近松全集『堀川波鼓』 『名作歌舞伎全集 第一巻』 『近松全集』より
コロナの影響を受け、私の場合歌舞伎や舞台を三年近く見てない。
最終に見た舞台といえば、中国でコロナが発生していたとは知らず、12月に北京に行き、山谷連続舞台を楽しみに行った。
舞台はそれが最後であった、、、、
今年大阪の松竹座で仁左衛門丈の『堀川波鼓』が演じられる。
芝居において禁断症状が出始めていた昨今、おウチ映画やドラマで気を紛らわせてはいたものの、如何にもこうにも我慢がならない。
というわけで、隣席に絶対に他の方が座られない席を選んで購入した。^^v
案の定、 今のところ私の選んだ席は周りには全て、誰も購入されてない^^
これで、コロナにかかるリスクは極端に低くなり、心配も少ない。
しめしめ、、、である。
ところで、仁左衛門丈の『堀川波鼓』を見るにあたり、またまた、『名作歌舞伎全集 第一巻』と『近松全集』を取り出し、『名作歌舞伎全集 第一巻』の方の『堀川波鼓』は読み込んでおいた。
あとは片岡仁左衛門様のお舞台を拝見するのみである^^
『名作歌舞伎全集 第一巻』には古いお舞台の写真は載せられているので、七代目中村芝翫丈のお写真が載っていた。
私は中村芝翫丈の演じ方も好きだったので、懐かしさもひとしおである。
『名作歌舞伎全集』と『近松全集』は全て読めるわけではないが何かの拍子に読んだり確かめるのが楽しい。
今や、『観世流百番集』『続観世流百番集』『絵巻物大系』『岩波古典文学大系』『岩波新古典文学大系』『柳田國男全集』とともに、『名作歌舞伎全集』と『近松全集』は、私の宝物である
みなさま、
拙ブログにお越しくださいまして誠にありがとうございます。
感謝申し上げます。
近松門左衛門作『堀川波鼓』 とは ↓
【堀川波鼓】 とは (Wikipedia)
ほりかわなみのつづみ〔ほりかはなみのつづみ〕【堀川波鼓】 の解説
浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。宝永4年(1707)大坂竹本座初演というが未詳。不義を犯したお種を、夫小倉彦九郎はやむなく自害させ、京都の堀川で女敵 (めがたき) を討つ。近松三姦通物の一。
堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)は、近松門左衛門作の浄瑠璃。
1707年2月15日、大坂竹本座で初演。
3段の世話物。
概要 前年に起きた、鳥取藩士が妻敵を討った事件を脚色したもの。
大経師昔暦』『鑓の権三重帷子』とともに、近松三大姦通物といわれる。
初演以来上演が途絶えていたが、1964年にNHKで復活。
これを映画化したものに『夜の鼓』(今井正監督)があり、新劇では俳優座が『つづみの女』(田中澄江脚本)として上演。
鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、夫の江戸勤番の折、酒乱のためにふとしたことから過ちを犯し、鼓師宮地源右衛門の子を身ごもる。
彦九郎は広がった悪い噂を一喝し、たねの妹ふぢも一計を案じて事を穏便に済まそうとするが、嫁ぎに出た彦九郎の妹ゆらが不義者の身内として離縁されたため、ついにたねに詮議が及ぶ。
隠しきれなくなったたねは、夫への忠節を示すため陰腹を割り、非を詫びながら夫の手で絶命する。
たねの妻仇を討つべく、彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすのであった。
深いドラマを描く『堀川波の鼓』
彦九郎演じられる、 片岡仁左衛門丈が語る (歌舞伎美人引用)
夜の部の『堀川波の鼓』は、仁左衛門が上演を提案したといいます。中村時蔵が初役で彦九郎の妻お種を、中村梅玉が恋敵の宮地源右衛門を演じます。「作品自体が好きです。かわいそうだけど、現代にもありうる話」。不義密通を犯し自害したお種のことを思って嘆く、彦九郎の最後のせりふが、「一人の男としての彦九郎の心が凝縮されていて、一番いい」と語りました。
「彦九郎は、過ちを犯した女房に対して、怒りはない。同情もして、憐みもして、しかし侍として成敗しなければいけない。本当に怒って成敗するのではないところ。これがこのドラマの深さです」と、言葉に熱がこもります。「ある意味で、非常につらいお芝居だけれども、きれいなお芝居。そういうところが好きですね」。
『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」
「堀川波鼓」 近松門左衛門作 1 一オ
「堀川波鼓」 近松門左衛門作 2 一ウ 二オ