歌舞伎『仮名手本忠臣蔵〜祇園一力茶屋の場』
2019年8月28日、平右衛門=仁左衛門 お軽=玉三郎、いわゆる(孝玉)のこの舞台は何度見たか。
台詞の言い回しも結構覚えているところがあるので、お家ということもあって、一緒に言い遊びながら見ている。
それにしても、孝玉とあっては、この演目では兄弟とあっても、テンションが上がるわ
「そうして、兄さん、、、、、寛平さんは?」
の恥じらうお軽に対して、兄の平右衛門は
「寛平はナ、寛平はナ、、、、寛平はナ、、カ→ン→ペ→イ→ダァ→」(要約)
と困り果てる台詞がある。
以前からどの役者が演じても、以前から思っていたことだが、あの台詞は
「カ→ン→ペ→イ→ダァ」
と言い回す方が良いような気がしてならない。
なぜなら、寛平はすでに切腹しており、それを妻のお軽に、兄としていうのが辛い。
寛平は勘弁との掛詞になっているからだ。
そんな細かいことがどうでも良いが、片岡仁左衛門丈は素晴らしくうまい、舞台映えのする歌舞伎役者である。
見得を切ろうものなら、私、TVお家見ということもあって、キャーキャーの連続である。
そしてお軽。
玉三郎のお軽は、非常に美しく、そのくせ、面白い。
随分内容を読み込まれているとあって、九つ階段を降りる場では、艶っぽく色っぽく、台詞の言い回しといい、仕草や表情といい、階段を降りるだけで、濡場を描き出す。
階段の場面では、断然玉三郎が良い。
お軽は色々な役者で見たが、次の役者が印象深かった。
玉三郎 階段を降りる場
秀太郎 「そこからあとは、じゃら、じゃら、じゃらじゃらじゃら(要約)」
考太郎 反りくりかえって鏡で文を盗み読み、花魁(お軽)の簪(かんざし)がポトン。
このポトンを、考太郎は非常に強調されている。
七之助 平右衛門「美しくなった、後ろも見せてくて」に対し、お軽は上手に立ち、
「こうですかいなぁ」といいつつ、両袖をピンと張った姿が美しく、会場中がどよめいた。
玉三郎 玉三郎は上の場を平右衛門より下手にに立ち、『見返り美人』的に演じた。
役者が変わると、同じ演目でも芝居が随分変わる。
同じ舞台でも、日によって随分違うし、観客や自分の様子によっても、舞台は作り上げられる。
ビデオや録画で同じ舞台を見ていても、毎回発見があり、見飽きない。
舞台は、面白いものだなぁ。
また、こんなに面白い戯曲が創られていたり、パロディの草子が書かれていたりと、江戸時代もなかなか面白い時代だなぁと改めて感じた。
ところで、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵〜祇園一力茶屋の場』を見終えて、片岡仁左衛門の舞台を見たいと痛感した。
また、故片岡秀太郎を思い出し、しんみりとした。
そして、何より、、、
この芝居には出演されてないが、片岡我當の舞台が見たいと切に思った。
N●K大阪で見た片岡我當と故坂田藤十郎の『伊賀越道中双六』が印象深く、できることならもう一度見て見たかった、見ておいてよかったと思える舞台であった。
片岡我當さんのお芝居も、好きですよ!!!!
この芝居にはないが、定九郎なら^^
『仮名手本忠臣蔵』での定九郎は
片岡仁左衛門
市川左團次
故實川延若(二代目)(実は、寛平役でした)
片岡愛之助
(十年後の)片岡千之助
『坐敷芸忠臣蔵』五段目の定九郎の顔は、おどけた化粧の
市川左團次
故實川延若(二代目)(実は、寛平役でした)
故坂東三津五郎(十代目)
片岡我當
以上の役者で見てみたい^^
上の絵は、『坐敷芸忠臣蔵』(『坐敷藝忠臣蔵』)
山東京傳 戯作
歌川豊国 戯画
山東京傳 1761-1816
歌川豊国 1769-1825
小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810]
19cm
和装
印記:只誠蔵,斎藤文庫,洒竹文庫
関根只誠,斎藤雀志,大野洒竹旧蔵
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)
『坐敷芸忠臣蔵』ヘ13 02377