能楽『田村』
ドラマ『フジコ』4,3★/5 2015年 6回 原作 真梨幸子 監督 村上正典 脚本 高橋泉 尾野真千子 谷村美月 丸山智己 リリー・フランキー他
ドラマ『フジコ』を見た。
尾野真千子の迫真の演技に、猛烈な恐怖を感じながら、ドラマを最後まで見た。
ドラマの説明やみなさんの感想の多くは、どこを見ても〔救いようがない〕と書かれている。
ところが、ドラマの説明の〔救いようがない〕の背景には〔実は真実は違うんですよ。どの人にもそれぞれのドラマがあり、愛がある。〕のですよと言いたげである。
例えば、不二子は母親に殺されかけたと記憶していたが、実際には違い、
「あなたは私とは違うのよ。」
「あなたは生きなさい。」
と死に際に声をかけ、母殺しとされていた不二子は女に切断された首を抱え込んで母を慕う。
この母を慕う、そして、同じ血が流れているといった気持ちは、初潮が流れているといった場面は、踏切の初潮を迎えた衝撃的な場面でも描かれている。
フジコは刑務所で、彼女の見栄と優しさからあえて次女であることを気づかぬふりをする。
次女も、自分を抉り出すことになろう取材を引き受け、仕事人として娘として接する。
「あんたはいてもいなくてもどっちでもいいのよ。(要約)」
と次女に投げかけた言葉は、刑務所の中で取材にんよ凶悪犯としての会話を交わしつつ、実はフジコにとっては次女と真っ向に対話した幸せなひと時であった。
人生どこでボタンをかけちがい、ドラマのような展開になるのかは私には想像できないが、ドラマとしての『フジコ』は決して残虐であるばかりではない上質な展開であった。
また、上にも書いたが、尾野真千子の演技が素晴らしかった。
彼女の表情は空恐ろしく、今も心に焼き付いている。
彼女の
「私は美しいのよ。それだけ価値があるのよ。」(要約)
と誇らしげに放つ言葉は尾野真千子にぴったりであり、実際に大変美しく演じたれ、このメリハリのやある役は尾野真千子以外では考えにくいと感じた。
そして、最後のあやとり。
走馬灯の様にあやとりをする手が映し出される。
本当は、平凡な愛に飢える一女性であったのではないか、、、
人間は弱い生き物だと感じた。
今回も簡単な見たという記録だけで失礼致します。
あらすじ 一家惨殺事件の生き残りとしてトラウマを負った11歳の少女フジコ。だが彼女の人生はいつしか狂い始めた。「あたしは人生をリセットできる女」―、呟きながら殺害を繰り返していく。なぜ彼女は殺すのか? 誰が彼女の家族を殺したのか? 愛への渇望か、幸せへの執着か、真実が明かされるとき、最高の後味の悪さと驚愕のラストが、観る者を戦慄と慟哭へと突き落とす。
原作 真梨幸子
監督 村上正典
脚本 高橋泉
主題歌/挿入歌 斉藤和義
出演者 尾野真千子 谷村美月 丸山智己 リリー・フランキー 浅田美代子 真野響子 高橋努