(京都 真如堂近くの民家)
「紺屋の明後日」という言葉がありますね。
父は、私が幼い頃から「紺屋の明後日」という意味を正しく教えた上で、このように申しておりました。
生粋の京都人の父は京都弁で次のように言っておりました。(が、ここではあえて京都弁を書きません。)
「紺屋の明後日の本当の意味は云々だけどね、そう考えてはいけないよ。紺屋の明後日というのは少し日にちを長めに伝えても、できるだけ早めく相手様に真心を込めてお世話する事だと考えるといいよ。お約束よりも早めに真心をお伝えするのが、人としての礼儀なんだよ。」
この言い伝えは本来の意味を曲げてはおりますが、某氏に師事を仰ぎ、前向きで努力家の父らしい考え方だと今でも感じております。
以前、冷泉貴実子さんの『冷泉家八〇〇年の「守る力」』 を楽しみましたおり、著者は「こーと」という言葉を何度も使っておられました。この「こーと」という語も、父が度々口に致しておりました言葉でございます。
私は、わざとポジティブな方向に故意に転じ考えるように申した父の言葉「紺屋の明後日」と、人の深みを感じる「こーと」という言葉が、いまでも好きでございます。
「紺屋の明後日」という言葉がありますね。
父は、私が幼い頃から「紺屋の明後日」という意味を正しく教えた上で、このように申しておりました。
生粋の京都人の父は京都弁で次のように言っておりました。(が、ここではあえて京都弁を書きません。)
「紺屋の明後日の本当の意味は云々だけどね、そう考えてはいけないよ。紺屋の明後日というのは少し日にちを長めに伝えても、できるだけ早めく相手様に真心を込めてお世話する事だと考えるといいよ。お約束よりも早めに真心をお伝えするのが、人としての礼儀なんだよ。」
この言い伝えは本来の意味を曲げてはおりますが、某氏に師事を仰ぎ、前向きで努力家の父らしい考え方だと今でも感じております。
以前、冷泉貴実子さんの『冷泉家八〇〇年の「守る力」』 を楽しみましたおり、著者は「こーと」という言葉を何度も使っておられました。この「こーと」という語も、父が度々口に致しておりました言葉でございます。
私は、わざとポジティブな方向に故意に転じ考えるように申した父の言葉「紺屋の明後日」と、人の深みを感じる「こーと」という言葉が、いまでも好きでございます。