『ソクラテスの弁明 クリトン』3 (プラトンについて ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索)
プラトンについて
プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)
古代ギリシアの哲学者
ソクラテスの弟子
アリストテレスの師
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流。
哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた
『ソクラテスの弁明』
『国家』等
現存する著作の大半は対話篇という形式を取っいる。
一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。
青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍。
イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われている。
プラトンは、師ソクラテスから問答法(弁証法)(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア))を経ながら、正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学ぶ。
国家公共に携わる政治家を目指していた。
三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。
参考
『ソクラテスの弁明 クリトン』
プラトン 著
久保 勉 翻訳
岩波文庫 青601-1
ウィキペディア