現代版 薮薬師の竹斎先生と、神の手を持つお医者様
脚が痛い。
非常に脚が痛い。
この痛みは間欠性跛行かと血栓を疑う。
以前頻繁に芝居に明け暮れ、歩行器に乗る機会が多かった頃、この痛みを味わったことがある。
メロディ〜、それはこのいたみぃ〜
と呑気に歌う余裕などはない。
とにかく痛いのだ。
この血栓というやつは、医者が信じてやまない血液検査でもMRIでも姿をひそめる場合が多い。
竹斎は、そのことを知らない。だから、薮薬師なのだ。
以前にエコノミー症候群にかかった時には、この血液検とMRIと私の若き年齢に悩まされた。
血液検とMRIはなんら異常がない。
四病院を転々として、やっとの事で知識のある先生にたどり着いた。
そして私は救われた。
今回、疑わしきは以前の病気ということもあり、血栓を見つけていただいた病院に電話をかけた。
するとそこは良い看護婦が応対してくださり、先生に聞いてくださった。
「まずはかかりつけの病院で、整形外科と内科を受診し、紹介状を書いてもらってください。紹介状がないと、ずいぶんお高いので。」
と、親切だ。
かかりつけの病院には循環器内科はなく、そのことはあらかじめ事務員にも、看護師にも訪ねていた。
私は意を決しかかりつけの病院に行ったのだが、案の定、的を得ない。
整形外科は、腰のせいだといい、私が、
「以前と比較して、悪くなっているのか」
と訪ねてようやくCTを撮ってくださる。
この先生はまだ良い。一般的な単なる医者である。
ところが受付の手違いでたらい回しにされた内科、この先生がいけない。
「呼ばれたから来た。」
「血栓なら、血液でわかる。血栓なら、値が上がる。」
「〇〇病院に行きたいのですか。」
(行きたいというわけではないのですが、この病院では血液循環器科はないのでしょう?)
「誰がいうたんや、そんなこと!」
(受付も、看護師さんもそうおっしゃっていましたが、、、)
「誰や!アホが、、血液を調べたら、わかるんや。」
「〇〇病院に変わりたいんやな。」
「どうしたらええの?紹介状書いたらええの?」
「変わったら、どんな扱いを受けるかしらんで!」
上は、脅しとも取れる、医者が絶対に行ってはいけない言葉である。
「紹介状、書いたらいいんやね書いたら。」
「ほな書きますよ、書いたらいいんやね、書いたら。書きますがな。」
そして渋々
「ちょっと待っててください」
とおおよそ医者とは思えない雑な言葉である。
かかりつけの病院とはいえども、私の担当の医者でなかったことに、感謝する。
こと汚く話す男性は医者といえども関わりたくはない。
翌日、書いていただいた紹介状を持って、目当ての病院へ行く。
神だ!この方、神だ、と、手を合わす。
お医者様で、神様がいらっしゃった。
その循環器内科の先生は、神の手を持たれていた。
左足を指先で足の血管の色々な部分を押され、
「ここは押しても戻って来ます。」
「ここ(A)は押しても戻って来ません、何かがいるんだと思います。」
これが本当の名医であると、安堵した。
「これから、血液検査とCTを撮って、見てみましょう。」
そして結果、
「血液検査とCTは綺麗でした。しかし、(A)があるので、血液サラサラの奥すると、痛み止めのお薬を出しておきます。」
「一週間ごか、二週間ごか、どちらにしますか?」
「一ヶ月ごに、CTの予約を入れておきますね。」
と、半端なく、知識が豊かで患者に沿った先生である。
きわめつけは、その先生はニコリと笑い、
「紹介状に血液検査をしたいと言ったと書いてありましたよ。」
と確かな手応えで、頷いてくださった。
わたしは、微笑み開始、深々と頭を下げ、礼を述べた。
随分昔の場合は、血液検査とCTではでなかったので、造影剤を使って検査をしてくださった先生がこの病院にはいらっしゃった。
素晴らしい先生だと思う。
そして今回は、神の手をお持ちの先生。
何かの、ドラマのような先生である。
私は痛い脚を引きずりながら、晴れ晴れとした気分で薬局へと向かった。
みなさま
見てくださいまして、誠にありがとうございます。
みなさま
楽しいお時間をお過ごしください。