58: 『○○漫録』
データーは奈良県立情報図書館公式HPより引用▼
解題
「○○漫録」は、奈良奉行所の与力玉井定時およびその子孫の著述ならびに写本など全78巻の寄託文書。「○○漫録」の名称は、狭義には表紙に「○○漫録」とある22〜29巻をさし,広義には全78巻をさす。 このうちの大部分が、定時の著述・筆写になる。定時は、通称与左衛門、以長斎と号し、奈良奉行所与力井関六大夫の長男として正保3年(1646)生まれ、宝永4年(1707)に隠居、享保5年(1720)75歳で没した。
定時は、執務記録のほか、与力在任中あるいは隠居後に執務上の興味のおもむくままに大和国内の在町在郷の神官・僧侶・町年寄・庄屋や他藩士から記録・由緒書などを借覧して筆写したものが多い。 このうち、「大和名勝志」全16巻、「大和国著聞記」全3巻、「里程大和州著聞記」全1巻は、大和・南都に関する地誌である。なかでも、「大和名勝志」は、単なる名所案内記ではない。 随所に寺社等で臨写した縁起・由緒書だけでなく、朱印状や大和武士の系譜、城主などについても詳しい。諸書を博覧した出色のものである。 また、「大和国著聞記」のなかには、大和で最も古い郷帳があり、江戸初期の領主が確認できる。
在任中の役務に伴う記録としては、天和3年(1683)「大和州川々検聞記分記」をはじめ、元禄十年(1697)「遠方寺社巡見記完」、「元禄十丁丑年山陵記録」などがある。
毎日取り組んでいた訳ではないので、40日ほどかかって『○○漫録』のごく一部を読む。
まずはいただいた資料。
わが家のコピーの関係上1/2に大きさ(A4)煮なおすと、写真のような文章が52枚。
一見難しいように見えるが、これまで二年間学んできた文字が多く、その応用。なので、知っている筈の文字が結局出てこない場合、落胆する。
時間がかかった。いただいた資料を全て読むのに、何十時間を費やした。(あまりにも長い時間なので、正確な時間は教えて上げないw^^w)
『○○漫録』の読みに関しての一度目はできるだけ早く読みたいと思い、コピー要しの右横に文字を書き写した。
今のところ、ここまで。
しかし、まだまだ、これからがたいへん
意味の分からない内容画多くあるので、もう一度原稿用紙に記入し、よ古に読み方を下記、意味も調べねばならない。
時間がかかる…☆
やりたいこと、見たい物が多く、嬉しい悲鳴をあげている。