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『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』「絵巻」の時代から「風俗画」の時代へ  並木誠士 著  2017年  4,8★/5

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      『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』「絵巻」の時代から「風俗画」の時代へ  並木誠士 著  2017年  4,8★



 某公機関の書棚で、酒飯論絵巻という私の知らない絵巻物の名に惹かれ、『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』を手にとってみる。

『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』をパラパラと開き、インデックスをみ、最初と最後を読み初めて本書をお借りした。

『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』の中には、実際に読んだ絵巻物や博物館や寺で見たものが多く載せられており、多少絵巻物に関心のある私にとっては楽しい本である。

 読んだものや見たものを思い返しながら、ウンウンと頷き、早々と声に出しながら読み進める。

 この本は言葉がすんなりとしていてひとかたまりを人忌避、あるいはブレス1,2回で読みやすく、音読をしながら楽しんだ。

 
 著者 並木誠士氏は徳川美術館学芸員をなさっておられたという。

 徳川美術館は昨年春に楽しんだ。

 また、京都大学助手や京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授をなさっておられたという。

 京都生まれの私にとっては、とても親しみやすい感じがする。

 こういった先生の講義を聞いて見たかったなと感じる。

 いやいや、まだお若いので、朝日カルチャーセンターなどでは聞けるのかもしれないが。


 いちいち納得できる『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』は、家に居ながらにして講義を聞いているようで、二日に分けて一気に読めた。

 他にも旅行書と古文書関係一冊を読み、テレビで歌舞伎を見て居たので、子に二日間も読書三昧、舞台三昧であった。


 脇道はさておき、本書を読み心に残った部分としては、

   酒飯論絵巻は「絵巻の時代」と「風俗画の時代」という二つの時代が交替する、ちょうど「潮目」に当たる作品 (P.155)

ということであった。

   絵巻が表現形式として中心的位置を占めて居た時期は、宮中のロマンスや合戦、高僧の生涯などが、まず「文字」化され、その後に絵巻として鑑賞されるようになった。

   しかし、挿図的な位置であった絵巻の「絵」は、やがて詞書から離れて汁つすることになる。

   それは同時に、屏風という新しい絵画の確率で亜もあった。

   そしてそこで人々の目を楽しませたのは、自分たちのどう時代の人々の様子、つまり風俗であった。

   風俗画の成立である。

   その転換期にあった作品こそが『酒飯論絵巻』であった。        (P.156)


『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』「絵巻」の時代から「風俗画」の時代へを読み進める間中、楽しく過ごさせていただいた。

 時間を見つけて、所蔵の絵巻物全集の読みを再開したいと思う。

 また時々は美術史を読むのも良いものだと感じた。

 

 






 
 






 『日本絵画の転換期 酒飯論絵巻』「絵巻」の時代から「風俗画」の時代へ

 食と酒を楽しむ姿を赤裸々に描いた『酒飯論絵巻』は、日本美術、それを支える社会が大きく変わるターニングポイントを映している。

 著者 並木 誠士 著

 出版年月日 2017/08/04

 判型・ページ数 菊判変・192ページ

 定価 本体3,000円+税



プロローグ――日本絵画史の見直し・試論――

第Ⅰ章 《酒飯論絵巻》の概要

第Ⅱ章 絵巻の時代
 Ⅱ―1 絵巻とは?
 Ⅱ―2 やまと絵と四大絵巻
 Ⅱ―3 絵巻の諸相
 Ⅱ―4 絵解と画中詞
 Ⅱ―5 小括――「絵巻の時代」の終焉

第Ⅲ章 風俗画の時代
 Ⅲ―1 「風俗」を描くこと
 Ⅲ―2 新しい画題の成立――洛中洛外図
 Ⅲ―3 近世初期風俗画の展開
 Ⅲ―4 江戸時代――浮世絵への展開
 Ⅲ―5 小括――「風俗画の時代」の幕開け

第Ⅳ章 ふたたび、《酒飯論絵巻》
 Ⅳ―1 「酒飯論絵巻」研究史
 Ⅳ―2 再考:《酒飯論絵巻》の作者と制作年代
 Ⅳ―3 《酒飯論絵巻》の特質

エピローグ――《酒飯論絵巻》の絵画史的位置――


 著者について
 京都工芸繊維大学教授

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
 並木/誠士
 1955年東京都生。徳川美術館学芸員、京都大学助手、京都造形芸術大学助教授を経て、京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授、同大学美術工芸資料館長

コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」 2006年 東京  シアターコクーン 中村勘三郎他、錚々たる顔ぶれの役者さんたち

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          コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」 2006年 東京  シアターコクーン 中村勘三郎他、錚々たる顔ぶれの役者さんたち






 コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」をみる。

 いや、みることができてよかった。


 『東海道四谷怪談 南番』は歌舞伎チャンネルや衛星劇場で繰り返し見て居たが、「東海道四谷怪談 北番」は未だみる機会に恵まれてなかった。

 北番では、岩や岩の怨念の怖さの強調というよりは、江戸時代の実在人物の名を変えパロディ化した内容。

 江戸時代は絵師にしても芝居にしても、御上批判や実際を表現することは禁止されて居たので、絵師は猫などの擬人化を試みたり、芝居では「東海道四谷怪談 北番」のように名を変えパロディ化したりされて居た。

 しかし当時の人は元を念頭に、浮世絵や草子などの読み物、芝居を楽しんで居たことになる。

 故に「四谷怪談 」は「別名(?)忠臣蔵」とも言われていたそうだ。


『東海道四谷怪談 南番』で気になって居た、蚊帳。

 伊右衛門は子供の蚊帳まで取り上げて持って行く。

 もっとも金持ちの孫娘との婚礼を控え、大枚をもらっているので、金欲しさではない。

 伊右衛門は磐音の愛情がないことを悟らせ、釘をさすためにも着物をはぎ、吊るした蚊帳まで剥ぎ取って行くのである。

 とはいえ、なぜ蚊帳なのか。

 愛情がないという表現の一つとして子供が蚊に刺されて模様ので蚊帳を剥ぎ取って行く、実はそれだけではなさそうである。


 この蚊帳、ベースは青深緑で、策は真っ赤である。

 この夏に滋賀県の近江八幡を訪れた時に、旧家の資料館で見た。

 今現在の西川布団の下になる お店(おたな)跡で、当時の西川(布団)ブランドの蚊帳が展示されて居た。

 それによく似た蚊帳を舞台では使われているのである。

 落ちぶれたとはいえ、武士である伊右衛門の家では、元はブランド品である西川の蚊帳を購入し使うことができたのであると考えられる。

 ブランド品である蚊帳は、衣服と同様、質草に入れることができたのであろうと推定する。

 お乞食になった武士でも、武士のプライドもあり、剣菱模様の入った菰を好んで使用したと何かに書かれて居た。

 菰を見れば武士下がりか、一般民家がわかるという。

 そしてこんなにも落ちぶれた家にも、当時の流行りの蚊帳がかかって居たのだとすれば、芝居も事細かに観察に値する面白みがあると考えられる。

 
 コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談 北番」にご出演されていらっしゃる全ての役者さんたちが熱演であった。

 中村勘三郎様がご健在の頃の舞台で、懐かしく目頭が熱くなった。

「東海道四谷怪談 北番」を見て、改めて素晴らしい役者さんだったんだと感じた。

 中村勘三郎様の出演者の士気を高め、まとめる力、及び、舞台を作り上げるという情熱は半端がない。

 会場中の観客の熱気が伝わる舞台であった。


 東京都関西との舞台を始め芸術に対する温度差を感じる。

 学生時代、関西を離れることは考えもしなかった私であるが、東京の代打国行くことになって居たら、今はどのような趣味を持ちどのように楽しんでいるのであろうかと、時々ふと考えることがある。

「東海道四谷怪談 北番」もそんなたわいないことをふと思わせる舞台であった。



 

     

    

 以下のデーターはwowow公式HP ▼

 絶大なる人気作「四谷怪談」を台本、配役、演出などの異なる新作「北番」として上演し、読売演劇大賞を受賞するなど旋風を巻き起こした伝説のコクーン歌舞伎第7弾。



 コクーン歌舞伎の第7弾「東海道四谷怪談」は、1994年に上演された「四谷怪談」をベースに串田和義が新たな演出を施した南番と、シャープな切り口で欲望の中でうごめく人間の奥深さを描いた北番の2バージョンからなり、その北番を放送する。中村勘三郎が襲名後初公演の舞台。
【あらすじ】
 塩冶浪士の民谷伊右衛門(中村橋之助 現:芝翫)は、同じ浪士の四谷左門に娘・お岩(中村勘三郎)との復縁を迫るが、伊右衛門の公金横領という過去を知っている左門は復縁を許さない。
 一方、お岩の妹・お袖は生活のために按摩宅悦の地獄宿に勤めているが、そこで夫・佐藤与茂七と再会する。しかし、お袖に横恋慕する直助権兵衛は与茂七を、伊右衛門は左門をそれぞれ殺してしまう。
 お岩は伊右衛門と復縁、お袖は直助と仮の夫婦となる。子をなしたお岩は、産後の肥立ちが悪く床に伏せってしまい、そんなお岩を次第に疎んじた伊右衛門は、離縁するためにある策略に出る。



2006年4月18日、20日/東京 Bunkamuraシアターコクーン
出演
役名 役者名
お岩・直助権兵衛 中村勘三郎
佐藤与茂七・小仏小平 中村扇雀
民谷伊右衛門・小汐田又之丞 中村芝翫
四谷左門・仏孫兵衛 坂東弥十郎
お袖 中村七之助
秋山長兵衛 片岡亀蔵
お梅 坂東新悟
伊藤喜兵衛・按摩宅悦・お熊 笹野高史
スタッフ
演出・美術
串田和美

乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15  酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき)について

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  フランス国立図書館本『酒飯論絵巻』第3段末尾より


   『酒飯論絵巻』



 『酒飯論絵巻』(日本絵画の転換期 「絵巻」の時代から「風俗画」の時代へ )並木誠士 著が面白かったので、今度は『酒飯論絵巻』について少し見てみることにした。

『酒飯論絵巻』は『大黒舞』そのた多くのようにチェスター・ライブラリィ所蔵のものが出版されているそうだが、私の知っている限りでは見たことがない。

 どこかで調べて、読んでみたいと思う。
 




 追記     http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542602/1  国会図書館 『酒飯論』デジタル公開を見つけました。
  


  酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき)

 酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき)は、16世紀に制作されたと言われる日本の絵巻。

『下戸上戸絵詞』『三論絵詞』『酒食論』『下戸上戸之巻』とも呼ばれる。

 1巻、詞書と絵が各4段。

 酒好きの男と、下戸でご飯好きの男、両方適度に嗜む男の3人がそれぞれの持論を展開するという構成で描かれている。

 調理から配膳、飲食の様子が詳細に描かれており、当時の食文化を知る貴重な資料となっている。



  酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき) 概要
 最も原本に近い、もしくは原本そのものの可能性がある文化庁本の大きさは、縦30.7×長さ1416cm。

 狩野元信の筆になるものと、土佐光元によるものがあり、その模写本や異本が多数存在する。

 主人公の三人は、酒好きの公家・造酒正糟屋朝臣長持(みきのじょうかすやあそんながもち)、飯好きの僧侶・飯室律師好飯(いいむろりっしこうはん)、中庸派の武士・中左衛門大夫中原仲成(ちゅうざえもんだゆうなかはらなかなり)である。

 4部構成になっており、

    第一段に三人の紹介、

    第二段では酒の徳、

    第三段では飯やおかず、茶の面白さ、

    第四段ではどちらもほどほどがよいと語られる。

 長持は念仏宗、好飯は法華宗、仲成は天台宗のそれぞれ宗徒であり、表向きは飲食について語りながら、天台宗の中道観の優位性を説いている。

 また、公家と僧侶の争いを武士が仲裁するのは、室町時代の権力構造を反映しているといえる。


 2009年から多分野に渡る研究者の共同研究の対象となり、2012年に研究報告がなされた。




 

 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15  酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき)について


 


映画『神と人との間』 監督・脚本:内田英治 谷崎潤一郎原案  4,5★/5   2018年 渋川清彦、戸次重幸、内田慈

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     映画『神と人との間』 監督・脚本:内田英治 谷崎潤一郎原案  4,5★/5   2018年 渋川清彦、戸次重幸、内田慈




 文豪・谷崎潤一郎原案の映画 『神と人との間』を見ました。

 話の展開が面白く、静かに小説を楽しんでいるような映画です。

 それでいて演技のお上手な役者さんたちばかりで、上質の淡々と進む舞台を見ているようでした。



 主役の三人がそれぞれに静かで深い印象的な演じ方をしてくださいました。

 渋川清彦さん、戸次重幸さん、内田慈さんのそれぞれの役者さんに共感し反発し、感情移入しました。

 チーム・ナックスの中でも特に好きな戸次重幸さん。昔から好きな王子(役)がご出演されているとは知りませんでしたので、喜びはひとしおでした。

 そして渋川清彦さんの演技の仕方にも見入ってしまい、今回役者さんとして、好きになってしまいました。



 この映画の解説では、「親友同士の男性2人が、ともに愛する同一の女性をめぐって奇妙な三角関係を繰り広げるさまをコミカルに描いた文芸エロス映画」と記されています。

 しかし、ラストの「契約書」と「子供の喜び」がこの作品のキーポイントだと言っても過言でがありません。

 この映画はネタバレしたくないので多くを語ることは差し控えますが、単純に「奇妙な三角関係」と云った単純な言葉ではこの作品の本質は語れないと言ってよいでしょう。


         私はこの映画は好きです。







 下のデーターはwowow公式 HP 
 文豪・谷崎潤一郎の同名の問題作をもとに、親友同士の男性2人が、ともに愛する同一の女性をめぐって奇妙な三角関係を繰り広げるさまをコミカルに描いた文芸エロス映画。

 近代日本文学の文豪・谷崎潤一郎が、最初の妻・千代をめぐって、彼の親友であった作家・佐藤春夫との間で「小田原事件」と呼ばれる恋愛騒動を起こし、最終的に、谷崎と離婚した千代が佐藤と再婚することで事態が決着した、いわゆる「細君譲渡事件」。
 この「小田原事件」を題材に谷崎が自ら綴った問題作「神と人との間」を、「獣道」の内田英治監督が現代風に翻案して映画化した、「TANIZAKI TRIBUTE」企画のうちの1本。
 なんとも奇妙な三角関係をコミカルに演じるのは、渋川清彦、戸次重幸、内田慈。



 文豪・谷崎潤一郎の同名の問題作をもとに、親友同士の男性2人が、ともに愛する同一の女性をめぐって奇妙な三角関係を繰り広げるさまをコミカルに描いた文芸エロス映画。
 開業医の穂積は、熱帯魚を売る店で働く女性・朝子に恋していたが、親友の売れない漫画家・添田も彼女に恋していることを知って、自らは身を引くことを決意。
 かくして朝子は、穂積に後ろ髪を引かれつつ、添田と結婚する。ところが、結婚した途端に添田はすっかりサディストに変貌し、愛人を作って朝子を虐待し、穂積にも朝子と不倫をするよう、けしかける始末。
 穂積は、添田にコケにされながらも、朝子をプラトニックに想い続ける。



 下のデーターはウィキペディア
 谷崎潤一郎の女性関係   
 1915年(大正4年)、谷崎は石川千代子と結婚したが、1921年(大正10年)頃谷崎は千代子の妹・せい子(『痴人の愛』のモデル。芸名葉山三千子)に惹かれ、千代子夫人とは不仲となった。谷崎の友人・佐藤春夫は千代子の境遇に同情し、好意を寄せ、三角関係に陥り、谷崎が千代子を佐藤に譲ることになったが撤回するという「小田原事件」が起きた(佐藤の代表作の一つ『秋刀魚の歌』は千代子に寄せる心情を歌ったもの。
 また、佐藤は『この三つのもの』、谷崎は『神と人との間』を書いている)。

 結局、1926年(大正15年)に佐藤と谷崎は和解、1930年(昭和5年)、千代子は谷崎と離婚し、佐藤と再婚した。
 このとき、3人連名の「……我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、……素より双方交際の儀は従前の通りにつき、右御諒承の上、一層の御厚誼を賜り度く、いずれ相当仲人を立て、御披露に及ぶべく候えども、取あえず寸楮を以て、御通知申し上げ候……」との声明文を発表したことで「細君譲渡事件」として世の話題になった。

 翌1931年(昭和6年)、谷崎は、古川丁未子と結婚するが、1934年(昭和9年)10月に正式離婚。翌年1月、同棲を続けていた森田松子と結婚式を挙げた。

 松子が妊娠した際、「藝術的雰囲気を守りたい」という谷崎の意向で中絶したと、谷崎自身が『雪後庵夜話』に書いたためこの件が有名となり、それゆえに谷崎を批判する者も多い。
 しかし戦時下に書かれた『初昔』によれば、松子は3人の医師から健康上中絶を勧められたというのが真相で、そうでなければ松子の3人の姉妹や医師をどう説得したのか説明がつかない。



 以下のデーターはwowow公式 HP
作品データ
制作年/2018
制作国/日本
内容時間/90分



出演
役名 役者名
穂積 渋川清彦
添田 戸次重幸
朝子 内田慈
美佳 山田キヌヲ
幹子 萬歳光恵


監督
内田英治

原案
谷崎潤一郎

脚本
内田英治

撮影
伊藤麻樹

乱鳥徒然   よっしゃ↑

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      鬼ヶ城   熊野市木本町






 台風か〜〜



 よっしゃ↑
 今日明日は読書三昧映画三昧と決め込んで
 この二日で『古文書云々 田沼時代』と
 谷崎潤一郎の録画済み映画、残り二作品を見よう!


 今日も楽しい一日の封切りだね。

 

『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

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 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次



『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』より「田沼意次と失脚」を繰り返し読み、概ね文意を把握できたような気がする。

 恥ずかしながら、『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』の第2章のように、何を書けばよいかがわからない。

 歴史は興味のある内容と興味に無い内容が二分され、お手上げの場合も多々あり。


 興味がなければ読まずともよいであろうに、今期は『江戸時代の古文書を読む』シリーズをできれば10冊読読もうと目標を立てているので、興味がなくとも読むことにした。

 あらら? それで大mPでしょうか???

 いつまで続くかわからないが、今のところは続けているので、まぁ、この調子でいいんでないかぇ?!


 この二日間で『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』の四話文と谷崎作品の映画をに作品見ようと考えていたのに、実際は『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』の第一生(1話)のみを読んだだけであった。

 万度も繰り返し読んだが、時間をかけた割には虚しい結果。

 これが自分の実力なのであろうと思う。(笑)


 理由は上だけでは無い。台風がきているせいか、はたまた寝不足が続いていたせいか、睡魔に襲われ、昨日の一日の大半を眠っていた。

 そして歌舞伎の舞台さながらの、色彩美形式美、オリジナルな舞台に出演し、一方客観的に眺めていた。

 つらつらと 楽しみながら、じわじわとにがり苦しむような、そんな夢を見つつ、眠り告っていた。



 

以下のデーターはウィキペディアより
『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」 関係として

 田沼 意次(たぬま おきつぐ)
 田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。
 遠江相良藩の初代藩主である。
 相良藩田沼家初代。



 出生
 享保4年(1719年)7月27日、紀州藩士から旗本になった田沼意行の長男として江戸の本郷弓町の屋敷で生まれる。
 幼名は龍助。
 父・意行は紀州藩の足軽だったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用され、吉宗が第8代将軍となると幕臣となり小身旗本となった。
 吉宗は将軍就任にあたって紀州系の家臣を多数引きつれて幕臣とし、特に勘定方と将軍および子供たちの側近に配置して幕政を掌握したが、意次は紀州系幕臣の第2世代に相当し、第9代将軍となる徳川家重の西丸小姓として抜擢され、享保20年(1735年)に父の遺跡600石を継いだ[1][要ページ番号]。
 父・意行は息子を授かるために七面大明神に帰依し、そして意次が生まれた。そのため意次は七面大明神に感謝し、家紋を七曜星に変更したといわれている。


 相良藩主時代
 元文2年(1737年)、従五位下・主殿頭になり、延享2年(1745年)には家重の将軍就任に伴って本丸に仕える。
 寛延元年(1748年)に1400石を加増され、宝暦5年(1755年)にはさらに3000石を加増され、その後家重によって宝暦8年(1758年)に起きた美濃国郡上藩の百姓一揆(郡上一揆)に関する裁判にあたらせるために、御側御用取次から1万石の大名に取り立てられた。
 宝暦11年(1761年)、家重が死去した後も、世子の第10代将軍徳川家治の信任は厚く、破竹の勢いで昇進し、明和4年(1767年)にはさらに御側御用取次から板倉勝清の後任として側用人へと出世し、5000石の加増を受けた。
 さらに従四位下に進み2万石の相良城主となって、明和6年(1769年)には侍従にあがり老中格になる。
 安永元年(1772年)、相良藩5万7000石の大名に取り立てられ、老中を兼任し、前後10回の加増でわずか600石の旗本から5万7000石の大名にまで昇進し、側用人から老中になった初めての人物となった。
 順次加増されたため、この5万7000石の内訳は遠江国相良だけでなく駿河国、下総国、相模国、三河国、和泉国、河内国の7か国14郡にわたり、東海道から畿内にまたがる分散知行となった。


 田沼時代
 この頃より老中首座である松平武元など意次を中心とした幕府の閣僚は、数々の幕政改革を手がけ、田沼時代と呼ばれる権勢を握る。
 悪化する幕府の財政赤字を食い止めるべく、重商主義政策を採る。内容は株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、俵物などの専売による外国との貿易の拡大、下総国印旛沼の干拓に着手する、などの政策を実施した。
 その結果、幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなった。
 しかし、社会の初期資本主義化によって、町人・役人の生活が金銭中心のものとなり、そのために贈収賄が横行した。

 また、都市部で町人の文化が発展する一方、益の薄い農業で困窮した農民が田畑を放棄し、都市部へ流れ込んだために農村の荒廃が生じた。印旛沼運河工事の失敗や明和の大火・浅間山の大噴火などの災害の勃発、疲弊した農村部に天明の飢饉と呼ばれる食糧難や疫病が生じた。
 意次は対策を打ち出すが、失敗して逆に事態を悪化させた。
 その中にあって、財政難に陥っていた諸藩は米価の値上がりを借金返済の機会とし、検地により年貢の取立てを厳しくしていった。

 このような世相の中、それらが元による都市部の治安の悪化、一揆・打ちこわしの激化により不満が高まり、江戸商人への権益を図りすぎたことを理由に贈収賄疑惑を流されるなど、次第に田沼政治への批判が集まっていく。

 外国との貿易を黒字化させて国内の金保有量を高め、さらには北方においてロシア帝国との貿易も行おうとしていたほか、平賀源内などと親交を持ち、蘭学を手厚く保護し、士農工商の別にとらわれない実力主義に基づく人材登用も試みたが、これらの急激な改革が身分制度や朱子学を重視する保守的な幕府閣僚の反発を買い、天明4年(1784年)に意次の世子のまま若年寄を勤めていた田沼意知が江戸城内で佐野政言に暗殺されたことを契機とし、権勢が衰え始める。

 天明6年(1786年)8月25日、将軍家治が死去した。死の直前から「家治の勘気を被った」としてその周辺から遠ざけられていた意次は、将軍の死が秘せられていた間(高貴な人の死は一定期間秘せられるのが通例)に失脚するが、この動きには反田沼派や一橋家(徳川治済)の策謀があったともされる。8月27日に老中を辞任させられ、雁間詰に降格した。閏10月5日には家治時代の加増分の2万石を没収され、さらに大坂にある蔵屋敷の財産の没収と江戸屋敷の明け渡しも命じられた。

 その後、意次は蟄居を命じられ、2度目の減封を受ける。相良城は打ち壊し、城内に備蓄されていた金穀は没収と徹底的に処罰された。
 長男の意知はすでに暗殺され、他の3人の子供は全て養子に出されていたため、孫の龍助が陸奥1万石に減転封のうえで辛うじて大名としての家督を継ぐことを許された。同じく軽輩から側用人として権力をのぼりつめた柳沢吉保や間部詮房が、辞任のみで処罰はなく、家禄も維持し続けたことに比べると、最も苛烈な末路となった[注 2]。

 その2年後にあたる天明8年(1788年)6月24日、江戸で死去した。享年70。




     
          田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
          白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
 



官途[編集]
享保19年(1734年) - 徳川家重の小姓となる。
元文2年(1737年) - 従五位下主殿頭に叙任。
延享4年(1747年) - 小姓組番頭格。
寛延元年(1748年)閏10月1日 - 小姓組番頭、奥勤兼務に異動。石高1400石加増。それまでは、小姓組番頭格奥勤。
宝暦元年(1751年)4月18日 - 御側御用取次側衆に異動。
宝暦5年(1755年) - 石高3000石加増。知行合計5000石になる。
宝暦8年(1758年) - 石高5000石加増。1万石の大名となる。評定所への出席を命じられ、美濃郡上一揆の審理に当たる。遠江相良に領地を与えられる。
宝暦10年(1760年) - 9代家重引退し、家治10代となる。意次御用取次留任。
宝暦12年(1762年) - 石高5000石加増され、合計1万5000石となる。
明和4年(1767年)7月1日 - 側用人に異動。従四位下に昇叙。石高5000石加増、合計2万石。遠江国相良2万石の領主となる。
明和6年(1769年)8月18日 - 老中格に異動し、側用人兼務。侍従兼任。石高5000石加増。
明和9年(1772年)1月15日 - 老中に異動。石高5000石加増、合計3万石。11月18日、安永元年。この年諸国で凶作。
安永3年(1774年)8月 - 杉田玄白ら『解体新書』刊行。
安永6年(1777年)4月21日 - 石高7000石加増。
天明元年(1781年)4月2日 - 元年。7月15日、石高1万石加増。合計4万7000石。12月15日、意知、奏者番になる。
天明5年(1785年)1月21日 - 石高1万石加増。合計石高5万7000石となる。
天明6年(1786年)8月27日 - 老中依願御役御免。石高2万石召上げ。雁之間詰。
天明7年(1787年)10月2日 - 石高3万7000石召上げ。蟄居となる。

 
 


 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について




乱鳥徒然   台風が来るせいか昨日から眠くて眠くて仕方がない。うむうむ。なるほどなるほど、納得で〜す^^

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 台風が来るせいか昨日から眠くて眠くて仕方がない。

 鮮やかなカラーの夢を見ながら、眠りこくっている。

 私の深層心理にはこういった事柄が見え隠れしているのかとほくそ笑む。

 無意識の意識。

 大学時代に遊びで読み続けた心理学関係の本の内容を思い出す。


 ネットで調べると台風が近づくと眠くなるかたの多いことに気づかされる。

 次のように書かれたページがあった。


     台風が近づいてくると周囲の気圧が下がり始めます。
     台風自体が低気圧でその中心が最大の低気圧になっています。
     そのため台風の中心が近くを通れば通るほど気圧が低下することになります。
     気圧が下がると必然的に、酸素濃度も下がります。
     当然、人が取り込む酸素量にも影響が出てきます。
     肺に取り込める酸素がわずかながら減るんですね。
     人が酸素を取り込めないと、脳にいきわたる酸素量が減り、眠くなったり、体がだるく感じたりするのです。
     (https://affi-convert.com/生活/台風がくると眠くなる、だるくなるのはなぜ?対/)


 なるほどなるほど、納得で〜す^^
 

『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは

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 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」    評定所(ひょうじょうしょ)とは



 
 評定所の組織と機能

 
 田沼意次の評定所出産


 評定所(ひょうじょうしょ)     ブリタニカ国際大百科事典

 幕府の最高司法裁決機関。鎌倉幕府では,嘉禄1 (1225) 年創設の評定衆の会議所をいい,執権や連署列席のもとに立法行政上の重要事項,特に民事訴訟を審理裁決した。
 建長1 (49) 年その下で裁判の審理にあたるべきものとして引付衆 (ひきつけしゅう) がおかれた。室町幕府でもこれを踏襲した。
 江戸幕府では,寛永 12 (1635) 年創設され,寺社,町,勘定の3奉行に相互関連する重要訴訟事項ならびに事情の錯雑して容易に裁決しがたい事項を裁判した。
 この評議は式日といわれ,毎月2,11,21日に開かれ,3奉行のほか老中,目付 1人が列席した。
 また支配違いの通常の訴訟評議は,立会日といわれ,3奉行および目付1人が列席した。


 評定所(ひょうじょうしょ)     大辞泉

1 鎌倉幕府で、評定衆が事務を取り扱った役所。
2 江戸幕府の置いた最高の裁判機関。老中・大目付・目付・三奉行などが事件の重要度に従って列席し合議した所。


  評定所(ひょうじょうしょ)    平凡社百科事典

(1)鎌倉・室町幕府の評定衆が合議をした場所。
(2)江戸幕府では1635年に設けられた最高の訴訟裁決機関。寺社奉行,町奉行,勘定奉行の3者と老中1名で構成。
   のちに大目付,目付,側用人,側衆江戸出府中の所司代,遠国奉行なども参列することがあった。三奉行のうち二つにまたがる問題,大名・旗本からの訴訟,農民の越訴(おっそ)などを裁断。
         →関連項目大岡忠相日記|御仕置例類集|御触書集成|山論|徳川家光|万石騒動|目安箱

 評定所(ひょうじょうしょ)     大辞林 第三版

 ① 鎌倉時代、評定衆が評定を行なった役所。
② 江戸幕府における最高司法機関。寺社・町・勘定の三奉行がそれぞれ独自に裁断しえない案件が三者および老中一名によって合議された。





 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは


『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』

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 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』







 田沼意知は、田沼意次の子



 吉良斬り付け事件の『忠臣蔵』や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』はあまりにも有名だが、田沼意知にもこういった事件があったとは。

 善左衛門が田沼意知に何箇所も深手を負わせ、善左衛門が奉行所に問いただされる。

 しかし数日後、善左衛門が亡くなった時点で切腹。

 当時はいかなる理由があるにせよ、傷をおった者の息が途絶えた時点で、斬り付けたものは切腹になったという。


 なお切腹は、歴史書に度々書かれているように、芝居と同様の所作が途中まで行われる。

 しかし実際には、探検ではなく、木刀や扇子が置かれて腹を切る仕草をした時点で検視が見届け、首を切ったという。

 善左衛門の場合は木刀が置かれ、上のように腹を切る仕草をした時点で検視が見届け、首を切ったのだと書かれていた。


 歌舞伎を思い浮かべながら読んだので、不謹慎ではあるが、物語として非常に楽しかった。

 ただ、善左衛門の斬り付けたるゆうのいかんん委せよ、死んだ時点で切腹を命じられたという史実は、忍びない思い出ある。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』

『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「随筆に見る江戸の風俗」    出典 『塵塚談』国立公文書内閣文庫所蔵

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 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「随筆に見る江戸の風俗」    出典 『塵塚談』国立公文書内閣文庫所蔵







 『塵塚談』とは    (現代思潮新社 『塵塚談』 内容説明)
  江戸時代、市中見聞談と幕末俗事奇譚とをあわせ収める。不忍池の変遷、男色楼のこと、俳諧に関する雑話、多葉粉のこと、吉原遊女やケコロの話、又、大麩羅の始め、二八蕎麦のこと、町飛脚の始まり、うなぎ飯の始め等、興趣あふれる奇事故事満載の本文に、江戸市民生活年代記と多数の挿絵と注解を添える。


 
 この時代、ふぐや魚のこのしろは好んで食べられなかったという。

 フグは毒があったためだが、このしろにおいては「此の城」に通じるからだという。

 後にこのしろは、「こはだ」という名で食したという。

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「随筆に見る江戸の風俗」    出典 『塵塚談』国立公文書内閣文庫所蔵

子が連れてくれました 1    子が連れてくれました 2 に続く^^v 

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 子が連れてくれました 1



 
 

 

 

 

 

 

 中学からの友人たちと旅行に行って来た明るい声の我子。

 日も開けず此のお盆に三泊、帰ってきました。

 そして、またまた本日は友人と会っている忙しい彼です。


 昨夜は子供と難波に行きました。

 正式には、連れてもらったというのが正解かも^^

 なぜなら     あっはっは

             子が連れてくれました 2 に続く^^v 


 

      夫はお留守番  アホやな!
      大阪   難波にて




子が連れてくれました 2   ジャズライブを楽しむ

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      子が連れてくれました 2   ジャズライブを楽しむ




 子供がお盆に帰って来たので、ライブハウスに付いて来てくりゃれぇ〜!と祈願する ばか(違った、はは)

 子は苦笑しながらも
「明日、行くぅ?」
と、そこは親孝行な一人前の子供。


 あれこれ探してくれたが、中には大きな会場で、「小柳ゆき&大黒摩季」というのもあった。

 子は
「これで良いか?」
と問うが、乱鳥、首を縦にはふらぬ。

 しびれをきらした子供が、具体的に希望意を言うようにと言うので、次のような条件をつけてみた。


      Jazz喫茶で夜ライブ
      或いは
      得々か十得かミューズみたいなところ
      或いは
      ライブがなくても、京都時代のブルーノート(今は奈良に移動)かしあんくれーるかふうんじゃらーむ
      のような、文庫本一冊を読んで帰れそうな雰囲気のところ

 要するにジャズでもクラッシックでも演歌以外なら良いが、中学高校大学の頃慣れ親しんだ音楽的空間の大阪版を希望した。


 子は京都の大学へ通ったが、小学生の頃から上本町まで塾通いをしていたために、大阪はある程度は詳しい。

 要望を満たし、すぐに見つけ出してくれたのが、次の店。

 

    COMODO

    Anri Ikeda
    Vo: 池田杏理
    Pf: 堀智彦/B: 荒玉哲郎/D: 東敏之
    パワフルな歌声と光る個性でオーディエンスを魅了するキュートなヴォーカリストです。


 店は大人の雰囲気で、しっとりと音楽を楽しめる。

 お酒は美味しい、ゆったりとした空間。

 おまけに行く途中には一部柳も生え、京都の大丸裏、文化会館近くを歩いているような懐かしい光景の場所もある。

 落ち着いた居心地の良い通りを歩くと、落ち着いた店に入ることができた。


 また、Anri Ikedaが素晴らしい。

 曲は「枯葉」から始まり「スイングしなきゃ  云々」で終わる。


 ボーカルの池田杏理さんは声を転がす操って裏割れていた。

 いやぁ!うますぎる。ファンになりそうだ^^

 楽器で堀智彦さんは歌い、荒玉哲郎さんは弾み、東敏之さんは跳ねておられた。

 池田杏理さんの声とドラムの掛け合いに心は紅葉した。


 初めて訪れたCOMODOはゆっくりとした時間を楽しむことができた。

 この日お頼みしたのはドリンク各二杯とおつまみのみだったが店にはお食事も用意できるようなので、次は早めに行きお食事後にライブを楽しみたい。


 かって学生の頃にニューオリンズに行こうとしたが、なんとなく一人旅を断念した私。

 音楽も聴くのは好きなので九月初旬には六本木あたりでライブを楽しむ予定だが、さてさて 夫がどうなることやら(笑)


 道頓堀は歌舞伎も良いが、こんな楽しみ方ならできることなら毎日でも!と喜びころこび、目から鱗。

 池田杏理さんのような素晴らしい歌声でスイングしていたい


         と、
           心は学生の頃で止まってはいるが
           鏡を見れば
           非常に可愛いお年頃になった 浦島たろこ的乱鳥 は思うのでった。


 



 それにしても親孝行な子である。

 連れてくれた子に、

 快く送り出してくれた夫に、

 そして今回お世話になったCOMODO様に感謝^^

 
 
 

映画『富美子の足』 原作:谷崎潤一郎 監督・脚本:ウエダアツシ 4★  2018年 片山萌美 淵上泰史 武藤令子 山田真歩 福山翔大 田村泰二郎 でんでん

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 法隆寺




   映画『富美子の足』 原作:谷崎潤一郎 監督・脚本:ウエダアツシ 4★  2018年 片山萌美 淵上泰史 武藤令子 山田真歩 福山翔大 田村泰二郎 でんでん



 先日映画『神と人との間』 (監督・脚本:内田英治 谷崎潤一郎原案)をみた。

 乱鳥の谷崎潤一郎原作映画の第二段目は 『富美子の足』

 よくぞここまで狂気な世界や性格を表せるなと感心し、最後まで楽しんだ。


 淵上泰史(ふちかみやすし)さんの迫真の演技には見入ってしまった。

 いつしか富美子の足に魅了され、狂気に転じ深みにはまりながらも、富美子への人格を持った足を愛し、罪をきるといった方法で愛情h蕩減する男に、切なささえ覚えた。


 今回も簡単な記録のみにて、失礼申し上げます。




 2018年
 日本 / 上映時間:
 81分

 監督 ウエダアツシ
 脚本 ウエダアツシ
 原作 谷崎潤一郎

 出演者
 片山萌美 淵上泰史 武藤令子 山田真歩 福山翔大 田村泰二郎 でんでん

 

 

市史、町史

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  『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』 片岡仁左衛門丈
   ま! 







 昨日のこと。

 子供が自分の家に帰ったので、近隣の図書館に行った。


 お頼みしていた奈良の市史、町史3冊と『奈良大和図絵』と『江戸時代の古文書 云々』の五冊を抱え込み帰ってきた。

 市史、町史をパラパラとめくっているだけで、昨日の夕刻以降の大半を過ごしてしまった。


 奈良に住んで随分とたつが、奈良について知らない私。

 まして他町ともなると、行ったことのないところは想像がつかないので、ありがたい。

 
 市史、町史には名の如くその町の歴史や神社仏閣や産業が乗せられている。

 中でも伝承や民俗学関係の項目になると、血が騒ぐ。


 市史、町史

 またひとつ、面白い遊びを見つけてしまった^^v

 

 

映画『悪魔』 原作:谷崎潤一郎 監督:藤井道人 脚本:山口健人 4,3★  2018年 吉村界人 大野いと 前田公輝 遠藤新菜 山下容莉枝

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   映画『悪魔』 原作:谷崎潤一郎 監督:藤井道人 脚本:山口健人 4,4★  2018年 吉村界人 大野いと 前田公輝 遠藤新菜 山下容莉枝



  映画『神と人との間』
  映画『芙美子の足』 

 上を見たので、文豪・谷崎潤一郎の短編を3人の映画監督が現代劇として映像化するシリーズ「谷崎潤一郎原案 TANIZAKI TRIBUTE」の1作。大正元年に発表された谷崎の同名小説を「光と血」「オー!ファーザー」の藤井道人監督が映画化。吉村界人、大野いと、前田公輝という注目の若手キャストが共演する。大学入学のために上京した佐伯の下宿先となる林邸は閑静な住宅街に居を構え、大家の千枝、千枝の娘・照子、林家の親戚にあたる鈴木が住んでいた。佐伯はアルコールにおぼれ、大学にもなじめず、幻覚に苦しむ日々を送っていた。高校生ながら不思議な色気と魅力を持つ照子は頻繁に佐伯の部屋を訪れ、佐伯の心を惑わせた。照子を偏愛する鈴木は、佐伯に照子に近づかないよう警告するが、佐伯は鈴木の言葉に反発する。

 上のあらすじの説明が曲者である。


     高校生ながら不思議な色気と魅力を持つ照子は頻繁に佐伯の部屋を訪れ、佐伯の心を惑わせた。照子を偏愛する鈴木は、佐伯に照子に近づかないよう警告するが、佐伯は鈴木の言葉に反発する。

     そしてネタバレするならば、最後は、鈴木が佐々木を刺し殺した…みたいな^^

 


            よくみtれば、鈴木が佐伯の喉を掻っ切ったはずのナイフ
            佐伯の右手には、そのナイフが光る。    ←(ここ、ポイント)




 バスに乗った、強迫観念に囚われた佐伯の場面から始まるこの映画。この強迫観念は最後までおをひくことになる。


 佐伯は親にも見放され、度々金縛りにあい悪夢を見て鼻血を出した後は、夢が現実になるという錯覚に陥る。

 幻覚が見え、生きたエビが這いずりのたうち回り、鈴木が悪夢と化して渦巻く。

 これぞ、今現在で云う所の「統合失調症」、私の大学時代で云うならば、「分裂症(現在使ってよくない言葉であるならば、お許しください)」症状を思い浮かべ、カフカを思い出す。

 それを匂わすかのように絵にの小刻みな動きを多用し、高校生の女を原因の根源と考えるが、それを他意に考えたい願望が「鈴木」と云う男の存在を心の中で描き出す。


 なぜそう感じるか。

 入学した大学生活で知り合った同級の女子の言葉である。

「ある日急に一日だけ元気になった弟は次の日に自殺した、心理学を学べば、弟の気持ちがわかるかと思ったが、わからなかった、(要約)」
と悲しそうに話す彼女は、自殺した弟と佐伯の姿を重ね合わせていた。


 私は大学生の頃に専攻外であるにもかかわらず心理学にハマったことがあったことはこのブログでも何度か書いたことがある。

 みすず書房の『ある分裂少女の手記』はまさに私の考えるカフカの世界を美しい世界との逆に記されたものであったが、今回見た映画『悪魔』はその書物を色鮮やかに思い起こさせた。

 そい云う意味且つ佐伯役の吉村界人さんの迫真の演技に拍手しつつ、4,4★と云う点数をつけさせていただいた。


 この映画は、深読みを張り巡らせていくとかなり面白いです。こういった映画も私は好きです。




 映画を見終えた後に天井をみ自分の血管を凝視したが、天井はいつものように板張り、あるいは壁紙張りで何の変化もないし、虫もはいずり回ってない。(笑)

 自分の皮下や血管を見つめて見たものの、やはりいつもの私も可愛いお肌であった。(あったりまえか!  笑)

 せっかくこのような面白いテーマの映画を見たのに、見終えた後はいつも通りに健全すぎる私の面白みのなさに多少いや気を感じたかもしれないし、健全で良かったと安堵した事実もぬぐいきれない。


 この映画も感想を見ていると、評価が低いものが多い。

 残念である。



 鈴木という人物の三角関係、鈴木の狂気、鈴木の変質を歌った感想が多いが、実はそれは全て佐伯自身が作り上げた人物、いわば妄想であり、大学の心理学講座で教授が交互されていた内容の一部
「自殺を正当化(??)し云々   (要約)」
に通じる。

 佐伯の妄想や願望はかなり広範囲にわたっているので、どれが現実でどれが幻想かといったことを分析するのは難しいし、また、この映画では現実と幻想に二分化するといった作業はナンセンスであると付け加えておきたい。



 映画『神と人との間』 『富美子の足』 『悪魔』それぞれの面白い作品を楽しませていただいた。

 充実の時間を送れたことに感謝している。
 

 

 今回も簡単な記録のみにて、失礼申し上げます。






 映画『悪魔』

 文豪・谷崎潤一郎の短編を3人の映画監督が現代劇として映像化するシリーズ「谷崎潤一郎原案 TANIZAKI TRIBUTE」の1作。大正元年に発表された谷崎の同名小説を「光と血」「オー!ファーザー」の藤井道人監督が映画化。吉村界人、大野いと、前田公輝という注目の若手キャストが共演する。大学入学のために上京した佐伯の下宿先となる林邸は閑静な住宅街に居を構え、大家の千枝、千枝の娘・照子、林家の親戚にあたる鈴木が住んでいた。佐伯はアルコールにおぼれ、大学にもなじめず、幻覚に苦しむ日々を送っていた。高校生ながら不思議な色気と魅力を持つ照子は頻繁に佐伯の部屋を訪れ、佐伯の心を惑わせた。照子を偏愛する鈴木は、佐伯に照子に近づかないよう警告するが、佐伯は鈴木の言葉に反発する。

2018年製作/83分/日本
配給:TBSサービス




監督:藤井道人 

脚本:山口健人 

吉村界人 大野いと 前田公輝 遠藤新菜 山下容莉枝

俳優座 過去の上演 作家別回数(劇団俳優座 公式HPより)  安部公房作品は過去5回、俳優座の100回公演記念はイプセンの『人形の家』

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    イラン バンダレ・アーザーリーにて        海と老人 …と孫






 俳優座 過去の上演 作家別回数(劇団俳優座 公式HPより)   安部公房作品は過去5回、俳優座の100回公演記念はイプセンの『人形の家』



 俳優座 過去の上演 作家別回数(劇団俳優座 公式HPより)
【戦後の創作劇】田中千禾夫(11)、
        田中澄江(7)、
        安部公房(5)、
        真船豊、小山祐士、三島由紀夫、秋元松代、椎名麟三(各3)
        正宗白鳥、久坂栄二郎、田口竹男、内村直也、(各2)、
        岸田国士、川口一郎、太宰治、伊藤貞助、福田恆存、加藤道夫、木下順二、武田泰淳、その他(各1) 。

【戦前の創作劇】真船豊(7)、
        森本薫(1)、
        森鴎外、島崎藤村、郡虎彦、幸田露伴、小山内薫、菊池寛、久米正雄、横光利一、岸田国士、久保栄、阪中正夫、田中千禾夫、伊賀山昌三、川口一郎、鶴屋南北、(各1)。

【外国古典劇】モリエール、シェークスピア(各4)、
       ゴーゴリ(2)、
       アリストパネス、 ボーマルシェ、ゴルドーニ、クライスト(各1) 。

【外国近代劇】ストリンドベリ(5)、
       チェーホフ(4)、
       イプセン、バリ、ロマン・ロラン、ジャネット・マークス(各1)。

【外国現代劇】ブレヒト(2)、
       ピランデルロ、ヴィルドラック、デュガール、ジロドウ、カミユ、コクトー、ロルカ、フランク、ヴォルフ、クルツコフスキー、プリーストリー(飜案)、
       オニール、インジ、フィリッポ、丁西林(各1)。




 上を見ると日本の作品と外国の作品はバランスよく同じくらいの公園をされていることに気づく。

 モリエール、チェーホフ、ブレヒト、シェークスピア、ゴーゴリ、幸田露伴、三島由紀夫作の部隊も見て見たかったなと思う。


 イプセンは一回上映されている。

 おそらくあれか!(笑)

 イプセンの『人形の家』は十代の頃から読み始め、4,50代で4度目を読んだが、つい先日夫と話をしていたところである。

「『人形の家』は歳を変えて飛んど読んだが、読む度に感じ方が変わるのよ。あれから歳もとったし、5回目を読んでみようかしらん。また、感じ方が変わっていたりなんかして^^」
と。

 そして、その話の二日後、夫は文学座で音楽劇『人形の家』を探し出してくれた。

 俳優座100回目の公演記念であった。


 夫は俳優座や文学座や他いろいろな話をしてくれた。

 えらく楽しそうだ。


 上の作家別上演リストを見ると、多くの立派な作家が多い。


 安部公房先生の作品は、5作品。

 面白い内容部会戯曲が多いので、満足のいく部隊が展開されたことだろう。

 俳優座で安部公房作品が多いことに、納得がいく。

 
 あまり馴染みがないのだが、俳優座の創立当時(?)にいらっしゃった今は女子大で演技指導(?)をなさっておられる元役者さんは、安部公房スタジオの旗揚げに参加されていたのだとか。

 高校生の頃安部公房先生の作品が好きで、大学一回生と二回生の頃に大津西武で安部公房スタジオを三回見たことがある。

 そのうちの一回は、『イメージの展覧会』で、白い光の通る布を多用されていたことを覚えている。

 一度目は役者さんがボールを落とされてしまったが、二度目の公園ではボールを受け取られていた。

 何度見ても、舞台は変わる。舞台は生もの。だから演劇は面白い。


 余談だがこの年に、安部公房先生にお茶をご馳走になった。

 あの時話されていた演劇に対する先生の言葉は忘れられない。


 

 


 




俳優座 及び、 俳優座劇場プロデュース 音楽劇『人形の家』

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 俳優座劇場プロデュースNo.108
 9月3日(火)~7日(土)
 音楽劇『人形の家』

 

 以下のデーターは俳優座劇場公式HPより引用

 ノルウェーの作家イプセンは社会劇の創始者と言われ、特に1879年に発表された「人形の家」は新しい女性像を世に示し、近代劇の出発点となった作品と評されています。
 その「人形の家」を演出の西川信廣、作曲・音楽の上田亨、作詞の宮原芽映と共に音楽劇として2017年に上演、高い評価を戴きました。

 ノーラを演じるのは、その美しく透きとおる歌声で客席を魅了する土居裕子。
 夫ヘルメルには大場泰正、運命の鍵を握るクロクスタに畠中洋、親友リンデ夫人に古坂るみ子。進藤忠、長浜奈津子の実力派と、オリジナル戯曲には無いアンサンブルを登場させ劇世界を拡げます。


 作 ヘンリック・イプセン
 翻訳 原 千代海
 演出 西川 信廣
 作曲・音楽 上田 亨
 作詞 宮原 芽映


 出演 土居裕子/大場泰正/畠中 洋/古坂るみ子
     進藤 忠/長浜奈津子
     川口大地/本田玲央/納田洸太/樋山雄作
     仙崎貴子/竹本瞳子/宮田佳奈




 以下のデーターは、ウィキペディアより引用
 
 ノーラ役
 土居 裕子(どい ゆうこ、1958年11月27日 - )
 日本の女優、歌手、声優。愛媛県宇和島市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科(ソプラノ専攻)卒業。プランニング・クレア所属。

 1978年 東京藝術大学に合格。 1982年、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。
 劇団四季研究所へ20期生として入所し、10か月間在籍した後、1983年退所。
 NHK
 昭和音楽大学音楽学部音楽芸術運営学科ミュージカルコースの講師
 現在は上記の他、舞台を中心にTV、吹き替え、コンサート活動など、幅広く活躍している。





         俳優座 過去の上演 作家別回数(劇団俳優座 公式HPより)  安部公房作品は過去5回、俳優座の100回公演記念はイプセンの『人形の家』





 以下のデーターは、ウィキペディアより引用

 俳優座とは
 文学座・劇団民藝と並び、日本を代表する新劇団の一つ。
 1944年(昭和19年)2月に青山杉作・小沢栄太郎・岸輝子・千田是也・東野英治郎・東山千栄子ら10人によって設立された。
 映画放送部は後に佐藤正之を代表とする株式会社仕事として分離独立した。
 TBSで放送された「水戸黄門」「大岡越前」では、それぞれ長らく「協力・俳優座」とクレジットされるとともに、両シリーズ終了まで多くの主要キャストが俳優座から抜擢された。
 かつては映画会社所属の俳優も委託指導し、東映は1950年代から1960年代にかけて東映ニューフェイスで採用した新人俳優を、6カ月育成してもらっていた。
 1953年には、俳優座演劇部研究所が菊池寛賞を受賞。


最近の作品
2013年
no.314:心細い日のサングラス(作/山田太一 演出/中野誠也)俳優座劇場
no.315:とりつくしま (原作/東直子 ちくま文庫刊「とりつくしま」より 脚本・演出/眞鍋卓嗣)シアタートラム
no.316:三人姉妹 (作/アントン・チェーホフ 演出/森一)俳優座稽古場
no.317:気骨の判決 (原作/清永聡「気骨の判決」より 脚本/竹内一郎 演出/川口啓史)紀伊國屋ホール

2012年
no.310:カラマーゾフの兄弟 (原作/ドストエフスキー 脚本/八木柊一郎 演出/中野誠也)俳優座劇場
no.311:ヒメハル~ヒメジョオン・ハルジオン~ (作/スエヒロケイスケ 演出/眞鍋卓嗣)紀伊國屋ホール
no.312:かもめ (作/アントン・チェーホフ 英訳/マイケル・フレイン 翻訳/小田島雄志 演出/眞鍋卓嗣)俳優座稽古場
no.313:いのちの渚 (作/吉原公一郎 演出/落合真奈美)

2011年
no.306:リア王 (作/ウィリアム・シェークスピア 訳/小田島雄志 台本・演出/安川修一)俳優座劇場
no.307:月光の海 ギタラ(企画/加藤剛 原作・脚本/毛利恒之 演出/藤原留香)紀伊國屋ホール
no.308:ワーニャ伯父さん (作/アントン・チェーホフ 訳・演出/袋正)俳優座稽古場
no.309:ある馬の物語 (脚色/マルク・ロゾーフスキイ レフ・トルストイ「ホルストメール」による 訳/桜井郁子 演出/眞鍋卓嗣)あうるすぽっと

2010年
no.301:どん底 (原作/マキシム・ゴーリキー 脚本・演出/安川修一)紀伊國屋サザンシアター
no.302:沈黙亭のあかり (作/山田太一 演出/中野誠也)紀伊國屋ホール
no.303:大岡越前-卯の花が咲くとき― (脚本/筑地久実、RaiKen Plus 演出/金子良次)三越劇場
no.304:心の止り―この人を心の止りに朝夕見てこそ― (作/美苗 演出/森一)シアターΧ
no.305:樫の木坂四姉妹(作/堀江安夫 演出/袋正)シアターΧ

2009年(創立65周年記念)
no.296:村岡伊平治伝 (作/秋元松代 演出/安川修一 出演/小山力也 ほか)俳優座劇場
no.297:蟹工船 (原作/小林多喜二 脚本・演出/安川修一)俳優座劇場
no.298:nine (作/小原延之 演出/山田潤)シアターΧ
no.299:コルチャック(原作/近藤二郎 平凡社ライブラリー決定版「コルチャック先生」、近藤康子 岩波ジュニア新書「コルチャック先生」 台本・演出/安川修一)シアターΧ
no.300:渇いた人々は、とりあえず死を叫び(作/青木豪 演出/高岸未朝)あうるすぽっと



 現在の主な座員

演技部 男性
小笠原良知
中野誠也
河原崎次郎
小美野欣士
伊東達広
可知靖之
遠藤剛
中寛三
川口啓史
堀越大史
若尾哲平
内田夕夜
小山力也
巻島康一
森一
加藤佳男
河内浩
河野正明
矢野和朗
川井康弘
田中茂弘
松島正芳
関口晴雄
志村史人
田中美央
谷部央年
塩山誠司
蔵本康文
脇田康弘
齋藤隆介
林宏和
八柳豪
松﨑建ん語
頼三四郎
ほか


演技部 女性
岩崎加根子
香野百合子
坪井木の実
田野聖子
執行佐智子
川口敦子
清水良英
片山真由美
早野ゆかり
来路史圃
荒木真有美
浅川陽子
小澤木の実
保亜美
有馬理恵
ほか


過去に輩出した主な俳優
元・俳優座座員
千田是也
東野英治郎
小沢栄太郎
松本克平
神山寛
木村功
稲葉義男
横森久
武内亨
滝田裕介
永井智雄
福田豊土
田中邦衛
仲代達矢
中谷一郎
平幹二朗
井川比佐志
加藤剛
菅貫太郎
中村敦夫
山本學
山本圭
横内正
原田芳雄
阿藤快
東野英心
秋野太作
古谷一行
大林丈史
鶴田忍
磯部勉
緒方文興
てらそままさき
浜田寅彦
西川竜太郎
志村要
東山千栄子
岸輝子
川上夏代
杉山とく子
菅井きん
大塚道子
野村昭子
市原悦子
河内桃子
小林哲子
栗原小巻
佐藤オリエ
谷育子
井口恭子
日下由美
堀江真理子
丸山真歩
安藤麻吹
野中マリ子
中野今日子
ほか

『谷崎潤一郎全集 第一巻』「悪魔」 人それぞれの見方や感じ方は違うが、私のこの映画に対しての捉え方もその一つである事が実感でき、喜ばしい。

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  『谷崎潤一郎全集 第一巻』より「悪魔」  
人それぞれの見方や感じ方は違うが、私のこの映画に対しての捉え方もその一つである事が実感でき、喜ばしい。






        映画『悪魔』     が谷崎潤一郎の原案とされる作品であったので、気にかかり原作を読んでみた。

 原作を原案とする映画あるいは芝居が、このように脚本化され、映画や舞台として作品化されるのかと思うと、大変興味深い。


 原作の谷崎作品では、名古屋から東京に向かう電車から始まる。

 強迫観念に苛まれた佐伯は、電車の中でパニック症状やヒステリー症状を起こし、苦しくなり、何度も電車を降り、のち次、伊豆では泊まり動揺が収まってから東京に向かう。

 光が眩しいなどの精神的症状も巧みに描き出す原作。


 下宿先に着いてからはやたら明るい女の母(これは映画も表現)が話す言葉が多い。

 今日構成の娘も大人びた色っぽい口調(これも映画で表現)で話しかけてくるが、接し方は映画とは異なる。

 風邪をひいた女は佐伯の部屋で鼻をかむが、手ぬぐい(映画ではティッシュ)を忘れたといい、女中が手ぬぐいを探しに部屋に入ってくる場面がある。

「お嬢さんが、鼻をかんだ手ぬぐいを部屋ぬ忘れたから、汚いものだから持ってこうとおっしゃった。(要約)」
という言葉でもわかるように、色目で接してきているわけではない。

 佐伯と、鈴木が、女を自分の中で膨らませ、美化し、妄想している。


 重要な意味をもつ、鈴木。

 原作では鈴木は女の父親に天才だと見込まれ、娘と結婚させるという話があったらしい。

 鈴木は実際は高校生の女の家で、書生として過ごしていた。

 だが鈴木は女の或る意味魔の魅力に取り憑かれ、だんだん阿呆になり、私学に入学し、この小説でいう見込みのない男に成り下がってしまったという設定。


 或る日を境に鈴木は佐伯に食ってかかり、
「もう君(佐伯)とは話さない。」
と絶好宣言をしている。

 そこには、海老の統合失調症的表現の一つの表れとしての映像での海老などの様な病気じみた表現は全くない。


 そして、原作では、上にも書いたが、てぬぐいで鼻をかんだ女の汚物(?)の場面。

 ここで、幕を閉じる。


「お嬢さんが、鼻をかんだ手ぬぐいを部屋ぬ忘れたから、汚いものだから持ってこうとおっしゃった。(要約)」

「さぁ、僕は知らないなぁ。」

 女中が階段を降りて行ったことを確認した佐伯は、女の手ぬぐいを開け、手でにしく理、下で舐め始める。


      
        …………此れが………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………思い切って
        谷底へ、突き落とされるような恐怖に追い立てられつつ、夢中になってぺろぺろと舐める。
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
       「もういい加減に降参しろ。」といわんばかりに輝子は相変わらず二階に上がってきては、チクチクと佐
        伯の神経をつツ突く。……………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
        …………………………………………………………………………………………………………………………………………
       「輝子の淫婦奴!」
        と呻るやうな聲で怒號して見たくなるかと思えば、
       「いくら誘惑したつて、降参なんかするものか。己には彼奴にも鈴木にも知れないやうな、秘密な楽園が
        あるんだ。」
        こんな負け惜しみを云つて、せゝら笑ふ気持ちになつた。      
                            
                         (『谷崎潤一郎全集 第一巻』より「悪魔」  P.297,298)


 谷崎文学の最後は、上のように締めくくられている。




 映画ではここから狂気の世界を繰り広げ、最後は鈴木に殺されるという妄想を抱くまでに発展させている。

 つまりは映画も創造であり極端に言えば、妄想の世界を広げているのであり、佐伯が鈴木の殺されると云った幻想を抱いたのだと考えても間違いではない一つの捉え方であると確信を持った。

 
 映画や舞台などは原作も読み楽しむと、より楽しめる気がする。

 小説においても映画や舞台においても人それぞれの見方や感じ方があると思うが、私自身においてもこの映画に対して一つの捉え方であることが実感できたことは喜ばしい。




 気をよくしたので、おまけの写真です^^  
      ▼

『稲生物怪録絵巻集成』(杉本好伸編 国書刊行会出版)から『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』『視聴草』では享保に植えられた桜を楽しむ江戸庶民を思い、桜の季節をずらして江戸に移動した将軍のことが記されている。

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 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』一章 出典 『視聴草』国立公文書内閣文庫所蔵







 『視聴草』では享保に植えられた桜を楽しむ江戸庶民を思い、桜の季節をずらして江戸に移動した将軍のことが記されている。

 (写真右)

  天晴れな将軍だと感じた。

 






 



 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「随筆に見る江戸の風俗」    出典 『塵塚談』国立公文書内閣文庫所蔵

 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』

 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』『視聴草』では享保に植えられた桜を楽しむ江戸庶民を思い、桜の季節をずらして江戸に移動した将軍のことが記されている。

『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』一章-2 『視聴草』では大酒飲み、大飯食食いの実際に食らった具体的数値が載せられている。

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 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』一章-2 出典 『視聴草』国立公文書内閣文庫所蔵

   『視聴草』では大酒飲み、大飯食食いの実際に食らった具体的数値が載せられている。







 『視聴草』では大酒飲み、大飯食食いの実際に食らった具体的数値が載せられている。

  驚くばかりの、珍し付きの祭り好きイベント好き、のりの良い江戸時代の人々である。


 






 

 

 

 



 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵)  生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)

 『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃

 『江戸時代の古文書を読む 享保時代』

 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

 徳川 宗春(とくがわ むねはる)   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

 徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」   田沼意次について

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」   評定所(ひょうじょうしょ)とは

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意知刺殺事件の真相」    出典 石河家文書『徳川林政史研究所所蔵』

 『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「随筆に見る江戸の風俗」    出典 『塵塚談』国立公文書内閣文庫所蔵

 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』

 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』一章-1『視聴草』では享保に植えられた桜を楽しむ江戸庶民を思い、桜の季節をずらして江戸に移動した将軍のことが記されている。

 『江戸時代の古文書を読む 文化文政の世』一章-2 『視聴草』では大酒飲み、大飯食食いの実際に食らった具体的数値が載せられている。
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