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Channel: 乱鳥の書きなぐり
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『人はうわべを見るが、主は心を見る。』  サムエル記  16:7  /   『サムエル記』とは

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『人はうわべを見るが、主は心を見る。』

         サムエル記  16:7

 

 

 

 K日記様のページで、『人はうわべを見るが、主は心を見る。』という言葉を読み、感動しました。ありがとうございます!

 

 

 

 しかし主はサムエルに仰せられた。

「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 主はサウルから王位を退けました。

 そして、ダビデにその王位を与えるべく、エッサイの家に行って油注ぎを行ないなさいと預言者サムエルに命じられます。

 サムエルはけれども、父エッサイの息子のうちの誰かだとしか言われていません。

 それでサムエルが長男から、油注ぎを受けるべき息子を見分けようとします。

 サムエルは長男エリアブがその人だ、と思いました。

 けれども、主は違うと言われました。

 そして、この言葉になっています。

 主が選ばれる者は、人が見るような上辺ではないのだ。

 そうではなく、心なのだ、ということです。

 

 

 

『サムエル記』とは

『サムエル記』は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。

 元来、『列王記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。

 また『サムエル記』自体も上下にわかれているが、これはギリシャ語聖書以来の伝統である。

 また、正教会においては列王記第一、列王記第二と呼称される。

 内容的には『士師記』のあとを受け、『列王記』へと続いていく。

 タイトルは最後の士師であり、祭司であったサムエルに由来。

 ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『列王記』と共に「前の預言者」にあたる。

 この書物の原作者は、サムエル、ナタン、ガドであると伝えられている(歴代誌上 29:29)。


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