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『パイドン』 8 プラトン著 (ソクラテスの求めていたもの、、、、、プラトンのイデア論が成立する。 / 言葉memo イデア論(初期、中期、後期))

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『パイドン』 8 プラトン著 (ソクラテスの求めていたもの、、、、、プラトンのイデア論が成立する。 / 言葉memo イデア論(初期、中期、後期))

 

プラトン P.201  (要約)

 

ソクラテスの求めていたものが、ここの徳の事例に徳たらしめている徳の普遍的本質であった。

この探求の沿線上に、プラトンのイデア論が成立する。

 

 

 イデア論の成立については、    P.201  (要約)

     限定(形相、ペラス)的原理を存在の優先順位とする、ピタゴラス派の思想

     現在の永遠不遍性

     自己同一性を強調するパルネニデスの思想

 

 イデア論  P.201  (要約)

  ソクラテスが懸命に定義しようとした

      正義

      善

      美 

      等しさ

  自己定一性を定立する理論

  正義や美であるのは、正義や美でありうるのは、正義のイデアやびのイデアを文雄dする。

  これが『パイドン』で初めて語り出されたイデア論の骨格にほかならない。

 

言葉memo イデア論

イデア論

 イデア論(イデアろん、英: theory of Forms, theory of Ideas, 独: Ideenlehre)

 プラトンが説いたイデア(希: ιδέα、英: idea)に関する学説のこと。

 本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない、とする。

 

イデア論

「イデア」という語は、古代ギリシャ語の動詞「idein」(見る)に由来する。

 プラトンの哲学では、《idea》(イデア)と《eidos》(エイドス)とを対比している。

 

eidos (イデア論に対してのeidos)

 eidosというのもやはりideinに由来する言葉である。

 ただし、ideaやeidosが哲学用語・専門用語として意味が固定したのは、弟子のアリストテレスが用いて以降であり、プラトン自身がそうした専門用語として用いていたわけではなかったという。

 プラトンの説には変遷が見られる。

 ここでは初期、中期、後期に分けて記載されている。

 

イデア論(初期)

 プラトンの初期の哲学は、ソクラテスが実践したphilosophy(愛智)を描くものであるが、その根本の動機というのは《良く生きる》ことであるということ、また愛智の目的(徳の「何であるか」の探求と学習)を明らかにしつつ、また「無知の知」を自覚させ、人間のpsyche(プシュケー、命、魂)を愛智の道の出発点に立たせようとする。

 ソクラテスが倫理的な徳目について、それが《何であるか》を問い求めたわけであるが、それに示唆を得て、ソクラテスの問いに答えるような《まさに~であるもの》あるいは《~そのもの》の存在(=イデア)を想定し、このイデアのみが知のめざすべき時空を超えた・非物体的な・永遠の実在・真実在であり、このイデア抜きにしては確実な知というのはありえない、とした。

 

イデア論(中期)

 中期の哲学は、パイドン《想起》(アナムネーシス)という考え方の導入によって始まる。

 これは、学習というのは実は《想起》である、という説明である。

 つまり我々のプシュケー(魂)というのは不滅であって輪廻転生を繰り返しており、もともとは霊界にいてそこでイデアを見ていたのであって、こちらの世界へと来る時にそれを忘れてしまったが、こちらの世界で肉体を使い不完全な像を見ることによりイデアを思い出しているのだ、それが学習ということだ、という考え方である。

(この《想起》という考え方によって、プラトンは「徳とは《何であるか》という問いに答えられないし、不知な対象は探求は不可能だ」とする「探求のパラドックス」は間違っているとする。)

 そしてプラトンはphilosophy(愛知)というのは、まさに《死の練習》なのであって、真の愛知者というのは、できるかぎり自分のプシュケーをその身体から分離解放し、プシュケーが純粋にそれ自体においてあるように努める者だ、とする。

 そして愛知者のプシュケーが知る対象として提示されるのが《イデア》である。

 プシュケーの徳に関して、《美そのもの》(美のイデア)《正そのもの》(正のイデア)《善そのもの》(=善のイデア)などが提示されることで、愛知の道の全体像が提示される。

(《善そのもの》は、「知と真実の原因」とされ、太陽にも喩えられている)。

 愛知者のプシュケーが、問答法によって《善そのもの》へ向かい、それを観ずることによって、自らのうちに《知と真実》をうむこと、そして《善そのもの》を頂点としたイデアを模範とすることで、自己自身である自分のプシュケーをそのイデアの似姿として形づくること、それがプラトンの思い描いたことである。

 イデアの種類には、様々な一般的な性質に対応する「大そのもの」「小そのもの」などが提示された[2]。「単相」「純粋」といった存在論からのものや、「知られるもの」といった認識論からのものも示された。

「美そのもの」と「美しいものども」との関係は、《分有》あるいは《与り》の関係であると言われ(「イデア原因説」と呼ばれる)。

 また前者が《範》であり、後者が《似像》として理解されるときは《類似》の関係だと言われる(「パラデイグマ」「範形イデア論」などと呼ばれる)

 

イデア論(後期)

 後期では、イデアの措定の困難を弁証的に越え、『第三人間論』などではイデア論批判なども行う。

 それとともに想起説などが取り下げられ、イデアやエイドスは、中期のそれとは異なったものになり、分割と総合の手続きにより新たに定義される問答法で扱われる《形相》あるいは《類》として理解されるようになる。

 

 

 

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

  『パイドン』 1 プラトン著 (言葉memo  『パイドン』/ 「ピタゴラス派哲学者ピロラオス」/ 「ピタゴラス派」) 『パイドン』 2 プラトン著 (『パイドン』の登場人物) 『パイドン』 3 プラトン著 (言葉memo 「想起説」/ 「イデア論」/ 「カタルシス」) 『パイドン』 4 プラトン著 (『パイドン』におけるソクラテス像(超禁欲)と伝わる実像(禁欲主義者及び大酒豪、エロスといった快楽主義者)) 『パイドン』 5 プラトン著 (パイドンとソクラテス / シミアスとケベス 対 ソクラテス / ピタゴラス派、ピタゴラス、ピタゴラス学派 『パイドン』 6 プラトン著 (激しい問と答の激突は、この対話篇において、プラトンがいかに歴史的なソクラテスの生きた対話の有様の再現を意図したかを雄弁に物語る。) 『パイドン』 7 プラトン著 (『ゴルギアス』「いかに生きるべきか」「どんなに人が幸福であり、どんなに人が不幸であるかを知ることである。」「正義とは何であるか」) 『パイドン』 8 プラトン著 (ソクラテスの求めていたもの、、、、、プラトンのイデア論が成立する。 / 言葉memo イデア論(初期、中期、後期))

 

 

 


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