平常心是道 びょうじょうしんこれどう
南泉 因みに趙州問う、
如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、
知は是れ妄覚、
不知は是れ無記、
若し真に不擬の道に達せば、
猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、
豈(あに)に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
豈とは (大辞泉より)
1 あとに推量を表す語を伴って、反語表現を作る。どうして…か。
「価なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に―まさめやも」〈万・三四五〉
2 あとに打消しの語を伴って、強い否定の気持ちを表す。決して…ない。
「夏蚕(なつむし)の(ひむし)の衣二重着て隠み宿(やだ)りは―良くもあらず」〈仁徳紀・歌謡〉
豈とは (日本国語大辞典より)
1〔副〕反語表現に用いる。どうして。何として。推量の助動詞「む」に助詞「や」を添えた形をあとに伴う場合。まれに「や」のつかない例もある。*万葉〔8C後〕三・三四五「価無き宝といふとも一坏(ひとつき) ...
2 あに =図(はか)らん(や)[=図(はか)りきや]-日本国語大辞典
(反語の副詞「あに」に、動詞「はかる」、助動詞「む」、助詞「や」が連なったものが呼応し、それが一つの言いまわしとして固定したもの)次に来る文で表現される事態が予想外の時に使う。(「…とは」「…と」「 ...
がい‐てい【豈弟・悌】-日本国語大辞典
3 〔名〕人柄のおだやかなこと。また、やわらぎ楽しむこと。*古事記〔712〕序「乃ち、牛を放ち馬を息(いこ)へ、悌して華夏に帰り」*伊呂波字類抄〔鎌倉〕「悌 カイテイ」*常山文集〔1718〕七律「我元 ...