった。

 




『バタイユ 呪われた思想家』
 江澤 健一郎 著

 河出ブックス, 065)
 河出書房新社,

 いか、河出書房新社公式HPより
「呪われた思想家」バタイユの核心と可能性は芸術論における「裂け目」にある。傷口から思想家の全体を透視して、全く新たなバタイユ像によって現代を震撼させる気鋭の挑発。

 われわれの目の前で裂け目が開く、われわれはあるときは恍惚として歓喜し、笑い、あるときは拒絶し、激高する。歓喜、笑い、拒絶、激高、それらもまたわれわれを引き裂く裂け目の効果である。こうして目の前で口を開ける傷口、この壊れた、対象ならぬ対象、芸術とはその典型ではないだろうか。芸術がわれわれに恍惚をもたらすとすれば、われわれがそこで見つめるのは裂け目であり、内的体験の視覚的対象である。バタイユは、少なからぬ芸術論を執筆した。われわれはこれから、彼が芸術に見いだした多様な裂傷について考察し、その傷口から彼の思想を透視する。(本書より)
 
 江澤 健一郎 (エザワ ケンイチロウ)
 フランス文学専攻。著書『バタイユ 呪われた思想家』『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』、訳書にバタイユ『ドキュマン』、ディディ=ユベルマン『イメージの前で』他。

断捨離  自分にとって居心地の良い空間や立ち位置を保つのが、断捨離だと考えている。

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 断捨離


 このブログでなんも取り上げている断捨離だが、戦時ちは思い切って押し入れに眠っているものを処分した。

 今日は私だけが使用しているふた部屋。

 パソコンとストレッチの部屋&、机とオーディオのある部屋。

 この二室を今一度整理し、1/20の細々としたものを減らしたい。

 
 相互に意識して生活しているためだろうか。

 不要な物を擦れるととウエストの数字が減っていく。

 自分にとって居心地の良い空間や立ち位置を保つのが、断捨離だと考えている。

映画『人魚の眠る家』4,8★ 東野 圭吾著 監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子 篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子/『娼年』3★ 東野 圭著 監督:三浦大輔 石田衣良 松坂桃李

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 蘇州のライブハウス
 頼んだのは、緑茶。





 映画『人魚の眠る家』4,8★東野圭吾著 監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子 篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子
 映画『娼年』3★石田衣良著 監督:三浦大輔 石田衣良著 松坂桃李



 映画『人魚の眠る家』 4,8★  監督:堤幸彦 脚本:篠崎絵里子  篠原涼子 西島秀俊 松坂慶子 坂口健太郎 


 大変興味深く、大泣きに泣きながら見ていた。

 この映画は好きだ。


 以下はwowow公式HP
 東野圭吾のベストセラー小説を、篠原涼子主演で映画化したミステリー。プールで溺れて意識不明となった娘。奇跡を信じる両親が取った究極の選択が運命の歯車を狂わせる。

 2015年に「天空の蜂」を映画化した堤幸彦監督が、再び東野作品の映像化に挑戦。娘に奇跡が起きるかもしれないという期待から、その愛の強さゆえに狂気をはらんでいく母親役の篠原が、渾身の演技で第43回報知映画賞主演女優賞ほか、多くの映画賞で受賞。彼女と映画初共演となった西島秀俊のほか、坂口健太郎、川栄李奈など、若手からベテランまで、幅広い世代の役者たちのぶつかり合いは見応え十分。そして、感動を盛り上げるのが子役たちの好演。その達者な演技が見ている者の胸をえぐらずにはいられない。

 スタッフ
監督
堤幸彦
脚本
篠崎絵里子
撮影
相馬大輔
音楽
アレクシス・フレンチ


 役名 役者名
播磨薫子 篠原涼子
播磨和昌 西島秀俊
星野祐也 坂口健太郎
川嶋真緒 川栄李奈
美晴 山口紗弥加
進藤 田中哲司
播磨多津朗 田中泯
千鶴子 松坂慶子


 映画『娼年』 監督:三浦大輔 石田衣良作 松坂桃李 3★

 松坂桃李さんが体当たりで挑まれていた。

 大笑いしながら見てしまったのは、申し訳ない。

 

 監督:三浦大輔

 松坂桃李

 石田衣良の小説を、舞台でも組んだ三浦大輔監督と松坂桃李のコンビで映画化した衝撃作。退屈な生活を送っていた主人公が男娼(しょう)となり、成長していく過程を描く。性描写に一切の妥協をしなかったという三浦監督のもと、『不能犯』などの松坂が体当たりの芝居を披露している。

 あらすじ
 大学生のリョウこと森中領(松坂桃李)は、バーのアルバイトに精を出していた。ある晩、ホストクラブで働いている中学時代のクラスメートの田島進也が、客の御堂静香を連れてリョウがいるバーを訪れる。

横浜中華街で、舞楽「陵 王」のおみくじを見ました。

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 横浜中華街で、舞楽「陵 王」のおみくじを見ました。

 







 
 2019宮島厳島神社・元始祭 舞楽 「陵 王」
 慶剛様からお借りしました。ありがとうございます。

 

『三國志』と『三國志演義』の違い

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 写真は横浜中華街にて
 ここは中華飯店ですが、芝居を見たいなと思いつつ、通り過ぎました。


 


  『三國志』と『三國志演義』の違い



 三国志とは、中国の後漢・三国時代(184~280)に中国統一をめざし群雄割拠していた歴史をまとめた書物の名称になります。
 大きく分けて、『三國志』と『三國志演義』とがあります。

 

『三國志』と『三国志演義』のちがいについて
『三國志』は、蜀・魏・晋に仕えた陳寿(ちんじゅ)により三国時代の歴史がまとめられたもの。
 史実を忠実に簡潔にまとめている。
 史実の忠実を重視したため噂や信憑性の薄い情報は排除したため読みやすいが面白みに欠けています。
「三国志」は事実を後世に残すための歴史書になります。ただし、蜀・魏・晋に都合の悪いことは、記述されなかったとの事。
 三国志演技と区別するために『正史(せいし)』と呼ぶ。


『三国志演義』は、中国の明時代に羅貫中(らかんちゅう)により『三國志(正史)』をベースに各地で語り伝えられた神話・伝説・民話など盛り込んだもの。
 一般大衆が楽しめるようにフィクションを交えて作られた娯楽性の高い歴史小説。
 特徴は、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)や諸葛亮(しょかつりょう)と言った人物がメインとなり物語が進んでいきます。


『三國志』は史実の歴史書、『三国志演義』はフィクションの歴史小説。



 

 以下、ウィキペディア引用 ▼
『三國志』とは、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。

『三国志演義』(さんごくしえんぎ、 繁体字: 三國演義; 簡体字: 三国演义)は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。
 四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。
 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。

道教「道」について   『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店

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  道教「道」について   『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店


 

 奈良行博著『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』には次のような興味深い内容が記されていたので、書き写すことにしました。


 


『老子』四十二章に「道生一、一生二、二生三、三生万物」という語があります。これは宇宙に存在するものすべてのもの、つまり「万物」は「道」から生まれてきたのだと説明しています。(『中国の吉祥文化と道教』P.125)
 云々


 今一度、「道」の説明をするために、ガラスのコップを持って海底に潜ってみます。海底で砂を救って、コップの口いっぱいにまで満たします。それを海水中で倒して、砂を海底に流し出します。すると砂の代わりに海水がコップの中に入ります。次に、コップを立てて海面に上がり、陸地でコップを倒します。すると、コップの海水は砂浜に流れ落ちて、コップの中には空気が入ります。ここまでは我々の通常の感覚で理解できて、それ以上の追求をしません。ところが、空気が満たされているコップを持って、遥か上空に上がり大気圏外に出ます。するとそこは宇宙空間で、空間はありますが空気はありません。その空気のないところで、持ってきたコップの口を開いて、ゆるゆると空気を真空世界に流します。その時、コップの中に入ったものは何なのでしょうか。真空は空気がないことではありますが、そのことがつまり空間がゼロというわけではありません。その真空空間に存在するものが、すなわち仮に名付けると「真空物質」というものであって、「存在のないモノ」ではないのです。私(『中国の吉祥文化と道教』著者 奈良行博)はこの真空物質こそが「道」ではないかと推測します。  (『中国の吉祥文化と道教』P.127)



 「道」は万物の祖と言われる様に、万物は全て「道」に由来し、全て道でできているのです。しかしは、道の本来の姿のまま人間が感知できるものではなく、何も存在しないかのごとく感じられます。しかしそれは、人間の感覚で感じられるだけの話で、もっと微妙で鋭敏な感覚を持った他の生物や他の感知手段でなら感じることができるかもしれません。もしも宇宙空間に出て手を振ってみたとき、空気中で手団扇を振った時に感じる様な風の揺らぎを感じられるのであれば、おそらくその人は「道」の存在を感じることができるでしょう。   (『中国の吉祥文化と道教』P.129ー130)


 



【道教 】  (大辞泉)
 中国、古代の民間信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生的に生まれた宗教。
 のち、仏教への対抗上、神仙説など道家の思想、および仏教の教理儀礼が取り入れられた。
 5世紀前半、北魏の寇謙之(こうけんし)が教祖を黄帝・老子とし、張道陵を開祖として道教教団を形成した例もあるが、多くは民間信仰として発展。

【道教 】  (世界大百科事典 第2版)
 道教とは何か――この問題に対しては研究者のあいだで見解がまだ一致していない。
 ここでは以下に述べる2点から検討考察を加える。
 その第1点は,中国の思想史とくに古代,中世の思想史において,一般的に〈道教〉という言葉が実際にどのような思想概念として用いられてきているか,また,それは中国土着の民族宗教としての〈道教〉の概念とどのようなかかわりを持っているかであり,第2点は,中国において民族宗教としての道教が,その神学教理もしくは思想哲学を一応整備完成するにいたる唐・五代・宋初の時期において,道教の教団内部の学者たちがその教をどのような宗教として自覚し,規定し,ないしは神学教理の整備体系化を行っているかである。

    

    

    

 

 

 

 

 

 

 

映画『ストロベリーナイト』3,1★/5 原作「インビジブルレイン」 竹内結子、西島秀俊、大沢たかお、小出恵介、三浦友和、宇梶剛士、丸山隆平、田中要次

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 イラン ナクシェ・ロスタムにて
 

 
 
 
 





   映画『ストロベリーナイト』 3,1★/5 原作「インビジブルレイン」 竹内結子、西島秀俊、大沢たかお、小出恵介、三浦友和、宇梶剛士、丸山隆平、田中要次 ほか



 映画『ストロベリーナイト』に対して前知識のない私は、全く違うイメージを持って映画に挑む。

 だが、見た映画は、はじめの部分は映画的ではなく、ドラマのような進み具合であった。

 それもそのはず、『ストロベリーナイト』はテレビドラマとして放映されていたらしい。

 おそらく私がテレビを全く見ない頃だったのか。あるいは、私は最近でこそ見ているドラマだが、以前は全く見なかった時期がかなり長かった、その期間に放映されていたのかもしれない。

 いずれにせよ、映画『ストロベリーナイト』という言葉の響きに、全く違う思いを描いて見たのであった。


 結果、出演者がまともなので、それなりに楽しむことができた。

 キーポイントは、雨。

 竹内結子さん、西島秀俊さん、大沢たかおさんのそれぞれの人生におけるドラマに、切なさを感じた。


 



 誉田哲也の人気警察小説シリーズを原作に、女性刑事・姫川玲子の活躍を竹内結子主演で描いたドラマ「ストロベリーナイト」の劇場版。警視庁捜査一課の刑事・姫川玲子率いる姫川班の管轄で連続殺人事件が発生し、警察は合同特別捜査本部を設置する。やがて姫川のもとに「犯人は柳井健斗」という垂れ込み情報が入るものの、上層部から「柳井健斗には触れるな」という不可解な指示が下る。納得できない姫川は単独で捜査を進め、その過程で牧田という男と出会うが……。

 原作は小説のシリーズ第4作「インビジブルレイン」。

 2013年製作/127分/PG12/日本
 配給:東宝


 監督
 佐藤祐市
 原作
 誉田哲也
 脚本
 龍居由佳里  林誠人


 【出演者】竹内結子、西島秀俊、大沢たかお、小出恵介、宇梶剛士、丸山隆平、田中要次 ほか

『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ

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  『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ



 

    梅川 冥土能飛脚 近松門左衛門作
    忠兵衛



  地ハル
  身をつくし難波尓さくやこの花能。里ハ

  三すぢ尓町の名も佐渡と越後の

             あハぢ
  相の手を。かよう千鳥の淡路町、亀屋

  能世つぎ忠兵衛、ことし廾能上はまだ四

  年、いぜんに大和より、敷金をもつて養子

      みようかん       こう
  ぶん後家妙閑のかいほう処、あきなひ功

  しゃだに         どがさ
  者駄荷づもり江戸へも上下三度笠。

              (1オ)      

               『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」P.279

    



     

 敷金とは  (三省堂 大辞林 第三版 )
 七行本で、「敷金(しきがね)」

 敷金・敷銀 (三省堂 大辞林 第三版 )
 ① 「しききん(敷金)」に同じ。
 ② 持参金。しきぎん。しきせん。 「四年以前に大和より-持つて養子分/浄瑠璃・冥途の飛脚 上」



夫より、『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選)富山房をもらいました。

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 十年程前に購入した近松全集であったが、影印の文字が読めないので、諦めていた。

 そして夜中久々に近松全集の中でも好きな演目作品を次々とて見とって開けてみれば、なんと割合に読めるではないか。

 気をよくして明け方近くまで読んでいたが、突然、ブログに字を起こしてみようと思い立った。

 ただし、いつまで続くかはわからない。

    『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ


 運が向いてくると良いことが起こり始める。

 スキャンができずに買い換えたコピー機であったが、新しいものもうまくいかず悶々としていた。

 ところが、昨晩、突然に動き出す。

 絶好調とはこのことか。

 本をスキャンするのは久々であり、この喜びは大きい。



 朝になり、夫との朝食タイムで、近松を読み始め、1ウ(1ページの裏)だけを書き起こしたと伝え、作中出の「敷金」の話をしていると『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選)をくれた。

「『古典文学大系』の「頭注」などに載るってない場合に引くといいよ。」

 にゃるほど〜!と、乱鳥 喜ぶ。

 
 ま、私が知らぬ間に購入したことは別として、これはいいねと心が弾む。

 





 『近松語彙』(上田萬年 樋口慶千代 共選)より

 しきがね(敷銀)とは   (165)

 敷銀する手間取を尋ねられうも知れまい。(薩摩歌)

 在所に歴(列記)とした親もあり、敷銀してあの下種(げす)に払われうはずはない。(卯月紅葉)

「敷銀」
 縁づく時の持参金。
 

 

乱鳥初公開。十歳年上の我妻様(夫)の手を公開。

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 わんこのもも「あいさつをしようだね。うん!わかった。」

       「こんちは〜^^ こんにちは ごきげんよう ワンダフル」

 
 わんこのもも「あいさつをは大切だね。さ! 次、行くよぉ。」

 
 乱鳥初公開。十歳年上の我妻様(夫)の手を公開。

 わんこのもも「さ!行くよぉ。」

『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 ウ

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   『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 ウ  近松門左衛門作



 


        すごろく
 茶のゆはいかい素双のべに手能かど                
                はぶたへ
 とれて。酒も三川四川五川所もん羽二重も


 出ずいらず。無地の丸つばぞうがんの國
 
 ざいく尓はまれ男。色能わけ志り里志りて

 暮るを待ずとぶ足能。飛脚宿能いそがし


 さ。荷をつくるやら不どくやら。手代ハ帳面

 そろばんをおゝ口とも尓どや/\と。千万両能

 やりくりも、つくしあづま能とりやりもゐながら



              (1ウ)      

               『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」P.278

    

 三川四川五川= 三つ四つ五つ

(「尓」「能」などのように、副詞部分はそのまま元字で書いています)


 『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ  近松門左衛門作
 『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 ウ  近松門左衛門作


東洋文庫『古今集遠鏡』(本居宣長著 今西祐一郎 校注)が届く。

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 本居宣長

 

 以前にも読んだことのある東洋文庫の『古今集遠鏡』(本居宣長著 今西祐一郎 校注)が届く。

 和本と合わせ、これでじっくりと自分らしい時を過ごせるであろう。



 
 『古今集遠鏡』 覚書
 『古今集遠鏡 一』(東洋文庫)読了。 次は、和本『古今集遠鏡』(六冊)と、岩波古典文学・新古典文学全集とともに読む。

 『古今和歌集遠鏡補正, 2巻』

  『玉あられ』 本居宣長  (和本) 覚書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『玉あられ』 本居宣長 (和本)  覚書

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『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』4,8★  奈良行博著 明石書店  本日読了

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     『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店  本日読了
     



 

 大変な良書で有るにもかかわらず。二、三日置き去りにせざるをえなまった 『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』w、ただいま読了。

 この本は私のとっては興味深い。

 深くは掘り下げてはおられないが、結局日本文化のかなり多くまで及ぶ中国文化を再確認させていただいた。

 

 私の好きな「鍾馗様」も道教によると言う。

 書き出すとキリがない。日本におけるほとんどは、中国の影響を受けていると、著者はうたう。

 とはいえ、ペルシャのゾロアスター教などの世界で最も古いとされる風習も、正論であった。

 作者の広い心で研究に取り組む姿にも、心打たれた。

 




 道教「道」について   『中国の吉祥文化と道教  祝祭から知る中国民衆の心』奈良行博著 明石書店




 

 著者である 奈良行博氏について
 奈良行博

 1954年、京都市生まれ。関西大学大学院単位取得修了、2001年に文学博士。
 1987~89年、文部省(当時)の派遣留学生として北京大学哲学系に留学。
 の間、集中的に中国大陸の主要な道教寺院や名山名跡を単独で踏査。
 帰国後、数校の大学にて中国語などの非常勤講師を務めながら、道教信仰や生活文化に関わる実態調査を続行。
 2008年から大阪芸術大学短期大学部准教授
            (『現代中国の道教 庶民に生きる信心文化』より)

 著書
 『中国の吉祥文化と道教―祝祭から知る中国民衆の心― 中国の吉祥文化と道教―祝祭から知る中国民衆の心―』
 『五感で味わう中国大陸―道教聖地探訪の旅 (遊学叢書)』
 『現代中国の道教―庶民に生きる信心文化』
 『漢語鍛錬―対話できたえる中国語 奈良行博、 中村俊弘』
 『漢語鍛練』
 『体感中国―初級からのステップアップ』
 『道教と中国社会 (講座道教)  野口 鉄郎, 松本 浩一他 | 2001/2/1』

 

 

 

 

 

 

 


『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 2 オ  近松門左衛門作

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   『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 2 オ  近松門左衛門作



 


 かね能自由さハ、一歩小判やしろかね尓つばさ能

 有がごとく也、町通り能状取立帰つてそれ/\と。

 とめ帳つくり所へたそ頼もふ忠兵宿尓ゐやる
              (ママ)
 かと。あん内するハ出入能屋やしき能さむらい。手代共ゐん

 ぎん尓。ヤア是ハ甚内さま。忠兵衛ハるすなればお下

 し物能御用ならば。私尓仰聞られなせ。お茶もて

 おじや、と、あいしらう。いや/\下り能用はなし。ゑど

 若だんなより御状が来た。是おきゝやれとおしひらき。










              (2 オ)      

               『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」P.278

    



「おじや」=「おじゃ」(「おじゃれ」「こっちへ来なさい」、くらいの意味。)

 本文に「忠兵」(ママ)、「忠兵衛」の二表記あり。

 (1オ)(1ウ)(2 オ)= (一丁表)(一丁裏)(二丁表)…と言う意味です。

 本文に「。」が付いている場合は「。」 付いて灰場合は「、」突表記しています。

(「尓」「能」などのように、副詞部分はそのまま元字で書いています)



 平常心是道

 ちょっとした隙間時間に、気分転換として好きな演目を書き写すのは、誠に楽しい。

 心中物を読んでいるのだが、心理状態としては書き写すと言う行為が写経に近いのであろうか?>

 誠、心が落ち着くのは、喜ばしい。


 『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 オ  近松門左衛門作
 『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 1 ウ  近松門左衛門作
 『近松全集第七巻』「冥土の飛脚」 2オ  近松門左衛門作

二時間ドラマ『黒薔薇』『黒薔薇 第二弾』 原作:「ダーク・リバー」  貫地谷しほり 岸谷五朗 でんでん 津川雅彦(2017z9 柳葉敏郎(2019)

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 俵藤太物語絵巻 チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵




 二時間ドラマ『黒薔薇』『黒薔薇 第二弾』 原作:「ダーク・リバー」  貫地谷しほり 岸谷五朗 でんでん 津川雅彦(2017z9 柳葉敏郎(2019)




 岸谷五朗さんと柳葉敏郎さんがご出演とのことで、ドラマ『黒薔薇』をムタが、ことのほか面白い。

 貫地谷しほりさんは はまり役で、声色、目力、表情、ふふっとした上手い役者特有の笑みなど素晴らしく、見入ってしまう。

 貫地谷しほりさんを見ていて声質こそ違うが、國村隼さんを思い浮かべていた。
 

『黒薔薇 第二弾』が満足できたので、連続して2017年放映の『黒薔薇』も見ることにした。

 2017年放映の『黒薔薇』の結末の終わり方がくどくなく、説明できでなく、見事であった!

 海外の映画やドラマを見ているように最後に余韻を残し、見ている側に色々と想像させるところが素晴らしい。


 役者も上手い方が多く出演されており、ちょっとした映画よりも重厚であった。

 



 『黒薔薇』
 2017年
 ドラマスペシャル『黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子』原作



 『黒薔薇 第二弾』
 2019年
 女優の貫地谷しほりさん主演のスペシャルドラマ「黒薔薇2~刑事課強行犯係 神木恭子」(テレビ朝日系)が9月22日、放送される。2017年12月に放送されたドラマの第2弾。美形だが、時折、違法な捜査に手を染めてでも真相を解明しようという黒い部分も併せ持つ、“黒バラ”のような女性刑事・神木恭子(貫地谷さん)と、先輩刑事・折原圭作(岸谷五朗さん)のコンビが復活。新たな警察組織の闇に、捜査のメスを入れていく。
 前作は、元大阪府警暴力犯担当刑事という経歴を持つ作家・二上剛さん警察小説「黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子」(講談社)を初ドラマ化。神木が少々荒っぽいがやり手のベテラン刑事・折原とコンビを組み、警察組織の闇を捜査した。

 今作は、二上さんの「ダーク・リバー」(同)が原作。内勤の警務課・資料係の神木はひょんなことから老人の変死体が発見された現場へ。事件は病死で処理されそうになるが、神木は他殺の疑いを抱く。一方、刑事課強行犯係主任の折原も似たような事件に遭遇。久々に顔を合わせた2人は、それぞれの事件の共通点を洗い出すうちに、警察内部の闇へと足を踏み入れていく……。

 神木が何かと先輩風を吹かせる折原に対して、独り言で「ゴリラ」と毒づくシーンも、前回同様に健在だ。
 また、俳優の柳葉敏郎さんが、折原らから“たたき上げの星”と尊敬される辻井幸則警視庁捜査1課長、川口覚さんが事件のキーマンとして神木らの捜査に協力する警視庁鑑識課・検視官係員の島垣雅也を演じる。前回にも出演した木下ほうかさん、ミッツ・マングローブさんらも続投する。監督は前回に引き続き、「相棒」シリーズなどで知られる和泉聖治さんが担当する。


キャスト
貫地谷しほり
岸谷五朗
でんでん
津川雅彦(2017)
柳葉敏郎(2019)
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