龍田古道 亀の瀬近く (丸、四角の橋桁よ、一列に並ぶ民家)
亀の瀬の地すべり対策工事は、1962年(昭和37年)に始まった。
当時とし随分大規模な工事で、研究者や工事関係者のみならず、多くの見物客で賑わったと、亀の瀬資料館に書かれていた。
観客の賑わいはとどまることなく、店が出て、絵葉書といったみやげ品まで売られていた。
当時の景観の資料はほとんど残ってないそうで、今となっては、当時のみやげ品であった絵葉書が、貴重な資料を担っているとのこと。(以上亀の瀬資料館で読んだ内容)
1962年(昭和37年)頃か、、。
亀の瀬は大きく崩れ、その土は〈大和川〉の下を流れ込んだという。そのため、大和川は隆起し、大和川の流れを止め、大洪水となった。
当時国鉄の線路は使用不可能となり、現在のJRの走る位置に移動したとのことであった。
大洪水は多くの被害をもたらせ、工事は大規模であったが、 1962年(昭和37年)に大規模な工事が行われた。
一部突貫工事であったため、橋の脇(大きな手すりあるいは落下帽子部分)は、丸であったり四角であったりと、形が異なっていた。
また、橋桁も、四角であったり、丸であるといった形に一貫性のない、日本でも珍しく鉄道ファンが写真を取りに来るといった珍しい橋桁だそうである。
今でも亀の瀬のこの辺りは。地すべり注意地区のようである。
元は上にあった民家。
大規模な地すべりがあったのち、今の在所であり下の一に、一列に並んで家が建ち並んでいる。
亀の瀬は世界でも有数の技量を持った地すべり対策を練られている。
皆が安心して生活できる、そんな暮らしを願う。
みなさまみてくださいまして、誠にありがとうございます^^