『ブリキの太鼓』(ブリキのたいこ、Die Blechtrommel)10★/10
162分(ディレクターズ・カット)1979年
製作国
西ドイツ
ポーランド
フランス
ユーゴスラビア
言語 ドイツ語
ポーランド語
ロシア語
ヘブライ語
イタリア語
『ブリキの太鼓』(ブリキのたいこ、Die Blechtrommel)は、ドイツの作家ギュンター・グラスが1959年に発表した長篇小説である。『猫と鼠』(1961年)、『犬の年』(1963年)と続く、いわゆる「ダンツィヒ三部作」の最初を飾る作品であり、第二次世界大戦後のドイツ文学における最も重要な作品の一つに数えられる。1979年にはフォルカー・シュレンドルフによって映画化された。
ギュンター・グラス(Günter Grass, 1927年10月16日 - )はドイツの小説家、劇作家、版画家、彫刻家。代表作に『ブリキの太鼓』など。1999年にノーベル文学賞受賞。
ギュンター・グラスはダンツィヒ(現ポーランド領グダニスク)で生まれた。父はドイツ人の食料品店主、母は西スラヴ系少数民族のカシューブ人。当時、ヴェルサイユ条約によりドイツから切り離され、国際連盟の保護下に形式上独立国だったダンツィヒ自由市で、ドイツとポーランドをはじめとする様々な民族の間で育ったことが、その後のグラスの作品に大きく影響することになった。
カシューブ【Kaszub】
ポーランド北部,バルト海沿岸地方東部,ほぼグダンスク県にあたる地域。ポーランド語のカシューブ方言を話す古代のポモジェ人の子孫が居住する。ビスワ河口以西の地域で,モレーン丘陵や氷河性の湖沼が多く,地形は低い丘陵地と低地からなり,地味はおおむねやせている。中心都市としてカルトジ,コシチェジナがある。カシューブ地方は14世紀にドイツ騎士団の支配下に入ったが,1466年のトルン条約で再びポーランド領となった。
1954年、精神病院の住人であるオスカル・マツェラートが自らの半生を語る。1899年のジャガイモ畑における祖母の妊娠に始まり、1924年の誕生、3歳の誕生日における成長の停止、ナチ党政権前後におけるダンツィヒ自由市の小市民的心性、戦前・戦中・戦後の遍歴などを局外者の視点から描く。
原典:Die Blechtrommel, Neuwied: Luchterhand, 1959.
英訳:The Tin Drum, translated by Ralph Manheim, London: Secker & Warburg, 1962.
邦訳:『ブリキの太鼓』高本研一訳、シリーズ「現代の世界文学」、集英社、1972年 のち文庫
監督 フォルカー・シュレンドルフ
脚本 ジャン=クロード・カリエール
フォルカー・シュレンドルフ
フランツ・ザイツ
ギュンター・グラス
原作 ギュンター・グラス
キャスト
オスカル・マツェラート - ダーフィト・ベンネント
3歳で成長を止めた少年。叫び声でガラスを割ることができる。
アルフレート・マツェラート - マリオ・アドルフ
オスカルの父親。ドイツ人。食料雑貨店を経営。元料理人。
アグネス・マツェラート - アンゲラ・ヴィンクラー
オスカルの母親。2人目の子を妊娠すると精神のバランスを崩して急逝する。
マリア・マツェラート - カタリーナ・タールバッハ
アルフレートの店に住み込みで働くようになった少女。
オスカルと同い年で初恋の相手。後にアルフレートの後妻となり息子クルトを生む。
ヤン・ブロンスキ - ダニエル・オルブリフスキ
アグネスの従兄で恋人(愛人)。オスカルの実父である可能性がある。
ポーランド人専用郵便局に勤める。
アンナ・コリャイチェク - ティーナ・エンゲル(若年期)、ベルタ・ドレーフス
アグネスの母親。カシュバイ人 (en) 。旧姓ブロンスキ(ブロンスカ)
ヨーゼフ・コリャイチェク - ローラント・トイプナー
アグネスの父親。放火の常習犯。
アンナと1年ほど暮らした後に警察に追われ、川に飛び込んで行方不明になる。
ドイツ映画『ブリキの太鼓』を見た。
出だしからグリム童話「千枚皮」の日本でいうならば隠れ蓑を思い浮かべる。
母親の体内から外を眺める妙に大人びた子はまるで哲学史。安部公房の小説を読んでいるようだ。
体内、スカート、パリのエッフェル塔の下は、隠れ蓑。
また、太鼓やラッパが映画の中では呪術的響き。呪文のように感じる。
自分で呪文を唱えると小人(の大きさ)のままであったり、小人(本人)や童話で出てくるように善悪を兼ね備えている。
自分で呪文をとき、石を投げられるというきっかけが成長のきっかけとなる。
まるでおはなし(童話)といった世界を巧みに取り入れながら、当時のドイツを巧みに描きあげる。
この映画は素晴らしい。
この映画はわたくしの好み。
データーはウィキペディア