乱鳥も何度か目の分岐点に立った。
その矢先、とあるきっかけで、俄然やる気が芽生える。
いつやる?
いや!今しかない!
と、どこぞで聞いたような陳腐な言葉で、自分を奮い立たせる。
古典でへらへらと遊んでいたが、人生の半ばに差し掛かって国文にも行きたかったと悟る私。
子供の頃から小説は文学少女と呼ばれるほどには読んできたが、それは好き勝手に楽しんできたに過ぎない。
これからは独自ではあるが、「学びの姿勢を学ぶ」といった時を加えようと思う。
とっかかりはとある偉大な方のお言葉。この方の言葉に、私は火がついた。
もちろん、知的財産の重要性を存じ上げている立場の人間なので、こちらからは教えて欲しいといった浅はかで傲慢なことは微塵にも考えてない。
ただ偉大な方が偉大な教えをわかりやすく伝えてくださった今、私は私の人生を全うすべく、楽しむのみならず書物を通して学ぶという姿勢も加えたい。
これはやりがいもあろうし、何より面白そうだ!
私は今この瞬間においても、恵まれた人生を送っていると感じ、万物に感謝する。
他 古典において
家族は履修生や社会人入学で編入すれば良いというが、昨今、遠くの大学まで出向くのは気が進まない。
ならば、ホテルや安マンションを利用しなさいといってくれるが、わんこが気にかかる。
また、今はまだ、リモート授業が行われているのかもしれない。
加えて気にかかるのは老人学習ビジネス。大学もまた然り。これには目を覆いたくなる。
ところが最近では、ユーチューブで大学講義や受験用の長時間動画、時には興味のある放送大学など、受け入れる学びの動画は多い。
気が向いた時には、ノートを取りつつ動画を見ることもあるが、基本、自分で読み楽しむ方向に流れる。
天野先生の講義があった頃は中之島まで出かけていたが、今は阪大中之島は只今改装中であるし、何より、天野先生は数年前が最後の講義であった。
古典の先生も大阪で講義されていらっしゃるが、連歌とあっては、敷居が高い。連歌の会の方達の横で、私は赤っ恥をかくのか。身の程を考え、講座を見送った。
悶々とした日々を送っている最中、近代文学などの取り組み方を与えて下さいました某氏に御礼申し上げます。
ありがとうございます。
みなさま
来ていただき、誠にありがとうございます。
いつも暖かな目で見守っていただき、ありがとうございます。
感謝いたしております。